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来てみたらやっぱり草ボウボウ…、木々も成長し本尊岩も見辛くなってきた…2023.8.12撮影近所の方が手前の夏草を刈ってくださいました、ありがとうございました。にほんブログ村...
黒光りする迫力満点の国鉄C58形蒸気機関車。「シゴハチ」の愛称で親しまれたC58形の56号機で、福知山市の広小路通りに面した町家のような奥に長い施設に静態展示されています。 幼少時代に見たもくもくと煙を上げて力強く疾走する姿は躍動感があり、牽引される客車に乗ると豪快なドラフト音が体に伝わりました。生き物のようでした。 最初、展示されていたのは少し離れた福知山西駅公園の一角。北丹鉄道の北丹鉄道福知山西...
これはポジでなく白黒ネガです。1993年月日不明 函館本線 小樽築港機関区(NEOPAN_SS) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
北陸駅巡り23夏-富山黒部編(1) 北陸新幹線・日本海ひすいライン 糸魚川駅 ~まずは日本海ひすいラインへ~
今回は「西日本完乗への道」の一環で北陸地方に出かけてきました。キーワードは3つ。「木造駅舎巡り」、「トロッコ」、「アルペンルート」。これでどの路線がターゲットかはだいたいわかるかなと思います・・・。スタートは上野駅の新幹線ホーム。まず向かうのは糸魚川駅。糸魚川~富山間が移管後はまだ未乗車だったもので、それもクリアしてしまおうと思います。19番線から「はくたか551号」金沢行きに乗車します。糸魚川に一番早く着く列車(の...
日本3大操車場と言われた新鶴見操車場では1970年までD51が使われました。大都会の片隅で貨物輸送に活躍したD51の姿を御覧ください。 横浜港方面からの貨物を受取り、新鶴見操車場へと向かうD51。 操車場とは、貨車1両を荷主が借り切った車扱いと呼ばれた貨車を、輸送の拠点で行先別に仕分けする広大な車両基地を意味します。 新鶴見操車場は関東最大の貨車の仕分け基地で、勤務する鉄道員の数は1000人を超え、新鶴見駅長の地位は、東京駅駅長と同格以上と言われる程の重要な施設でした。 東海道線の電車とすれ違うD51。東海道本線の貨物専用線の設置は早く、D51の通る線路は横浜港へのポートトレインが廃止されてか…
1998年12月日不明 留萌本線 峠下~恵比島(FUJICHROME RVP) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
俯瞰撮影から下へ降りて移動中に突然現れたか?D51565もアレですが、電柱が凄いわ!かなり慌てたのかしらね?(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
苫小牧駅から沼ノ端駅へ移動。頻繁にやって来る汽車を同じような構図ばかりで撮り続けた。同じ貨物を後追いでパチリ。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
これはポジでなく白黒ネガです。1993年月日不明 函館本線 蘭島~塩谷(NEOPAN_SS) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
今こうして見ると、路駐の車も数台ありますよね?車を使って撮影出来る優雅なファンも居たのだ!基本は歩きの少年には考えられなかったなぁ~(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
利尻富士を臨む海岸の丘陵を、寒風の中、ひたすら走った蒸気機関車の記録です。 利尻富士を左に見ながら稚内に向かう9600型蒸気機関車。距離の長い宗谷本線に動輪が小さく速度の遅い9600が使われていたのは不思議です。D51を使わなかったのは、稚内という北の果てに向かう、つまりは稚内に向かって、運ぶ貨物も次第に減っていくからなのかもしれません。確かに道北には9600型の活躍する路線が多かったのも事実です。9600型は8620型と並んで大正時代の名機と呼ばれた機関車でした。太いボイラーと動輪の上に乗せた広い火室を持ち、中型ながら強力な機関車です。D51には牽引力も速度も及びませんが、従台車が無い為、機…
宮沢模型の動輪は位相だけは正確と信じていたのでショックでした。 どうにも回らず、不安になって走るC58から足回りを借りて組み込んでみると、自作フレームもどきでもクルクル回る! ノギスで 測りながら少しずつ寸法出しをしたんだから、こんなインチキな工作でも回るんです。ところが自信が無いから、どこかに間違いがあるんだろうと疑いまくる悲しさ、この辺が経験の無さですね~、と言うのも、これが自作フレームの2作目なんですから、 今夜の作業は、昨日切り出したフレームもどきの軸穴を仕上げ、内径2ミリパイプを11ミリに切り、2ミリビスを通して仮組みしました。軸穴は3ミリシャフトに対して01の余裕だけに留めました。…
店頭でこんな本を見て手に取ったのだろうか?国鉄からJRへ変わった頃、既に社会人だった。お宝段ボールへ何処で紛れ込んだのかも不明だ。興味深い内容も多いので、後ほどジックリ読もう。という事で、雑誌の記憶はここで終りの様です。皆さま、長い間どうもありがとうございました。「煙の記憶」はまだまだ続く予定です。引き続きよろしくお願い申上げます。 ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブロ...
これはポジでなく白黒ネガです。1993年月日不明 函館本線 小沢駅(NEOPAN_SS) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
少年の立ってる場所は、法面の上みたいな感じですね?何処から登ったのかも分かりませんが結構な高さです。獣道(今で言う鉄みち?)みたいのがあったのかな?(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
お安く出回っている不動のチャンピオンは宮沢C58、ライバルはカツミダイアモンドシリーズくらい、お安く汽車を楽しむには欠かせない機関車でもあります。 強烈な個性を持った宮沢のC58、逆に宮沢臭を消すのが改造の要点になります。フロントデッキの短縮とパーツの追加で、カトーのトラやワムを引いてもおかしくない程度にまで手を入れました。太過ぎるボイラーはかち割って細くしたいところですが、これはオリジナルボイラーのままです。シゴハチスタイルですね。空気作用管とATSを追加するかと考えましたが、ゴチャゴチャしすぎるのではと保留しています。 C54は製品によってドーム位置がフロントに3ミリ近く寄っていて、実物の…
汽車仲間から画像データを借りたので、蒸気鉄道時代最終期の情景を御紹介いたします。 逆向き単機回送のD51。3トン重油タンクがリアビューの迫力を増しています。坂を下っていますが、上り勾配の補機仕業につくためドンドン石炭を焚べているのか、ブロワーが効いて黒煙も出ています。上り勾配で加減弁を開けていると、シリンダーからの排気でモリッモリッっと煙が立ち上がりますから区別できます。模型ではターンテーブルの設置が難題なので、逆向きに限らず単機回送は、模型でドンドン使うべき運用でしょう。 絶気運転で坂を下るC61。下り勾配6パーミルの表示が見えます。続く車両はマニ60でしょうか? トラック輸送が盛んになる前…
宮沢C58!フレーム砕けちまった!とRCサクセションの替歌を歌ってますが、 事の起こりは、KKCの今野先生のブログに、ウォームギアはそもそも無音、とあったので、騒音の激しい宮沢C58を無音化加工しようと思い立ったんですが、ストックのジャンクを引っ張り出したところ、全く動きません! 動輪はメッキが残り、ほとんど未走行のようです。ここでフレーム前方のカプラー取付け部分が砕けて無くなっている事に気付くべきでした。軽い気持ちでドンドンバラしたところ、嫌な感触があり、 リアフレームがコロリ!やっちまった〜。雨上がりの夜空の替歌を歌ってももとには戻らず、 仕方なく1ミリ厚からフレームを作ることにしました。…
1998年12月日不明 留萌本線 恵比島~峠下(FUJICHROME RVP) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
南岸低気圧による豪雪で乱れたダイヤを回復すべく奮闘する蒸気機関車と鉄道員、雪くらいじゃ列車は止めないと言う気合と誇りが満ちていました。 猛然とラッセル軌道モーターカーを押し上げるD51。奥羽本線を電化で追われる幾ばくもない命を燃焼させて峠に挑みます。当時、北海道連絡の大動脈であった東北本線や奥羽本線に配置されたD51には、車両限界いっぱいの大型の重油タンクが装備され、D51としては最大の出力を発揮していました。蒸気機関車は力行を続けるとボイラーの圧力が下がり馬力が落ちます、同時に連続するドラフトによって石炭が急速に燃焼するために火床に焚べた石炭も減り、空転した際に火床に穴が開いてボイラーの燃焼…
東北本線の野辺地を起点に下北半島を縦走した大湊線では、1日に1往復の貨物列車の運用にC11が使われていました。 陸奥湾を左に見ながら下北半島を北上するC11。従う貨物列車の中には冷蔵車も見えます。大間のマグロを運んだのでしょうか?平坦線の夏場ですから、煙もうっすらとたなびき、C11は軽快にレールを踏んで行きます。 野辺地機関支区で最大の施設であったラウンドハウスとターンテーブルは敷地の最も奥に配置されていました。東北本線が電化されD51の補機増結が無くなり、大湊線にもキハが投入され蒸気機関車が旅客輸送を外れてからは所属する機関車も減り、日々の営業では使用していないように見受けられます。ラウンド…
これはポジでなく白黒ネガです。1993年月日不明 函館本線 塩谷駅(NEOPAN_SS) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
今こうして見ると、なんか凄い写真ですよね。窓を閉めて煙を避けてるのは普通の乗客、開けてるのは今で言う乗り鉄だろうね(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
会津若松機関区は只見線の立役者C11を完璧に整備する頼もしい施設でした。 ターンテーブルに乗るC11を見守る構内作業員。会津若松にはD51も乗る大型の下路式ターンテーブルが設置されていました。ただしターンテーブルと周囲のレールとの段差は、通常のレールジョイントの平滑さとは比較にならないほどでしたので、静々と慎重に乗り入れるのでした。只見線のC11は線区が長く、勾配もあったので炭庫を屋根高さまで嵩上げした重々しいリアビューをしています。このターンテーブルは電動式で、中央に櫓が立ち、そのてっぺんに回転式の受電装置が見えます。近くにはトランスを乗せた頑丈な電柱が建って、ターンテーブルを駆動するモータ…
ダム建設の資材を運び上げた会津只見線には活気溢れる田舎の汽車風景がありました。 列車交換風景。通票閉塞のタブレットを受け取るべく駅長がホームで腕を上げています。左のC11の前に見える踏切を渡って、待機中のC11の機関士へ手渡す算段でしょう。通票閉塞はルールさえ守れば、単線のひと区間に対向する列車が入らない、正面衝突防止の優れた仕組みでした。 雪をついて貨物を運び上げるC11。鉄道貨物は貨車1両単位で荷主が貨車を借り切り、各駅から発着していました。車掌車の中では車掌が駅ごとの貨車の解結を線路配置を睨みながら考え、駅に着く前に入換の指図書を作成して着駅の駅員に手渡し、駅員は指図書をもとにポイントを…
レイアウトの運転と、走る列車を眺めるための目線の両立が難しい。
実物の列車を見ているときは、横から見たり、見上げたりが多いですが、レイアウトで運転する時は、見下ろした方が楽、この矛盾は必ず付いて回ります。 汽車を眺めるには、これでもまだ目線は高い、出来れば見上げて楽しみたいと感じます。犬走りで通過を見送る、築堤の下から見上げるといった感覚で楽しみたいんですね。 ところが、横から目線では運転は非常に難しい。 上のネルソンとキューロクを見下ろしたところですが、列車の進行に合わせてポイントを切り換えるには、最低限この程度は見下さないと操作ミスをしちゃいそうです。更にメインラインが短くて、直ぐに次のポイントに進入するからなお厳しい。だからってトンビみたいに見下ろし…
レイアウト配線作業の疲れは汽車いじりです癒やす。やっぱり汽車いじりは楽しい! 粉を吹いてますが、17年前に未塗装完成とした宮沢C58です。温め器周りの配管間違いとATS発電機の取付け、キャブ吊環と空気作用管の追加をしてみます。 給水ポンプとコンプレッサーからの排気管を追加、ATS発電機、キャブ吊環を追加、砂箱の蓋は釘の頭だったので止具を帯金で付けました。キャブはドアを撤去したタイプにしてありました。 空気作用管は02燐青銅線を05幅、03厚の洋銀帯金で押さえただけ、お気軽工作です。砂撒き管元栓は真鍮線のサンドパイプに百均で買った銅線を巻いただけですが、まぁ雰囲気は出てるんじゃないかと思ってます…
これはポジでなく白黒ネガです。1993年月日不明 函館本線 然別~銀山(NEOPAN_SS) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
動態保存で人気のC61形式ですが、東北地方での最後の活躍は各駅停車と荷物列車でした。 雪のプラットフォームに停車中のC61。機関士と駅員が列車運行の打合せをしています。奥羽本線は単線でしたから、雪でダイヤが乱れると途中での列車交換や追い越しなどで遅延時間に応じた対応が必要になり、機関士と駅員の情報交換が非常に大切になります。 このC61の2号機は保存機になった機関車ですが、奥羽本線時代は盛岡工場の補助除煙板が外されスッキリしたフロントビューを見せています。東北地方初の特急はつかりやブルートレインゆうづるの栄光を捨て地味に各駅停車を引く姿にも急客機の風格が感じられます。 駅員がキャブに乗り込んで…
只見川に沿って地域の物流を担った只見線には、蒸気鉄道らしい数々の情景がありました。 到着した列車から駅舎に向かうため、ホームの端のスロープを下り、機関車の直前の踏切を渡る乗客。踏切から溢れた人は線路の砂利の上を歩いています。 駅のプラットフォームは真ん中の踏切を挟んで上下線が配置され、これなら踏切を列車が塞ぐ事がありません。またプラットフォームの端をスロープにすることで荷物車に積込む小口の荷物を運ぶリアカーも容易に線路を渡れます。乗客が踏切を渡りきるまで列車は発車出来ませんが、それだけ蒸気鉄道の時代は時間の流れが緩やかだったようにも思えます。踏切から給水タンクの間には小さな花壇が作られ、給水す…
これで煙があればと思うが、この先は栗丘駅です。夏のSLだし、こんなモノなんだろうと思う(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
上り列車のトンネル手前に居るファンは御見送り(笑)下り列車の無煙なC57を見送る余裕があった。なんとも贅沢な状況だが、それだけ列車密度は濃かった。真面に撮ったらフイルムがすぐ無くなるからネ。それにしても線路端の二人は当時でも駄目だろう。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
今から70年前の私のふるさとは鉄道の町でした。 自宅から300mくらい離れた所に駅がありました。 父と一緒に夕方になると蒸気機関車を見に行きました。 駅名…
これはポジでなく白黒ネガです。1993年月日不明 函館本線 倶知安~小沢(NEOPAN_SS)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
白黒ネガ64本目スタート!なるほど、栗山方面はこんな感じで見えたのだ。無煙のC57もアレですが、ファンが凄いですね!今なら警察沙汰になるような位置の御方も(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
50年前の夏_Part2(室蘭本線D51/C11/DD13)
千歳駅から苫小牧駅に移動。汽車がゴロゴロいるし、次から次にやって来る、別世界に来た感じだった。左からD51104、D51331、D51423。日高本線用のC11がDD13と共に入れ替え作業中?1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
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何となく徐々に思い出したが、栗丘の丘はこんな感じ。今は単線と思いますが、どちらの線路が残ったのか?いずれにしろ、十年後には両方無くなるのだろう・・。↑あくまで個人的見解で他意はございませんので。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用)ここで白黒ネガ63本目終了です。引続き64本目も栗丘の丘が続く。↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加し...
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当時は貨物のD51や客車のC57がバンバン来た。なので、線路も立派な複線だったのである。今は存続の危機にある室蘭本線岩見沢~苫小牧間。何でそんな事になってしまったのだろう・・・。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
へぇ~、こんな雑誌もあったのですね?昭和53年11月発行だから少年も大学生の頃。その頃は全く鉄道には興味が無かったので、想像だが廣田尚敬に反応し手に入れたのだろう。 ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
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増備したばかりの9600、デフ付きの姿が格好良く、入線以来、川正線の主力機関車として大活躍していますが、財力の乏しい当鉄道では、車両と同時にDCCデコーダー…
凄いカットが現れたぞ!(笑)ナメクジだからここまで追ったのだろう。当時の少年の嗜好が良くわかる一コマだね。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
ふむふむ・・・。斜め上から俯瞰的にナメクジが良く見える!ナメクジとは良く言ったものだなぁ~(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
弊ブログ(煙の記憶)の更新を連携機能でTwitterに通知してました。しかし、X(旧Twitter)への連携が私には技術的に難しく諦めました。煙の記憶は毎日更新してますのでよろしければ直接お越し下さいませ。スミマセン・・。 ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
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手前にはカメラマンも写ってますね。少年は人が入る事を殆んど気にしない様です。まさか将来PCで消せる事を知ってたのか?そんなハズはある訳ないじゃないですか!(笑)って言うか、ネガを画面で見れる不思議な時代。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
中学2年の夏休みに友人二人で初渡道。函館駅から夜行急行「すずらん6号」に乗って最初に下車したのが、なぜか千歳駅。ファーストカットは奥にC58が休んでいる画。しばらくするとC57が給水塔にやってきた(C58は電柱の間から微かに見える)。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
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