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C58型蒸気機関車の次位のワフは地域の荷物車代用でしょうか? 凍てつく大地を走る根室本線の貨物列車。 蒸気機関車が鉄道の主力だった時代。鉄道は全国を結ぶ最大の輸送機関でした。地域の産物や必需品はもとより、野菜や家畜、魚を始めとする水産物も列車で運ばれ、人は列車の乗客となって移動したのでした。 スチーム暖房を効かせた根室本線の旅客列車。荷物車には青函連絡船で内地と北海道を往復していた車両もありました。2両目のオハニ・荷物合造車は帯広↔根室間の小荷物輸送用と思われます。地域間の小荷物輸送にも鉄道は盛んに利用されていたのでした。 丸太を積んだ無蓋車、木材チップ貨車、家畜の飼料用ホッパー車が連なる室蘭…
3/8(土) 天塩川温泉で ひとっ風呂浴びた後は バス(無料)17:55発で 音威子府駅まで戻らず 約2分の 天塩川温泉駅へ 以前に画像など見て 一度ここに来たかったんです。 駅の目の前で降
3/8(土) サロベツ4号は 遅れてるはいますが 順調でした。 シカさんの群れ徐行は一度だけと ラッキーでした。 シカさん轢かなくて良かった。 音威子府駅15:02着予定が 15分遅れで着きました。
3/8(土) 3月14日をもって廃駅になる 雄信内駅(交換で5分停車で下車)・ 南幌延駅・抜海駅(停車のみ)が目的です。 後半(2)は雄信内から稚内です。 初めて見た糠南駅にビックリでしたが 次は3/14をも
2020年9月訪問 宗谷本線豊富駅の横で保存されていたオエ61 67です。残念ながら2024年に解体されてしまったようです。 簡単な車歴は… ナハ34631→ナハ22795→マニ60 21→マニ60 2021と改造されていったのち、1978年に旭川工場でオエ61 67へ改造、北見機関区へ救援車として配置されました。1986年には稚内客貨車区へ転属、JR北海道に継承されたのち1990年6月に廃車となりました。 廃車後は当地に移設され、ライダーハウスなどで使用されていたようですが、訪問時は既に荒廃していました。 2-4位側側面 オエ61は様々な形式の客車を種車としていますが、オエ61 67だと写真…
3/8(土) -17℃らしい 風ないから数分くらいなら 外にいても大丈夫でした。 音威子府駅 5:35発 始発で稚内まで行きますよ! 私たち以外に他2名(ヲ
北海道・雪山旅の途中で⑥宗谷本線「智恵文(ちえぶん)駅」移転新駅「名寄高校」
北海道「ローカルスキー場」を巡る旅・道北編 ウチは、その日のスキー場の、雪状況を予想し、 宗谷本線に沿って、クルマで行ったり来たりの 途中。 この日は、JR 北海道・智恵文駅に寄らせて頂きました。 こんな感じの元貨車や、プレハブの無人駅が多いのです。 こういった駅は、地元が管理を負担し、 地域の大切な場所だから「おじゃまします」という気持ち。 駅の待合室は、とてもきれいに清掃がされ、 トイレもあるようだけど、私は負担を掛けぬように。 もう旭川から、音威子府は土地勘バッチリだね。 歴史が古い宗谷本線に「名寄高校」って駅があるんだけど、 ちょっと疑問に思い、地元の人に話を聞いてきました。 数年前に…
舞い散る雪と立ち上るスチームの中を駅に滑り込む9600牽引の貨物列車。蒸気機関車時代の末期、宗谷本線と言えばC55が人気でしたが、北辺の貨物輸送は大正生まれの9600が担っていたのでした。 北海道の貨物輸送は函館に向かって量を集め、五稜郭に配置された日本最強の貨物機D52も活躍して内地へ内地へと向かっていました。逆に最北端へ向かうほど荷は減って、稚内への輸送は9600に委ねられていたのでした。機関車の次位にはワフが、続いて車掌車のヨが連結されていますが、ヨがこの貨物列車の正規の車掌車で貨物列車運行の事務方を務め、ワフは区間の荷物車代用ではないか?と思います。貨車を貸切る車扱い貨物の他に、小荷物…
今回は、写真なしの思い出話です。 令和7年3月、ダイヤ改正でとある無人駅が廃止となりました。 経営の厳しい北海道では、毎年いくつかの駅が廃止になっています。 1日の乗降人員が1ケタとか、場合によ
ありがとう雄信内駅の紹介です。つづきましては雄信内駅です。雄信内駅1番線の駅名標雄信内駅2番線の駅名標ホーム側駅舎にかかる縦型駅名標雄信内駅の駅舎味のある木造駅舎をもう味わう事が出来なくなった。雄信内駅の整理券駅は廃止されたが、信号場として生き続ける。あり
ありがとう南幌延駅の紹介です。つづきましては、宗谷本線南幌延駅です。南幌延駅の駅名標斜めになってる所が鉄心を擽られる。南幌延駅の待合室駅舎兼待合室南幌延駅の整理券駅周辺には民家はなく、数軒の牧場があるだけの秘境感たっぷりの駅だったが廃止された。ありがとう
ありがとう抜海駅の紹介です。今日、JRグループでダイヤ改正が実施された。JR北海道の5駅が廃止となった。先ずは、宗谷本線抜海駅です。抜海駅1番線の駅名標抜海駅2番線の駅名標廃止末期は2番線に行けなくなっていた。令和6年9月24日に2番線の使用が停止された。停止される前
遠く稚内を目指してひた走る宗谷本線。停車時間を利用しての給水は欠かせない。凍てつく寒さの中、重い給水スポートを操って給水し、更にはテンダーの石炭を前方に掻き寄せる作業が続きます。 石炭の掻き寄せには機関助士も加わってキツい作業を停車時間内に捗らせます。降雪の季節、降り積もる雪はそのまま列車の抵抗になり、酷寒の中を進む客車にスチーム暖房を提供する為にボイラーはフルに活用されました。いきおい石炭の消費も増えてテンダー前部に積まれた石炭は忽ち薄くなったのでした。列車を遅延させず、凍えて乗り込む乗客に暖かな車内を保つ為に、誰知らず、黙々と掻き寄せ作業は続きます。 雪掻きされた線路際に置かれた停止位置標…
ふと来春のダイヤ改正の記事を見返していてあることに半分気が付いていて半分忘れていたことに気づきました。それはダイヤ改正で廃止されてしまう駅のこと。北海道ではダイヤ改正のたびにいくつも駅が消えていくのがここ数年当たり前のように繰り返されてきました。
鉄道ファンでなくても「日本最○端」とか言われるとなんとなく気になってなんとなく行きたくなってくるのではないでしょうか?そう、私もそうなんですw。で、鉄道ファンであるなら日本最○端の駅と呼ばれるところにはぜひ一度は立ち寄ってみたいものですよね。
2024年10月10日から24日まで北海道旅行に行っていました。そのうち函館に上陸した10月12日から青森に帰ってきた10月22日まで、が本当の意味での北海道旅行と言えましょう。1つ前の記事ではその前半戦12日から16日を振り返りました。今回の後半戦は17日から22日を振り返ります。
JR北海道宗谷本線雄信内駅訪問Part3/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線雄信内駅訪問Part3の紹介です。⇧前記事のつづき雄信内駅のホームの撮影が終わったので、駅舎に入ります。それではお邪魔します。駅舎内奥の扉は駅外へ雄信内駅の運賃表雄信内駅の時刻表(紙)雄信内駅の時刻表駅舎内窓口跡とチッキ台駅ノート完備チッキ台
宗谷本線沿いを南下しています。小さな駅は気づかず通り過ぎてしまい、気づいたら美深まで来てしまっていました。かつて日本一の赤字線といわれた美幸線の起点だった駅。今は「日本一の赤字線」なんて言い回しがあちこちで使われているので最近美幸線の名前を耳にする機会がなくなったように感じます。
音威子府といったらあの黒い蕎麦。そんなイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。が、駅そばは2021年に閉店してしまったそうで・・・お店の跡が残っているだけに「閉店」の文字が痛々しくもあり・・・。もうなんでもいいから蕎麦を食おう!モードになっていました。
JR北海道宗谷本線雄信内駅訪問Part2/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線雄信内駅訪問Part2の紹介です。⇧前記事のつづき雄信内駅2番線の駅名標1番線の駅名標と比べると新ですね。両隣りはシール貼りではない。雄信内駅の2番線ホーム相対式2面2線の無人駅稚内方面を背に奥が名寄方面名寄方面乗車口雄信内駅の2番線ホーム名
音威子府駅の一角にこんな資料室がありました。天北線資料室。廃止されてしまった天北線&宗谷本線の資料がみっちり詰まっていました。音威子府村のHPを見たら開館は平日の09:30頃から16:00頃までとなっていたのですが日曜日(2024年10月20日)の10時台だったのですが入れました。
キハ261系の特急「宗谷」稚内行きを見送りました。が、もう1本、お出迎え&お見送りしたい列車がありました。それはこちら。キハ40の2連による団臨でした。宗谷本線秘境駅号、だったかな?たまたま同じ時期に渡道していたお知り合いからこの列車のことを教えてもらいました。
JR北海道宗谷本線雄信内駅訪問Part1/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線雄信内駅訪問Part1の紹介です。今日からは、宗谷本線雄信内駅を紹介します。写真の枚数が多いので、複数回に分けてお送りしますので宜しくお願いします。雄信内駅1番線の駅名標駅番号W68両隣りの駅名が新しくなってるが、元々は、ぬかなん→かみのっっぷない
30年前にもやってきたことがある音威子府。その頃の優等列車といえば急行だけでした。客車は座席も寝台も特急用でしたがディーゼルカーは改造車や中古のシートを使った物とか趣味的にはなかなか興味深い陣容でしたっけ。全部特急になったのはいつだったっけ?
音威子府駅訪問の時がやってきました。実はここ、ちょうど30年前にもお邪魔したことがあったのです。その時のメインの目的は翌年の廃止が決まった深名線訪問でしたが、夜行急行利尻で一旦音威子府まで行き、宗谷本線の1番列車で名寄に戻るというそんな行程をとっておりました。
JR北海道宗谷本線南幌延駅訪問Part2/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線南幌延駅訪問Part2の紹介です。⇧前記事のつづき南幌延駅の駅舎兼待合室駅を出て、道を渡った向かい側にある。以前は扉に表示がなく、これが何なのかわからない状態だった。表示がある事により、駅の待合室だとわかる。最初から表記しとけば後々何か言われ
北海道最北端をたどる旅。宗谷本線と国道40号と天塩川と幌延あたりから士別あたりまで付かず離れずくねくねとうねりながら寄り添っています。その途中で立派な駅に出会いました。天塩中川駅。これは相当気合の入った駅だな・・・そう思いお邪魔しました。
日本最北端の街・稚内を出発し国道40号を南下し始めました。最初にたどり着いたのは豊富駅。ようこそTOYOTOMI立派なゲートですねぇ。ちょっと昭和な匂いを感じたりして。特急停車駅なんですがJR化前にすでに無人化されていたんですね。
JR北海道宗谷本線南幌延駅訪問Part1/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線南幌延駅訪問Part1の紹介です。今日からは、宗谷本線南幌延駅を紹介します。写真の枚数が多いので、複数回に分けてお送りしますので宜しくお願いします。南幌延駅の駅名標駅番号W70駅名標は既に斜めになっている。両隣の駅が廃止になって、新しくシールが貼
10月19日に稚内に泊まりました。この日は朝は風雨が強く1日中太陽とは無縁な日でした。しかも、日が暮れる頃から雪が降ったという・・・。確かこの時点での日本最速の初雪だったのではなかったかと。翌日車を動かす前にワイパーを作動させるとその名残がかき集められました。
この日の宿は稚内。結構海に近い宿だったのでこんな景色が広がっていました。真ん中に見えるは稚内港北防波堤ドーム。かつてはここまで線路が敷かれていたとか。ちなみに明るいうちに近くで見ておりました。かつては渡航する人で溢れかえっていたんでしょうか。
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part6/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part6の紹介です。⇧前記事のつづき 佐久駅の駅舎・佐久ふるさと伝承館佐久駅の駅舎・佐久ふるさと伝承館にかかる駅名標駅便(駅の便所)はさわやかトイレの名称が付いている。駅舎を介さなくてもホームに入れる。左側から右側からも入れる。駅
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part5/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part5の紹介です。⇧前記事のつづき駅舎内・佐久ふるさと伝承館の2階に上がります。駅舎内・佐久ふるさと伝承館壁のイラストが真ん前に見える。1階から見ると見上げてたのが迫力ある絵です。駅舎内・佐久ふるさと伝承館研修室③駅舎内・佐久ふる
日本最北端の駅・稚内に到達しました。宿も稚内に取っていたのですがまだまだ午前中。というわけで少し近辺をロケハンしてみることにしました。まずは抜海駅へ。駅へと続く道の傍らにこんな碑がありました。100周年の記念碑でした。
オホーツク海沿いを南から北に向かって進んでいます。鉄道ファンにとってはなんとも寂しい地域です。地図を見れば一目瞭然ですが、網走から稚内まで、オホーツク海を眺めながら走るような線路は一切なくなってしまいました・・・。
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part4/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part4の紹介です。⇧前記事のつづき駅舎・佐久ふるさと伝承館内ハッカの蒸留装置駅舎・佐久ふるさと伝承館内至る所に農耕具等が展示されてる。見てもわからんけど。奥の扉は便所駅舎・佐久ふるさと伝承館内正面から見る。駅舎・佐久ふるさと伝承
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part3/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part3の紹介です。⇧前記事のつづき佐久駅のホーム側の撮影を終え、駅舎内を見ていきます。駅舎・佐久ふるさと伝承館内結構広々とした館内です。奥の扉は駅外へ。駅舎・佐久ふるさと伝承館内奥の扉はホームへ。佐久駅の運賃表・時刻表等掲示板駅
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part2/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part2の紹介です。⇧前記事のつづき佐久駅2番線ホームへのスロープ佐久駅2番線の駅名標佐久駅の2番線ホーム稚内方面を背に奥が名寄方面相対式2面2線ホームの無人駅令和6年9月23日で2番線ホームの使用を終了した。令和6年9月24日、名寄駅ー稚内駅
JR北海道宗谷本線抜海駅245㎞ポストの紹介です。抜海駅1番線ホームにある宗谷本線245㎞ポスト見難いので寄ってみます。構内踏切の所に245㎞ポストがある。旭川駅から245㎞と気の遠くなる距離です。ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると励みになります。
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part1/令和6年9月9日訪問
JR北海道宗谷本線佐久駅訪問Part1の紹介です。今日からは、宗谷本線佐久駅を紹介していきます。写真の枚数が多いので、複数回にわけてお送りしますので宜しくお願いします。佐久駅1番線の駅名標駅番号W63佐久駅の1番線ホーム稚内方面を背に奥が名寄方面1番線ホームは異様
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part4/令和6年9月8日訪問
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part4の紹介です。⇧前記事のつづき駅舎内奥の扉はホームへ駅舎内駅舎入り口も二重扉構造になってます。駅舎内反対側から見る。右の扉を開けると、駅便(駅の便所)だった。小用と大用(しかもボットン)手洗い場・紙なし。抜海駅の駅舎木造駅舎
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part3/令和6年9月8日訪問
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part3の紹介です。⇧前記事のつづき抜海駅ホーム側駅舎にかかる駅名標ホーム側にかかる縦型の駅名標は、貝殻で作られているが崩れ落ちている。それでは駅舎に入っています。お邪魔します。誰も居ないので独り占めです。正式に発表される前に来た
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part2/令和6年9月8日訪問
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part2の紹介です。⇧前記事のつづき抜海駅2番線の駅名標抜海駅の2番線ホーム稚内方面を背に奥が名寄方面抜海駅の2番線ホーム名寄方面を背に奥が稚内方面相対式2面2線ホームの無人駅(令和6年9月23日まで)令和6年9月24日からは、単式1面1線ホーム
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part1/令和6年9月8日訪問
JR北海道宗谷本線抜海駅訪問Part1の紹介です。今日からは、北海道旅で訪問した駅を紹介していきますので宜しくお願いします。写真の枚数が多いので、複数回に分けてお送りします。抜海駅1番線の駅名標駅番号W78名所案板抜海駅の1番線ホーム稚内方面を背に奥が名寄方面1番線ホ
JR北海道宗谷本線塩狩駅開駅100周年記念入場券永山駅デザイン/令和6年9月10日購入
JR北海道宗谷本線塩狩駅開駅100周年記念入場券永山駅デザインの紹介です。祝!塩狩駅開業100周年大正13年11月25日に開業した塩狩駅が100周年を迎えます。塩狩駅開駅100周年記念入場券5枚1セット+台紙付きが、士別駅デザインと永山駅デザインの2種類が発売される。発売期間は
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JR北海道宗谷本線士別駅整理券の紹介です。士別駅整理券24.9.10 JR北海道 10士別ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると励みになります。鉄道ランキングにほんブログ村にほんブログ村
2024夏の青春18きっぷの旅第3弾~北海道の旅~Part25/令和6年9月10日
2024夏の青春18きっぷの旅第3弾~北海道の旅~Part25の紹介です。⇧前記事のつづき次に乗る列車が来ました。入線。10:32 士別発 快速なよろ4号旭川行き キハ54形1両ワンマンこの踏切・・・東六線駅跡です。跡形もない。11:15 永山着永山駅で、塩狩駅開駅100周年記念入
2024夏の青春18きっぷの旅第3弾~北海道の旅~Part24/令和6年9月10日
2024夏の青春18きっぷの旅第3弾~北海道の旅~Part24の紹介です。⇧前記事のつづき士別駅待合室内に塩狩駅開駅100周年記念入場券発売中の幟がある。待合室外の壁に写真が展示されている。北海道の鉄道の四季が伺える写真でした。駅舎内にフォトアイテムがあった。それぞれ撮
2024夏の青春18きっぷの旅第3弾~北海道の旅~Part23/令和6年9月10日
2024夏の青春18きっぷの旅第3弾~北海道の旅~Part23の紹介です。⇧前記事のつづき間もなく通過するのは、この踏切は、今年のダイヤ改正で廃止になった旧初野駅跡です。駅舎と兼用してた待合室が残ってました。(この時点では)10月28日に公売処分物件として売却するそうで