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名古屋への通勤圏内にある秘境駅「定光寺駅」 滝カフェ・廃墟・定光寺
名古屋駅から約30分。定光寺駅はJR中央線沿線にある秘境駅です。 通常は無人駅で1時間に2本しか電車が止まりません。庄内川に沿った崖の山肌にへばりつくように駅があり、渓谷の風景が広がります。 春の桜、秋には紅葉。定光寺駅周辺は戦前より景勝地として賑わっていました。 昭和30年代からは旅館などが立ち並び、名古屋近郊の観光地として活気がありました。 自家用車の普及により、信州や飛騨など遠方の観光地へお客さんが流れるようになりだんだんさびれていきました。 東海自然歩道が整備され、遊歩道の散策や山登り、定光寺へ向かう坂道が斜度15度あり、ロードバイクの激坂マニアが訪れる場所でもあります。 廃墟 千歳楼…
国の登録文化財「愛岐トンネル群」の秋の特別公開と周辺散歩(滝カフェ、定光寺、廃墟)
名古屋駅からJR中央線で約35分、崖っぷちの秘境駅で知られる「定光寺駅」。 普段は無人駅で閑散としていますが、今日はとても賑わっていました。普段はいない駅員さんが2人もいて列車と乗客をさばいています。 国の登録文化財日本3大廃線トンネル群の1つである愛岐トンネル群の秋の特別公開が行われているからです。 一般公開は春と秋に行われています。 ちなみに日本3大廃線トンネル群とは 碓氷峠トンネル群(群馬県安中市) 北陸線トンネル群(滋賀県長浜市、福井県敦賀市・南越前町) 愛岐トンネル群 のことをいいます。 愛岐トンネル群とは? 1900年(明治33)国鉄中央線は名古屋〜多治見間が開通しました。 東濃の…
日時:令和4年7月3日 時間不明 住所:北海道函館市豊崎町 状況:熊の目撃情報 現場:道道980号臼尻豊崎線 ※函館市南茅部河川公園から北に約450m ------------------------ 日時:令和4年7月3日 時間不明 住所:北海道木古内町札苅 状況:熊の出没情報 現場:不明 ※地内に北海道新幹線、函館江差自動車道、道南いさりび鉄道札苅駅、国道228号(日本海追分ソーランライン)、札苅村上芝桜園などが...
高麗川駅構内。線路は残る。×多し。左:八高線 中央:日本(太平洋)セメント専用線跡 右:川越線遊歩道に残る「線路内立入禁止」看板。踏切、線路が残る場所。この要塞みたいな工場は変わらず。1994年 高麗川駅構内(再掲載)。...
2018年 徳島県小松島市四国の鉄道 1960~90年代の思い出アルバム [ 野沢 敬次 ]価格:2750円(税込、送料無料) (2022/2/4時点)楽天で購入...
日時:令和4年7月1日 06時25分ごろ 住所:秋田県鹿角市八幡平湯瀬居熊井 状況:成獣のクマ1頭の目撃情報。体長約150センチ 現場:東北自動車道下り線の路肩 ※湯瀬パーキングエリアから東京方面に約1.5km ------------------------ 日時:令和4年7月1日 朝 住所:秋田県由利本荘市中俣 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:秋田県道9号秋田雄和本荘線 ※田代峠トンネル南側抗口付近 --------...
汐留側。架線はありませんが、綺麗に整備されています。旧東京機関区近く。ゴハチ牽引の急行荷物列車来ないかな。贅沢は言いません、浜松のカマでいいです。*田町...
日時:令和4年7月11日 06時30分ごろ 住所:新潟県南魚沼市野田 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:林道(新潟県道214号城内焼野線との交点付近) ※北越急行ほくほく線の魚沼丘陵駅から北西方に約2.8km ------------------------ 日時:令和4年7月11日 08時45分ごろ 住所:新潟県長岡市乙吉町 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:市道(龍穏院から南方に約450m) ------------------...
こんばんは。京猫です。9月11日~12日 岡山ノスタルジックポタに行きました。【片鉄ロマン街道】と【瀬戸内海と島』1日目(66㎞):片鉄ロマン街道&三保高原ヒ…
国鉄勝田線 下宇美駅跡(福岡県宇美町)―サイクリングロードに残るホーム
昭和60年に廃止され、その大半がサイクリングロードに転用された国鉄勝田線。廃止から40年近い現在も、沿線には鉄道が走っていた頃の面影が多数見られます。香椎線との接続駅・宇美の一つ手前にあった、下宇美駅の跡地をたずねました。下宇美駅は九州自動車道のすぐ南側にありました。住宅街に囲まれた好立地ということで、廃止が惜しまれます。また、駅前を通る県道68号線には、西鉄バスの下宇美停留所があります。▲下宇美バス停▲...
九州駅巡り21夏-筑豊編(11) 久大本線 夜明駅 ~日田彦山線の赤さび線路~
宝珠山駅から日田彦山線の代行バスで夜明駅のバス停までやってきました。16:54の到着。ここで下車して、久大本線の日田駅まで行くバスを見送ります。夜明駅は大分県日田市大字夜明にある川沿い隘路の無人駅。「夜明」・・・イイ駅名ですよね。駅名もですがその立地や駅構造、佇まいも好きな駅のひとつです。乗り入れ路線は当駅の所属線の久大本線と当駅を終点とする日田彦山線の2路線。日田彦山線は路線上の終点ですが、全列車が久大本...
渋谷川の横。残る高架橋の支柱。カーブして代官山へ。渋谷ブリッジのそばには、地元住民の銭湯「さかえ湯」。渋谷桜丘口を含めて、新宿南口付近に髙島屋が出来る前の雰囲気に似ている気がします。*渋谷駅2021年10月...
踏切跡(現役時代ここから撮った北王子駅)。北王子駅跡地はマンションになっていました。そのマンションには、線路のようなデザインがありました。刻まれる時刻表。貨物時刻表には載っていないスジがもう一本あった記憶。第1宮江踏切。新幹線下の線路が北王子線。田端操車場まで延びる線路。東北本線並走。王子駅。2004年、現役時代の似たアングル(再掲載)。線路の強弱が目立つ。...
“ボロ電“山梨交通電車線跡ポタ③モハ7(=江ノ電801号)と甲斐青柳駅跡
“ボロ電“山梨交通電車線「廃軌道」ポタは、いよいよクライマックス。 長沢駅跡付近を過ぎて、右手に出てきたかわいい電車。 そしてどこかで見たようなお顔。 この利根川公園に鎮座するのは、元山梨交通モハ7。 この車両は1948年に製造され、廃止後は上田丸子電鉄へ。丸子線廃止に伴い1971年には江ノ電に譲渡。江ノ電では801号として運行していました。 www.enoden.co.jp 1986年に廃車され、こちらに里帰りして大事に保管されていたんですね。。。 ボロ電は悪口じゃなかったんですねー。。。涙。 でも、チョコ電の方が語感いいと思うのですが、それは神奈川県民の贔屓目? 山梨交通の廃線跡を辿ろうと…
”ボロ電”の「廃軌道」、県道5号線を進みます。 お世辞にも自転車で走りやすいとは言えません。路肩は狭く、轍も深く、お店の駐車場からの出入りの車も多い。 そして何より、駅の跡は全然わかりませんし。こういうカーブは、らしい感じですが。 単線としては用地が広かったのでしょうが、2車線だと路肩もほとんどありませんね。中央高速をくぐって、甲斐市に入ります。 「農林高校前」電停もあったようですが、山梨県立農林高校を過ぎて、 開国橋で釜無川を渡ります。見るからに暴れ川を渡る橋梁の管理問題も廃線に直結していきますね。。。なんだか大井川を渡る静岡鉄道駿遠線を思い出しました・・・。 釜 無川沿いのサイクリングロー…
一番手前の砂かぶり線路が元貨物線。そのまま残していたのには意味がありました。羽田空港アクセス線として再利用するようです。楽しみ!*現役時代...
信玄公に睨まれつつ、甲府駅前のターミナルをスタート。 今回は山梨交通電車線の廃線跡を巡ります。1930年に山梨電気鉄道として開業。1932年に甲府駅前から甲斐青柳(現在の富士川町内)間が開通、1945年に山梨交通となり、1962年に廃線となった20.2㎞の路線。 甲府駅のすぐ横が城跡。立派な石垣をかすめて、県庁の方に下ります。 山梨交通電車線は、県の中心部、県庁、市役所、警察署、裁判所等の前を通って、 相生町で右折。国道52号線に入ります。西は信州道、南は身延道。 寿町付近を通過。整備されていて電停の名残はここまで一切ありません。。。 荒川を渡ります。この橋のド真ん中に「荒川橋」バス停がありま…
【東京の地下鉄の謎に迫るかと思いきや】帝都地下迷宮 [ 中山 七里 ]
内容紹介(「BOOK」データベースより)鉄道マニアの公務員、小日向はある日、趣味が高じて、廃駅となっている地下鉄銀座線萬世橋駅へと潜り込む。そこで思いがけず出会ったのは、地下空間で暮らす謎の集団。身柄を拘束された小日向に、彼らは政府の「ある事情」により、地下で生活していると明かす。その地下空間で起こる殺人事件。彼らを互いにマークする捜査一課と公安の対立も絡み、小日向は事件に巻き込まれていく。 What)これは何のための本か? 東京の地下には、廃線も含めてたくさんの線路があるんですよ。 Why)この本を読む理由は何か? 東京の地下がものすごい大変なことになっている! …という題材の作品は、好きで…
日時:令和4年6月28日 時間不明 住所:北海道富良野市中御料 状況:子熊1頭の徘徊情報 現場:ふらのマウンテンビュー牧場付近 ------------------------ 日時:令和4年6月28日 時間不明 住所:北海道富良野市西麓郷 状況:熊1頭の出没情報。体長約200センチ 現場:道道253号東山富良野停車場線 座標:43°16'51.7
JR梅小路京都西駅を降りてすぐ、歩道橋の先にある「梅小路ハイライン」。平成28年まで使われていた梅小路短絡線(山陰連絡線)の高架が廃線になったあとがもったいないので、いろいろイベントをしてはる。今は夏祭りの最中。私が行った時は日本酒祭で、京都府下のお酒が
よく"遺産(レガシー)"という言葉を小池百合子東京都知事から聞いた。私はその遺産よりも遺構の方が気になってならない人間だ。 今月の初めに千葉県の臨海新...
3両編成E131系で、JR日光駅に到着。 ちょうどJR253系「特急日光」が東武日光駅へ到着するところ。日光観光輸送の力関係の象徴的な瞬間。 JR日光駅の歴史ある長いホームですが、先の方のレールは錆びてしまっていて。。。 貴賓室もあり、そして修学旅行団体用に待機スペースも広くとられています。 小学生の時、修学旅行で、167系「かながわ」号で日光に来ました。品川駅臨時ホームでスイッチバックして山手貨物線へ。そして宇都宮でもう一度スイッチバックという経路と記憶しています。 現在はE257系5000番台運用ですが、普通にまっすぐ上野東京ラインで来るんでしょうか?? 風格が素晴らしい駅舎です。 まずは…
日光から細尾峠を越えまして、 間藤駅までやってまいりました。 この間藤駅は、宮脇俊三先生が1977年5月28日、国鉄全線完全乗車を達成した駅。駅舎内には「時刻表2万キロ」の足尾線の稿が張られています。 私は今回で3回目訪問ですが、今回見たところ訪問ノートは無かったです。コロナ対策でしょうか。 宮脇文学で育った私には聖地。私はほぼ発表作品は読んだと思います。持っていた文庫本は子どもの頃から何度読み返し、すべて手汗や日焼け等でボロボロに。。。泣く泣く処分してしまいましたが、また読み返したくなりました。 こちらの雑誌は大事に持っています。 張られている年表を改めて見てみると、宮脇先生は50歳で国鉄全…
先月末に府中散歩に行った時に撮影した「ちはやふる」マンホールです。 場所は下河原緑道。 JR下河原線という路線の廃線跡が遊歩道になっています。 線路の跡なのでまっすぐ伸びて気持ちの良い散歩道です。 下の画像は2枚ともさんたつ(散歩の達人)より。
旧熊ノ平駅を後にして、ひたすら下っていきます。 (記事が前後してすみません。) 碓氷第六橋梁を眺めます。小さくもきれいな形のアーチですね。 第五橋梁は横から階段で路盤に上がれました。このまま歩きたくなる「アプトの道」です。 そしてさらに下り、めがね橋(碓氷第三橋梁)へ。やっぱり圧倒的!! 軽井沢駅で見た10000形機関車が、歯車ギシギシ言わせて登ってたんでしょうねー。 大パノラマ!この橋も本当に頑丈そうです。 上にあがれるのですが、高そう。。。廃線跡の「アプトの道」は今度歩きにくることに決めました。その時に取っておくことにしよう。 さらに下ると旧中山道、古道の入り口です。 この道歩いて軽井沢を…
軽井沢駅を急ぎ目に楽しんで、やっと出発! 今回は碓氷峠、国道18号線の旧道をまずは下っていきます。 せっかく涼しい軽井沢まで来たのに、すぐ下るのはもったいない。。。と、我ながら思うのですが、一昨年、軽井沢サイクリングメインコースは走っています。 その時は浅間山がとてもきれいで気持ちよかった。今回は東へ向かいます。 横川駅に向けて旧信越本線沿いに出発。廃線になった在来線の向こう側をE7系が駆け抜けていきます。 国道に入って、軽く登り始めると 在来線跡が足元に。トンネルに入っていきます。 そこから、ちょっと上がっただけで、旧国道18号の碓氷峠。 あっというまに、群馬県になってしまいました。 ペダル…
恐らく「輪行依存症」になっていて?一か月輪行にしなかったら、禁断症状が出た(気がする)ので、今日は仕事を休み、ラッシュ終わりにグリーン車輪行。 JR成田駅をスタートし成田山新勝寺へ表参道をポタポタと。 雰囲気のよい参道を進みますが、、、とても香しい匂いで鼻ヒクヒクです。成田と言えば鰻ですからね。以前食べたこともあるし、今日は匂いだけで我鰻しておこう。。。 一回下っていきまして、総門に到着です。 今回はお参りはパス。主目的は成宗電気軌道(成田鉄道宗吾線)=「成宗電車」跡ポタなので。 総門から一本外れた通りは、「電車道」という名前が通りにつけられています。 この辺が起点の旧成田山門前(不動尊前)電…
西日本完乗への道-広島編(21) 広電バス (可部駅前→三段峡) ~可部線廃線跡を辿る~
可部駅前から三段峡行きの広電バスに乗車しました。ここからは2003(平成15)年12月に廃止された可部線非電化区間を辿ります。可部~三段峡間・・・この時には21もの駅が廃止されたそうです。バスはまず可部の市街を北上、国道191/261号を左折して西進を始めます。バス停にちょこちょこと停車しては乗客を拾っていきます。国道191/261号、上勝木バス停手前の様子。この辺り、特に帰り道でよく見えた南側の丘には新興住宅地、いわゆる
日時:令和4年6月15日 15時45分ごろ 住所:石川県加賀市山中温泉我谷町 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報 現場:石川県道153号我谷今立塔尾線 ※我谷ダムから九谷ダム方面に約750m ------------------------ 日時:令和4年6月17日 16時20分ごろ 住所:石川県白山市河原山町 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報 現場:手取キャニオンロード(北陸鉄道金名線の廃線跡) ※白山下サイクリングパークの...
週末パス20晩秋(19) 弥彦線(弥彦東線) 越後長沢駅跡と大浦駅跡 ~国道に転用された廃線跡~
東三条駅前から越後交通バスに乗車して弥彦線廃線跡を辿ります。弥彦線の前身の越後鉄道は、海側の弥彦から吉田、現在の東三条と徐々に線路を延ばしていき、計画ではなななんと遥か南の只見まで延伸するつもりだったそうです。どういったルートを考えていたのかわかりませんが、地図を見ると・・・最短経路に国道289号がありますが、道が繋がってません。西に迂回するルートだと、現在の只見線の難所「六十里越」を抜ける必要あり。・・・...
週末パス20晩秋(16) 魚沼線 西小千谷駅跡 ~「いつの日にか思い出とともに蘇れ」~
来迎寺駅前から越後交通バスに乗車して、魚沼線廃線跡に沿って進みます。魚沼線は来迎寺~西小千谷間の12.6kmの路線でした。廃止は1984(昭和59)年4月のこと。ローカル線がことごとく廃止されていった時期ですね。その中でもかなり地味目な印象の路線でした。この路線が廃止された要因は素人目から見てもわかりやすいと思います。信濃川対岸にできた上越線の小千谷駅の存在。当時は魚沼線の終点が小千谷駅、後にできた上越線の駅が...
会津鬼怒川駅巡り20秋(12) 日中線 (喜多方駅→熱塩駅跡) ~廃線跡をサイクリング~
喜多方駅前で自転車を借りて国鉄日中線の終点だった熱塩駅跡に向かいます。日中線は喜多方から熱塩を結ぶ11.6kmの非電化路線。計画では米沢まで伸びる予定だったそうです。1984(昭和59)年4月に廃止されるまで、旧客編成の列車が行ったり来たりしていました。1日わずか3往復だったそうです。朝、夕、夜のそれぞれ1往復。つまり日中には列車が走らないのに日中線^^;「日中」という路線名は前々から気になっていたのですが、熱塩のもう...
5月28日 『敦賀、遠いわぁ~』JR敦賀駅に現れたス師匠の第一声はそれだった。『5時台の電車乗って、3時間もかかったで』大阪市内から福井県の敦賀まで、朝は新快…
西日本完乗への道-関西JR編(38) 福知山線支線尼崎港線 尼崎港駅 ~廃線沿いをお散歩、そして阪神本線 大物駅へ~
金楽寺駅跡から更に南に歩きます。この先は住宅地の狭い所を歩くことになりました。住宅の新しさや古さの比較で廃線跡が何となくわかります。しばらく歩くと国道2号に突き当たります。そのすぐ手前、駐車場があるところが線路跡だと思います。奥に国道2号が横切っています。多分踏切があったんだろうなと思います。国道を横断して更に南へ。住宅街の狭い道を進みます。私の予想ではこの道は廃線跡ではなく、右側に並ぶ住宅が廃線跡...
西日本完乗への道-関西JR編(37) 福知山線支線尼崎港線 (尼崎駅→金楽寺駅跡) ~廃線沿いをお散歩 その1~
新大阪駅から東海道本線で尼崎駅に移動してきました。3番線の到着です。 尼崎駅は兵庫県尼崎市潮江にある尼崎市の代表駅。阪神にも尼崎駅がありますが、南に大きく離れた全く別の駅です。同じ名前の別の駅・・・関西私鉄ではよく見かけるような気がします。乗り入れ路線は当駅を所属線とする東海道本線と当駅が起点となる福知山線、当駅が終点となるJR東西線の3路線。運転系統でいうとJR神戸線、JR宝塚線、JR東西線・・・。福知山線...
南海電車を撮影後に阪堺電車を撮影のために移動しました。かつての乗り場へ続く通路です。阪堺電車の住吉公園駅です。駅舎部分は残されています。(ホーム等は撤去済み)…
士幌線(しほろせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線で、帯広から十勝平野を北上して上士幌町の十勝三股駅までを結び、営業距離は78.3kmありました。今から約32年前の1987年3月23日に全線が廃止されました。 私も当時時刻表や地図などを見て、士幌線が存在していたことは覚えています。当時は国鉄からJRへ民営化移行前でしたので廃止路線が多かったような記憶があります。 十勝の観光情報をいろいろネットで見ていて、このタウシュベツ橋梁の空撮VRに惹かれましたので士幌線跡に行ってみることにしました。 kamishihoro.info 第3音更川橋梁 旧糠平駅 ひがし大雪自然館 三ノ沢橋梁(…
あの駅トイレは今・・・沖縄県営鉄道(ケービン)糸満駅跡をたどる
かつて「ケービン」と呼ばれ親しまれていた、沖縄県営鉄道。廃止から70年以上経った今もなお、その痕跡は断片的に残されています。今回はその一つを辿るべく、本島南部の糸満市にやってきました。この地にはかつて糸満線が伸びていました。これからその終点だった糸満駅跡に向かいます。糸満駅は土地を東西に貫き、西側に車止めがありました。糸満小学校の東側に駅があったといわれています。実際に航空写真を見てみると、そこだけ...