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海岸沿いの斜面に沿い、切通しで丘を、谷を築堤で越え、岬に続く山はトンネルで抜け、川は鉄橋で渡る、次々に移り行く車窓の景色が、心に染みていく汽車の旅。 山あいの勾配区間のS字カーブで身をくねらせるD51牽引の旅客列車。切通しで窓に迫った緑から、展望の開ける築堤へと列車は進みます。景色の連続する変化が、見る者の胸に、移動する距離感を刻む汽車の旅です。 駅にモクモクと迫る山からの緑も、きれいに処理された汽車旅の駅。停車した車窓から眺める駅名標が、ここまで来たのか、と到達感を乗客に伝えます。レールのジョイントをタタンタタンと刻む音と共に、着実に旅程は進み、目的地は近づくのでした。 窓の景色の中で、乗客…
釧路から網走へ道東を縦走する釧網本線。今は観光路線化していますが、蒸気機関車時代には、地域の産品を集めていました。 オホーツク沿いにひた走るC58。冬の日没は早い。 釧網本線沿いには国鉄の支線や炭鉱の専用線、森林鉄道、町営軌道などの鉄道網があり、石炭、木材、農産物、海産物など、豊富な北海道の産物を鉄路が集めていました。そして蒸気機関車時代の最終ランナー、C58と9600が、輸送に活躍していたのです。 C58と9600による重連貨物列車。動輪直径が異なる機種での重連は、同形式の重連よりも運転は困難で、機関士は経験は勿論、僚機の状態を察知する気配りが特に必要とされました。信号確認など、運転業務が多…
本来ハドソンは2軸の先台車でシリンダーと煙室を支え、長いボイラーの下に3軸の動輪を持ち、ボイラーに見合った大きな火室とキャブを2軸の従台車が受け持つ、パシフィックよりもパワーアップした形式なのですが、C60はパシフィックC59の動輪の軸重を軽減するために生まれ、C61は、D51の大型ボイラー積み込んでもC57並の軸重に抑えるために2軸の従台車を与えられた機関車でした。 鹿児島本線を疾走するC60。従台車以外はC59のまま、軸重15トン未満の乙線区に配置されました。 仙台西公園に静態保存されたC60。東北本線での活躍から保存の機運が高まり、解体を免れ、現存する唯一のC60です。 C60の母体とな…
パシフィックのC55、C57。ハドソンのC60、C61。それぞれの機関車の製造から運用までの流れを考えると、鉄道輸送に対する、戦争の影を色濃く感じざるを得ません、人間社会に何よりも大切なのは、平和です。 小荷物を乗せた台車を吊り下げて、線路を跨いでプラットフォームに送るテルハ・クレーン付近に停車中のC55。 右隣には、長距離輸送中に、車内で郵便物の分別をする郵便車が止まり、大幹線の風情が漂います。 C57に比較して、性能の劣るC55が、国鉄の無煙化が始まるまで、全機健在で残っていたのは、戦前の鉄道全盛期に製造された作りの良さがあったからです。C55以降の蒸気機関車は、戦争の影響に無縁ではいられ…
過半数が南方の戦地に送られたC56ですが、もしも戦争が無く、全機が健在であれば、日本もスイスのような鉄道の充実した国になったのではと、夢想してしまいます。 小駅の側線に休むC56。美しく保たれた駅構内が、元気だった鉄道を伝えてくれます。軸重11トン以下で、C12よりも軽いC56を生かした路線を拡大したら、全国くまなく鉄道輸送のネットワークが作られ、鉄道が脱炭素時代の輸送に役立ったのではなかろうか? そんな想像をさせる楽しさが、この機関車にはあるようです。 単機回送で野を行くC56。 小型機でありながら、大煙管に過熱器を持った事で、小型機を超えた性能を実現したC56は、C56よりも重たい、明治の…
蒸気機関車の末期の写真ばかり見ていると、8620と言えばローカル線となりますが、もっと楽しい列車も引かせたいとおもいます。 潮風の中を能代方面に向う小編成。 オハ61系やスハ32系を引かせたら、乗換駅で待つのはC60、C61。 C51が待つならオハ31系。 C53時代ならナハ22000系や明治の雑型客車も8620には良いなぁと考えます。何と言っても8620は形が良いから何を引かせても絵になる機関車です。ナロワシを加えた木造ダブルルーフの6連なんか、走らせたらさぞ魅力的でしょう。 弘前へ向う旅客列車。 8620の引く列車を写真で見た中で最も豪華だったのは、横浜港から東京へのポートトレイン。 外国…
宗谷本線の撮影記録から蒸気鉄道の雰囲気をお楽しみ下さい。 汽車はまだかなぁ~?。構内員も待機していますがプラットフォーム先の単機の9600がいるうちは列車は入りません。旭川から稚内までをほぼ一日がかりで走破する長距離鈍行では、途中の駅で客車の給水や点検も行いました。 到着を待つ最前列の御婦人は待ちくたびれてしまったようです。プラットフォームの向うには有蓋車の列が見えますが、左端のワムは太平洋戦争中に量産された木製有蓋車です。このように新旧入り乱れた貨車によって貨物列車は組成されていました。 乗客を乗せてひた走るC55牽引の旅客列車、広い原野を突き進みます。 駅名看板の前に置かれた小荷物です。こ…
利尻富士を臨む海岸の丘陵を、寒風の中、ひたすら走った蒸気機関車の記録です。 利尻富士を左に見ながら稚内に向かう9600型蒸気機関車。距離の長い宗谷本線に動輪が小さく速度の遅い9600が使われていたのは不思議です。D51を使わなかったのは、稚内という北の果てに向かう、つまりは稚内に向かって、運ぶ貨物も次第に減っていくからなのかもしれません。確かに道北には9600型の活躍する路線が多かったのも事実です。9600型は8620型と並んで大正時代の名機と呼ばれた機関車でした。太いボイラーと動輪の上に乗せた広い火室を持ち、中型ながら強力な機関車です。D51には牽引力も速度も及びませんが、従台車が無い為、機…