メインカテゴリーを選択しなおす
夜間撮影するキッカケとなった雑誌から抜粋。たぶん、この雑誌を読んだ時にビビビッと来た!少年にとっては衝撃的だったのだろうね(笑)(無断転載はお詫び申し上げます)宗谷本線音威子府駅で撮った写真だそうです。どうやって撮るのだろうと考えましたが・・。この写真は急行利尻のC55でしょうか?真冬の夜は迫力がありますよね!記事にヒントが記載されてました。このデータを元に参考にしたのだろう。深夜の音威子府駅撮影な...
1992年 宗谷本線 急行利尻、稚内駅旧駅舎、C55形蒸気機関車
1992年の夏に初めて北海道を訪れ、札幌22時発の急行「利尻」に乗車しました。日本最北端の稚内駅と最北の都市の稚内には幼い頃から行ってみたいと思っていました。当時の宗谷本線では特急列車が運行されていませんでしたが、札幌~稚内間は昼行の急行「宗谷」「サロベツ」と夜行の急行「利尻」がキハ400系(キハ400形・キハ480形)と14系寝台客車により運行されていました。また、旭川~稚内間はキハ54形500番台により昼行の急行「...
エンドビームにステップなどを取付け、床下の縁にパイピング、後妻板には標識灯などを付けて完成となりました。 ステップにはあらかじめ暖房ホースと、真鍮線のステップを付けておき、裏側に突き出た真鍮線を取付の補強にしました。よく壊す箇所なので頑丈一点張りです。(^^ゞ。 標識灯は真鍮パイプと真鍮釘の組み合わせに03真鍮線のハンドルを追加し、妻板に真鍮釘を突き刺して位置出しをしました。 付けました。この後、側枠に穴を開け、両サイドに配管を吊りました。 機関士側にはATSの配管が2本走ります。これは前妻に立ち上がる配管に繋がるようですが、床板と炭庫の切り離しが出来なくなるので、接続していません。(^^ゞ。…
レイアウトを手直ししたりで、工作台に向う時間が取れず、さっぱり進みませんが、テンダー台車に端梁を取り付けました。これは、取付けは面倒ですが、テンダー後部の見栄えを劇的に改善するので、やらざるを得ない加工です。 端梁そのものは、どこぞのメーカーのプレス抜きパーツをヤクオフで落札したものです。キレイに揃った小孔を並べるのは難しいので、右の取付け腕だけを08から切りましたが、これは05を使うべきでした。真鍮板を仕入れなくてはいけませんね、(^^ゞ。 ハンダ付けは保持さえしっかりしていれば容易です、ベークライト板とアルミスペーサーを組み合わせ、何とか形にしました。 テンダー車体の後部には、解放テコを割…
床下のど真ん中に付いているブレーキ梃子とATS車上子を作りました。床下覗き趣味は無いので、ササッと簡略化しています。(^^ゞ。 左からATS車上子の櫓の取付板、櫓、手前が車上子。右はブレーキ梃子の支柱と梃子です。櫓は08から切り抜きましたが、適当なハシゴでも流用したいところです。車上子は05、梃子の支柱は03からの切出しです。ともにテンダー床板に1,4のネジを切り、ネジ止めとしました。 ハンダ付けで組み上げたところです。床板のネジ穴は、これから現物合せで位置決めします。 こんな具合で横から覗き、まぁ良かろ〜と。(^^ゞ。無いよりましのディテールですが、真鍮板の切れ端からチョコチョコ部品を作るの…
妙なタイトルですが、炭庫の底板?でしょうか?(^^ゞ。 とりあえず、後妻板に手を入れる前に蓋を作りました。 水槽上蓋と炭庫の後板、支えのリブ、給水口を切り出しました。 給水口は宮沢C58から外したエアータンクから加工しました。玩具のヤンキーバイスを重宝に使っています。(^^ゞ。中心に穴を開け、位置決めに使います。 定位置に直角に付けるために、ベークライトブロックをフルに活用しました。 リブは1ミリのハンダしろをクリップで押さえて付けましたが、クリップはこの場合、手前のように先端をわずかに内側に曲げ、一点に力が集中するように加工して使っています。 本体に嵌め込んで具合を見ています。ゆるっと合格!…
テンダー前面を覗いた時に何かある!程度に作り込みしました。ディテールのレベルとしては、シュパーブラインよりも少しは付いている程度です。真鍮板をゴシゴシ切り出す作業を続けた後からの真鍮コチャコチャは面倒くさいですが、運転本位の簡素な車両で、こんな事をしている輩もいると、御笑覧ください。(^^ゞ。 最初に、石炭の取り出しシャッター?、物入れのハッチなど、平たいパーツを取付け、配管は、中央から外に向かって取付けて行きました。順番を違えると、このレベルの配管でもハンダ鏝が入らなくなります。配管の支えは05幅、02厚の帯金で割ピンを作り、06穴に差し込んでハンダ付けしました。 ブレーキハンドルだけはエッ…
背が高く豪快な流改テンダーですが、フロントの前妻はシンプルです。しかし炭庫の前部分はボリュームたっぷり。 足回りが決まらないと、上下の組み合わせが分からないので、先ずはボルスターと縦梁を取付けました。縦梁はKDカプラーのポケット部分を糸鋸で欠き取りました。 エンドビームを取付けました。ベークライト板が汚れ過ぎですね、(^^ゞ。 側枠も同様にハンダ付けしました。 上回りと組んでみました。ボルスターの両端は曲げ、カプラー取付け穴にもネジを切りました。 炭庫の前部のパーツを切り出します。左から炭庫前部底板、炭庫の前板、炭庫の上部の石炭取り出し枠、枠に収まる石炭シャッター?、石炭取出し口、機関士側の物…
出来栄えの悪い自作キャブに合わせて、具合を見ています。自分の技術で出来る範囲で製作を続ける、高望みはしません。出来ないものは出来ない、ゆるっと楽しむ鉄道模型作りです。 先ずはボディ裏にスペーサーを取付けました。裾からは05上げて底板を嵌め込む構造です。 妻板を先に底板に取付け、妻板の外側に側板を付けます。 弁当箱になって来ました。リアエンドの手摺等の穴はハンダで塞がりますから、再度、ドリルを通しました。 底板は側板からはみ出す部分をアールに仕上げてから、ハンダ付けしました。底板の穴は、内側からのハンダ付けに備え、且つ、洗いやすくするためです。 足回りは縦梁に2ミリ角線を並べ、台車をネジ止めする…
画像は昨年製作のC60テンダーです。キャブ側が1段下がった、市販品には少ないタイプを製作し、カツミダイアモンドシリーズの本体を修復して組み合わせました。テンダーは、リベット無しのタイプなら弁当箱を作るようなもので、僕のような物凄い腕前の初心者でも作れます。(^^ゞ。 C55流改のテンダーの側板と妻板を切り出しました。近代機の側板から妻板を1枚で曲げ加工するタイプとは違う箱作りです。真ん中の底板は05だけ側板からズラして取付け、側板下部の段差を表現します。 続いて、側板と妻板の裏打ち板を05銅板から切り出しました。銅板は余っていたので在庫の消化です。裏打ちは側板下の段差を正確に出すためのガイドで…
おぼろげな記憶を辿ると、春先に加工したような流改。カツミのC57からの改造です。深い屋根のキャブは自作、独特のドームはカワイ製C59のドームを裾上げして、長さを詰めました。 煙室は帯金を巻いて延長、煙室扉は自作です。当時はC57標準のテンダーを使うつもりでしたが、やはり流改には背の高い、改造テンダーだと考えました。 ここで図面があれば良いのですが、我が家の書籍には見当たらず、スマホ検索であちこちから画像を集め、端面のイラスト?を書き、さぁ作るぞ~と。(^^ゞ。 とりあえず、左から台車の取付板、前後のエンドビーム、床板、テンダー車体の底板を切り出しました。底板は1ミリ厚、その他は全て08厚です。…
汽車の駅には蒸気機関車のための設備の他にも、様々な特徴がありました。 駅に進入するC55。デフレクターの右に見えるのは、小荷物を載せた台車を収納する小屋です。つまり、この列車の後部にはマニかスハニあたりが連結されているのでしょう。汽車の駅は規模が大きく、用途別の建築があちこちに建っていたのでした。 9600の引く貨物列車の先頭は石炭専用のセラです。九州の石炭専用貨車はレールの間に石炭を落します。北海道はレールの両側でした。 9600の背景にはテルハクレーンが線路を跨いでおり、小荷物の多いことが伝わります。側線も多く、左の建物の奥にも石炭専用貨車が留置されています。これらの貨車を入換する為には、…
パシフィックのC55、C57。ハドソンのC60、C61。それぞれの機関車の製造から運用までの流れを考えると、鉄道輸送に対する、戦争の影を色濃く感じざるを得ません、人間社会に何よりも大切なのは、平和です。 小荷物を乗せた台車を吊り下げて、線路を跨いでプラットフォームに送るテルハ・クレーン付近に停車中のC55。 右隣には、長距離輸送中に、車内で郵便物の分別をする郵便車が止まり、大幹線の風情が漂います。 C57に比較して、性能の劣るC55が、国鉄の無煙化が始まるまで、全機健在で残っていたのは、戦前の鉄道全盛期に製造された作りの良さがあったからです。C55以降の蒸気機関車は、戦争の影響に無縁ではいられ…
機関区は廃止され、駅も無人駅になった吉松。鹿児島本線と日豊本線が吉松経由であった頃、吉松駅と機関区の職員数は600人を超えていました。 吉松駅構内の入換と山野線で活躍したC56。キャブ屋根の延長やテンダーへの風除け板の追加など、運用に合わせた様々な改造がされています。山野線もループ線のある雄大な山岳路線でしたが、国鉄民営化後、廃線になりました。 敷き詰められた線路と奥には機関区が遠望され、山に囲まれた田園風景の中の広大な駅である事が分かります。高い照明塔も立ち、かつては不夜城の鉄道基地でした。長いプラットフォームの屋根に対して留置された2両の客車が、鹿児島本線から肥薩線へ、日豊本線から吉都線へ…
鉄道の歴史に翻弄された吉松。蒸気機関車時代の光景です。 入換作業中、ホームに停車したC55。吉都線は長くC55が活躍した路線でした。 C55に引かれる無火回送のD51。メインロッドが外されています。大型の敦賀式の集煙装置、砂撒管元栓を守るように取り付けられたサンドボックスの庇、汽笛の後ろに重油タンクが乗せられ、更にランボード上の補助重油タンクが取付けられ、矢岳越えの重装備D51と呼ばれていました。 ループ線で高度を稼ぐD51。肥薩線は海沿いを走る現在の鹿児島本線が昭和2年に開通する前は、熊本と鹿児島を結ぶ唯一の路線でした。重要路線であったので、スイッチバックや、日本初のループ線など、峠越えの鉄…
宗谷本線の撮影記録から蒸気鉄道の雰囲気をお楽しみ下さい。 汽車はまだかなぁ~?。構内員も待機していますがプラットフォーム先の単機の9600がいるうちは列車は入りません。旭川から稚内までをほぼ一日がかりで走破する長距離鈍行では、途中の駅で客車の給水や点検も行いました。 到着を待つ最前列の御婦人は待ちくたびれてしまったようです。プラットフォームの向うには有蓋車の列が見えますが、左端のワムは太平洋戦争中に量産された木製有蓋車です。このように新旧入り乱れた貨車によって貨物列車は組成されていました。 乗客を乗せてひた走るC55牽引の旅客列車、広い原野を突き進みます。 駅名看板の前に置かれた小荷物です。こ…
利尻富士を臨む海岸の丘陵を、寒風の中、ひたすら走った蒸気機関車の記録です。 利尻富士を左に見ながら稚内に向かう9600型蒸気機関車。距離の長い宗谷本線に動輪が小さく速度の遅い9600が使われていたのは不思議です。D51を使わなかったのは、稚内という北の果てに向かう、つまりは稚内に向かって、運ぶ貨物も次第に減っていくからなのかもしれません。確かに道北には9600型の活躍する路線が多かったのも事実です。9600型は8620型と並んで大正時代の名機と呼ばれた機関車でした。太いボイラーと動輪の上に乗せた広い火室を持ち、中型ながら強力な機関車です。D51には牽引力も速度も及びませんが、従台車が無い為、機…
寒風をついて北へ北へとひた走るC55の中には流線型改造機も居たのでした。 屋根が深く、前妻板がフラット、出入り口ドア周りの斜めのラインなどが流線型改造機の特徴のひとつでした。昭和10年代の流行に合わせて登場した流線型C55は、通常の機関車にカバーを被せたような異様な姿でしたが、太平洋戦争に突入すると、整備に不便なカバーは次々に取り外され、終戦後、ご覧いただく姿に改装されました。流行を追った流線型という発想に、蒸気鉄道が時代の最先端輸送手段であった事が偲ばれます。 C55の特徴のひとつ、直径1750ミリのスポーク動輪です。大正時代の傑作機・C51の発展型として開発されたC55では、C51型で発生…
凍てつく鉄路を踏みしめて、道北の輸送を支えた蒸気鉄道の姿を御覧ください。 停車中のC55。駅がもはや雪原になっています。機関車のデフレクターの支柱の上にツララ切りが取付けられ、いかにも寒冷地仕様の出で立ち、テンダーが高い流線型改造なのが分かります。機関車の脇には機関車別の停止位置表示が、高い位置に建てられており、降雪に備えています。右の線路は貨物用の側線ですがキチンと除雪され、厳冬期にも貨物の積み下ろしが行われていました。 電柱の脇を歩く駅員は通票閉塞のタブレットを機関車まで届け、駅舎に戻るところです。 見事に停止位置表示に合わせて停車しています。乗客の乗り降りの便利さや、小荷物の積み下ろし場…
やはり中型と言えばC55、C57だろう。↑見解には個人差がありますね(笑)C51やC54なんて見た事無いし分らんわ。オホーツクSLの詩は興味深い記事で読み込んだ。今の本屋でもこんな雑誌があればと思った次第・・。 ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
初めての方は1日目から読んでください。2日目その1はこちら その2はこちら その3はこちらその4はこちら その5はこちら その6はこちらその7はこちら その8はこちら 3日目その1はこちらその2はこちら その3はこちら その4はこちら前回の記事はこちら 次は外へ出て屋外
【Nゲージ鉄道模型新製品情報】TOMIX公式サイト2022年9月〜2022年10月新製品情報更新E129系0/100番台製品化キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 【ポスター画像あり】
皆様こんばんは(^^)本日は久々に雨模様の@横浜です。さてさて・・・TOMIXさんより恒例の新製品製品化発表がありました。 国鉄 C55形蒸気機関車(3次形・北海道仕様) 国鉄 旧型客車(宗谷本線普通列車)セット 国鉄 北海道貨物