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人間は寿命が尽きた時に死ぬのが昔の医学の原則だった、今は寿命がつきても人工的に生かす医学に変わってきた、それでも死ぬときはどんな人も孤独である。そこは貧富の差もなければ社会的地位もない、ひとりで生まれてひとりで苦しみ、そしてひとりで死んでいく、みんな孤独である、高齢になると先は長くない、だからいつ死んでもいいという心境で私はいるけれど周囲を見渡すとそうでもない。私の父は病院に搬送された時「まだ死にたくない」悲痛な叫びだった、86歳だったが生きることに執着していた父、母も私も弟も父には生きていて欲しかった、延命治療を選択、気管切開して生きることに一縷の望みを託したが力尽きて半年後に息を引取った、老いるということは醜くく、つらく孤独で悲しい面も背負うものだと痛感したものだ。父の悲痛な叫び「まだ死にたくない」
今日は、気切孔閉鎖術の術後半年の診察に行ってきました。昨年8月の気切孔閉鎖術のときはこちらから ↓ ↓ ↓傷口もすっかり良くなって娘が大好きな小児外科の先生と雑談をして今日の診察は終了しました。 術後は、少し体調を
「人生の最後の最後に苦しい思いをさせられたけれど、それは私のことを思ってのことだね、ありがとう」などと言って、この世を去った人がいるでしょうか?これは医師であり小説家の久坂部羊氏が延命治療について語った言葉である。 私の父は亡くなってもうすぐ13年になる、亡くなる半年前に入院してた病院で医師から言われた言葉は今でも忘れない「何もしないと明日まで持ちません」延命治療の選択を迫られた、考える時間を与えてくれない、母と弟は賛成だった。 もし治療中止を希望すれば見殺しにしたと後悔に苛まれると思った、結局延命治療をお願いした、気管切開をして人口呼吸器につながれ、手にはミントがはめられた状態、それが父を苦しめることになった、チューブだらけで生かされてる状態、喀痰の吸引、床ずれ、あらゆる痛みとの闘いは半年間で終わったけ...楽な老い方、苦しむ老い方
その日はなんだか久しぶりにゆっくりと休めた気がします。 病院から電話がくる心配がなくなり、すぐそこに娘がいる。もちろん、良い結末ではありませんが。 そこから数…
一番可愛くて大切な娘を失った私たち。 全てが娘中心だった生活から、娘がいなくなりました。生活の仕方を忘れるとはこういうことを言うのでしょうか。 娘が産まれるま…
家族三人でゆっくり過ごした後、一旦待合室に通されました。 娘の体にはまだ点滴や気管カニューレ、鼻のチューブなどが残っています。それを取り除いたり、ベッド周囲を…
娘の状態が悪化してから亡くなるまで数時間は経過していました。 何も考えずにずっと娘につきっきりであったため、待合室で待機している時にふとあることに気が付きます…
看護師さんに呼ばれ個室に戻ると、医療機器が全てなくなり、娘が小さなベッドにポツンと横たわっていました。部屋の中の不要な物も全て片付けられています。 さっきまで…
当時、まだ元気だった私の祖母がいました。 私は祖母が大好きで、祖母も出産した私のことをとても気にかけてくれていました。私は毎日病院へ通っていたため、少し遠方に…
娘が個室に入ってから、家でも色々考えてぼーっとすることがありました。 娘が頑張っているのに、私には何も出来ません。 何か今できることはあるだろうか、と考えます…
その日、いつも通り私は娘の面会に向かいました。 ベッドの上でスヤスヤ眠っている娘。とても可愛らしい。 なんだかとても穏やかな様子でした。 しばらくすると主治医…
娘との穏やかな時間が流れていきます。 翌日から夫は有給を連続でとる予定でいました。「明日からは毎日パパも来るよ〜」と娘にも話しかけていました。 赤ちゃんなので…
先生が険しい顔をしながらしばらく処置にあたっていました。 しかし、ある時からさらに状態が悪くなるのを感じました。 どんなに処置をしても酸素濃度が上がって来ませ…
相変わらず、面会に通う日々。 娘は、少し状態が良くなったと思ったら、またすぐ悪くなって、と不安定な様子を繰り返します。 やはり泣くと呼吸が苦しくなり、そのまま…
娘のケアを練習していく中で、当然お風呂の入れ方も練習します。 これがまぁ大変でした。 気管切開部を濡らさないようにしないといけないし、人工呼吸器の管が引っ張ら…
娘が入院中、連休がありました。 去年までは2人でどこか旅行に行っていたと思います。 今年はそういう訳にはいきません。 娘が入院しているから旅行に行きたいのを我…
私は毎日病院へ通う日々が続きました。夫は休日は一緒に病院へ行き、平日は面会時間に間に合えば面会に来ます。 ある日、一緒に面会していると、娘が少しぐずり始めまし…
関係者に迷惑がかからないよう、フェイクを入れている部分がありますのでご了承ください。 ある日、娘の面会に向かう途中のエレベーターの中でのこと。ふと目の前の若い…
友人に病名を伝えた時のことが、今でも少し心に引っかかっています。 隠しておきたい訳でもありませんが、あえて言う必要はあったのかな、と。 友人の「知りたい」と言…
ある日、1人の友人に会った時、娘の病名を聞かれました。 それまで他の友人には聞かれたことがなく、聞かれるとも思っていなかったので、一瞬答えに困りました。 別に…
友人に会い、楽しい一時を過ごす私。 友人の可愛い赤ちゃんにもとても癒されました。 娘も元気だったらこんな感じなのか〜とか考えていました。 そこで話の流れで娘の…
義姉に会ったあの日、久しぶりに夫・両親・病院スタッフ以外の人と喋ってとても楽しい気持ちになれました。 それから頻繁ではないものの、少しずつ友人と会う機会を作り…
ある日いつものように面会に行くと、昨日までは無かったはずの複数の点滴や、鼻の管の先に機械が繋がれていることがありました。 穏やかな時間は長く続かないものです。…
娘は入院中、状態が悪化したり少し落ち着いたりを繰り返していました。 落ち着いている間は、私にとっても束の間の穏やかな時間。 娘の写真を撮ったり、手を握ったり、…
産後からしばらく経ったある日、ようやく義両親が面会にきてくれる日程が整いました。 病院の規則により大勢で一度に面会できないので、その時間に合わせて私は帰宅し、…
苦しい時に究極の選択⁉︎やっぱり人間は「もう一口」欲しい生き物らしい
80,90になって息が苦しいと訴えた時「苦しさを止めるのは気管切開しかない」と言われて断れるだろうか…老人医療の医師の話す「多くの人はお茶碗一杯(余命年単位)まではいらないけどもう一口(数日あわよくば数ヶ月の余命)は欲しいと思うようだ」という話…わ、わかる気がする
夫が義両親に重要な話をしていないと気づいても、私にはどうすることもできませんでした。 今では直接連絡して気軽に話したり出来ますが、この時はまだそこまでの関係…
義姉からの報告で、夫が家族に重要な話をしていないことに気づいた私。 そこである一つのことを思い出しました。 それは娘が産まれてから義両親が一度も面会に来ていな…
義姉から話を聞いた私は、なんとも悲しい気持ちになりました。 病気の娘、1年以内に亡くなってしまう娘、決して普通の子と同じようには生きられない娘、、、 ですが、…
母が面会に来た時、久しぶりに夫や病院関係者以外の人と直接話したことに気が付きました。 ここから少しずつ、本当に少しの人たちだけですが、面会時間以外の時間で軽く…
訪問介護でヘルパーさんが多く家に来すぎた為、だいぶ減らしてもらいました1日に4回とか多すぎでしょう・・・・・ 減らしてもらったら心穏やかに過ごせるようになっ…
「可愛い、可愛い」と、面会中ずっと言い続ける母。 とても嬉しい気持ちになりました。私の気持ちも少し晴れていくようでした。 そこで私はふと気づきます。 こんなふ…
娘の状態が少しだけ落ち着いたある日、初めて私の母が面会に来ました。 娘にとってはおばあちゃんです。 私は病院に着く前に予め今の娘の状態を説明しました。人工呼吸…
私は悩んだ挙句、気管切開をすることにしました。 どちらにしろ避けては通れない道。これを乗り越えれば、残された娘の時間が少しでも楽になるかもしれない。 当日は夫…
娘に気管切開をするかどうか、かなり悩みました。 今は口から気管に向かって長い管が入っていて、そこに人工呼吸器が繋がっています。娘にとっても苦しい処置ではありま…
出産後、初めての手術を終えた時からずっと装着している人工呼吸器。 ある日、主治医の先生から「少し呼吸が安定しているようなので明日の午前中に一度外して様子を見て…
在宅介護へ向けての準備を着々と進めました。 この頃、周りに相談できる人が誰もいなくてすごく不安でした・・・だって友達も介護の経験なんてないし、職場の子で1…
在宅介護に向けてのわたしの研修は週に2回くらいのペースで行いました そこまで難しい手技は今のところないかなぁという感想でしたが、やっぱり気管切開が面倒臭い…
気切孔閉鎖術、術後の小児外科の診察は先月行ってきましたが ↓ ↓ ↓今回は、術後の小児科外来へ行ってきました。小児科の先生は、娘が生後22日で気管切開したときから、ずっとずっと診ていただいてお世話になっている先生
すっかり涼しくなって秋ですねー。今日は、インフルエンザの予防接種のあとに気切孔閉鎖術の術後2ヶ月の診察に行ってきました。今日は大学病院がとても混んでいて1時間以上待ちました^^;2022年3月 気管支鏡検査で抜管トライの
頬粘膜癌 345日目。 血圧 131-93 mmHg 血糖 - mg/dL (朝食前) 酸素 99 % 脈拍 71 拍/分 体温 36.5 ℃ 体重 7…
先週木曜日、会社の食堂でお弁当を食べオフィスのデスクに戻ったとたんに会社の携帯に電話が。娘の学校からの電話で、給食を食べていたところ気持ちが悪くなり吐いてしまったそうで迎えに来てくださいとのことでした。上司に連
『奇跡の脳〜脳科学者の脳が壊れたとき〜』新潮文庫ジル・ボルト・テイラー竹内薫訳 母も夫も『くも膜下出血」が原因で亡くなったので脳卒中は他人事じゃない(遺…
ハギレのストックがたくさんあるので娘のミニハンカチはいつも手作りしています^^前回作ったとき ↓ ↓ ↓前回も書いてますが、もう手作りのハンカチは恥ずかしいよ〜と娘に言われるまでは作り続けます(笑)学校に持っていく新しいハンカチまた
夏休みもあっという間に過ぎ残りわずかとなりました。今年の夏は、気切孔閉鎖術の手術がありビニールプールに入れなかったので手術が終わって傷口もだいぶ落ち着いてきた昨日ベランダでビニールプール始めました^^
術後5日目の昨日、小児外科の外来診察に娘と夫で行ってきました。息子と私は、昨日、今日とオープンキャンパスでした。手術を担当してくださった小児外科の先生に娘がお礼のお手紙を渡しました。お手紙には、「手術室に入る前に手をつない
手術翌日が、退院です。退院の日は午前10時に病室へ迎えに来てくださいとのことだったので10時ちょっと前に病室へ向かいました。娘は、昨日たくさん泣いてしまったなとすぐ分かるくらい目が腫れていました。術後の痛みと気持ち悪さで
気切孔閉鎖術の入院、二日目。いよいよ手術の日です。娘の手術は、朝一番の手術で朝8時45分から。付き添いの私は30分前に病室へ来てくださいとのことだったので8時15分に病室へ行きました。私が病室に行くと、二人部屋の間のカーテンが
娘の気切孔閉鎖術のためいよいよ入院です。今回の気切孔閉鎖術は、昨年の夏休みに抜管トライした病院ではなくいつも定期検診で通っている自宅近くの大学病院で 手術をします。昨年夏の抜管トライ入院のとき ↓ ↓ ↓自
今日は、娘の気切孔閉鎖術の手術前PCR検査を受けてきました。今回は、付き添いする私はPCR検査は不用で娘だけPCR検査を受けました。名前を呼ばれて検査室に入ったらなんといつもの小児外科の先生が担当でした。娘は、優しい小児外科の先生が