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【施設紹介】台鐵縦貫線/阿里山森林鉄道 嘉義駅(嘉義市西区)
今回は嘉義市西区にある嘉義駅をめぐります。所属路線は台鐵縦貫線(南段)。嘉義は日本統治時代より、阿里山で伐採されたヒノキの集積地として栄え、ヒノキ運搬のため森林鉄道が整備されました。市内には木材加工工場が設けられ、加工作業に従事する作業員のための宿舎も多数建設されました。これら宿舎は現在でも、阿里山森林鉄道北門駅の近くに残存しており、一部は歴史テーマパーク「桧意森活村」として活用されています。日本...
岐路に立つ鉄道員宿舎「台鐵宿舎村」(彰化県彰化市)―荒地に眠る日本家屋
今回お送りする「台鐵宿舎村」は台湾西部、彰化県彰化市内にある鉄道員宿舎の通称です。彰化は日本統治時代より、台中・大甲両方向からの鉄道が合流する交通の要所として栄え、彰化駅横には大型の機関区が設置されました。この機関区は所謂「扇形庫」で、日本でも会津若松や豊後森等で見ることができます。彰化扇形庫は現役の車庫として使用されており、通常一般開放されていますが、同車庫に関する詳細な記述はまた別の機会に行わ...
旧林内神社(雲林県林内郷)―神社参道の形態を残す西台湾の寺廟
今回お送りする林内神社は台湾西部、雲林県林内郷にあります。台湾では今もなお、日本統治時代に建立された鳥居が残存していますが、こちらにも鳥居が残されています。現在、社殿跡には済公廟と孔子廟が建っています。花蓮県の玉里社や新北市の汐止神社のように、台湾で建立された鳥居というのはその多くが神明タイプであり、明神タイプの鳥居は前者に比べると少数にとどまりました(とはいえ、建立された例は少なくない)。ゆえに、...
【施設紹介】阿里山森林鉄道 北門駅(嘉義市東区) ―木造レトロ駅舎がステキ
今回は嘉義市にある、阿里山森林鉄道嘉義線の北門駅の様子をお送りします。同駅は嘉義市街地の北部にあり、嘉義~竹崎駅間のいわゆる「平坦区間」にある数少ない駅の一つです。とはいえ、平坦区間に現存するのは嘉義・北門・竹崎の計3駅のみ(鹿麻産駅は廃駅)ですが・・・付近にはかつて、阿里山から運ばれてきたヒノキの加工工場があり、その作業員の宿舎が多数立ち並んでいました。宿舎は現存しており、近年整備が行われて「桧意...
今回お送りする台湾南部・台南市は、オランダ統治時代より栄え、鄭氏統治時代(以降「鄭氏時代」)以降も政治の中枢が置かれ続けました。以降、台南は台湾の中心地・港町として発展を遂げましたが、やがて地形の変化に伴い大型船の着岸が難しくなり、加えて清末・光諸年間に政治の中心地が台北(たいほくじょう)に移されたため、台湾の中心地は南部から北部へと変化しました。日本統治時代には台南州(1945年10月当時)の州庁所在地とな...
今回は台湾南西部、嘉義市東区にある旧嘉義神社の様子をお送りします。同神社は嘉義市街地の東部にあり、近くには嘉義市野球場や映画『KANO』の舞台となった嘉義農林学校跡(現在は嘉義商業高校)もあります。神社入口付近は日本統治時代、宮前町というという地名が付けられており、当時から市街地として栄えていました。一帯には今でも日本家屋が数多く残されているので、市街地を歩いて巡ってみると楽しいですよ。話を嘉義神社に戻...
旧通霄神社(苗栗県通霄鎮)―神苑の風格とどめる台湾西海岸の観光地
今回お送りする通霄神社は台湾西部、苗栗県通霄(つうしょう)鎮にあります。通霄は海沿いの小さな街で、台鉄海岸線(海線)が通っています。住民は台語を話す客家人―つまり「ホーローケ」が主体であるため、客家文化濃い内陸部とは若干風土が異なるようです。通霄の街は騒がしさがなく、台湾海峡の風が爽やかで印象良い街でした。こちらには日本統治時代に神社が置かれていたわけですけれども、なんと境内が神社の雰囲気をよく保って...
台湾屈指の観光路線として名高い阿里山森林鉄道(森林鐵路)の見どころは、何といったって山間部の車窓ではないでしょうか。とはいえ、私はまだ乗車したことはありません。多くの方からその美しい車窓の話を聞くたびに、いつか乗車したいと思うものです。阿里山森林鉄道の魅力はなにも、車窓だけではありません。沿線には同鉄道ゆかりの施設が数多くあります。今回ご紹介する嘉義車庫園区もその一つで、これは嘉義車庫の敷地を無料で...
【2015年1月】台湾・虎尾糖廠の五分車を撮る(2=完)―サトウキビ満載の貨車通過!
毎年廃止・トラック転換が噂されているという、台湾西部・虎尾のシュガートレイン(サトウキビ運搬鉄道)ですが、2014年度冬も無事に運転されました。予てより、台湾最後の「本来の用途で使用される」シュガートレインとなった台糖馬公厝線を撮影したかったので、新年明けの1月、私は鉄道・バスを乗り継いで雲林県虎尾へと足を運びました。虎尾のホテルで一泊したのち、シュガートレインを撮影するため早朝の虎尾郊外に駆け出し、工...
【2015年1月】台湾・虎尾糖廠の五分車を撮る(1)―廃線跡のような現役線路
毎年廃止・トラック転換が噂されているという、台湾西部・虎尾のシュガートレイン(サトウキビ運搬鉄道)ですが、2014年度冬も無事に運転されました。予てより、台湾最後の「本来の用途で使用される」シュガートレインとなった台糖馬公厝線を撮影したかったので、新年明けの1月、私は鉄道・バスを乗り継いで雲林県虎尾へと足を運びました。虎尾のホテルで一泊したのち、早起きしてシュガートレインを撮影するため、虎尾市街地を歩き...
旧岡山神社=寿天宮(高雄市岡山区)―修復された赤鳥居がたつ南台湾の廟
今回お送りする「岡山神社」は台湾南部、高雄市岡山区にあります。岡山区一帯は元々、「阿公店」という地名で呼ばれていました。台湾の地名の多くが改称された1920(大正9)年、一帯が丘陵地帯(岡)であることから、現在の地名「岡山」(おかやま)へと改称されました。▲旧岡山神社入口を遠くから眺めて岡山神社の境内は現在、参道部分が岡山公園に、社殿部分が寿天宮に改装されています。日本統治時代から残る鳥居が目印です。▲旧岡山...
台湾で一番大きな鉄道博物館といえば、何といっても今回お届けする「苗栗鉄道文物館」でしょう。台湾北西部、苗栗県苗栗市の苗栗駅横にあります。入口正門は一応あるのですが、施錠されているのでそこから入ることはできません。駅西口の片隅にある路地から、線路に沿って南側に進むと敷地内に入ることができます。常時開放されており、入場料は無料です。▲台湾総督府鉄道500形501号機(CT152)CT152は国鉄8620形と同型です。1919(大...
旧苗栗神社(苗栗県苗栗市)―立派な石垣が印象的な西台湾の神社跡
今回お届けする旧苗栗神社は台湾北西部、苗栗県苗栗市にあります。現在では「中華民国」政権によって忠烈祠に改造されていますが、所々に日本統治時代の面影を見てとれます。それでは、境内の現況をご覧ください。神社は市街地南部、猫裏山にありました。一帯は猫裡山公園として整備されており、市民憩いの場になっています。すぐ横には台鉄縦貫線が通り、苗栗商業高校《中文:苗栗高級商業職業学校》が隣接しているので、同神社を...
今回は台湾西部、内陸にある苗栗市をめぐってみましょう。時刻は早朝、清々しい中を歩いて移動しました。今回は苗栗駅前を起点に、市街地南西部にある旧苗栗神社(忠烈祠)を目指して進みましょう。立ち並ぶビルはどれも低めで、いかにも地方都市らしい雰囲気を放っています。おや、歩くにつれジャージ姿の学生が増えてきましたよ・・・交差点の一角に果物屋「富山水果行」を見つけました。屋根をよく見ると、和風の様式じゃないです...
今回お届けする新竹駅は台湾北西部、新竹市東区にあります。新竹は清統治時代から栄えており、ビーフンや肉円などの名物料理で知られています。近年では工業団地の造成が進んだことから、ハイテク都市としてもその名が知られるようになりました。現在の新竹駅舎は日本統治時代の1913(大正2)年に完成したもので、ドイツ留学経験を経て台湾総督府鉄道の建築士となった松ケ崎萬長による設計です。松ケ崎はここ新竹駅のほか、基隆駅(現...
台湾西部の都市・嘉義市をめぐります。『日本家屋の多い街・嘉義市を行く(夕方編)』では夕方の嘉義市街地をめぐりましたが、今回は朝の市街地を見ていきましょう。嘉義といえば何といっても、台湾西海岸では屈指の「日本色の強い」街ですから、沢山の日本家屋を挙げることができます。今でも多数の日本家屋が残存しており、その量は台北や高雄顔負けです。おそらく、東海岸の花蓮とはいい勝負かもしれません。「噴水鶏肉飯」のある...
2015年1月、台湾西部の都市・嘉義を訪れました。ここは甲子園で準優勝した嘉義農林学校を描いた映画『KANO』の舞台であり、映画公開から約1年を経た今でも『KANO』で盛り上がっているようでした。それでは市街地をめぐりながら、『KANO』ゆかりの地に足を運んでみましょう。嘉義駅から歩くこと10分、嘉義名物「噴水鶏肉飯」のある噴水ロータリーにやってきました。亭仔脚の柱には「日向屋原址重現」(『KANO』で日向屋を再現)と記さ...
台湾西部の街・嘉義は日本統治時代より、阿里山への玄関口として栄えました。昔はヒノキ運搬で、現在は観光で注目を集めており、甲子園で準優勝した嘉義農林学校野球部を描いた映画『KANO』の公開により一層注目されています。そんな嘉義には日本統治時代、多くの日本人が居住していました。ゆえに日本家屋が多く建設され、現在でも至る所にその姿を見ることができます。これは個人的な感想ですが、嘉義は「台湾西部で一番日本色の...
今回ご紹介する新竹市は台湾北西部にあります。現在では工業団地が立ち並ぶハイテク都市になっていますが、その歴史は古く、清統治時代にさかのぼることができます。そんな新竹の名物料理といえばビーフン、これは皆様ご存じではないでしょうか?今回はビーフンを食べるついでに、夜の新竹駅周辺を散策してみましょう。新竹駅前からは4つの通りが伸びています。そのうちの1つ、東門へと続く道を約150メートル進むと、新竹城の東門...
今回ご紹介する斗南駅は台湾西部、雲林県斗南鎮にあります。日本統治時代最末期にあたる、昭和20(1945)年に築造された木造駅舎が残っており、斗南を代表する史跡として知られています。▲斗南駅駅舎・同駅前の様子壁面は白、屋根瓦は黒で統一されており、そのシンプルさに「美」を見出すことができます。各地にある豪華絢爛な廟とは、また一味違う美しさを持っています。駅前広場は近年、景観に考慮して整備されました。電柱が全く...
旧桃園神社(桃園市桃園区=旧桃園県桃園市)―台湾一美しい神社跡
2014年末に桃園県が直轄市に昇格して誕生した桃園県桃園区は、もとの桃園市です。桃園市の政治・経済・交通の要所であり、日本統治時代当時は小さな街でした。戦後の大幅な人口増加(在台中国人の植民も影響の一つ)を経て、今では台北のベッドタウンとして至る所に住宅地が建設され、郊外鉄道(桃園メトロ)の建設も進行中です。もっとも、現時点における桃園メトロの建設は空港線にとどまっており、桃園市側のターミナルは桃園区では...
現在、台北駅の西側が大きく姿を変えつつあります。北門の上に長年覆いかぶさっていた陸橋は姿を消し、台北駅と桃園空港を結ぶ鉄道路線も開業しました。相次ぐ交通事情の変化により、台北駅西側がどのように変わったのか。そして同時に、日本統治時代から商業地域として栄えている博愛路(京町通)を北から南へと辿りながら、古い建築物がどう扱われているのか。今回はこの二つに着目しながら、台北中心部を巡っていきます。目次1 ...
旧瑞穂祠・虎頭山歩道(花蓮県瑞穂郷)―東台湾の温泉地に眠る神社跡
現在温泉地として知られる東台湾瑞穂(花蓮県瑞穂郷)には日本統治時代、タバコ栽培を目的とする移民村が置かれていました。その移民村の鎮守として鎮座していたのが、今回ご紹介する瑞穂祠です。瑞穂祠の跡地は戦後破壊されたのち、参道の一部は虎頭山歩道として整備され、社殿のあった場所は放置され続けてきました。ここでは現状がどうなっているか、入口から社殿跡にかけて順に調べていきます。▲旧瑞穂祠(虎頭山歩道)入口神社参...
現存量多し!東台湾「関山」の日本家屋を調査した(台東県関山鎮)
台湾南東部、台東県第二の町関山には多くの日本家屋が残っています。そもそも台湾の主要都市には、公務員宿舎をはじめとする日本家屋様式の建築物が多く残っていますが、高層建築の林立によって町並みが変化しているため、戦前の雰囲気を残している場所は多くありません。ところが関山という場所は人口密度の低い台湾東海岸にあって、しかも都市化の影響をほとんど受けていません。おかげで碁盤の目に区画された関山市街地には、70...
台湾北部、台北市郊外にある観光地・北投温泉には多くの日本家屋が現存しています。この温泉地は日本統治時代に整備されて以来、台湾を代表する観光地として君臨してきました。今や温泉だけでなく、古い日本家屋も立派な観光資源となっています。今回ご紹介する「普済寺」も北投温泉を代表する観光資源の一つで、もとは日本仏教の寺院として建立されたものです。それでは早速中に入り、どのような寺院なのか見てみましょう。普済寺...
日本統治時代、東台湾には多数の内地人移民村が置かれていました。中でも現在の鳳林鎮にあった「林田村」は、官設移民村として大正初期から開発され、おもにタバコ栽培が行われました。また、住民には福岡・熊本県出身者が多かったとも記録されています。そんな林田村の鎮守として建立されたのが、今回登場する林田神社です。大国魂命・大己貴命・少彦名命・北白川宮能久親王を祭神とし、毎年10月6日に大祭が執り行われました(花...
東台湾・林田移民村 中野集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―僅かに残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は中央部に位置する中野(なかの)集落をめぐります。南側にあった南岡集落と同じように戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、二村と呼ばれるようになって現在に至ります。中野集落は林田村の中心地だったようで、集落内には駐在所と尋常高等小学校(→国民学校≒小学校)が置かれていました。なお学校は現在でも学校として機能しており...
台湾北部のローカル線「平渓線」に乗り、終点の菁桐駅にやってきました。平渓線は一応ローカル線ではあります、台北から近いうえに沿線には観光地が多く、週末になると多くの観光客でにぎわう路線です。今回も満員すし詰めの列車で苦しみ悶えながらの道中でした。さて、今回菁桐にやってきたのには理由があります。日本統治時代に炭鉱開発が行われたという同地には、80年以上前に建造された木造建築が複数保存されているというので...
東台湾・林田移民村 南岡集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―多数残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は一番南に位置する南岡集落をめぐります。同集落には戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、一村と呼ばれるようになって現在に至ります。また、戦前から戦後にかけて煙草の栽培がおこなわれてきたため、集落内部には収穫した煙草の葉を乾燥させるための小屋「ベーハ小屋」が残っています。今回は旧南岡集落をめぐり、ベーハ小屋や...
鹿野村社(台東県鹿野郷)―日本統治時代の風格甦った東台湾移民村の神社
2015年の春、台湾南東部にある鹿野郷で神社が再建されました。再建された「鹿野村社」は当初、日本統治時代の内地人移民村「鹿野村」の鎮守として建立され、戦後は社殿の基礎のみ残存していました。しかし近年、基礎の修復にあわせて社殿も再建されることが決まり、2014年ごろから再建工事が行われてきました。そして2015年、もとの位置に鳥居・石灯籠・社殿が再建され、「鹿野村社」はおよそ70年ぶりに鹿野の台地に蘇りました。鹿...
2017年春、約4年ぶりに宜蘭県を代表する温泉地・礁渓に降り立ちました。前回は宿泊しただけで市街地の様子をじっくり見ていなかったので、改めて足を運んだのです。フィールドワークのせいで足が疲れていますし、足湯でスッキリしようという思惑もあります。▲出だしから温泉色に満ちた礁渓駅前写真上の左上に少しだけ映っていますが、礁渓郷には湯桶をモチーフにしたマスコット(ご当地キャラ)が存在します。名前は「温仔」「泉仔」...
旧里壠社の石灯籠台座(台東県関山鎮)―台湾屈指の日本家屋密集地だが...
今回お届けする旧「里壠社」は台湾東部・関山鎮にあった日本統治時代の神社跡です。神社名の「里壠」は関山の旧名にあたる地名で、昭和12年の地名改称により「関山(かんざん)」へと改められました。関山における神社建立は比較的遅く、昭和になってからの1928年です。つまり里壠社は20年も存在しなかったことになります。同神社はやはり戦後取り壊され、境内跡地はごく一般的な農道になってしまいました。以下、跡地周辺での調査記...
旧台東神社(台東県台東市)―拝殿残存説あり...東台湾・鯉魚山の神社跡
今回お届けする台東神社は台湾南東部、台東市の中心部鯉魚山にありました。神社跡地は現在台東県忠烈祠として整備されており、境内には神社時代の構造物がいくつか現存しています。▲旧台東神社入口神社入口は旧台東駅(現在の台東バスステーション)の裏側にありました。当時の参道は忠烈祠の参道に転用されています。▲旧台東神社・鯉魚山施設配置図日治時期台東神社遺址、鯉魚山配置圖かつての神社参道には鯉魚山の由来に関する説明...
台湾の首都にして最大都市・台北市の中心部にやってきました。今回は台湾政府の主要機関が集中する地域、日本語地名でいうならば幸町~樺山町にかけての地域をめぐっていきます。▲亭仔脚の中から旧台北州庁を眺めて台北駅のすぐ東側が今回めぐる地域にあたります。駅から数百メートルほど東には、旧台北州庁をそのまま転用した監察院があります(写真上)。先ほど二つの地名を挙げましたが、幸町・樺山町ともに台北駅のすぐ東側にあ...
中華路139巷の宿舎群(花蓮県玉里鎮)―東台湾の田舎町に残る日本家屋
台湾東部にある交通の要所・玉里にやってきました。同地を訪れたのは、玉里鎮公所の近くに残っているという木造宿舎(日本家屋)を記録に残すためです。ところが、今回の玉里滞在時間は行程の都合上わずか15分しかありません。はたして、予定通りに取材をこなすことはできるのでしょうか。旅行記スタイルでお届けします。▲リニューアルで生まれ変わった玉里駅今回は列車で玉里入りしただけに、玉里駅を起点に目的地を目指します。約2...
日本統治時代の史跡活用また一つ...再生した新富市場(台北市万華区)
台湾では近年、日本統治時代に建造された建築物を修復・改修して活用するケースが増えています。台湾の首都・台北市も例外ではなく、市内に点在する木造宿舎や洋館の修復が行われている話をよく耳にします。今回は修復が完了したばかりという、万華区にある新富市場を訪れました。荒廃していた市場建築と和風建築の事務所が修復され、資料館・カフェとして再利用されているというのです。新富市場のある万華に来てみると、残念なが...
林田移民村の「台湾村」とは?金田集落をぶらり散策(花蓮県鳳林鎮)
東台湾にかつて日本人による移民村があったことは当ブログで度々ご紹介した通りです。その中でも今回は、花蓮県鳳林鎮にあった「林田移民村」にスポットを当てたいと思います。林田移民村(以下、林田村)は日本統治時代の花蓮港庁に置かれた官設移民村のひとつで、主に煙草の栽培が行われました。村内には南岡、中野、北林といった計3つの集落が置かれ、これら地名は鳳林街(現在の鳳林鎮・光復郷北部)の小字としても登録されていま...
旧蘇澳金刀比羅社(宜蘭県蘇澳鎮)―台湾屈指の漁師町を見下ろす神社跡
今回お届けする旧蘇澳金刀比羅社は台湾北東部、蘇澳の小高い山の上にあります。かつて「臨海道路」と呼ばれた蘇花公路から参道が分かれ、砲台山の頂上まで続いていました。終戦から70年以上を経た現在でも、金刀比羅社の名残りが随所に残っています。今回はそんな砲台山を巡ってみようというのです。蘇澳金刀比羅社の参道は先述のように、蘇花公路から分岐していました。ところが戦後道路拡幅のために、参道の入口付近が大幅に削り...
台湾東海岸を代表する温泉地・瑞穂温泉には、日本統治時代に建てられた古い温泉旅館が存在します。それが「瑞穂紅葉温泉旅社」と、今回お届けする「瑞穂温泉山荘」(みずほ温泉リゾート)です。前者は警察招待所として建設されたもので、万栄郷の山奥にあります。一方、瑞穂温泉山荘は瑞穂郷にあり、交通の便は後者の方が良好です。とはいえ、圧倒的に有名なのは「瑞穂紅葉温泉旅社」の方でして、瑞穂温泉山荘の存在はその陰に隠れが...
台湾に行くと各地に温泉が点在しています。これらの多くは日本統治時代に整備されたもので、場所によっては当時の雰囲気を残している場所もあります。今回は東台湾の花蓮県にある瑞穂温泉へとやってきました。こちらは県南部の瑞穂郷・万栄郷に跨る温泉地で、紅葉渓と虎頭山に挟まれた場所にあります。今でこそ一帯には複数もの温泉宿が存在しますが、日本統治時代には1軒の湯治場があるだけでした。今回は日本統治時代の湯治場が...
古蹟から現役民家まで...東台湾「台東市」の日本家屋を調査した
台湾各地の都市には規模の大小にかかわらず、多くの日本家屋が現存しています。これは言うまでもなく、日本統治時代の名残りです。なかでも、花蓮県・台東県を中心とする東海岸には日本人によって計画・建設された都市・街が多く、ゆえに現存する日本家屋の数は島内屈指といえます。今回は台東県の中心地・台東市に残る日本家屋を調査していきます。雨天のため、調査範囲は旧台東駅前と台東観光夜市周辺に限定しましたが、それでも...
保存進む台湾の官舎建築...中壢の日本家屋を調査した(桃園市中壢区)
台湾の主要都市に行くとよく遭遇するのが、昔ながらの茶色い日本家屋です。これら日本家屋はたいてい、学校や役所(市政府・鎮郷公所)の附近にあることが多く、日本統治時代に教員・公務員のための宿舎として使用されていたものにあたります。戦後は中国から植民した外省人(在台中国人)が入居し、増改築を受けつつその多くが21世紀まで残ってきました。現在では台湾人アイデンティティの拠り所として、芸術家育成の場として、郷土資...
東台湾の花蓮港庁・台東庁、つまり現在の花蓮・台東両県では、日本統治時代に大規模な内地人による移民が行われました。吉野・豊田・林田村に代表される官設移民村や、鹿野・旭村といった企業による私設移民村は、現代日本人の間でもよく知られています。その一方で、「自由移民村」はあまりよく知られていません。自由移民がどこに集落をなし、その集落がどんな地名であったのか、戦前の諸史料に詳しく記載されているものの、それ...
【施設紹介】台鐵平渓線 菁桐駅(新北市平渓区)―観光地のメッカになった木造駅舎
台湾の国鉄にあたる「台鉄」には4つの盲腸線があります。内湾線、集集線、深澳線、そして今回登場する平渓線。そのいずれも中間駅ないし終着駅が大規模な観光地として賑わっており、その様子は日本人の間でもよく知られています。今回はその中でも、平渓線の終点にあたる菁桐(せいとう)駅に着目したいと思います。起点の三貂嶺駅からディーゼルカーに揺られること40分、大勢の行楽客とともに菁桐駅ホームに降り立ちました。▲菁桐駅...
【施設紹介】台鐵縦貫線 南靖駅(嘉義県水上郷)―糖廠のお膝元に残るモダン駅舎
砂糖工場に抱かれた小村にあったのは、モダンなレトロ駅舎でした。今回は嘉義県水上郷にある南靖駅をめぐります。所属路線は台鐵縦貫線。こちらは嘉義県最南端の駅にあたり、駅前には台糖南靖糖廠(砂糖工場)があります。南靖駅の歴史は古く、1911(明治44)年に水窟頭駅が移転する形で開業しました。1920(大正9)年に台湾全域で行われた大規模な地名改称にともない、水上駅に改称されたのち、1949(昭和24)年に現在の駅名にな...
【施設紹介】台鉄縦貫線 林鳳営駅(台南市六甲区)―牛乳のふるさとに残る木造駅舎
統一の牛乳ブランドで有名な「林鳳営」には、のどかな農村風景が広がっていました。今回は台南市六甲区にある台鐵林鳳営駅をめぐります。所属路線は縦貫線。優等列車の停車はなく、各駅に停車する区間車のみ停車します。こちらには、日本統治時代の1933(昭和8)年に建設された木造駅舎が残っています。長く改修されていないせいか、だいぶ草臥れていますが、それはそれで趣があって良いものです。自動改札機はなく、改札口にはIC...
旧阿緱神社=屏東公園(屏東県屏東市)―太鼓橋が残る台湾南部の神社跡
古くは阿緱(あこう)と呼ばれていた、台湾南部の屏東市。ここには日本統治時代に阿緱神社という立派なお社がありました。現在、神社跡は屏東公園と県立陸上競技場になっています。かつての遺構がどのくらい残っているのか、現地に出向き調べてみました。まずは阿緱神社の正面入口だった場所に来ました。かつては真正面に鳥居があったはず。今では真正面にパーゴラ(つる植物を育てる棚)が広がっています(写真上)。参道跡はその...
旧高雄神社=市忠烈祠(高雄市鼓山区)―変化する台湾の神社跡...復元参道を見に行った
日本統治時代の台湾には、多くの神社が鎮座していました。今回ご紹介する旧高雄神社もその一つで、現在は高雄市忠烈祠になっています。同神社はかつて、寿山の中腹部に鎮座していました。その境内は高雄港を眼下に見下ろせる絶景を持ち、高雄を代表する景勝地に数えられました。1929(昭和4)年の造営にあたり、大物主尊、崇徳天皇、北白川宮能久親王の3柱を祀り、32(昭和7)年には旧県社に昇格しています。県社への昇格は、デジ...
【台湾観光】ライトレールが走る!高雄旧市街地「ハマセン」をぶらり
日本統治時代に高雄の中心部があった愛河西岸部のうち、とくに海沿いの地域は「ハマセン」と呼ばれ親しまれています。近年ではライトレールが延伸したことで、以前よりもいっそう観光地化が進みました。今回は徒歩でハマセンをめぐり、いくつか見どころをご紹介したいと思います。まずは「ハマセン」の範囲から、簡単に解説します。このハマセン(哈瑪星)という単語は日本語の「浜線」に由来するもので、すなわち臨港線のことです...
旧橋仔頭社(高雄市橋頭区)―南台湾・橋頭糖廠に復原された神社参道
高雄市橋頭区にかつてあった砂糖工場で、現在は歴史公園として開放されている「橋頭糖廠」にやってきました。こちらには、日本統治時代に構内神社「橋仔頭社」が建立されていました。社殿跡には中山堂という施設がたち、その周辺には石灯篭・社号標・石盤が置かれています。これらの構造物は、2005年に日本人を含む有志によって復原されたもので、境内跡に散らばっていた遺物を集め、当時とほぼ同じ場所に置き直したものです。一連...