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運転列車が往来した筑豊本線の周囲には、筑豊炭鉱にまつわる慟哭の歴史がありました。 冷水峠で奮闘するC55。 太平洋戦争時に、朝鮮で騙され、集められた朝鮮人労働者と戦争捕虜による強制労働が、全国の鉱山と同じように行われた筑豊炭鉱。筑豊炭鉱の産出する石炭は、大日本帝国の半分程度を占める重要なエネルギー源でした。 飯塚駅に停車中の貨物列車。対向する旅客列車はD60牽引の鈍行。高速を要求されない線区では、各駅停車の普通客車列車には、D50、D51、D60も重宝された機関車です。 飯塚市には、朝鮮人徴用工への過酷な扱いで今も問題視されている麻生炭鉱があり、近隣の田川市には、これも朝鮮人を酷使したと言われ…
筑豊本線は北九州の炭鉱地帯を走る大動脈でした。車齢50年近い大型貨物用蒸気機関車D50が活躍していました。 D50型は大正時代中期に、東海道本線、山陽本線や、主要幹線の勾配区間での輸送力向上を目標に計画され製造されました。 大正時代の大型蒸気機関車といえば、D50とコンビをなす、旅客用のC51型が思い起こされますが、C51型から数年後に生産されたD50は、8620と9600の流れを引き継いだC51に比較すると、構造的には、新世代の機関車でした。 先ず、後年、C59型のロングボイラーが登場するまでの標準となった大型ボイラーに広火室を採用。空気ブレーキを最初から採用したことで、エアーで開閉する動力…