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↑大学の入学式のあとにあらかじめツイッターで知り合ってた子と撮ったプリクラ 2013年 ドラッグストア行ったら、いなば の商品が全部安売りされてた。タイカレーの缶詰とかけっこう美味しいよね。ツナ缶買った。 最近のご飯少し見せるね。 キムチチャーハンと、豚と芋とキャベツとぶなしめじのガーリックバター炒め!キムチチャーハンには粉末のシャンタンを使ったよ。 あと、キムチオムそば。キムチがあると調味料は薄くても味がしっかりついていいよね。油の下味にとうがらしも使ってキュートな辛味を演出しました。 一人暮らしだからいちどに作る量が少ない。誰かに食べてほしい、好きな人に食べてほしいよ。 T-ARAのTar…
さて、ミラノにてどうにかこうにか高熱は克服したAnima。 帰国前日には、どうしても行きたかった場所へ。 旅行に来る前にサッカースタジアムと科学博物館だけ…
少しづつ進行中前回まで↑ ↑ ↑↑ ↑ ↑今回できたところまで。雨が降りそうなどんよりした外で撮ったら色がくすんでしまいました。本日は何目刺しました等と進行状況を記しているステッチャーさんがいらっしゃるけれど、私は図案コピーの紙を使ってのステッチで自分が
いい歳ぶっこいた皆さんお疲れ様です♫ 僕が所持している世界でも唯一の お絵描きロボット🤖C-3-PQ👍 (それインチキ皆さん知ってるから) 今回は初めて邦画にチャレンジ1年生 します✏️ (まぁ描いてんのアンタだし) あ❓ ではさっそく描いてもらいましょう❣️ (だから...
春は近いけれど、室内に入る陽はまだ長く刺繍をしている足元がぽかぽかです。ここのブロックが終わったら、ひと休みして、やはり長期やりかけ「ローマ」の刺繍を仕上げることにしました。しかし、このブロックにもまだ時間がかかりそう。神奈川県立近代美術館葉山で開催の「
ハーダンガー刺繡のユーチューブを見ていたら急にしたくなりました。とは言っても、もともと超初心者で2年ぶり位の作業で何もかも忘れている状態でした。とりあえず中心のサテンステッチから入りましたが、周りのクロスターブロックも気になって手をつけています。思い出すた
Zweigart Linen Belfast 32ctに2本どりでステッチしています。↑ ↑ ↑ 前回までの状態↓ ↓ ↓ 今回進んだ部分この図案のScarlet Quince「A Country Wedding」は殆どがブレンドして2本にする糸の使い方をします。始めた頃は、「なんと面倒な」と思っていましたが今は
いったい何だかわからない茶色刺繍ひたすら飽きずに少しづつ進めます。春を感じる温かさで不思議と気持ちもほんわかします。5月のシチリア島と南イタリア11日間の旅行を申し込みました。最終日にローマにも2泊位したいのですが、そうなると14日間程になってしまい体力に自信
前回、映画旅情について書きました。この中で、ラストのヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅でのシーンが感動的だと書きました。電車に乗った主人公と書きましたが、実際は汽車でした。カラー映画でしたが、1955年の作品でした。名画は朽ちることはありません‼️こちらは電車です。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。パリ北駅の混雑-リタイアじーじの徒然絵日記正月もそろそろ終わりに近づき、恒例のUターンラッシュが始まりました。今年は特に厳しそうです。パリ北駅のは旅情をそそる駅です。20年以上前の様子です。日本の帰省ラッシ...gooblog朝のサンラザール駅コンコース-リタイアじーじの徒然絵日記朝のサンラザール駅コンコースです。朝はこれから仕事の人も多くちょっと緊張感があります。コンコース脇のカフェ...ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅
ベニスと言えばゴンドラです。水路と建物全て素晴らしいです。旅情という名画があります。こちらは、キャサリン-ヘップバーン主演の映画です。この映画もラストシーンが一番印象的です。ベニスを電車で去るヘップバーンを男が別れの挨拶をするために走ります。電車のガタゴト揺れ、音楽が流れるこれも最高のラストシーンでした。この映画も心に残る名画です。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。ベニスの思い出三艘のゴンドラ-リタイアじーじの徒然絵日記ベニスは何処でも本当に絵になります。ベニスを見て死ね‼️ですかね‼️宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖...gooblogリヨン駅からベニスへ-リタイアじーじの徒然絵日記20年以上前パリ駐在中、金曜日...ベニスのゴンドラ
幻想的写実主義の画家、アントワーヌ・ヴィールツ。1806年2月22日。ベルギー・ディナンに生まれる。ヴィールツは子供の頃から好んで彫刻、絵画、版画などを手掛け、14歳のとき富豪の保護者M.ド・メーブの援助で芸術学校に入学。デッサンと音楽を学ぶ。1820年、アンヴェルスの美術学校に通う。昼間は油絵を描き、夜はデッサンをするというように、刻苦勉励する。1832年、ローマ賞コンクールに参加、首尾よく賞を得て、ローマに赴く。このローマ時代が彼の生涯での最も実り豊か時期となる。ローマ滞在ののちブリュッセルに戻り、非常な名声を得る。1865年6月8日、ブリュッセルで没。59歳。『墓のキリスト』1839年解説より。彼の表現上の武器は写実主義であり、それも、見るものを欺くほど真実の世界と一致するような技巧をもった、職業的...幻想的写実主義の画家アントワーヌ・ヴィールツ
『一枚の絵画と詩』15『ガラテア』1880年ギュスターヴ・モロー(1826~1898)写実主義と自然主義の時代に生まれたギュスターヴ・モローですが、彼の作品ほど現実から遠いものはないし、彼の作品ほど、生活から遠く離れたものはない。と言われています。この一枚の絵『ガラテア』も、巨人族キュクロプスの中で特に粗暴で知られる一つ目の巨人≪ポリュペモス≫が、海神ネレウスの娘の中のひとりで、水晶より輝き白鳥の綿毛より柔らかと称された美しい海のニンフ≪ガラテア≫を覗き見る場面が描かれています。しかし、この幻想的な一枚の絵画『ガラテア』ですが、ガラテアに絡みつくかのような海中植物は、より写実的に描写されており、この絵を見る私たちは、つかの間、現実の出来事として受け入れているのではないのでしょうか。まさしく、この一枚の絵画...一枚の絵画と詩15『ガラテア』ギュスターヴ・モロー
一枚の絵画と詩 14『朝日に向かって立つ女』ダヴィト・フリードリヒ
『一枚の絵画と詩』14『朝日に向かって立つ女』1818年頃カスパール・ダヴィト・フリードリヒ(1774~1840)フリードリヒは、自然の中に、神の世界、聖なるものを見続けたドイツ・ロマン派の巨匠です。「神的なものは至る所にある。一粒の砂の中にも」と語って、人々がぬかずくべき祭壇としての風景画を描いたと。この絵については、日の出の風景であるとする説と日の入りの風景であるとする説があり、意見が分かれているとのことですが、私は、『朝日に向かって立つ女』と見ます。道の脇には岩が、女性の右手に1つ、左手に2つあり、岩の周りには、白色の小さい花が生息している。画面左手奥に描かれた2本の木の間の後方に、教会堂が小さく見えています。この『朝日に向かって立つ女』は、女性は妊娠しており、子どもが誕生する瞬間が表現されているの...一枚の絵画と詩14『朝日に向かって立つ女』ダヴィト・フリードリヒ
『一枚の絵画と詩』13『吹雪・アルプスを越えるハンニバルとその軍隊』1812年頃ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)ターナーの風景画は、半ば瞼を閉じ、まつ毛のあいだに散乱する光を通して、その光の震えを捉えようとするかのような瞬間の世界を描きだしていると言われます。また、ターナーの描く作品は「崇高」の感情に浸された自然現象または気象現象のイメージには違いないが、同時にまた、彼の内部から生まれた幻想的なイメージに外ならないと。この作品はハンニバル戦役を描いたもので、ハンニバルは吹雪の中アルプスを越えていきローマ軍から勝利。ハンニバルが必死の思いで峠を越える様子が描かれています。暗い岩陰に逃げ込む兵士たちの集団の上に重く不気味に覆いかかる巨大な恐ろしげな空には圧倒されます。まさしく、自...一枚の絵画と詩13『吹雪』ターナー
初めての日帰りバス旅行、チーム卓球女子4人組、早朝から、行ってきました。日帰りバス旅行というと、早朝から、バタバタ出発のイメージがあったけど、旅行というより、ちょっとそこまで、京都や神戸、奈良に行く感覚でした。場所は、徳島、大塚美術館。25
2左パネルの『エデンの園』より。エヴァの誕生の場面ですが、中央の神は2本指を立てて祝福のサインのようです。その美しいエデンの園ですが、足元の大きな穴には、ちょっと気味が悪い生き物たちの姿があります。上の場面では、天地創造の後の、一角獣やキリンや象などの生き物は楽しそうに綺麗に描かれています。最後は、『地獄』の場面です。顔をこちらに向けている人の頭の白い台の上には、バグパイプがあり、その下では、リュートに裸の男が縛られ、もう一人はハープに串刺しになっています。淫欲の罪を犯し肉欲に支配され、人間が堕落した『音楽地獄』の様子が描かれているということでしょうか。以上、ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の簡単な紹介でしたが、『エデンの園・天国』、『地上の楽園・現世』、『地獄』の三つのパネルに描かれた人間の姿は、生と性と...ヒエロニムス・ボス快楽の園2
𝐒❦from TOKYO✰ on Instagram素敵なお菓子。 #麻布かりんと#かりんとう#ミュージアム#クロードモネ#モネ#名画#缶#ギフト#フォロー…
『快楽の園』1先日、本屋で一冊の本『謎解きヒエロニムス・ボス』小池寿子著に出会いました。そのボスの不思議な絵は以前、白黒の挿絵として見たことがあるだけで、その挿絵からは、何が描かれているのかよくわかりませんでした。それが今回、カラー印刷で掲載されていましたので、ボスの世界について何か書いてみようと・・・・。ルネッサンス初期のネーデルランドの画家(1450年頃-1516年)ヒエロニムス・ボスですが、驚いたのは、その画風です。たとえば、ボスの代表作『快楽の園』ですが、その奇想天外な表現には圧倒されます。それが、今から500年も前の作品であることに、尚更の驚きでした。ともかく、その画は、500年前に描かれたというより500年後の未来からやって来たといってもおかしくないなと思った私です。『快楽の園』ですが、『エデ...ヒエロニムス・ボス快楽の園1
一枚の絵画と詩 12『『フォンテーヌブローの森のはずれ,日没』 テオドール・ルソー
『一枚の絵画と詩』12『フォンテーヌブローの森のはずれ,日没』1848-49年テオドール・ルソー(1812~1867)パリの南郊、フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に住み着いた画家の一派をバルビゾン派といい、テオドール・ルソーは同派の代表的な画家です。歴史上の物語の背景などではない、フランスの現実の風景そのものの純粋な風景画を確立しようとしたルソーです。本作はルソーが移住したバルビゾン村の近くにあるフォンテーヌブローの森の様子を描いた作品で、夕暮れの穏やかなひとときが見事に描写されています。私は実際にフォンテーヌブローの森に行ったことはないですが、何気ない私自身のふるさとのうすくれないの夕暮れの景色に、心がほっとするときがあります。それは、カタログの解説にあった次の言葉に通じるからでしょうか・・...一枚の絵画と詩12『『フォンテーヌブローの森のはずれ,日没』テオドール・ルソー
一枚の絵画と詩11『いくつもの絵のある一枚の絵』パウル・クレー
『一枚の絵画と詩』11『いくつもの絵のある一枚の絵』1937年パウル・クレー(1879~1940)不思議な絵です。古代の象形文字というかエジプトの壁画を思い浮かべました。世界の四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)のひとつであるエジプト文明。エジプトではピラミッドをはじめ、多くの遺跡において壁画を見ることができ、その壁画には当時のエジプト人の生活習慣や宗教概念などが記されていると。東洋人である私は、乾いた異国の景色を思い、また、別の遊星からの通信を思ったりしますが・・・・。クレーの言葉として、「自分の絵の目標として、建築的絵画と詩的絵画とを調和させること」「芸術は眼に見えるものをあらためて提示するのではない。見えないものを見えるようにするのだ」と。この一枚の絵に、私は、何を見、...一枚の絵画と詩11『いくつもの絵のある一枚の絵』パウル・クレー
一枚の絵画と詩 10 『家具―食物の離乳』サルバドール・ダリ
『家具―食物の離乳』10『家具―食物の離乳』1934年サルバドール・ダリ(1904~1989)ダリと言えば、シュルレアリスムという言葉がついてきます。シュルレアリスムとは、無意識の表面化、無意識と理性との一致を目指した「超現実主義」と訳されます。また、ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法(ParanoiacCritic)」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような風景画を描きました。そして、ダリは、バロックを代表する画家ヨハネス・フェルメールを高く評価していたと・・・・。この『家具―食物の離乳』ですが、解説より。地に根のはえたようなたくましい女の身体をくりぬき、それが崩れてしまいそうなのを、ダリ好みの松葉杖で支えるという面白い仕掛け。とありますが、ダリは、いったい何を言おう...一枚の絵画と詩10『家具―食物の離乳』サルバドール・ダリ
2『すわる裸婦』1917年解説より。ルーマニア出身の彫刻家ブランクーショに出会ったモディリアーニは、その手ほどきで、石のじか彫りに取り組み、シンプルな美しさのある彫刻作品をかなり作った。絵においても、この経験はいかされており、彼の人体の形のつかみ方は簡素で、強い。『すわる裸婦』も、背中までよく描けている、といっていいような存在感を備えている。モディリアーニが、彫刻に関わったのは、1909年から1915年頃で、資金不足と健康の悪化による体力不足などの理由により、途中で断念せざるを得なかったと。そう、モディリアーニのプリミティブな彫刻ですが、その細長い顔のフォルムは、まさしく、モディリアーニのその後の絵画作品の特徴ともなっています。この彫刻の経験がなければ、フォルムの単純化としてのモディリアーニの絵画は成り立...モディリアーニとジャンヌと・・・2
『モディリアーニとジャンヌと・・・』1『ロマの母と子』1919年アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884年7月12日-1920年1月24日)は、イタリアの画家、彫刻家。モディリアーニ絵画の代表作は、大部分が1916年から1919年の間に集中して制作されている。ほとんどは油彩の肖像と裸婦であり、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは自身の彫刻の影響が指摘されている。肖像画についてはモデルの心理や画家との関係を表現するが、一方、裸体画については、女性の造形美への関心が表れているのが特徴である。なお、初期には、ピカソの『青の時代』やポール・セザンヌの影響を受けた絵を制作していると。私はモディリアーニの絵画を実際に見たことはなく、印刷物で見る...モディリアーニとジャンヌと・・・1
『一枚の絵画と詩』9『花瓶の花』1912年頃オディロン・ルドン(1840~1916)解説に、オディロン・ルドンは印象派の画家たちと同世代であるが、ルドンはもっぱら幻想の世界を描き続けた。象徴派の文学者らと交友をもち、象徴主義に分類されることもあるが、19世紀後半から20世紀初頭にかけてという、西洋絵画の歴史のもっとも大きな転換点にあって、独自の道を歩んだ孤高の画家というのがふさわしい。自然は彼にとってはつねに出発点にすぎず、むしろ尽きることのない不満と疑惑と不安の源泉であった。彼は自然を近くから眺め、探求し、孤立させ、言い難いほどの魔術的な謎めいた雰囲気のなかに捉えようとする。目に見える世界と並んで、そこにはつねに目に見えない世界が存在しており、この点では、先輩のロマン派の画家たちと共通するものをもってい...一枚の絵画と詩9『花瓶の花』オディロン・ルドン
『一枚の絵画と詩』8『舞台の踊り子』1878年エドガー・ドガ(1834~1917)このドガの『舞台の踊り子』は、なんて美しいのだろう。右足で体全体を支え両手を広げ上向いた顔から、踊り子は夢の世界にいるようです・・・・。この一枚の絵画『舞台の踊り子』に何の説明もいらないでしょう。ただ、解説として。ドガはすぐれたデッサンの名手であり、舞台の踊り子や、疾走する馬など、激しい運動を見せる対象をきわめて明確に捉え、画面に定着させ、油絵においても、形態はつねに明確であり、しばし明暗のコントラストによって、ことさらくっきりとその存在を主張するように描かれたと。また、ドガの描く女たちの肉体には、耳をすませば息づかいが聞こえてくるのではないかと思えるほどに、生命力のほとばしりが感じられる。ドガの絵を見ていると、表面的な美醜...一枚の絵画と詩8『舞台の踊り子』エドガー・ドガ
『一枚の絵画と詩』7『夕映えの中の羊飼いの女と羊』1868-70年ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875)解説に、ミレーは、風景画を好んだ他の画家よりも、働く農民の生活への関心が強く、農民画を多く制作している。農民の生活に向き合って真摯に観察したところにミレーの独自性がある。また、晩年の作品には、印象派的性格を見るなどとあり・・・・、私はミレーの描く光の表現に引き込まれました。ミレーの時代は日本では、江戸時代の終わりから明治時代のはじめ頃にあたるでしょうか。私はミレーの描いた『落穂拾い』や『馬鈴薯植え』などを見ると、それら人物に、生きるということの敬虔な姿を思います。そして、背景の風景からも、ありきたりという言葉でなく、時に敬虔なおもむきを受け取るのです。そして、この一枚の絵画、『夕映えの中の羊飼...一枚の絵画と詩7『夕映えの中の羊飼いの女と羊』ミレー
『一枚の絵画と詩』6『トレドの風景』1597-1599年エル・グレコ(1541~1614)ジョルジョーネの『嵐・テンペスタ』が1508年頃として、エル・グレコの『トレドの風景』は、1597~1599年頃制作とのこと。エル・グレコはジョルジョーネの次の世代ですが、エル・グレコの『トレドの風景』とジョルジョーネの『嵐・テンペスタ』は、どこか通じるところがあると思うのです。それは、『トレドの風景』の雲海のかたまりが嵐を呼んでいるのと、画面中央の橋と川の流れの構図が似ているところから来ているのかも・・・・。また、二人の画風は違っていても、私は二人の画家に共通する何かを感じるのかもしれません。そんな意味でも、この一枚の絵画、『トレドの風景』も、また、詩的な一枚の絵画なのだと思うのです・・・・。・尚、エル・グレコにつ...一枚の絵画と詩6『トレドの風景』エル・グレコ
『一枚の絵画と詩』5『嵐・テンペスタ』1508年頃ジョルジョーネ(1477~1510)解説に、色彩豊かで詩的な風景描写、抒情的で人物と風景が調和した作品のジョルジョーネ。人物の周囲に広がる風景を、風景画といえるほどのレベルで丁寧に描きあげ、『嵐・テンペスタ』は最初の風景画ともいわれていると。また、ジョルジョーネの描く絵画からは、微かに覆い流れている一種憂愁の気配が感じられ、言葉にならない『一枚の絵画と詩』として、ジョルジョーネの描く絵画は、どれもが詩的であると思う私です・・・・。画面左下に若者を配し、右側に乳飲み子と母親の裸婦、中央には小川が流れ、そして空を走る稲妻・・・・。言葉にすれば、それだけのことですが、言葉にならない「詩想の画家・ジョルジョーネ」です。一枚の絵画と詩一枚の絵画と詩5『嵐・テンペスタ』ジョルジョーネ
『一枚の絵画と詩』4『果物をもつ女』1893年ポール・ゴーギャン(1848~1903)ゴーギャンといえば、私は野性的な風貌のタヒチの裸婦を思います。この『果物をもつ女』もそうですが、健康的な肉感を感じさせるゴーギャンの筆使いは、強く迫ってきます。ただ、この『果物をもつ女』の別名は『あなたはどこへ行くの?』ということで、作品の左下のサインの所に書かれたカナカ人(南洋諸島の原住民)の言葉である。ということを知ると、ゴーギャンのタヒチの裸婦は、大きな生きるということの意味にもつながるひとつの題材であったのではと思うのです。1897年の大作の題名は、『われわれはどこから来るのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くか』となっていて、解説によると、・・・・左上隅に描き込まれた題名は絵を説明するのでも絵がその説明な...一枚の絵画と詩4『果物をもつ女』ゴーギャン
『一枚の絵画と詩』3『糸杉と星の道』1890年フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)星たちと三日月が夜空に、糸杉もうねるような大気とともに描かれ、点描としての馬車と手前の二人の人物はどこへ行くのでしょうか。これはゴッホが見た幻想なのか、このうねった世界は死の世界に通じているのでしょうか。この一枚の絵『糸杉と星の道』。この絵もまた、私たちがふだん見ている夜空を通り抜けたというか、一つの詩的世界と呼べるのではないでしょうか。・尚、太陽の画家フィンセント・ファン・ゴッホです。一枚の絵画と詩一枚の絵画と詩3『糸杉と星の道』ゴッホ
『一枚の絵画と詩』2『ピレネーの城』1959年ルネ・マグリット(1898~1967)マグリットは絵画という行為について、色を並べて、その実相を消し去り、空、人、木、山、家具、星、堅固な構造物、落書きなどの見慣れたものを、一つの詩的に凝縮したイメージに統合する芸術、と表現している。また、マグリットにとって絵画とは、この世界に関する私たちの知識を深める手立てであり、絵の題名は説明ではなく、絵は題名の図解ではない。題名と絵の関係は詩的である。つまり、この関係によって、二つの相反するものに共通する側面が表現されなければならないと。私はこの一枚の絵、『ピレネーの城』を見て、なぜか、スタジオジブリの『ハウルの動く城』を思い浮かべました。これは、ただ城が宙に浮いているということからの連想なのですが、この絵を見た人は、そ...一枚の絵画と詩2『ピレネーの城』マグリット
はじめに詩とは心に感じたことを一定のリズムと形式にあてはめ、言葉で表したもの。絵画は、基本的には、線や色彩を用いて、物の形や姿を平面上に描き出したもの。とあります。『一枚の絵画と詩』という題をつけましたが、毎回、私自身が気になった一枚の絵を紹介するという形です。読者はその一枚の絵を見て、それぞれの思いや感想が浮んでくると思います。十人十色ですので、私の添え書きは、そんな思いもあるのかと受けとっていだければと。『一枚の絵画と詩』ですが、一枚の絵には、言葉はついていませんが、その一枚の絵は、私にとっては詩的だなと思ったという意味で、詩という言葉を使わせていただきました。それでは、『一枚の絵画と詩』の紹介です。1『横たわる詩人』 1915年 マルク・シャガール(1887~1985)ポーンド国境に近いロシ...一枚の絵画と詩1『横たわる詩人』シャガール
『縫物のお稽古』1874年室内の人物と彼らの背後の異常に大きな窓の外の景色とのふたつの部分から成るこの作品は、ミレーの晩年の画風をよく伝えている。窓外の風景が先に描かれている。前景は未だ色の調子が決まった程度であるが、順番としては次に人物が完成されるのであろう。しかし既に彼らは2人とも、未完成ながらしっかりと三次元的に配置されている。おわりにかえて本棚に眠っていた『田園の抒情と祈り・ミレー展』を見直すことによって、改めてミレーの絵が好きになりました。敬虔な祈りの画家ミレーですが、描かれた作品からは、親子のあたたかなふれあいや、羊飼いと羊のふれあい、夕暮れの田園風景などどれもがあたたかな郷愁を誘います・・・・。が、描かれたのが百年以上も前ですが、21世紀の今それらミレーの絵をみても、なぜか古さは感じず、21...ミレーと私5
『春』1868-1873年稲妻が照らし出したかのような超自然的な光景で、細かなタッチで樹木や草花が描かれています。ミレー最晩年の作品で、描写はしっかりした写実だが、一瞬の外光の反映を描いている点で、間もなく登場する印象派の先駆けとなった作品とみることもできるでしょう。『木陰に座る羊飼いの女』1872年木もれ陽が少女の前掛けや森の地面に斑文を作っており、光の強い効果によって形態を崩していった印象派の手法へとミレーが近づいていることが解る。変化を持った丹念な筆致と一様な柔らかい描写が光の動きを暗示している。画室内での制作であり、ミレーは一度も戸外制作を行っていないが、しかし印象派の主張の重要性はよく理解していたのである。・続きは次回に・・・・。ミレーと私4
『晩鐘』1855-1857年「一人の男とその妻が、一日の終りを告げる鐘の音に祈りを捧げるため、仕事の手を休めている」ミレーはまた、次のように述べている。「かつて田園で仕事をしていたとき、私の祖母は教会の鐘が聞こえると、必ず私どもに仕事を止めさせた。それは、死んだ人々のために、敬虔な気持ちで、帽子に手を持って、お告げの祈りを唱えさせるためであった」『生まれたての子羊』1866年生まれたての子羊を抱えて若い農婦が家路を行く。その後を親の雌羊が精一杯の愛情を見せながら、ついて行く。そしてその後には、ほかの羊達も従っている。いかにも微笑ましくほっとするような光景である。ミレーはこのような可愛らしさを主としたもの、もしくは気のおけないもの、或は薄暮の情景のようにおぼろげなものにおいて、好んでパステルを使っているよう...ミレーと私3
『ぶどう畑にて』1852-1853年斜面になったぶどう畑の中で、少年が杭を打ち込み、年長の相棒がぶどうの蔓を支柱に結びつけている。ぶどう畑の緑に映える光や空の薄桃色に表わされた春景色の表現に対して、構図はしかし堅苦しい。白いケープを着て牛を追う小さな女性の姿によって距離感を強調しているが、彼の風景画の構成力は人物画家としての技量にはるか遅れをとっているようである。『編物のお稽古』1854年1850年代のミレーは「オランダ様式」の時代と呼ばれるように17世紀オランダの室内画から影響を受けた作品が多い。母と娘のこの微笑ましい情景を描いたものはこの作品が初めてである。ちょうどこの1854年頃には、ミレーの長女が8歳になり、ミレー家では日常の光景であったと思われる。・続きは次回に・・・・。ミレーと私2
『ミレーと私』はじめに私がジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)の絵画について、何か書こうと思ったのは、1984年(昭和59年)発行の『Millet』ミレー展図録を本棚から再び手にしたことによるのです。記憶は曖昧で、この『田園の抒情と祈り・ミレー展』を見たのは、1984年の東京展だったか、1985年の甲府展だったか、私が30歳か31歳の時でした。リタイア生活の私は、本棚にある若かりし頃、手に入れた絵画関係の本を時々取り出してはその若かりし頃の自分に帰ってみるのでした。若かりし28歳から47歳の頃、私は独学で油絵を時々描いていたのでした。そんな絵に対するあこがれの一ページがミレー展との出会いだったのです。実際には、その『ミレー展図録』は、絵の部分を見ていただけで、文字になった解説を、あれから40年...ミレーと私1
お盆です。 「静かなお盆でございますね。」、そう挨拶するのがいいんだとか。 「ご先祖の魂を鎮める日和ですなぁ」、と、そんなニュアンスでしょうか。 暑い暑いとイタズラに心を乱さないようにしたいものです。 今日はそんなお盆らしいお話w。 高齢の義母の具合を見にゆくため、家内は最近よく帰省しています。 元気になさっているようで、なによりです。 実家に帰れば積もる話というものがあります。色々と振り返った...
伊豆高原は池田20世紀美術館に行ってまいりましたの備忘です。 なんちゃってや異色も多い伊豆高原のプチミュージアムの中でも小さいながら正統派、近代絵画の名作揃い、隠れた(?)名館でございます。 作品はエントランスの彫刻に至るまで、撮影はOK、なれどネットへのアップロードは厳禁。という事で残念ながら絵画その物はこちらでは上げられません。。。 所蔵作品や詳細は公式からご確認いただくとして、 サイトにはない現場の雰囲気をなんとなく汲み取っていただけましたら幸い。 (基本自分備忘という言い訳。。。 ikeda20.or.jp 池田20世紀美術館とは オープンは1975年5月。所属作品約1400点はニチレ…
21943?年切り紙絵『ジャズ2サーカス』です。解説より。息を吞むようなスリルと緊張感のなか、バランスをとって一歩ずつ綱を渡るサーカス芸人の姿がスポットライトに照らし出されている。その下には万一の落下に備えて布か網のようなものが張られているのが見える。本作品は、もともとカバーとして構想されたという、画面はちょうど中央で折れるようなデザインになっていて、右側が表紙、左側が裏表紙となるはずだったようだ。(実際は製本されていない)。最終的には『ジャズ』というタイトルで出版された。挿絵には直接ジャズと関係するものは1点もないが、原画制作に用いた切り絵の生き生きとした鮮やかな色彩、はさみによる造形の即興性やリズムを音楽のジャズになぞらえたと言われている。わたしは思いました。印刷物になった原画は、それなりの価値があり...わたしとマティス2
1わたしはアンリ・マティスの絵が好きです。といっても実際にマティスの絵を見たことはないので、印刷されたマティスの絵が好きということですが。マティスの生涯は、1869年12月31日~1954年11月3日です。ピカソが形体を現実のものから解放したとすれば、マティスは色彩を解放した色彩の魔術師といわれるように、印刷されたマティスの絵を見ると、ほとんどの絵が鮮やかな色の分割によって構成されています。また、マティスは晩年に切り紙絵を制作していますが、その単純なフォルムと明快な単色だけの作品も好きなわたしです。マティスの絵の紹介です。1940年81×65センチ油彩・カンヴァス『夢』ですが、実際に実物を見たら感激でしょうが、2004年の新聞記事『マティス展』からの新聞の絵です。解説より。1939年に勃発した第二次世界大...わたしとマティス1
新しいページに入りました。二人の背中をひたすら埋めていきます。昨日までは出かけてばかりでしたが、連休後半は刺繍時間になりそう。「徒然なるままに日暮らし布に向かいて、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく刺繍すれば あやしうこそものぐるほしけれ」な~んちゃ
7『聖ルカ』この絵ですが、聖ルカは、新約聖書の「ルカによる福音書」と「使徒列伝」の作者とされる聖人で、エル・グレコは、聖書内に聖母子を描き入れ、それを私達に見せている聖ルカを描いています。また、聖ルカは医者や薬剤師の守護聖人とされています。そして、聖ルカは画家の守護聖人ともされており、彼が聖母マリアと幼子イエスの肖像画を描いている場面ばかりが作品として残されています。それはルカの職業が画家で、聖母マリアを始めて描いた者であるという伝承がある為ということです。私は、年老いたグレコ自身の自画像(?)の解説で、これとよく似ている顔が『聖ルカ』である。という文に出会い、『聖ルカ』の顔は、グレコ自身の自画像でもあるというふうに思いたいです。解説として。この情熱的で東洋的な風貌の個性にあふれた顔は、まぎれもなくグレコ...エル・グレコ7
6『オルガス伯の埋葬』円熟期を代表する作品のひとつに《オルガス伯の埋葬》(1586年)があり、作品上部は天界を描写し幻想的に、いっぽう下部の埋葬の様子は写実的に描き分け、画家の名声を確かなものにした。とあるように、グレコ45歳の作品だろうか。解説より。居並ぶ人びとの顔はまことに静かそのものであるが、手の方は雄弁この上ない。画面の下半分は、静かにリズムが波打っているのに対して、上半分は渦巻き旋回する。まったく偶然の出来事を見るような迫真性。ここではすべてが目撃という心理的な世界に組み込まれているのだ。ここに列席している人びとの顔色の燦然とした美しさ、メランコリー、やさしさは、古代ギリシアへ寄せる想い出なのであろうか。あるいはまた、この作品は、生活における一切の暴力、とくにこのトレードの地で、宗教裁判の犠牲者...エル・グレコ6
5『婦人像』解説より。グレコには、ドーニャという謎の女性がいたが、これが彼女の肖像画であろうか。青春を謳歌し、花や宝石を絵にしたような彩色、それに加えて、練達にして細心の筆さばきをみていると、ふと絢爛豪華なペルシアの細密画を思わせるが、一方でさすがにグレコは年増の顔ににじみ出ている憂愁のおもかげを見逃さずにとらえている。まだ絶世の美人のおもかげをとどめているこの顔に、寄る年波でちらりとのぞいた老醜の影、おさえられたかたちにもせよ哀愁と甘美とを一緒に刻みこむという製作者の、対照の妙を狙った詩的な構図は、これだけにとどまらず、さらに大きく発展して、画像構成に際して各種の対立要素を導入する試みまでに及んでいる。たとえば、目鼻立ちの物静かでほぼ規則的な水平位置に配するに、あたかもそれを突き破るかのごとく、ジグザグ...エル・グレコ5
4『橄欖山のキリスト』解説より。天使によってもたらされた非常な決定と運命を告げる聖餐杯を前にして、キリストが最後の祈りを捧げる物語はこうだ。キリストは目をさまして祈りつづけ、使徒たちは深い眠りについている。そのときキリストの前に現われた天使は、眠りこける人たちをからだのような格好をした自分の体内にくるみ込んでいるようにもみえる。こうして、夢とうつつとが一つのもの、一つの現実となる。三人の眠る人物たちは独立したリズムのなかに包まれ収められているわけだが、このリズムは発光する装飾的な岩山のリズムに連続する。そして、波は波を呼びながら、キリスト像は末広がりにひろがって行く。キリストの大きくひろげた腕、大きくひろがる衣紋の襞。こうして波は波を呼びつつ、大きなひとつのうねりとなって行く。ところで、明るく、充実し、至...エル・グレコ4
3『トレード』解説より。こんな風景画はかつて描かれたためしがない。それでいて、空、丘、都市、深い峡谷、樹木、草地、道路など、ふつう風景画に欠かせない最小限の条件はことごとく取り揃えられているのだ。ただし、風景画にとってもっとも重要な空間の感じや距離感がここには乏しい。ここでは、トレードの町のたたずまいが妙な工合にならべ変えられている。人を威嚇するような天の怒りは、トレード市のなかでもひときわ高い建物のある一帯、つまり本寺やアルカサールの城のあるあたりのうしろに集まっているようであり、それを象徴するかのごとくそのあたりは一段と暗くなっている。険悪な空の黒い怒りは、教会の権力と国家の権力とが結びついたトレード市の強大な力の所在を具体的に示してるいものだ。緑のなかに点在する極微の針の頭くらいの人々の行動が平和そ...エル・グレコ3
2『聖マルティヌスと乞食』解説より。騎士が自分の外套を乞食にやっている情景ですが、乞食の姿は裸で、何かほのぼのとした親しみや人間味を感じさせる白馬も裸なら、照り映える広大な空も裸だ。この歌の主題はもちろん愛である。伝説上の男と伝説上の馬の一対の両足から視線が上に移動して、二人の若者の一対の眼へ至り、それからさらに空と頭の一対の美に眼をとめる。次に観照者の視線は一転して急下降し、グレコが熱情を燃やした画面右下の核心に移る。すなわち、地平線を低く下げたエメラルドグリーンの風景がそれだ。そしてその地表のどまんなかに、上げられた馬の前足の白がにゅっと突き出されている。この部分にも観照者は眼を釘付けにされるのだが、ただし馬の足のように侵入するのではなく、グレコの詩とヴィジョンが横溢しているこのえもいわれない地点にし...エル・グレコ2
『エル・グレコ』私はグーブログを始めて二年目、ブログ仲間のエルグレコについての記事をみて、エルグレコについて書いてみようと思いました。私は小さい頃から、絵を描くことは好きでした。本棚の片隅にエルグレコの一冊の画集があったことを思い出し、開いてみました。私はエルグレコの描く優しげな人物の表情が好きです。それと、エルグレコ描く細長い人物像とどこか歪んだような空間の表現に、この二十一世紀を先取りしたというか、過去と未来が一緒になったような不思議な世界を見るのです。 はじめにエルグレコの略歴です。マニエリスム後期の巨匠として知られるエル・グレコは、1541年10月1日生まれ。現ギリシャ・クレタ島出身。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、エル・グレコは「ギリシャの人」を意味する通称。死亡日:1614年4月7日...エル・グレコ1