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こんにちは、めいですお元気ですか にほんブログ村 ばあちゃんの、医療用麻薬テープの副作用の嘔吐はひどく 3日近く続き、一時はけいれんが起きそうなほどでし…
こんにちは、めいです過ごしやすいです にほんブログ村 LEDライトつきました どんなもんだい でも、業者さんにチェックしてもらった方が わかってるわよ …
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『延命拒否から第三の選択~側臥位での食事介助 嚥下機能検査3』脳梗塞を…
こんにちは、めいです蒸しますね にほんブログ村 ばあちゃんのわがままときたら 余命いくばくもないとは思えないほど ぐったりのあいに、安曇野のnyaonさ…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『嚥下機能検査1 治療方針をめぐって』脳梗塞をふたたび発症した母―延命…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『ブログに母の遺言をさがして』脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経…
こんにちは、めいですお元気ですか にほんブログ村 24日の夜、あいが病院を出る時刻には G大病院正面入口にはもう、翌日の掲示が。 相変わらず、すごい予約…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『延命拒否と自宅で看取ること~周囲の反応それぞれ』脳梗塞をふたたび発症…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『嚥下機能検査までにやってみたこと』脳梗塞をふたたび発症した母―延命処…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『発声と嚥下の筋肉~母は本当に飲み込めないのか』脳梗塞をふたたび発症し…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『神様がくれた時間』脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『障がい者(姉)とケアマネ看護師(妹)~空白の時間を埋めるには』脳梗塞…
障がい者(姉)とケアマネ看護師(妹)~空白の時間を埋めるには
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『寝たきりになっても』脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法…
脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置(経管栄養法等)を行わずにおうちへ帰ってきました 『担当者会議でウケていた兼用家具』脳梗塞をふたたび発症した母―延命処置…
脳梗塞をふたたび発症した母 — 『延命か、看取りか』 『母の容態と治療方針』 『2度目の脳梗塞 』母がとつぜん意識不明に… 『母が救急搬送される2』20…
『母の容態と治療方針』 『2度目の脳梗塞 』母がとつぜん意識不明に… 『母が救急搬送される2』2025年5月9日(金) この日も いつもとおなじ朝のあ…
心のもやもやは親の介護に親族のケアが重なったことだけじゃなく実は、友人Bから「一人暮らしの伯母」を見送った報告をもらった影響もあるのだろう。(以前から、この伯母に関する話はちょくちょく聞いていた。それがいよいよ最期を超えたのだ)*伯母は結婚歴があり息子もいるのだが、息子とは長年完全音信不通。数年前に伯母が命にかかわる病気をしたとき、なんとか人づてにその息子が隣の県にいることが分かり連絡をとれたもの...
介護施設で働いているびょうです。にほんブログ村※ブログ村のランキングに参加しています。タップ・クリックいただけると嬉しいです。 昨日は休みだったので母を連れて出掛けました。夜は溜まった洗濯物を洗ったけれど干す気力がなく近所のコインランドリーで乾燥機に掛け
こんばんは! 介護で悩んでいる方のブログ記事を見て思い出しました。 看取る人たちの苦しみです。 15年前に母が亡くなりました。 病院へ入院してからの4年近くを、父は毎日病院で母と過ごしていました。 兄の家族と同居をしていまして~~兄達は共働きだったので夕食の支度は父がしていました。 父の体調の悪い時やバイトの無い時は私が母を看てましたが~~ 母は~父がいないと荒れる時間が多くなりましたネ~~(;´Д` 母の具合が段々悪くなっていき、意識の無い状態の方が多くなったかなぁ~~? でも~~意識のあるうちは、母は父だけは分かりましたネ~~(;´Д` 私は・・・分かりませんでした😭 4人部屋だったけど皆…
先日投稿した「私が待機の日の早朝に、お看取りになった利用者様」の話。 奥様が目を覚ましたら、夫の呼吸が止まっていた…という記事です。 「この利用者様。息を引き取る瞬間、独りぼっちで可哀そうだった」と、皆さんは思いますか?
特定健診で糖尿病の可能性があると言われ、 辞めていた大好物のあんぱんと 飲めなくなった麦焼酎 お猪口は陶器なので入れられませんでした 「これがあればつまみは十分だ」と言っていた田作り 調子を崩す2週間ほど前に私が作ったもの 主がいなくなった温室で満開の時期を迎えたたくさんの蘭と共に 父が旅立っていきました。 1月の終わり。 少しでも刺激になればと回想療法を真似て、 「一番楽しかったことは何?」と聞いたら 「世界地図を眺めて、どんな所かと想像を巡らすこと。 地形からその土地がどんな風に出来上がったのかと考えるのが本当に楽しかった。 金もなかったからそう簡単に行けなかったしな。」 と言っていました…
2024年の孤立死は2万1856人孤立死とは 自宅で死亡した1人暮らし 死後8日以上経過して発見 生前に社会的に孤立していた孤立死の他にも、道路でバタリと倒れて亡くなったものの身元不明とか、死後1日から7日の間に発見されたひとり暮らしの方もいるので、2万人以上もの方が静かに亡くなったことになります。身元不明、または親族らに引き取られず、自治体が2023年度に火葬や埋葬をした遺体は全国で4万1969人。23年の全死亡数(...
【シニアの暮らし】兄の救急搬送、母の死去。怒涛は続く21日目。。
=======商品紹介に楽天アフィリエイトを使っています。=======今朝の記事の復習になりますが、4時起きで兄の介護(着替え・お手洗い・朝食) ↓兄のお仲間に見送られ病院へ出発(私はシャワーのみ辛うじて済ますもメイクもせず出発🚙💦) ↓賃貸近
おくりびのお葬式で、おくりびの火葬式プランで行いました。12:50集合で納棺式は13:00からでした。霊安室から火葬場に併設の施設に移動して行いました。倉庫での納棺式だったので、家でやれたら雰囲気は良かったかなと思いました。納棺式では皆で順番に顔や手足を拭き、納棺
母の兄、叔父が母の死2週間後に5年の在宅介護の後に亡くなりました。私のいとこは海外在住です。会いに行くと、叔母は放心状態に近い感じでした。日曜に亡くなり、いとこが帰ってくる前の火曜午前中に霊安室へととのこと。納棺式はなく、火葬の前10分ほど対面できる葬儀を提
年老いた両親に介護が必要になった場合どうしたらいいか?その時どうするかを考えて準備する。その事は自分の老後への備えにも繋がります。
自宅看取りの場合、医師による死亡確認が終わり次第、葬儀社に連絡が必要です。訪問看護師さんから紹介を受けていたので、すぐに動けました。大変満足のいく葬儀社でした。母が亡くなったのは、0:30。そこから連絡してお手当に来てくれたのが4:00頃でした。朝起きると、口と
20:00頃から息が荒くなり座薬を自分達出投与しました。思いのほか簡単にできました。もう声が出なくなっていましたが、自分で「あいうえお」と口の体操をしていました。指の血中酸素濃度は測れないレベルでしたが、額を撫でたり足をさすると上がるのが嬉しかったです。自分が
初日の晩は仮眠とっておいてもらった父に任せて、しっかり寝ました。ドキドキしながら会いに行くと、かなり調子がよさそうで「頑張る」と言ってくれました。父に持っていったつもりのイチゴも食べたくらいです。(食べさせてはいけなかったそうです)あまりに嬉しくて訪問診
訪問看護師さんが来てくれなければ、酸素ボンベからの警報音が何かもわかりませんでした。(訪問診療の医師も付き添いの看護師?も教えてくれない)酸素ボンベの警報音は、携帯用なので本人が吸わないと鳴るそうです。「息を吸って」と声掛けをしたり、チューブを指で押さえ
15:00に地域包括センターにつき、そこから介護保険申請を行いました。皆さん親切で、すぐにケアマネジャーさんを見つけてくださり、訪問診療の医師が来てくれる16:30に合わせてきてくれることになりました。帰りにオムツと水分を取らす脱脂綿のどれを買おうか悩んでいたとこ
介護保険を申請をやろうと思っていた日に倒れました。病院でも焦ってマイナンバーカードで申請しようと頑張っていましたが、なかなかうまく行きませんでした。14:00に医師に呼ばれて、病院で出来ることはなく、自宅看取りを勧められました。実は朝の最初の別の医師の話では、
木曜日に母が8:30頃に意識を失い救急搬送されました。もとよりあらゆる病院を拒否(予防接種は打つ)していたので、何年かぶりの病院でした。肺に水が溜まり、二酸化炭素濃度は高く、PHも異常値でした。生前から意識朦朧の際も一貫して「延命治療も検査もしない」だったので
母は、まだこの世に居ます。気持ちが動転して、昨日のブログタイトルは「危篤」になってしまいましたが、まるで、タイトル鷺みたいになってしまったけど、生きていてくれてありがとうです。さすがに、母の事は、娘にも連絡したのですが、「病院から連絡があり
【遠方に住む親が他界した時に大変だった事】その1.お別れまでのこと
高知県で暮らしていたお義母さんが他界されたのは 2017年の1月だったので、つい先日で8年が経ちました。「もう8年か…早いもんだなぁ…」と時の流れの早さを感じながら、お義母さんが他界された時のことを何となくぼんやりと思い出したりしていたんで...
先月(7月)19日、西東京市にある樹木葬の霊園に、この「ひとりと1匹」の納骨をした。あらかじめ、お骨を運び入れたのだけど、やはり姿は変わっても家にいたので...
またまたご無沙汰してしまいました 今、ママ吉を見守りながら書いてます 状況は良くないです... 在宅で看取ります 11月の連休後から、足腰が立たなくなり 毎日の入浴が1日置きになり 20日頃に急に足指が埋まりそうな位 足の甲が浮腫んで 咳も止まらなくなったの そこから、もう坂道転げるように悪くなり 先週の火曜から いつものオプソと貼る気管支拡張剤 フェントステープ2mgに 24時間点滴がプラスに. .. そしてオムツに... ご飯はそのあたりから 固形物は食べられなくなった 始めは食べたいのに喉を通らない感じだったけど 今はもう喉を潤す水分をすごく欲しがるだけ それも液体ではなく氷ね もともと…
断捨離検定受験3回目が終わり、ひと段落。 年末から体調の悪化した父が、元日に救急搬送され入院。 点滴をして、カテーテル感染症になる。命も危ぶまれたが、何とか回…
過去の記事を振り返ると、たくさんの利用者様が思い出されます。 その中には「ああ、この記事の後、間もなく旅立たれたんだったなぁ…」という方も。そして、復活を遂げられた方も…。
昨日の記事の「C様」。そのご自宅で、主治医からの指示待ちをしていた時のことです。 そこに着信があったのは、医師からの電話ではなく「詐欺電話」でした…。
大切な家族を何人も見送ってきました。 大切な人の最後をどのようにしたらよいのか、多くの人も迷っていらっしゃることと思います。 看取りで大切なことを考える上で、これからご紹介する、とある医師のエピソードがご参考になれば幸いです。 その医師は、
昨日は看取りに対する施設・ご家族・総合病院について私視点で書いた。 tamozo24.hatenablog.com 読んでいただいたらわかるようにすべてが「ご本人・ご家族の希望」による。 理由は介護保険法に定められているから。 介護保険法では、利用者本人の意向が非常に重視されています。特に、介護サービスの計画や提供において、利用者の意思や希望が尊重されることが重要です。 例えば、利用者がどのような生活を送りたいか、どのようなサービスを受けたいかといった具体的な希望が、ケアプランに反映されるように配慮されています。 利用者の自立を支援し、尊厳を保ちながら、本人の希望に沿ったサービスを提供すること…
この記事にドキンちゃん(id:dokincharin)さんが ご自身の経験をコメントしてくださった。 tamozo24.hatenablog.com それを読んで「看護師としての看取り経験」ではなく、 「私自身の看取り経験」を書こうと思った。 前にちらりと書いたけれどもう少し詳しく。 tamozo24.hatenablog.com 父方の祖母は兄が生まれてすぐの頃、脳梗塞を起こした。 兄を抱っこしたまま、話せない・動けない状態になっているのを母が発見した。 病院に運ばれ一命は取り留めたものの要介護状態。 自宅に帰ってきた祖母を日中は祖父と母、夜間は伯母二人が面倒を見ていた。 聞いた話だと ・冬…
枕元に置いた携帯電話が鳴った。私はハッとして、電話に出た。 前回のお話はこちらをご覧ください。 『マイ 断捨離 ストーリー ⑲ ~最期の父との会話~』それから…
それから何回かの面会後、意識レベルが低下して、目も開けられない状態になってきました。 前回のお話はこちらをご覧ください。 『マイ 断捨離 ストーリー ⑱ ~看…
看取り期に父の奇跡的な行動があってからは、静かに眠っている時間が増えていきました。 前回のお話はこちらをご覧ください。 『マイ 断捨離 ストーリー ⑰ ~看取…
マイ 断捨離 ストーリー ⑰ ~看取り期のビックリしたこと~
前回の話の続きです。『マイ 断捨離 ストーリー ⑯ 父の施設入所から看取り期へ』病院退院後、一時帰宅した父。久しぶりに自宅で過ごした後、施設に入所しました。 …
病院退院後、一時帰宅した父。久しぶりに自宅で過ごした後、施設に入所しました。 前回のお話はこちらをご覧ください。 『マイ 断捨離 ストーリー ⑮ 父の命と決…
おはよーございます。昨日は夕方から夜にかけて雷鳴鳴り響き恐ろしかった。台風の進路近畿直撃になりそな予感いつも日本を標的に進んでくるよな台風大きな被害がでませんように、、今月天国に召された黒柴ちゃん16歳?であの世に旅立った。写真は仔犬時代お散歩に行くと途中で動かなくなる。帰宅拒否?もっとお散歩していたかったのかも?可愛い黒柴ちゃんでした。後ろの影はわたし^^もう寿命と言えば寿命ですが家族にとっては、やりきれない寂しさがありますね。最期を看取るのは辛いね。私も飼い犬の最期(16歳)を思い出すと、、二度と飼うの無理だと思った。普段辛い事があっても、ひっそり泣く人息絶えた瞬間大声で泣いた。窓を全開していたので裏のおうちにもまる聞こえだったと思う。何事かと思われたのでは?友達がぶどう狩りに行ってきたと届けてくれて...黒柴ちゃん最期の看取りお昼と晩御飯
介護の仕事を続けていると利用者さんの死に直面するときがきます。担当していた思い入れのある利用者さんの死に直面した時、どう向き合ってそれを乗り越えていけばいいのか。