メインカテゴリーを選択しなおす
前回に続き、九州は筑豊本線の直方機関区です巨大な扇形車庫に加え、巨大な給炭設備がありました給炭を終えたD51と比べると、その巨大さが目立ちます79668は行橋区の罐で、C50-58から引き継いだ「波に千鳥」の装飾が施された門デフを装備してました (画像では見辛いですがデフ上部後方に千鳥があります)直方駅は筑豊炭田の石炭輸送の拠点駅として発展した駅で、9600牽引の貨物列車がひっきりなしに行き来してました画像は貨物列...
1969年4月28日現在の西唐津機関区(佐賀県)です(国土地理院の空中写真より)画像の中央付近が西唐津駅、画像中央やや左上が機関区になります画像の左端に写っているのが矩形車庫、扇形車庫はありませんでした。矩形車庫に近づいた画矩形車庫の中に入ってみました、門デフの9600です入換中の9600、形式入りのナンバープレートです1972年7月撮影にほんブログ村...
1976年8月27日現在の倶知安機関区です(国土地理院の空中写真より)転車台は残っていますが、後で出てくる給炭設備等は撤去されているようです。空中写真左下の大きい屋根の建物が矩形車庫(扇形車庫はなし)この機関区は、胆振線や岩内線で活躍した超重装備の二つ目9600が有名でした。この時、79615は矩形車庫内にあり、既に第一種休車でした給水塔と給炭設備で準備中のD51-148と7961879618の給炭の様子です1973年8月3日撮影にほ...
1975年9月28日現在の追分機関区です(国土地理院の空中写真より)画像の左上に扇形車庫と転車台、右下が追分駅(室蘭本線)です。駅の跨線橋から見た機関区(先頭のD51はナメクジです)、右奥が扇形車庫入換作業中の9600。画像右端の鉄塔が上の画像左端の鉄塔です跨線橋から到着する貨物列車を狙います(左上奥が扇形車庫)跨線橋の下から。上の画像の家並みや下の画像の建物は昭和の香りがプンプンしますね…モノクロ画像は1975年3...
1968年6月26日現在の名寄機関区です(国土地理院の空中写真より)この機関区には9600(名寄本線・深名線・宗谷本線用)及びD51(宗谷本線用)が配属されていました。現在は名寄本線及び深名線は廃線となっています。1973年8月に撮影した扇形車庫と転車台です出発準備中のD51-398号機現在、名寄駅南方にある北国博物館には「キマロキ編成」が保存されており、D51-398が含まれています。名寄本線のさよなら三重連を牽引した罐です。...
1974年8月11日当時の帯広運転区です(国土地理院の空中写真より)現在では高架となり、駅周辺も再開発され、当時の面影は全くありません。写真の中央が帯広駅、右下の部分が運転区です。ここには扇形車庫がなく矩形機関庫がありました。矩形機関庫の左側に写っている跨線橋が空中写真の右側に写っている道路です。給水塔、分かりにくいですが奥に転車台が写っています。写ってないですが画像の左奥が矩形機関庫。先ほどの跨線橋か...
大正の名機、9600型は明治の末期、日本全国の幹線を国有化し、機関車の規格も統一するという遠大な計画の下で、本格的な貨物用機関車を国内で生産する意欲的な発想で設計、生産がなされた、日本初の量産蒸気機関車のひとつでした。 米沢駅に到着した米坂線の9600。背後には長井線のC11も見えます。煙突には郡山工場式の集煙装置が取付けられ、いかめしい出で立ちです。 蒸気機関車が無煙化によって次々に廃止されていた頃、9600はもっぱら入換用や勾配のきつい支線などで使用されていましたが、4軸の動輪1軸の先輪のみという効率的な軸配置の9600型には、この機関車ならではの誕生物語がありました。 大正初期に9600…
奥羽本線の米沢駅から、羽越本線の坂町駅まで、100キロ弱の距離に25‰の勾配を持つ米坂線には、大正時代に8620型と共に量産された貨物用機関車、9600型が活躍していました。東北本線と共に東北地方を縦貫していた奥羽本線と、日本海沿いに北陸本線と連絡して、関西と山形県、秋田を結んでいた羽越本線は、東北地方の大動脈でしたから、米沢駅から坂町駅を結び、奥羽本線と羽越本線をショートカットする米坂線は、たいへん重要な路線だったのです。 積雪日本一という、鉄道運営上はあまりありがたくない看板が、この路線の厳しさを端的に表しています。事実、大雪による運休はもとより、雪崩被害による列車の転落事故など、鉄道にと…
汽車の駅には蒸気機関車のための設備の他にも、様々な特徴がありました。 駅に進入するC55。デフレクターの右に見えるのは、小荷物を載せた台車を収納する小屋です。つまり、この列車の後部にはマニかスハニあたりが連結されているのでしょう。汽車の駅は規模が大きく、用途別の建築があちこちに建っていたのでした。 9600の引く貨物列車の先頭は石炭専用のセラです。九州の石炭専用貨車はレールの間に石炭を落します。北海道はレールの両側でした。 9600の背景にはテルハクレーンが線路を跨いでおり、小荷物の多いことが伝わります。側線も多く、左の建物の奥にも石炭専用貨車が留置されています。これらの貨車を入換する為には、…
網走本線と石北本線の機関車が出入りする北見機関区、蒸気機関車の機関区は不夜城でした。 蒸気機関車は、ボイラーから発生するスチームを使って走りますから、常にボイラーを燃焼させていなくてはなりません。朝の1番列車を動かすにも、セルモーターを回してエンジンをかけるようにはいきませんから、夜通し石炭を燃やしていたのでした。 夜行列車が通ることも無い、静かな地方の機関区でも、朝を待つ蒸気機関車が穏やかに煙を上げていました。まさに蒸気機関車は、体温を持つ機械だったのです。 静かに煙を上げるC58の奥には、発電機からスチームを吐き出す9600が見えます。機関車の発電機は蒸気機関車自体の電装を賄うだけで、客車…
宗谷本線の撮影記録から蒸気鉄道の雰囲気をお楽しみ下さい。 汽車はまだかなぁ~?。構内員も待機していますがプラットフォーム先の単機の9600がいるうちは列車は入りません。旭川から稚内までをほぼ一日がかりで走破する長距離鈍行では、途中の駅で客車の給水や点検も行いました。 到着を待つ最前列の御婦人は待ちくたびれてしまったようです。プラットフォームの向うには有蓋車の列が見えますが、左端のワムは太平洋戦争中に量産された木製有蓋車です。このように新旧入り乱れた貨車によって貨物列車は組成されていました。 乗客を乗せてひた走るC55牽引の旅客列車、広い原野を突き進みます。 駅名看板の前に置かれた小荷物です。こ…
凍てつく鉄路を踏みしめて、道北の輸送を支えた蒸気鉄道の姿を御覧ください。 停車中のC55。駅がもはや雪原になっています。機関車のデフレクターの支柱の上にツララ切りが取付けられ、いかにも寒冷地仕様の出で立ち、テンダーが高い流線型改造なのが分かります。機関車の脇には機関車別の停止位置表示が、高い位置に建てられており、降雪に備えています。右の線路は貨物用の側線ですがキチンと除雪され、厳冬期にも貨物の積み下ろしが行われていました。 電柱の脇を歩く駅員は通票閉塞のタブレットを機関車まで届け、駅舎に戻るところです。 見事に停止位置表示に合わせて停車しています。乗客の乗り降りの便利さや、小荷物の積み下ろし場…