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出発信号を確認し、駅長の出発合図を注視する機関助士。夏の陽射しにクッキリと8620のシルエットがプラットフォームに影を落とす、それはのどかな蒸気鉄道の乗換駅、五所川原駅のヒトコマです。 五能線は海岸段丘に沿って見事にウネウネと進む路線でした。川が流れ込めば小さな鉄橋で渡り、自然の地形になるべく逆らわずに敷かれた線路は、入江ごとの集落ごとに置かれた駅を丹念に辿り、地域の輸送を担っていたのでした。 海岸段丘以外の車窓の景色と言えば、日本海に出る前は津軽平野に広がる林檎畑と田圃でしたが、平地を走る蒸気列車の窓を青田を渡る風が吹き抜けるのは日本各地の当たり前の景色だったと思えます。 そんな風景の中にあ…
乗って来た列車はずいぶん前に駅に着いたのになかなか発車しません。単線だから対向列車が駅に着くのを待っていたのでした。停車中している間も蒸気機関車は石炭が焚べられたり、ボイラーにキュキュッと注水したり、プシュンプシュンとスチームを吹き上げて制動用の圧縮空気を溜め込んだりもしているのでした。 対向する汽車が来た! 駅長さんが進入してくる機関車に向けて拳を突き上げているのは、ジャンケンをしているわけではありません。単線区間で列車が正面衝突しないように区間を閉塞している鍵を、輪のついたケースごと機関士から受け取るために手を上げているのです。閉塞用の鍵はタブレットと呼ばれ、駅の本屋に設置された閉塞機に差…
舞い散る雪と立ち上るスチームの中を駅に滑り込む9600牽引の貨物列車。蒸気機関車時代の末期、宗谷本線と言えばC55が人気でしたが、北辺の貨物輸送は大正生まれの9600が担っていたのでした。 北海道の貨物輸送は函館に向かって量を集め、五稜郭に配置された日本最強の貨物機D52も活躍して内地へ内地へと向かっていました。逆に最北端へ向かうほど荷は減って、稚内への輸送は9600に委ねられていたのでした。機関車の次位にはワフが、続いて車掌車のヨが連結されていますが、ヨがこの貨物列車の正規の車掌車で貨物列車運行の事務方を務め、ワフは区間の荷物車代用ではないか?と思います。貨車を貸切る車扱い貨物の他に、小荷物…
フレームと来たら次はロッドだろ〜当たり前なんですが、(^^ゞ 気持ばかり先走ってなかなか進みません! エッチング板はさすがにデカい儘から切り出すのは無理!と判断してブレーキやらイコライザーやらとまとめて分割しました。(^^ゞ 先にブレーキシューとブレーキハンガーを切り出して、調子が整ったところで本丸のロッドに取り掛かります!(^^ゞ 糸鋸ちゃんはバック運転が苦手なイノシシ野郎なので一筆書きで切り抜きます。(^^ゞ 特に足回りのエッチング板は厚いので曲がりくねった溝をバックするのは不可能に近いです。にっちもさっちも行かなくなった場合は刃を弓から外して引き抜いた方が刃を折りません。(^^ゞ 最初に…
遠く稚内を目指してひた走る宗谷本線。停車時間を利用しての給水は欠かせない。凍てつく寒さの中、重い給水スポートを操って給水し、更にはテンダーの石炭を前方に掻き寄せる作業が続きます。 石炭の掻き寄せには機関助士も加わってキツい作業を停車時間内に捗らせます。降雪の季節、降り積もる雪はそのまま列車の抵抗になり、酷寒の中を進む客車にスチーム暖房を提供する為にボイラーはフルに活用されました。いきおい石炭の消費も増えてテンダー前部に積まれた石炭は忽ち薄くなったのでした。列車を遅延させず、凍えて乗り込む乗客に暖かな車内を保つ為に、誰知らず、黙々と掻き寄せ作業は続きます。 雪掻きされた線路際に置かれた停止位置標…
巨大な給炭槽はまさに動力源!! 蒸気機関車は石炭も喰うし水も飲む。現役で運用される限り体温を維持している機械でした。テンダーにうず高く石炭を積み込み、出発の準備が完了します。 無闇に長く繋がれた客車列車も蒸気鉄道の特徴のひとつです。客車は電気的に車両ひとつずつが独立した構造で完結していましたから、走らせて車軸発電機でバッテリーに充電しないことには、電灯が点灯しないのでした。おかげで閑散期の乗客は座席をゆったりと使用する事が出来ました。 重連は機関車の牽引力を補う為の手段として活用されました。列車単位が大きく速度も要求される幹線筋では数多くの重連列車が見られました。函館本線に並走する国道にはトラ…
函館駅は蒸気鉄道時代、青函連絡船で本州とつながる、北海道最大の玄関口でした。蒸気機関車時代の末期には、千歳空港に旅客が集中し、札幌が鉄道旅客輸送の拠点になり始めていましたが、C62が東海道本線から函館本線に転用になった頃は、道内の各地に函館発の急行列車が組まれ、蒸気機関車が大活躍したのでした。 複線の線路に分厚い道床を敷き、直線が多い区間でこそ、C62型の連続高速性能は遺憾無く発揮されます。東海本線の電化の進捗によってC62型は、函館本線、東北本線、常磐線に転用されましたが、列車単位と輸送密度から、函館本線はまさにうってつけの活躍の場でした。 東北本線の電化が進むに連れて、余剰となるD52型、…
石勝線への乗客のシフトで富良野から新得駅までの区間が廃止される予定の根室本線。蒸気機関車全廃の直前は、D60やD51が奮闘した釧路までは既にDD51に置換えられ、釧路↔根室間にC58だけが残っていました。 釧路↔根室間は長く8620が活躍した区間でしたが、全国で無煙化が進む中で余剰となったC58が投入され、蒸気機関車時代の幕を引く事になりました。滝川駅からの長い道程を走った根室本線も途中区間の廃線により寸断されようとしています。 魚の街、根室から釧路に向かう普通旅客列車。座席車2両に荷物車2両と郵便荷物車1両という素晴らしい編成です。スケソウダラや毛ガニで栄えた根室の水産業も、温暖化により、サ…
宮城県県北部の東北本線の要衝小牛田から、山形県北部の奥羽本線の一大拠点新庄駅までをつなぐ陸羽東線は、太平洋の石巻港女川港と、日本海の酒田港を結ぶ、奥羽山脈を横断する重要路線でした。その開業は仙台と山形を直接結ぶ仙山線よりも20年も古く、明治後半から計画され、大正中期に完成という難工事でした。 中山平を重連で進むC58。C58型は軸重14トン以下の丙線用機関車の決定版となった、牽引力と速度のバランスの取れた傑作蒸気機関車でした。美しい山間を走り抜けていますが、奥羽山脈の分水嶺は、日本有数の温泉湧出地帯で、特にトンネル工事は、湯水の湧出に苦しめられた難工事の連続でした。 陸羽東線の蒸気機関車時代を…
過半数が南方の戦地に送られたC56ですが、もしも戦争が無く、全機が健在であれば、日本もスイスのような鉄道の充実した国になったのではと、夢想してしまいます。 小駅の側線に休むC56。美しく保たれた駅構内が、元気だった鉄道を伝えてくれます。軸重11トン以下で、C12よりも軽いC56を生かした路線を拡大したら、全国くまなく鉄道輸送のネットワークが作られ、鉄道が脱炭素時代の輸送に役立ったのではなかろうか? そんな想像をさせる楽しさが、この機関車にはあるようです。 単機回送で野を行くC56。 小型機でありながら、大煙管に過熱器を持った事で、小型機を超えた性能を実現したC56は、C56よりも重たい、明治の…
C56は日本のテンダー型制式蒸気機関車としては最軽量の機関車でした。軽量だから非力でしたが、そんなC56にも素晴らしい仕事がありました。 スノウプラウを装備した冬姿のC56。八ヶ岳連峰は雪化粧をして、冬に向うC56もピリッとした雰囲気です。 蒸気鉄道時代、地方には支線や簡易線、小私鉄が数々あり、乗客はもとより、地方の産品を集め、それらが幹線に集まる事で、全国の鉄道輸送の体制が完結していました。C56とC12は、鉄道輸送体制の末端を担うべく投入された機関車でした。 煙突の後ろから単式コンプレッサーの排気を拭き上げるC56。排気音が山の小駅を活気づけます。 C56とC12の登場前の支線は、8620…
大正時代の名機と呼ばれた8620には、たいへん優れた特徴がありました。 日本海に沿った鉄路を軽快に走る8620。傑作蒸気機関車だからこそ、五能線という長い路線で無煙化まで生き延びられました。 国産初の量産型過熱式蒸気機関車として9600と共に量産された8620。過熱式の採用により、明治時代に輸入された蒸気機関車とは一線を画す高性能で、C51が普及するまで全国の幹線から亜幹線まで、輸送力アップとスピードアップに貢献しました。 磨かれた汽笛と安全弁。8620の汽笛は遠くから聞こえればポーっと穏やかに、近くに聞けばピョーっと華やかに、いかにも汽車らしい音色でした。 安全な運行を計るため、大正生まれの…
日本鉄道史上、最大の生産数となった傑作蒸気機関車・D51。日本全国に物資を届けるべく、新鶴見操車場や高島貨物線で活躍しました。 重連で西に向うD51。先頭のD51はドーム後に重油タンクを装備しています。長野あたりから来た機関車かもしれません。 横から眺めるとシリンダーの前方がキュッと詰まった感じがしますが、D51の開発にあたって、長さの短縮は、それ以前の貨物用強力機・D50からの大きな改善のテーマでした。 蒸気機関車は目的地に到着すると、ターンテーブルで前後の方向転換をしますが、D51登場の頃、大幹線以外のターンテーブルは18メートルが標準でD50型クラスの機関車に対して短い設備だったのです。…
日本3大操車場と言われた新鶴見操車場では1970年までD51が使われました。大都会の片隅で貨物輸送に活躍したD51の姿を御覧ください。 横浜港方面からの貨物を受取り、新鶴見操車場へと向かうD51。 操車場とは、貨車1両を荷主が借り切った車扱いと呼ばれた貨車を、輸送の拠点で行先別に仕分けする広大な車両基地を意味します。 新鶴見操車場は関東最大の貨車の仕分け基地で、勤務する鉄道員の数は1000人を超え、新鶴見駅長の地位は、東京駅駅長と同格以上と言われる程の重要な施設でした。 東海道線の電車とすれ違うD51。東海道本線の貨物専用線の設置は早く、D51の通る線路は横浜港へのポートトレインが廃止されてか…
凍てつく鉄路を踏みしめて、道北の輸送を支えた蒸気鉄道の姿を御覧ください。 停車中のC55。駅がもはや雪原になっています。機関車のデフレクターの支柱の上にツララ切りが取付けられ、いかにも寒冷地仕様の出で立ち、テンダーが高い流線型改造なのが分かります。機関車の脇には機関車別の停止位置表示が、高い位置に建てられており、降雪に備えています。右の線路は貨物用の側線ですがキチンと除雪され、厳冬期にも貨物の積み下ろしが行われていました。 電柱の脇を歩く駅員は通票閉塞のタブレットを機関車まで届け、駅舎に戻るところです。 見事に停止位置表示に合わせて停車しています。乗客の乗り降りの便利さや、小荷物の積み下ろし場…
汽車仲間から画像データを借りたので、蒸気鉄道時代最終期の情景を御紹介いたします。 逆向き単機回送のD51。3トン重油タンクがリアビューの迫力を増しています。坂を下っていますが、上り勾配の補機仕業につくためドンドン石炭を焚べているのか、ブロワーが効いて黒煙も出ています。上り勾配で加減弁を開けていると、シリンダーからの排気でモリッモリッっと煙が立ち上がりますから区別できます。模型ではターンテーブルの設置が難題なので、逆向きに限らず単機回送は、模型でドンドン使うべき運用でしょう。 絶気運転で坂を下るC61。下り勾配6パーミルの表示が見えます。続く車両はマニ60でしょうか? トラック輸送が盛んになる前…