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小説『自由は死せず』門井慶喜著|板垣退助物語『自由』3つのエピソード
板垣退助の激動の半生を描き切った長編小説。「自由」はどのようにして始まったのか。政治家のセンセイには是非読んでほしい一冊。
吉田松陰誕生地 今回は、山口県萩市にある「吉田松陰誕生地」をお届けします。 萩城下が一望できる風光明媚な場所に、吉田松陰の実家、萩藩士杉家(家禄26石)の旧宅地がありました。 松陰は、天
70余の蝋人形が歴史を物語る「吉田松陰歴史館」 今回は、山口県萩市にある「吉田松陰歴史館」をお届けします。 松陰神社には、たまに行くのですが、ここに入るのは初めてでした。 館内撮影OKと
かつて、明治時代の日本は、脱亜入欧を目標として、国力の増加に勤めました。 アジアの一員であることを否定し、先進国クラブである、欧米の一員となることを、国を挙げて推進したのです。 ja.wikipedia.org その努力は、方向性を間違えたために、第2次世界大戦で暴発しましたが、欧米に追いつけ追い越せの精神は、戦後の高度成長期を越え、今にもずっと残っています。 欧米の白人社会しか見ておらず、ずっとその仲間に入りたいと願ってきたのが、明治維新以後の、日本の近代の歴史です。 なので、日本人の頭の中には、下のような序列がついています。 西洋人(白人)≧日本人>その他の人種(自分たちと同じ人種である東…
長州の若者に種を撒き、実を実らせた「吉田松陰」 今回は、山口県萩市にある「松陰神社」とその境内にある史跡をお届けします。 昨年も紹介したことがあるのですが、何度来ても新鮮な気持ちになれる場所なので
津田梅子はお札になったが留学生の友人の大山捨松は日本初の看護婦学校設立
ゆず子 5千円札の新デザインで話題となっている津田梅子。 この津田梅子の盟友と呼ばれた方が明治維新の時代に大山
目次 1 明治維新まで天皇がお住まいになった場所 2 京都御所の見学は予約不要・無料です 3 伝統ある檜皮葺の建物の数々 4 最も格式の高い儀式の空間『紫宸殿』 5 宮中生活を垣間見ることのできる建物群 1 明治維新まで天皇がお住まいになった場所 (写真
「諸君!狂いたまえ!」(自分の信じる道を突き進め) 吉田松陰
『至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり』(誠の心で接すれば、動かなかった人は今まで誰もいない) 今回のテーマは、吉田松陰。 山口県萩市。山口県では、吉田松陰に尊敬の意を表し、「松陰先生」
明治維新の人物にみずほ銀行創業者の安田善次郎 金融ビジネスの偉人
TOM 明治時代の偉人で「安田善次郎」とはどういう人物だったの? どういう功績を残したの? こういった疑問に答
「山口県護国神社」 明治維新以降の国難に殉じた戦没者を祀る神社
幕末に維新回転の業に殉じた幕末長州藩の志士達も祀られている「山口県護国神社」 今回は、山口県の国に殉じた戦没者や長州藩の志士、殉職自衛官が祀られている神社である「山口県護国神社」です。 当たり前で
「才劣り学幼きも、質直にして華なし、僕頗(すこぶ)るこれを愛す」 吉田松陰ー資質は他の塾生より劣り、学問も未熟だが、正直にて飾りなく、僕はこれを気に入っているー 今回は、日本の近代化には欠かせない、初代
薩長同盟・五か条の御誓文・版籍奉還・廃藩置県、木戸孝允の功績は新しい世の中を開きました 今回は「維新の三傑」と称された木戸孝允を祭った「木戸神社」をお届けします。 山口県山口市には、木戸孝允を祭った神社があり
十朋亭維新館本館企画展 長州藩躍進を支えた「そうせい候」長州藩主・毛利敬親公
多くの維新の人材を見出した、長州藩主・毛利敬親公 今回は、山口県山口市にある「十朋亭維新館」の本館企画展、「十朋亭維新館本館企画展 山口に生き続ける殿様 敬親公」をお届けします。 本来なら、「十朋
維新の志士が集った十朋亭維新館の「十朋亭」、吉田松陰の兄「杉私塾」、長州藩を支援した豪商「萬代家主屋」
明治維新への扉を開いた「十朋亭」 今回のテーマは、前回に引き続き、「十朋亭維新館」で、その中の「十朋亭・杉私塾・萬代家主屋」をお届けします。 前回は、本館企画展「山口に生き続ける殿様 敬親公」をご
JUGEMテーマ:神社仏閣「八幡大菩薩」の旗のもと活躍した「八幡隊」 今回は、山口県山口市にある由緒ある神社「今八幡宮」をお届けします。 実をいうと、木戸孝允を祭った「木戸神社」に参拝した際に、御朱印を頂く場
国指定史跡「木戸孝允旧宅」 今回は、山口県萩市にある、幕末維新三傑の一人、木戸孝允の誕生地である「木戸孝允旧宅」をお届けします。 この旧宅は、木戸孝允(桂小五郎)の実父、和田昌景の家です。&nbs
「雷親父」の異名を持つ井上馨、生誕地は市民の憩いの場「井上公園」として親しまれています
温泉街の中にある「井上公園」には足湯もあり、散策の疲れを癒してくれます 今回は、長州藩士であり「長州ファイブ」の一人、井上馨の生誕地があった「井上公園」をお届けします。 「井上公園」は、明治維新の大業推進に功
「利助亦進む、中々周旋家になりそうな」吉田松陰 今回は、日本の初代内閣総理大臣 伊藤博文。 地元なのですが、意外に知らないんですよね。総理大臣になってからは、有名ですし、昔の1000円札の人物なので、顔も分か
【はじめに】 みなさんはじめまして。個人的に幕末・明治維新を研究して約40年が経ちました。このブログでは、大まかな日本史の流れから入り、幕末・明治維新、そして現在の日本に至るまでを、時系列に沿いながら、一部創作も交え書いていこうと考えています。学校の授業ではさらりと流される...
初代内閣総理大臣 伊藤博文公生家ある「伊藤公記念公園」 今回は、山口県光市にある「伊藤公記念公園」敷地内にある「伊藤公資料館」、「旧伊藤博文邸」、「伊藤博文生家」をお届けします。 吉田松陰先生の門下生であり、
高杉晋作、山縣有朋、伊藤博文らが率いる諸隊の本陣となった「金麗社」は維新発祥の地
保守派と正義派の戦い「大田・絵堂の戦い」 今回は、山口県美祢市にある「金麗社」をお届けします。 金麗社は「大田・絵堂の戦い」で高杉晋作等奇兵隊諸隊が本陣を置いた場所です。 この「大田・絵堂の戦い」が
裏JV記事で「公開するな消せバカ」と言われてた記事を更新:さてようやく、自分の所属するヤクザがらみの派遣会社:旧グッドウィルグループ内のクリスタルグループに所属する現場監督派遣会社の日構CSSの横浜支店の営業マンからの連絡で「静岡県東部地方」の現場が発生し即座に就く事
【ペリー来航とその背景②】 引き続き、同じテーマで記事を書きますが、今回は幕府側の立場に立ってペリー来航を考えてみようと思います。 教科書での説明では、ペリーが黒船に乗って来航し、幕府に対し強引に開国を迫り、武力に屈して開国を許した的な印象を持ちませんでしたか?それに反抗し...
【将軍継承問題】前編 みなさんこんにちは。いよいよ、本格的に幕末について書いていこうと思います。まずは将軍後継問題から始めてみます。 1858年(安政6年)13歳の若さで家茂が14代将軍に就任。後の15代将軍一橋慶喜を将軍後見職に迎えます。将軍後見職とは、公家で言えば摂政で...
【将軍継承問題】後編 1866年(慶応2年)第二次長州征討の途上、謎の急死を遂げた家茂に代わり、15代将軍となった一橋家(水戸)出身の徳川慶喜。ご存知の通り、江戸幕府最後の将軍となります。正室である妻は、五摂家の公家、一条家から迎えています。在職期間は僅か1年間であり、江戸...
【横井小楠】 みなさんこんにちは。今回の記事から、幕末の人物について考証していこうと思います。 とにかく、幕末は人物の相関関係がとても複雑になっていきます。でも、ここが一番面白 いと筆者は考えていますので、できるだけ完結に説明してみようと思います。 <横井小楠> 肥後熊本藩...
津田左右吉「明治維新の研究」、討幕の密勅は”真偽是非を転倒したもの”
津田左右吉は、「明治維新の研究」において、1861年(文久元年)頃からの、薩長の策謀と討幕に至る経過をいろいろな角度から明らかにしていますが、それによると、薩長のかかげた「尊王」も、「攘夷」も、幕府を倒すための手段であり、口実であったことがよくわかります。またそれは、”彼らの幕府に対する憎悪の念から生れ出た”ものだとも指摘していますが、薩長が関が原の怨念を引きずっていたという話もあり、頷けます。だから、彼らが”幕府及びケイキ(徳川慶喜)を烈(ハゲ)しく非難し”、”そのいうところは甚だしく事実に背いたものであり、空漠たる方言に過ぎないものであったが、語調は極めて矯激であった。”ということなのだと思います。また、1862年(文久2年)の7月頃から、京都を中心に、尊王攘夷急進派による「テロの嵐」が吹き荒れたというこ...津田左右吉「明治維新の研究」、討幕の密勅は”真偽是非を転倒したもの”
薩長を中心とする尊王攘夷急進派は、会津藩が恭順の意志を示し、”…宸襟を悩まし奉ったことは申し上げる言葉もなく、この上、城中に安居仕っては恐れ入ることであり、城外へ屏居(ヘイキョ)致し、ご沙汰を待つことに致した。何卒寛大のご沙汰を下されたく、家臣あげて嘆願致し、幾重にも厚くおくみ取りくださるよう嘆願仕る”というような会津嘆願書を差し出したにもかかわらず、それを受けつけず攻撃を続け、戦争終結後も、徹底的に差別し、いじめ抜きました。本来、徳川慶喜が江戸城を新政府に明け渡し、寛永寺で閉居を開始した時点で、幕府と討幕派の戦いは終わっているのだと思います。でも、そういう流れにならなかったので、奥州や羽州の諸藩は、京都を守った会津藩と江戸を守った庄内藩に同情し、会津や庄内を助けるために奥羽越列藩同盟を結成したということです。...明治維新、徳川慶喜の回想と会津、+ウクライナの戦争
【西郷隆盛】 おはようございます。今日は幕末で最も有名な人物について書いてみようと思います。 <西郷隆盛> 薩摩藩の下級武士で、不遇な時期を乗り越え、幕末維新の大舞台に登場。数々の功績を挙げ、維新後は政府参議、陸軍創設、初の陸軍大将を努めたあと、征韓論に破れ鹿児島に帰郷。弟...
【中岡慎太郎】 引き続き、龍馬の盟友中岡慎太郎について書いていこうと思います。 <中岡慎太郎> 龍馬と同じ、土佐の下級郷士。土佐勤皇党に在籍していた時期もある。8月18日の政変後、板垣退助らと交流を持つ。尊皇攘夷の志を立て、陸援隊を組織。その後、公家の岩倉具視の 配下に入り...
明治維新発祥の戦い「大田・絵堂戦役」の展示品がある「長登銅山文化交流館」(大仏ミュージアム)
「大仏ミュージアム」の愛称で知られる「長登銅山文化交流館」 今回は、山口県美祢市美東町にある「長登銅山文化交流館」(大仏ミュージアム)内に展示してある「大田・絵堂戦役」の遺品をお届けします。 前回、「金麗社」
9代藩主・毛利元蕃は維新の大業に尽力し、初代藩主とともに祭神となっている「祐綏神社」 今回は、山口県周南市徳山にある「祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)」をお届けします。 祐綏神社は、文化8年(1811)に徳山藩家
【岩倉具視】 みなさんこんにちは。引き続き、幕末の人物について書いてみようと思います。 <岩倉具視> 公卿、堀河家に生まれるも言動が公家らしからぬことから岩倉家の養子となる。源氏ではあるが、公家ではかなりの下級であった。五摂家の一つ、鷹司家に歌道入門したことを機にその才能を...
【孝明天皇】 みなさんおはようございます。今日は幕末最後の帝である孝明天皇について書いてみます。 <孝明天皇> 121代の天皇。在位期間1846年(弘化3年)から1867年(慶応2年)の21年間。在位中に7度も元号が変わっています。それだけ混沌とした時代であったということで...
【維新の暗号】 みなさんこんにちは。今回はいよいよ明治維新最大の謎について書いてみようと思います。 知っている方もいると思いますが、筆者の見識も含めて書いていきます。 このブログは、基本的に源氏と平氏の争いをメインテーマとしていますよね。江戸時代は、徳川家(御三家含む)がず...
【明治天皇すり替え】 みなさんこんにちは。今日は昨日に引き続き、幕末最大の謎について書いていきますね。 <明治天皇すり替えとは> 突然こんな話をしても、信じられないか、びっくりしてしますよね。わかります(笑) でも、証拠は、たった一つだけど提示ができます(笑)これまじです ...
【八咫烏やたがらす】 みなさんおはようございます。今日は八咫烏について簡単に説明しようと思います。 <八咫烏> ヤタガラスとは、神話に登場する導きの神。道に迷った神武天皇を道案内したと伝えられています。三本の足は【天・地・人】を表すとされていて、人々を正しい道へ誘うとも言わ...
【大政奉還と王政復古】 みなさんおはようございます。今日は大政奉還と王政復古について簡単に書いてみます。 <大政奉還> 1867年(慶応3年)将軍徳川慶喜が、政権の返上を明治天皇に奏上し認められたこと。 <王政復古の大号令> 大政奉還を受け、明治天皇が宣言 ①江戸幕府の廃止...
【維新十傑】 みなさんおはようございます。今日は維新十傑について簡単に紹介をします。 <維新十傑> 明治新政府発足時の中心人物であり、維新の大業を成した功績を立てられ十傑と呼ばれています。しかし、なんとも不可思議な部分があるのです。では簡単に説明しますね。 ①西郷隆盛(薩摩...
【明治新政府の政策】 みなさんおはようございます。今日は明治政府が行った主な政策について触れてみます。 現代にまで影響を及ぼしている政策が多くある点にも、ご注目頂ければ幸いです^^ <新政府の主な政策> ①都を江戸に移し、東京と改称する(正式に東京へは遷都していません) ②...
【士族の反乱】 みなさんおはようございます。今日は士族反乱について説明をしていこうと思います。 <士族の反乱> 明治維新により、秩禄処分や廃刀令などが行われ、武士の特権や収入の道を絶たれた士族たちは不平士族と呼ばれ、政府に対し反乱を起こした一連の流れを士族反乱と言います。 ...
知れば知るほど魅力ある維新の先覚者、傑僧「月性」 今回は、山口県柳井市にある長州藩でいち早く、尊王論・倒幕論・海防論を唱えた月性の資料が展示してある「月性展示館」をお届けします。 前回、月性につい
【西南戦争について】 みなさんおはようございます。今回と次回の2回に分けて、国内最後の内戦について書いていこうと思います。 <西南戦争>①戦争が起きた背景について 1877年(明治10年)西郷隆盛を盟主として起きた士族反乱。国内で起こった最大・最後の内戦であり、この戦争を境...
【西南戦争】②西南戦争とは みなさんおはようございます。今日は西南戦争の内容について書いていこうと思います。 <西南戦争とは> 筆者の考える西南戦争とは、不平士族と政府の争いではなく、薩摩田布施と長州田布施の戦いであると捉えています。最大の激戦地は、熊本県植木町にある田原坂...
【大久保利通暗殺事件】 みなさんこんにちは。今日は明治維新編のラスト。大久保利通暗殺について書いてみます。 <紀尾井坂の変> 明治政府にあって、内務卿(実質上の総理大臣)を務めていた大久保利通が、東京都千代田区紀尾井町に於いて、1878(明治11年)石川県士族及び島根県士族...
【自由民権運動の高まり】 みなさんこんにちは。今日は西南戦争終結後の明治日本について簡単に書いていこうと思います。 <その後の明治日本> 自由民権運動とは、帝国議会(国会)を設立し、民主的に決まりごとを作り、国家運営を行っていく思想に基づいた活動のことを指します。明治13年...
【大東亜戦争】 みなさんこんにちは。いよいよ今日から数回に渡り、昭和の時代に起こった戦争について書いていこうと思います。非常に複雑ですので、できるだけ簡単に説明をしようと思っています。詳しく知りたい方は調べて頂けると幸いです(笑) 【日中戦争】 1937年(昭和12年)中国...