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出発信号を確認し、駅長の出発合図を注視する機関助士。夏の陽射しにクッキリと8620のシルエットがプラットフォームに影を落とす、それはのどかな蒸気鉄道の乗換駅、五所川原駅のヒトコマです。 五能線は海岸段丘に沿って見事にウネウネと進む路線でした。川が流れ込めば小さな鉄橋で渡り、自然の地形になるべく逆らわずに敷かれた線路は、入江ごとの集落ごとに置かれた駅を丹念に辿り、地域の輸送を担っていたのでした。 海岸段丘以外の車窓の景色と言えば、日本海に出る前は津軽平野に広がる林檎畑と田圃でしたが、平地を走る蒸気列車の窓を青田を渡る風が吹き抜けるのは日本各地の当たり前の景色だったと思えます。 そんな風景の中にあ…
【松倉神社(2)】あの世(磐座)で絶景を眺め、この世(鳥居)に戻る
前回の続き。津軽 #松倉神社(松倉観音堂)#奥宮。#梵珠山 山頂近くの巨大な岩山は神霊が鎮座する #磐座。私たちのご先祖様と同じく東に #岩木山 #津軽平野 #日本海を一望する絶景に #あの世 を垣間見た気分になりました 目次 松倉神社 奥宮が鎮座する岩山 松倉神社 奥宮からの絶景 松倉神社 奥宮の三祠 松倉神社 参拝を終えて 本文 【前回記事:松倉神社(1)江戸期には松倉観音堂と呼ばれた】 www.zero-position.com 松倉神社 奥宮が鎮座する岩山 松倉神社 図絵(御朱印所にて。制作時期不祥) (前回の続き) 津軽・梵珠山(ぼんじゅやま)の松倉神社。 御本殿の(向かって右)横を…
大正時代の名機と呼ばれた8620には、たいへん優れた特徴がありました。 日本海に沿った鉄路を軽快に走る8620。傑作蒸気機関車だからこそ、五能線という長い路線で無煙化まで生き延びられました。 国産初の量産型過熱式蒸気機関車として9600と共に量産された8620。過熱式の採用により、明治時代に輸入された蒸気機関車とは一線を画す高性能で、C51が普及するまで全国の幹線から亜幹線まで、輸送力アップとスピードアップに貢献しました。 磨かれた汽笛と安全弁。8620の汽笛は遠くから聞こえればポーっと穏やかに、近くに聞けばピョーっと華やかに、いかにも汽車らしい音色でした。 安全な運行を計るため、大正生まれの…
津軽鉄道の車両は明るいオレンジとクリーム色に塗装されていました。津軽に咲いた南国の花のように 五所川原駅に到着し、津軽鉄道の列車から降りる乗客たち。コンクリート脚の跨線橋の下に五能線の8620が顔をのぞかせています。ストーブ列車に津軽三味線の観光列車はまだ走っておらず、もっぱら周辺住民の足として使われていました。 深い屋根、乗降ドア上の湾曲した水切り、お椀型のベンチレーターなど、昭和所期の川崎造船所製電車の特徴を色濃く残した津軽鉄道のナハフ1200型。17メートル級の西武鉄道のクハからの改造車でした。非常に個性的なこの車両が、キハに引かれて走っていました。プラットフォームは五能線のプラットフォ…