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前回に続き、九州は筑豊本線の直方機関区です巨大な扇形車庫に加え、巨大な給炭設備がありました給炭を終えたD51と比べると、その巨大さが目立ちます79668は行橋区の罐で、C50-58から引き継いだ「波に千鳥」の装飾が施された門デフを装備してました (画像では見辛いですがデフ上部後方に千鳥があります)直方駅は筑豊炭田の石炭輸送の拠点駅として発展した駅で、9600牽引の貨物列車がひっきりなしに行き来してました画像は貨物列...
1975年3月8日現在の直方機関区(福岡県)です(国土地理院の空中写真より)画像の中央やや下に巨大な扇形車庫と転車台が写っています、転車台は画面中央やや左にも確認できます筑豊本線無煙化から1年近くが経っており、巨大な給炭設備があったのですが見当たりません扇形車庫の一部です転車台のD60-22、門デフが多かった記憶があるのですが標準デフですね、化粧煙突がいいです離れた転車台のD51-542、若松機関区所属の罐です1972...
新飯塚 (JR九州) 福岡のベッドタウンのイメージが強くなってきた筑豊。 殖産興業を背景に財閥が進出し、一時期は国内産出量の半分以上を占めた巨大炭田でしたが、閉山が相次いだ1960年代から50年以上が過ぎ、街中から当時の面影を探すことは徐々に難しくなっています。 運炭のために網の目のように敷かれた鉄道も、平成筑豊鉄道の3路線と筑豊本線、日田彦山線、そして当駅から出る後藤寺線だけになってしまいました。 駅から歩いて10分ほどの麻生大浦荘はそんな石炭時代の名残のひとつ。 筑豊御三家といわれたこの地域で力を持った地方財閥のひとつ、麻生家の邸宅で、大正時代末期にたてられたものです。 現在は麻生家の迎賓…
今日はクモヤ443が筑豊本線~篠栗線を走るということなので、撮影してきました。今回の撮影地は、小竹駅周辺。例のジャンボタニシ卵もあります。実をいうと、クモヤがいつくるのか知らないまま、ここまで来てしまいました。もしかすると、すでに通過しているのかもしれない。もしかすると、通過までに2~3時間も待たないといけないかもしれない。そう思いながら撮影地を目指して歩いている時のこと。見慣れないパンタグラフが草む...
キハ52-134ラストラン「クリスマストレイン」運転【2000年12月】
2000年12月23日朝、 汽車倶楽部主催の「蒸気機関車59647号機静態保存記念列車の旅」に参加するため、直方駅のホームにいました。 当時、筑豊本線がまだ非電化ということもあり、キハ200系は身近な存在でした。現在は長崎で奮闘するキハ66・67系も筑豊を舞台に走っていました。そんな時代です。「カランカランカラン・・・」ホームで列車を待っていると、遠くから聴きなれないエンジン音とともに、いかにも古そうな単行のディーゼル...
旧直方気動車区に放置されるキハ52-134+キハ52-132【2003年】
JR筑豊本線が電化され2年がたった2003年。直方駅から新入駅の間にあった旧直方気動車区(直方運輸センター)跡地からは、電化後留置されていた50系・12系客車の姿がなくなり、雑草が生い茂っていました。 そんな中、懐かしい雰囲気の漂うディーゼルカー「キハ52形」2両が野ざらしで放置されていました。▲手前から、キハ52-134、キハ52-132晩年のキハ52はおもに後藤寺線で使用されていましたが、線路上に直接排泄物を落とす旧式のトイ...
汽車の駅には蒸気機関車のための設備の他にも、様々な特徴がありました。 駅に進入するC55。デフレクターの右に見えるのは、小荷物を載せた台車を収納する小屋です。つまり、この列車の後部にはマニかスハニあたりが連結されているのでしょう。汽車の駅は規模が大きく、用途別の建築があちこちに建っていたのでした。 9600の引く貨物列車の先頭は石炭専用のセラです。九州の石炭専用貨車はレールの間に石炭を落します。北海道はレールの両側でした。 9600の背景にはテルハクレーンが線路を跨いでおり、小荷物の多いことが伝わります。側線も多く、左の建物の奥にも石炭専用貨車が留置されています。これらの貨車を入換する為には、…
運転列車が往来した筑豊本線の周囲には、筑豊炭鉱にまつわる慟哭の歴史がありました。 冷水峠で奮闘するC55。 太平洋戦争時に、朝鮮で騙され、集められた朝鮮人労働者と戦争捕虜による強制労働が、全国の鉱山と同じように行われた筑豊炭鉱。筑豊炭鉱の産出する石炭は、大日本帝国の半分程度を占める重要なエネルギー源でした。 飯塚駅に停車中の貨物列車。対向する旅客列車はD60牽引の鈍行。高速を要求されない線区では、各駅停車の普通客車列車には、D50、D51、D60も重宝された機関車です。 飯塚市には、朝鮮人徴用工への過酷な扱いで今も問題視されている麻生炭鉱があり、近隣の田川市には、これも朝鮮人を酷使したと言われ…
筑豊本線は北九州の炭鉱地帯を走る大動脈でした。車齢50年近い大型貨物用蒸気機関車D50が活躍していました。 D50型は大正時代中期に、東海道本線、山陽本線や、主要幹線の勾配区間での輸送力向上を目標に計画され製造されました。 大正時代の大型蒸気機関車といえば、D50とコンビをなす、旅客用のC51型が思い起こされますが、C51型から数年後に生産されたD50は、8620と9600の流れを引き継いだC51に比較すると、構造的には、新世代の機関車でした。 先ず、後年、C59型のロングボイラーが登場するまでの標準となった大型ボイラーに広火室を採用。空気ブレーキを最初から採用したことで、エアーで開閉する動力…
筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センターで開催された「福北ゆたか線フェアin直方」に行ってきました。▲直方駅に停車中の813系(R017編成)と415系(Fm-507編成)JR東日本から譲渡されたFm-507編成の姿を見ることができました。▲813系(R228編成)直方駅からは歩いて、会場のある直方運輸センターへ。会場では485系国鉄色が展示されていました。本日直方入りしたのは、ドアレール由来の飾り帯が復元されているタイプでした。▲ホームライナー 出...
電化前のJR筑豊本線・飯塚駅(キハ200快速&キハ66系国鉄色)
時は2000年12月・・・9600形59647号機やD51 225号機、最近では芦屋町のD60 61号機の修復を手掛けた「汽車倶楽部」主催のとあるイベントに参加しました。新飯塚駅のホームでは、停車時間を利用してのミニ撮影会が行われただけでなく、駅弁売りを模したスタッフが窓越しから弁当を配るなど、江戸っ子ではありませんが・・・「粋」なイベントだった事を覚えています。50系客車の特別列車で鳥栖へ向かう途中、飯塚駅でキハ200系の快速博多...
【施設紹介】JR筑豊本線=福北ゆたか線 新入駅(福岡県直方市)
今回は福岡県北部、直方市にある新入駅をめぐります。駅番号はJC20。JR筑豊本線でもとくに本数の多い「福北ゆたか線」内にある同駅は、かつて直方気動車区の最寄りでした。駅からは車庫や広い構内が見え、50系客車「レッドトレイン」や後藤寺線のキハ52など、今では見られない車両がたむろしていたのを覚えています。電化後、気動車区跡地は区画整理で消え、そこには商業施設が建てられました。気動車区の痕跡は土地境界標など、ご...
【施設紹介】JR筑豊本線 筑前植木駅(福岡県直方市)―木造駅舎がじっと佇む
今回は福岡県直方市北部にある、筑前植木駅をめぐっていきます。所属路線はJR筑豊本線(福北ゆたか線)。同駅から中間までの区間はかつて、貨物輸送で重用されていたことから3線になっていました。今でも駅舎やホームの形状に、貨物輸送全盛期の名残をとどめています。筑前植木駅には木造駅舎が残っています。同路線でこれほどまでに古い駅舎残っているのは、もはやここだけでしょう。近年に合理化のため無人化され、窓口から人の気...
狂ったように雨が降り続ける中、一日だけ晴れの日がありました。梅雨の晴れ間です。この頃、メンタル面で不調を患っていますが、貴重な晴れの日を逃せないと、久々にクロスバイクで遠出しました。これからどこに行こうか・・・西なら志賀島、東なら芦屋か。岡垣町の三里松原にサイクリングロードがあるのを思い出した僕は、東を目指すことに決めました。なんだったら、芦屋から遠賀川を遡上して、直方・宮若経由で帰ってくればいいで...
2021年1月、JR折尾駅の新駅舎が供用開始されました。2012年秋から翌年にかけて旧駅舎が解体されて以来、大規模な工事が続けられてきました。新駅舎が開業を迎えたことで、工事はようやく終盤に突入した形です。新駅舎の供用開始から2週間後の1月16日、折尾駅がどのように変わったのか、さっそく現地に行ってみました。目次1 旧駅舎を彷彿とさせるレトロな新駅舎2 立体交差時代の面影残るコンコース3 真新しくて広々としたホーム...
2001年に入り、電化工事が行われていた筑豊本線・篠栗線では、至る所で改良工事が行われていました。桂川駅でも駅舎の改築が行われており、仮設駅舎で営業を行っていました。▲桂川駅に停車中のキハ66系普通列車博多行き▲桂川駅に停車中のキハ125形原田行き「冷水峠」を越える筑豊本線桂川~原田駅間では当時、キハ125形が使用されていましたが、現在ではキハ31形が使用されています。同区間は極めて運行本数が少なく、門鉄デフを装備...
平成筑豊鉄道 伊田線の終点駅(2018年12月・2020年1月)15時16分発、普通列車金田行は、開業時のカラーの400形412号車が使用されています。400系気動車は2007(平成19)年から製造が開始され、4年間で全12両が製造されています。この他、
18時、洞海湾を跨ぎ若松と戸畑を結ぶ赤い吊橋「若戸大橋」と「若松港石積護岸」に灯が点る。1940年代の若松港は日本一の石炭積出港、当然のことながら若松駅の貨物取扱量も日本一となるのだ。筑豊炭田で採掘される石炭を若松港まで輸送し、日本の近代化を支えた筑豊本線を今回呑み潰す。始発の6620Dは06:57発、内燃エンジンが吐き出す排煙で煤けたキハ40、東日本で見ることは無くなった。両端に運転台を持つ気動車がたった1両、かつての石炭の道を辿るこの旅のトップランナーになる。まだ明けやらぬ空の漆黒が少しづつパープルに変化していく。閑散とした原田(はるだ)駅には思い出したように小さな車が乗り付ける。親御さんが高校生を送ってくるのだ。筑豊本線はここ原田で鹿児島本線から分岐し、かつて炭鉱で栄えた町々を繋いで若松で玄界灘...若戸大橋と藁炙り刺とNewMoonと筑豊本線を完乗!
【2019/9/28】リバイバル急行「阿蘇号」運転!原型12系客車を激写
2019年9月28日。熊本デスティネーションキャンペーンの一環で、リバイバル急行「阿蘇号」が運転されました。JR西日本宮原区の12系客車が九州に入り、広島~熊本間を結ぶというもので、沿線には珍しい列車を見ようと、多くのレイルファンが集いしました。今回、私は筑豊本線の桂川駅で「阿蘇」発着シーンを動画に収めました。あいにく、発達した積乱雲のせいで雨が降り出し、濡れながらの収録になりましたが、20年前を思い出す懐か...
九州駅巡り21夏-筑豊編(28) 筑豊本線 若松駅 ~石炭の積み出しで賑わった港の駅~
折尾駅から若松行きのDENCHAに乗車しました。列車は新しく付け替えられた高架上の線路から元々からある地上の線路に降ります。若松線の区間は全線が複線非電化・・・DENCHAは蓄電池で走ります。しばらく走ると右手に海が見えてきました。洞海湾かなと思います。終点の若松駅には折尾から16分ほどで到着しました。2番線着。これにて筑豊本線の踏破完了です。 若松駅は福岡県北九州市若松区白山にある「終着駅」。正確にいうと筑豊本...
九州駅巡り21夏-筑豊編(27) 鹿児島本線 折尾駅 ~その2 新駅舎と消えゆく鷹見口~
筑豊本線を北上して折尾駅までやって来ました。構内観察を終えて改札口を出てみます。改札口の様子。広々としています。右奥に見える階段が鹿児島本線の3~5番のりば、筑豊本線の6,7番のりばは入って右側にあります。東筑軒さんのうどん屋が見えますね~。コンコースでは駅弁の立ち売りも行われていました。改札口は旧北口に一番近いこの1か所に集約されましたが、西口や東口を利用していた人にとってはかなり不便なのではと思いま...
九州駅巡り21夏-筑豊編(26) 鹿児島本線 折尾駅 ~その1 現在の駅構造は高架上のY字型+α。改造途上の駅~
中間駅から筑豊本線の若松行きに乗車しました。次は前々から記録しておきたかった折尾駅に下車しようと思います。列車は次の東水巻駅を越え、間もなく折尾駅かな~というところで、予想外のトンネルに入ります。トンネルから出たと思ったら高架に上がって折尾駅に到着です。6番線の到着。下車します。 折尾駅は福岡県北九州市八幡西区堀川町にあるJR九州の駅。古くからの立派な駅舎や興味深い駅構造など、前々から下車したか...
九州駅巡り21夏-筑豊編(24) 筑豊本線 中間駅 ~かつて国鉄香月線が分岐していた駅~
平成筑豊鉄道伊田線を往復の後、直方駅に戻って筑豊本線の北上を再開しました。列車は筑前植木駅の先で山陽新幹線をくぐります。新幹線はこの辺りではかなり内陸側を走ってるんですね。更に北上して、遠賀川を渡り東岸に出ると中間駅に到着です。3番線の到着。ここで下車しました。 中間駅は福岡県中間市の代表駅。「ちゅうかん」ではなく「なかま」と読みます。中間は筑豊炭田の衰退を経て、現在は北九州のベッドタウンとなって...
九州駅巡り21夏-筑豊編(23) 筑豊本線・平成筑豊鉄道伊田線 直方駅 ~かつては石炭の集積地だった駅~
小竹駅から福北ゆたか線快速の直方行きに乗車しました。列車は勝野駅を通過すると、右から複線線路が合流してきます。
九州駅巡り21夏-筑豊編(22) 筑豊本線 小竹駅 ~かつて国鉄幸袋線が分岐していた駅。だったとは・・・~
勝野駅で直方行きを待てずに博多行きで一旦南に向かいます。新飯塚駅まで戻ろうかとも思いましたが、結局ひと駅だけ戻って小竹駅で下車することにしました。1番線の到着です。列車はホーム端ギリギリに停車。 小竹駅は福岡県鞍手郡小竹町大字勝野にある筑豊本線の単独駅。快速が停車します。開業は1892(明治25)年10月という結構歴史のある駅で、かつては新多支線という貨物支線や、幸袋線というローカル線がここから分岐して...
九州駅巡り21夏-筑豊編(21) 筑豊本線 勝野駅 ~1984年夏 国鉄宮田線の分岐駅。当時の駅構造を予想すると・・・~
桂川駅から福北ゆたか線の直方行きに乗車しました。列車は筑豊本線を北上します。最近、下車駅を選定する際、むか~しの学生時代に下車したことのある駅の再訪を意識しています。このあたりだと、かつて上山田線が分岐していた飯塚駅、現在も後藤寺線が分岐する新飯塚駅、そして宮田線が分岐していた勝野駅が該当します。新飯塚や飯塚については後ほど下車できるチャンスがあったので、今回は勝野駅で下車することにしました。2番...
九州駅巡り21夏-筑豊編(19) 鹿児島本線 原田駅 ~「孤高の車両」・・・原田線のキハ40~
久留米駅から鹿児島本線上り列車に乗車しました。列車は駅を出るとまず筑後川を渡って鳥栖駅へ。久留米と鳥栖がこんなに近いとは思ってませんでした。鹿児島本線を更に北上して原田駅に到着です。3番線の到着。乗り換えのため下車します。 原田駅は福岡県筑紫野市原田にあるJR九州の駅。「はるだ」と読む、いわゆる
【施設紹介】JR筑豊本線 勝野駅(福岡県小竹町)―快速が通過する小駅
今回は福岡県北部、小竹町にある勝野駅をめぐります。駅番号はJC18。福北ゆたか線を構成する区間のうち、JR筑豊本線の中にある駅で、快速列車の数少ない通過駅に含まれています。1989年まではJR宮田線が分岐していました。直方市・宮若市との境界付近に立地しており、駅のすぐ裏手に宮若市との境界線があります。同市に最も近接している駅ですが、玄関口としての機能が与えられているとは言いがたい状況です。▲駅東口の公衆トイレ▲...
2022年3月のダイヤ改正にともない、JR折尾駅の筑豊本線(短絡線)が高架移設されました。最後まで残った地平ホーム「鷹見口」が廃止されたことで、折尾駅の高架化事業はひと段落ついた形です。今回はダイヤ改正から数日後の折尾駅をたずね、どう変化したのか調べてみました。▲今回の調査ルートYouTubeにあげても需要がないのは目に見えているので、いつも通り写真オンリーでお届けします。まず最初に、旧駅舎があった南口に向か...
まさに後悔先に立たず...。なぜここで2000形や8000形を撮らなかったのかと、ただ後悔するばかりでした。以前から気になっていた撮影地に向かうべく、筑紫野市内の西鉄沿線にやってきました。ちょうど天神大牟田線とJR筑豊本線(原田線)が交差する一帯です。現地に着いてつくづく実感しました。なぜこれまでの間、ここに来なかったのだろうかと。上下ともに撮影可能で、運が良ければ原田線のキハ40も撮影できます。いやいや万能じ...
【施設紹介】JR筑豊本線 小竹駅(福岡県小竹町)―電化で「別物」に変わった駅
今回は福岡県北部、小竹町にあるJR小竹駅をめぐります。駅番号はJC17。福北ゆたか線を構成する区間のうち、筑豊本線の複線区間上にある駅です。筑豊地方を縦断する一級河川・遠賀川の堤防沿いに小竹駅はあります。駅と川の間には筑豊のメインルート・国道200号線が通っていて、一帯は常に人や車で賑わっている印象を受けました。▲小竹駅西口・駅前ロータリー非電化時代は2面2線の相対式ホームを有する無人駅で、1969年まで幸袋線(...
九州駅巡り21夏-筑豊編(49) 筑豊本線 新飯塚駅 ~「福北ゆたか線」で博多へ直行~
下鴨生駅から後藤寺線を更に西進します。次の上三緒駅を車窓から。かつては貨物支線も出ていたらしいですが、現在は1面1線の無人駅。新飯塚方に簡易的な待合室が見られます。その次の駅、終点の新飯塚駅には17:38の到着です。3番線着。これにて後藤寺線の踏破完了~。JR九州としては、あとは鹿児島本線の久留米~熊本間を残すのみとなりました。(国鉄時代の記録は除きます) 新飯塚駅は福岡県飯塚市立岩にある駅。飯塚市の代表...