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初秋の東北温泉癒し旅…最上と新庄で雪国ならではの自然と歴史を感じる
二日目となりました。東北の太平洋側は今一つの天気ですが、日本海側はそこまで崩れない様子の一日。この日は東北の中央部を走る「奥羽山脈沿い」を北上しながら秋田県に入る行程。 前回の赤倉温泉、銀山温泉編はこちら↓ sugisi.hatenablog.jp 目次 赤倉温泉で朝の一時を満喫! 最上町堺田エリアは県境の小さなホットスポット! 旧有路家住宅は松尾芭蕉も泊ったと言われる旧家です 堺田分水嶺で笹船を浮かべて遊んでみたいなあ💛 最上町はその昔「小国」と呼ばれる名馬の産地だったそうです! 最上地方最大の都市「新庄市」 新庄市は大名戸澤家のおひざ元であった城下町 豪雪地帯「新庄」の雪国ならではの文化、…
8620型の支線向きの性能を発展継承したC58型でしたが、意外にもC58型だけの運用線区は少なく、多くの地域で9600型やD51型と混用されていました。山が多い日本で、勾配線区の重貨物ともなれば、支線向けの万能型と言えるC58型には荷が重い路線が多かった、逆に言えば、それだけ地域間の貨物輸送が盛んだったのが、蒸気機関車時代なのです。そんな中で、C58型だけで運用していた陸羽東線はC58型を語る時に欠かせない線区です。 駅構内で加速に入るC58重連。陸羽東線は重連運用で峠越えをしたことで、分水嶺の堺田駅に機関車駐泊所があり、機関車の運用が複雑になっていました。C58型の細いボイラーがよく分かるシ…
東北本線完全電化以降、国鉄の無煙化計画は亜幹線から支線へと及び、ほとんどの旅客列車がキハに置き換わっていた陸羽東線でも、貨物列車のディーゼル化は間近に迫っていました。 余命幾ばくもないC58型は、そんな状況の中でも峠に立ち向かい、力続く限りの活躍を見せたのでした。 峠の駅、堺田駅で解放された前補機のC58が、宮城県側の麓に帰るべく待機しています。 無煙化直前になっても、陸羽東線は地味なC58だけの運用でしたから、訪れるSLファンの姿も少なく、C58は淡々と仕業をこなしていました。のどかな田園地帯、壮大な奥羽山脈、更には渓谷沿いを通っていたのです。 夕暮れが迫ってもC58の活躍は続きました。 や…
冬には季節風が吹き荒れる山形県側と、分水嶺の堺田駅から中山平、温泉地鳴子まではスキー場が点在する豪雪地帯でした。C58型は、8620の後継機で万能型でしたが、勾配区間向きではありません。100キロ近い陸羽東線の長さと、勾配が20‰以下だという線区の特性から、陸羽東線はC58型だけで蒸気機関車時代の最後まで運用されたのでしょう。 本務機と前補機が力を合わせ、互いをいたわり合いながら峠を登ります。墨絵の風景となった山々が、C58の力闘を見守った陸羽東線。 昭和初期、亜幹線の主力は8620型でしたが、戦争へと急速に向かって行った大日本帝国の戦時輸送には非力と考えられ、8620の強化型として計画された…
宮城県県北部の東北本線の要衝小牛田から、山形県北部の奥羽本線の一大拠点新庄駅までをつなぐ陸羽東線は、太平洋の石巻港女川港と、日本海の酒田港を結ぶ、奥羽山脈を横断する重要路線でした。その開業は仙台と山形を直接結ぶ仙山線よりも20年も古く、明治後半から計画され、大正中期に完成という難工事でした。 中山平を重連で進むC58。C58型は軸重14トン以下の丙線用機関車の決定版となった、牽引力と速度のバランスの取れた傑作蒸気機関車でした。美しい山間を走り抜けていますが、奥羽山脈の分水嶺は、日本有数の温泉湧出地帯で、特にトンネル工事は、湯水の湧出に苦しめられた難工事の連続でした。 陸羽東線の蒸気機関車時代を…