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宗谷本線沿いを南下しています。小さな駅は気づかず通り過ぎてしまい、気づいたら美深まで来てしまっていました。かつて日本一の赤字線といわれた美幸線の起点だった駅。今は「日本一の赤字線」なんて言い回しがあちこちで使われているので最近美幸線の名前を耳にする機会がなくなったように感じます。
3日目の朝、西興部の朝も何とも気持ちの良い晴れ模様。弾丸3日間で強引に道北を巡ってきましたが、如何せん千歳空港まで戻らないといけないので、午前中で道北エリアを発たないといけません。とは言え、折角ここまで来たのですし、出来るだけ未踏の場所を楽しみながら千歳に戻っていきたいと思います。 前回の枝幸、雄武編はこちら↓ sugisi.hatenablog.jp 目次 森の村、西興部 森のホテルで静かに優雅に?朝を迎えました ホテルの周りを散歩してみよう もう一つの集落がある上興部へ 下川町でちょっと寄り道を。。。 三度目の名寄市へ! 森の村、西興部 森のホテルで静かに優雅に?朝を迎えました 今回泊った…
2024.06.29おはようございます、気持ちのいい朝です。結構涼しくて快適だったので、6時過ぎまで寝ちゃいました。山を下りたら、きっと暑くなっていると思うので、少しのんびりしてから、出発したいと思います。...
豪雪地帯での冬季の住民の足として、廃線をまぬがれて来た飯山線。道路の除雪体制が充実すれば、その存在価値は潰えるかもしれません。 軽快に里を走るC56。キャブ屋根が延長され、冬場の雪の巻込みに備える改造がされています。 昭和の時代、大都市を結ぶ急行列車がC53、C59の大型パシフィックや、C60、C61、C62のハドソン3兄弟だとすれば、地方の主要都市間を結んだのが、C51、C54、C55、そして乙線規格最強のパシフィックC57であり、小都市間をつないだのが8620、9600、そしてローカル線の決定板C11とC58でした。8620やC11よりも更に小型なC56とC12は、里を巡って旅客と貨物を輸…