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2022年7月4日 今朝はいつもより早めに目が覚めて7時少し前に散歩に出た。まだ誰も歩いていないいつもの散歩道をとっとっとと歩いていると、ふと空の景色に目を引かれた。羊雲を抱え込んだの朝の夏空だ。こんな空を遠い昔に見たことがあるな。中学生の頃だろか、と思いを巡らしながらカメラに収めて見た。何気なく後ろを振り向くと、旭日が放射線の光を放って私の背中を照らしていた。早起きは三文の徳というが、何だかいい...
2022年7月3日 コロナ禍に関してEUは入国条件をどんどん緩和しています。空港内また機内でもマスク着用義務は解除されているようです。ポルトガルでは7月1日付で、入国の際のワクチン接種証明書、PCR検査の陰性証明書も撤廃されました。これで海外からのツーリストたちも元のように入国が簡単になりました。果たしてこれでいい目がでるのか否かは夏が終わってみないと分かりませんが、ヨーロッパも日本もどんな状態になっ...
世界遺産と聞くと、つまらなそうなモノでも行ってみたいと思うのが悪いクセ。そんな私はどれくらいの世界遺産を観てきたのだろう?と、並べてみました。過去の写真は紙焼…
某月某日夕方7時、晩御飯のため台所に立って野菜を刻んでいました。ポルトガルはただ今夏時間で、空がまだ真昼間のように明るい時間です。かすかに猫の鳴き声を聞いたような気がして、慌てて我が家の猫の数を確認しました。全員います。なんだ、気のせいかと思い、再び台所であれこれしていると、やはり聞こえるのです、ねこの鳴き声が。いったいどこからだろうかと、まず、台所のベランダから顔を出し、上を見上げると、ぎょえ~...
2022年6月30日 陽がすっかり上っていた今朝8時少し前、近頃習慣にしている30分くらいの朝の散歩に出ようとフラットのドアを開けたら、右がわの陽だまりの中にフジオ君が座っていた。「おや、フジオ君、ちょっとお待ち」と、朝ごはんを用意しに一旦家にもどった。フジオ君と言うのはこの辺りの野良猫ちゃんで、3年ほど前から夕方決まった時間に我がフラットの前に現れてはエサをねだる子だ。名前はわたしが勝手につけて...
2022年6月27日 「麦の秋」という言葉に出会いました。「麦の秋」は、「稲の秋」に対して、麦の収穫を迎える初夏のことで、俳句では夏の季語なのだそうです。麦は大昔、地中海地方で始まり、弥生時代には日本にも伝わっていたと言います。ところが、夏は乾燥する地中海気候からやってきた麦、湿気の多い日本の気候にはうまく適能できず、稲に主役の地位を譲ったまま、現在に至っています。おもしろいなぁと思ったのは、世界...
2022年6月22日 2年ぶりにリスボンのサント・アントニオ祭り(6月13日)、ポルトのサン・ジュアン祭りが復活だ。今日は、何度も拙ブログで取り上げているのだが、季節の行事として紹介したい。これなくして夏が始まらないと言われる6月23、24日の洗礼者ジュアン(ヨハネ)のサン・ジュアン祭。ポルトガル語でFesta de São Joãnと呼ぶ。 サン・ジュアンの祭日は24日だが、祭の見どころは23日の前夜祭だ。その数日前か...
2022年6月21日 夫が珍しくわたしが授業に使っているKanjiワークブックを手に取りながら「papagaio(パパガイウ=オウムのこと)さん、どうしてるんだ?」と聞く。パパガイウさんとは我が友だちであり生徒でもあるマリアさんのことだ。言語習得にはオウムの如くまず口真似の繰り返しからと言う意味で使っている。御年84歳のポルトガル女性で細身、性格がサバサバしていて批判精神も旺盛。物事への意見がわたしと合うのでる...
翌日は、ポルトガル北部のポルトから首都リスボンに戻ってきました。2週間超に渡ったポルトガル滞在もとうとう、大詰めです。列車の窓から見えたポルトの姿に「また来る日まで」と別れを告げたのでしたが、「また来る日」があるかなあと思って
2022年6月20日 先週は突然穴埋め原稿の依頼が入り、うひゃ~と思いながらも15年ものお付き合いゆえ断ることはできない。締め切りに数日しかなかったので久しぶりに夜更けまでパソコンに向かい、とにかく金曜日まで仕上げられたからよかったが、寝不足がたたって土日はそれを引きづりながらの日本語授業でした。ポルトガルの12年生は国家試験のため2週間ほど前に卒業、他の学年も先週末で終業したようで、今朝の散歩では...
その日の午後4時からは、ポルトガルのポルトの名所の一つであるボルサ宮殿を見学しました。ここは、ふらっと訪れて見られるスポットではなく、全て、ツアー形式で予約する必要があります。英語のツアーは限られ、空きがあったのは4時からのものだけでした。お値段は
アメリカの歴史No05「大航海時代、スペインとポルトガルによる世界分割」
「15世紀頃の北アメリカ先住民の文化と生活」(アメリカの歴史_No04) http://blogs.yahoo.co.jp/futoritaimon/folder/1518271.html 【スペイン・ポルトガルの発見・征服事業】 14世紀~15世紀、ヨーロッパでは天文学、地理学が発達し、羅針盤が実用化され、多くの船乗りがより遠くの海まで活動範囲を広げ、15世紀後半から大航海時代へとなって行った。 大航海時代の先駆けとしてトップ争いをしていたのがポルトガル王国(以下本文ではポルトガルと呼ぶ)とカスティーリャ王国とアラゴン王国の連合王国であった。 イスラム勢力からのイベリア半島奪還戦争(国土回復…
ポルトガルのポルト滞在を始めてすぐの頃、観光案内所の人が「これだけは外してはいけないスポット」に挙げたサン・フランシスコ教会を訪れました。旧市街の川沿いから少し入ったRua do Infante D. Henrique という通りにあります。入場料はパンフレット付きで、
ポルトガルのポルトには、「世界一美しいマクドナルド」なるものがあります。トゥクトゥク・ツアーの時に、そのことを知ったのですが、「ふうん」程度で、特に興味はありませんでした。けれど、この日、小腹が空いた時、なぜか甘いものを食べる気がせず、「じゃあ、いっそのこと、
2022年6月9日 明日の10日は「Dia do Portugal(ポルトガルの日)」と言って休日です。正式な名称は「o dia de Portugal, de Camões e das Comunidades Portuguesas. 」。「ポルトガルの建国と、カモインス、ポルトガルのコミュニティを記念する日」となります。呼称が長い・・・わたしがポルトガルに来た昔は一般的に「カモインスの日」と呼ばれていました。ご存知の方もいるでしょうが、カモインスとはポルトガルを代表す...
ポルトガルのポルトでの翌日は、どんより曇って寒い日でした。ポルトガル滞在中にお馴染みになったスーパーのPingo Doce に行く途中、道筋の近所に有名なマジェスティック・カフェがあるのが分かったので、寄ってみることにしました。うーん、確かにゴージャス。入口に門番(?)が立っていて
2022年6月8日 わたしの日本語教室は文法中心です。これまでは借り教室での授業だったので好きなように教室を変えることは無理。授業料も安く設定しているので、わたし個人の設備投資は厳しい。で、授業スタイルは言うなればアナクロ授業と言えます。わたしはホワイトボードの、あの書くときの滑る感じが嫌いで(下手な字が更に下手に見える、あは。) 実は未だに黒板を使用しています。わざわざ注文して作ってもらいまし...
2022年6月7日 朝8時、日はすっかり上っており、暑いかな?と思ったが半時間ほど歩くことにした。帽子を取りサングラスをかけ運動靴でフラットの階段を下りる。近くにリセウがあるのだが、ちょうどその登校時間だ。歩いて登校する生徒もいるが、親が車で送ってくるのもたくさんいる。すれ違う女学生の多くはオーデコロンの香りを振りまいて行く。ポルトガルでは私立学校は別だが、女の子は14、5歳にもなると、ほとんどの...
ポルトガル北部の町、ポルトに滞在中、何度も暗くなってから散歩に出かけました。たいていは、ドウロ川沿いの賑やかなところへ。有名なドン・ルイス1世橋が工事中で、ちょっと残念だったのですが、歩行者は通れました。といっても、工事の部分は、ビニールで覆われて外が見えない状態を
ポルトガルのポルトから郊外のマトジーニョスへ、シーフードを食べに行きました。マトジーニョスはポルトの北10キロぐらいのところの海辺にある港町です。最初は、ポルトのドウロ川河口の対岸辺りにあるというシーフード街に行くつもりだったのですが、前日に乗ったタクシーの運転手が
2022年6月2日 ポルトガルの6月はExames Nacionais(国家試験)で、子どもたちが神経をピリピリさせる時期です。特に12年生(日本の高3)は、自分が行きたい大学へ行けるかどうか、この試験結果と高校3年間の成績とで決まります。我が子たちは幼稚園から9年生までをBritish Scoolで英国式教育を受けましたが、10年生からはポルトの私立学校へ転入しました。ポルトガルの大学へ行く場合を考えてのことです。彼らにしてみた...
ポルトガルのポルト滞在、まだまだ続きます。翌日の午前中、まずは泊っていたエアビーアンドビーの近所にある大聖堂を見学することに。トゥクトゥク・ツアーでは待ち合わせ場所になっていた大聖堂ですが、まだ中には入っていなかったのです。入るのに一人€3かかりました。大聖堂はポルトで
2022年5月31日 在住44年目に:月日は流れわたしは残る(3)大阪でのビアハウス歌姫バイト時代から今に至るまで、わたしは色々なことに携わるチャンスに恵まれて来たと思います。息子が日本の就学年齢に達した1987年にポルトに進出してきた日本企業の児童たちを中心にポルト補習校が開設されました。当時ポルトに在住する日本人がほとんどいなかったため、運よく講師の仕事を依頼され22年間続けました(2009年退職...
2022年5月30日 某企業のT氏に「こんな食事処があるんですが、ご存知ですか」と紹介されてかれこれ1年くらいになる。氏は既に行っており、「イケますよ」というようなコメントだった。行きそびれていたのは、その食事処が、今回日本文化展示会をしたOvarにあるからだ。自動車道路を45分ほどだから、ほな、行きまひょか、と思い立ってすぐ行ける距離ではない。もうひとつの理由は、賄っているカップルがポルトガル人だと言...
週末は街道歩き用の靴を買いに神保町に。家の近所にもアウトドアショップはありますが、複数ブランドを比較してみたいというだんなちゃんの希望で専門店に。 足のサイズ…
ポルトガルのポルトで迎えた2022年。お正月当日はのんびりする予定で、唯一、決めていたのは、和食のランチです。お正月ですからね、なんとなく和食のムードです。ネットで検索して予約したのは、Wish Sushi という名前が怪しげなレストラン。ずいぶんと川を下って、
2022年5月27日 1週間のオヴァ―ルでの日本文化展示会も先週で終わり、夫と二人してこの間の日曜日に展示物を撤去してきました。体力を考えると恐らくこれが最後になるかな?いや、ポルト市内での依頼ならもうちょっとできるかも知れないと懲りずに思ったりしています。展示物を引っ張り出しどれを展示するかを決め、会場に搬入し展示、そして会場からそれらを撤去します。この撤去ですが、どのようにしまい込むかを知って...
ポルトガルのポルトから出発したツアー、午後にはギマランイスへ行きました。ガイドのクラウディアの発音だと、ギラマエシュと聞こえたのですが、日本語の表記はギマランイスというようです。ここは、ポルトガル発祥の地と言われる世界遺産。初代の国王
2022年5月25日 自分用の、また子供たち、孫への私の人生ノートメモとして数回に分けて書いておきたい。以下。1979年5月19日に、パリ経由でポルトのさびれた小さな空港に降り立ちました。今でこそサ・カルネイロ空港と名がつきすっかりきれいになりましたが、当時は昨今のようなにぎやかさがなくちょっと不安になるような田舎の空港でした。10年を4周りも遡る若かりし日のことです。大阪での一人暮らしでは給料か...
ポルトガルでは「ブラガは祈り、コインブラは学び、ポルトは働き、リスボンは遊ぶ」と言われているというのは、今回のツアーのガイドさん、クラウディアから習ったことの一つです。その祈りの町、ブラガにはたくさんの教会があるのですが、その中でも最も重要なのが、次に私達が訪れた
【旅の裏技】リスボンの大人気観光スポット「サンタ • ジュスタのエレベーター」の上階に並ばずに上がる方法
この記事では、ポルトガルの首都、リスボンの観光名所の一つで、観光客で混み合っている「サンタ • ジュスタのエレベーター 」の上階まで、行列に並ばないで上がる裏技について写真付きで解説しています。   […]
ポルトガル北部の町、ブラガへのツアー、次に行ったのはボン・ジェズス・ド・モンテ聖域という巡礼地です。エスピーニョ山の頂上にあり、割と最近の2019年にユネスコ世界遺産に登録されたのだそうです。巡礼者のために、この付近に4つのホテルもあるとのこと。教会は1811年に完成したもので、
2022年5月18日 この前に依頼されてした日本文化展はいつだったのかと探ってみたら2017年3月、市立図書館の一室ででした。5年も前になります。昨年、企業内で展示会をお願いできないかとの問い合わせがあり、コロナも少し落ち着きが見られようかと思ったもので、会場になる場所の下見をし、昨年、2021年9月にする予定でした。が、その後再びコロナ感染者が増え始め、高齢者に数えられるわたしは延期を申し出た...
ポルトガル、西の果てまで/福間 恵子2021年9月20日/245ページ目次 ポルトガルと出会う ポルトガル、西の果てまで 映画のポルトガル 旅の終わりは、次の旅のはじまり―あとがきにかえて ポルトガルの旅行記+ポルトガル映画の紹介です。こういう構図を見ていると、ポルトガル人の自国の食への根強さがうかがえる。リスボンやポルトのような都会でも、他の国に比べると外国料理店はとても少ない。...
この日はバスツアーに乗っかって、ポルトガルのポルトから北へ向かい、ブラガとギマランイスを訪れました。集合時間8時半と聞いていたので、その前に行ったら、本当は8時45分だとのこと。時間が空いたので、集合場所の近所にあるサン・ベント駅を見に行きました。前にも見たことのある
ポルトガルのポルトでのトゥクトゥク・ツアーが、ガイア側の丘の上で終わった後、ドン・ルイス1世橋を渡ってポルト側に戻りました。12年前に来た時にも何度か往復した橋ですが、今回は何しろ天気が良いので、見晴らしの良さもひとしお。写真がたくさん撮れました。ドン・ルイス1世橋の影が、
2022年5月12日 我が子たちが中学生のころまでは、British School、補習校、通信教育、ポルトガル語、数学やピアノレッスン代等の教育費で、お足が歩くどころか飛ぶようになくなり、日本への帰国は3年に一度ほどだった。帰国年の夏はわたしも子供たちも心が弾み、気の毒に、後に猫たちと残される夫の気持ちを大して考えもしなかったものだ。一度などは夫から「自分の国じゃないけど、僕だって日本に行きたいんだ」との言葉...
ポルトガル北部の町、ポルトで乗ったトゥクトゥク・ツアーの後半です。ドウロ川沿いの高台に出て記念写真。その時学んだことですが、川に並ぶ古い木造の船は、その昔、人や物品を運んだラベロ船で、今はもっぱら観光客用のお飾りですが、年に一回、
ポルトガル北部の町、ポルトでの二日目には、町を巡るトゥクトゥク・ツアーを予約しました。トゥクトゥクで観光するのは、数年前のリスボンに次いで、二度目です。ツアーは午後からなので、午前はスーパーに買い出しに行きました。真っ青な空がありがたい朝の散歩。スーパーでは夕食用の魚介類やワイン、
2022年5月4日 帰国準備?いえいえ、そうだと嬉しいんですが、我がモイケル娘と東京息子のベッドの上に乱雑に置かれてあるのは日本文化展示品の一部です。 某日系企業から依頼があったのをコロナ禍の状況を見ながらというので、引き受けてから伸ばし伸ばしに1年が経ってしまいました。日本への帰国もしばらくはないだろうというので、今月半ばから1週間、社内で展示会が催されることになりました。その準備です。ポルト市内...
ポルトガル北部の町、ポルトのエアビーアンドビーに荷物を置いて、さっそく町に繰り出しました。というのもお腹が空いていたからです。いつものように、夫がネットで見つけたドウロ川沿いにあるレストランを目指しました。私達のエアビーが面していた通り、