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団塊シニアさんのプロフィール

住所
太白区
出身
盛岡市

趣味は音楽、読書です。老後の生き方、夫婦のあり方、年金、介護などについてブログを通して自分なりの視点で伝えたいと思っています。

ブログタイトル
団塊シニアのひとりごと
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/ta31875
ブログ紹介文
1948年生まれの団塊世代です、定年後の生き方について日々思うことを伝えたいと思っています。
ブログ村参加
2016/11/05
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団塊シニアさん
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団塊シニアさんの新着記事

1件〜30件

  • 老後のとらえ方は人それぞれ

    老後とはいったい、いつからだろうか?人によって捉え方が違う、60歳、65歳、70歳、いや仕事をリタイヤしたときと色んな意見がある、私自身は自分が定年退職した63歳からが老後だと思っている。 先日女性誌のアンケート調査で「老後はいつ訪れるものだと思いますか」という質問に次のような回答があったが、まさに人それぞれである。 ■夫の定年退職(67歳主婦)■夫を見送って(85歳死別)■子供夫婦との同居(60歳パート)■孫の誕生(52歳パート)■働かなくてもゆとりを持って生活できるのが老後(74歳・家庭教師)■思うように動けなくなり家事ができなくなったら(80歳主婦) 老後はある意味自由で気楽、やっと自分の価値観を優先できるとき、どちらかというと憂鬱感とたまにちょっとした幸福感が行ったり来たり、天気でいうと薄曇りという感じ...老後のとらえ方は人それぞれ

  • 作家という仕事そして本とブログの違いは?

    作家の収入は原稿料と印税、印税率は8%~14%、例えば1冊の本の価格が1000円、1万部売れたら印税率10%の場合100万円の収入になる、ただ作家は執筆時間が長くても短くても売れなければ収入にならない、だから作品のタイトルは吟味する、出版社の思惑もあり、読者受けするタイトルでアピールする、例えば一時多かった「○○の力」などはまさにそうだ、よく読者レビューのなかに「タイトルに惹かれ購入したのに中味のない内容で損した」等はよくあることだ。 一方ブログはほとんどが無償で動いてる、お金と時間にふりまわされないで自由に書けるのがブログの魅力である、たとえタイトルが読み手の受けを狙ったとしても本と違い無償だから読み手が損するわけでもない、そもそもブログはある人にとってはつまらなくても、ある人にとってはよかった、共感できると...作家という仕事そして本とブログの違いは?

  • 91歳女性窓越しの面会から聞こえる心の叫び

    先日NHK東北版の番組「高齢者施設、入居者と家族の周辺」の中で特養老人ホームに入居してる91歳の女性と60代の娘さんが紹介された、コロナ禍で面会制限が続くなかで、10分間だけ窓越しでの会話だけが許され、久しぶりの対面だった。 車椅子の母親が開口一番娘さんに言った言葉が「生きててごめんね、迷惑ばかりかけて」だった、「何を言ってるの、お母さん、今まで頑張ってきたのに、そんなこと言わないで」娘さんの悲しそうな表情が印象的だった。 長い期間家族と会わないため、入居者の不安、さらに認知症の心配など家族にとってもつらい日々かと思う、なぜか「生きててごめんね」という言葉が頭から離れない、昨年3月に亡くなった母が高齢者施設に入居してた頃を思い出した、月に2回の訪問、コロナ禍の少し前だったが私が帰る時にいつも涙ぐんでた認知症だっ...91歳女性窓越しの面会から聞こえる心の叫び

  • 老後の問題は自分が一番わかってる

    老後に関する本を読んでると不安材料がこれでもかというほど掲載されてる、趣味を持ちなさい、年金だけでは生活できないから仕事を続けなさい、友人を増やしなさい、老後資金は3000万以上用意しなさい、地域社会に溶け込みなさい等「~しなさい」の提唱が多い。 老後の問題はお金、健康、生きがい、孤独などだが基本的に時代を通して変わらない、老後に関する本が売れるのは老後の人生に不安を抱いてる人がいかに多いかということである。 老後の問題は人それぞれ違う、だから老後の問題を一番わかってるのは自分、そのうえで人生を楽しくするのもつまらなくするのも自分の責任、人生は考え方ひとつで大きく変わってくる、人生はなるようになると腹をすえて自分に与えらえた条件のなかで精一杯生きるしかないと思ってる。老後の問題は自分が一番わかってる

  • 忘れられない不愉快な嫌がらせ

    人間関係で不愉快な思いをしたことがない人など皆無だろう、学校、職場、友人関係、親子きょうだい、なんの波風もたたなく円満に過ごせたら問題ないけど、そうはいかないのが人間関係である。 今から40年前私が30代のころ転勤先での職場の同僚、といっても4歳上の先輩との不愉快な出来事を今でも思い出す、苦手意識はあったものの、同僚として特に問題もなく1年が経過したが人事考課で上司の評価が私より低かったことで、普段とは違う彼の裏の本性がでた、職場の飲み会で自分のほうが上だと上司がいる前で激高、あげくに翌日から私が挨拶しても完全無視、目も合わせない、約1ヵ月続いた。 全く低次元の幼稚な行動に憤りより情けなさを感じたものだ、本来は彼と同期にライバル意識を持つべきなのに、後輩に嫉妬、悔しさ、妬みの感情から嫌がらせに出たわけだ、それも...忘れられない不愉快な嫌がらせ

  • 66歳男性の苦悩「年金だけでは暮らせない」

    66歳男性、大手物流会社を8年前、58歳でリストラで退職、当時退職金含め貯金が2000万円ほどあった、しかし生活費や子供たちの学費、住宅ローン(月13万円)で残り300万円まで減った。 リストラされたことで正規の仕事が見つからずアルバイトを転々、66歳の現在、夫婦合わせて月18万円の年金を受給してるものの月13万円の住宅ローンが70歳まで4年残ってるので現在も働いてる、それでも月15万円ほどの収入しかならないので生活は苦しい。 やはりリストラされたことで年金も満額でない、さらに13万円の住宅ローンが重くのしかかってることは確かである、大手企業にいても安泰ということはないというのが現実でこのかたの苦悩はまだまだ続きそうである。66歳男性の苦悩「年金だけでは暮らせない」

  • 自分が必要とされないと思う時

    サラリーマンでいるときは会社を通じて世の中の役に立つ、会社のため、報酬を得て家族のため、上司、同僚、部下社員、取引先との交流、なぜか役に立ってるという実感があるものだ。 退職すると、今までの実績がすべて帳消しになり、喪失感を味わうのは、もしかしたら人生で初めての経験かもしれない、そんな時、自分は必要とされないのではと思う瞬間があるもので、それは誰の心にもおこる心理かもしれない。 そこには「役に立たなければ生きる価値がない」という考え方がからんでいる、実際にはどんなことが役立ってどんなことが役に立たないのか、人間の判断能力ではわからないことが多い、そう考えると人生の意味とか意義とか考えずともかく生きることを楽しむことが大切だと思っている。自分が必要とされないと思う時

  • 長生き時代を生きるには

    老化というのは刻々と変化する、日々変化してる、長く生きれば生きるほど病気も多くなっていく、老いてからの病気は完治しないケースが多いのも確かである、だいたい70年も使った体なんて至るところに故障があって当然かもしれない。 平均寿命も健康寿命もあくまでも平均、生きていくうえで参考にはなるけれど要は自分が元気なままでどこまでいけるかである、できたら延命治療はしてほしくない、苦痛は取ってほしいが、だめなら自然な最期を迎えたい。 ただ齢を重ねて悪くないことだってある、若い時にわからなかったことがわかってきたり、生きることの景色が見えてきたりするものである、だから病気であっても、そのことを受け入れそのなかで楽しむ、そんな思いで長生き時代を生きていきたい。長生き時代を生きるには

  • 高齢ドライバーの運転について

    車は便利である、普段の買い物、病院、ちょっとしたことで外出する機会は確実にふえる、運転免許を返してしまうと家にこもりがちになり活動レベルの低下、今まで機能していた運動能力や脳の働きもすたれるという。 実際常に車を運転していた高齢者が運転免許を返してしまうと、3年ぐらいで要介護状態になったり認知症のような状態になる可能性が高まる事例もある、さらに運転を辞めた人は辞めない人よりも要介護状態になる確率が8倍近く高いとうデータが報告されてる。 しかし世間では高齢者の運転が危険であるかのような風潮が広がっていることも確かである、「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」認知機能に原因と報道しがちだが、そもそも高齢者が事故を起こす確率はそれほど高くない、高齢者でもっとも事故を起こしているのは85才以上である。 私自身75歳時の免...高齢ドライバーの運転について

  • 老後の生き方は人それぞれ

    人生は考え方で大きく変わるもの、人生なるようにしかならないだから自分に与えられた条件のなかで最善を尽くす、人生を楽しくするのも、つまらなくするのも自分次第、人のせいにはしたくない。 人生はできるなら自由に生きたい、そのかわり他人の自由も同じように尊重したい、そして自分が言われて嫌なことは人にも言わない、自分がされて嫌なことは人にもしない。 だから老後は流されず自分のものさしで生きる、他人の価値観に振り回されず、人は人、自分は自分それでいい、そうやって生きていきたいと私は思っている。老後の生き方は人それぞれ

  • 幸せなんてささやかなもの

    人は不幸になって初めて何が幸せなのかを知る、つまり人は不幸にならないと何が幸せなのか、また幸せとはどういうものなのかわからないということになる。 病気になって健康のありがたさを実感する、コロナ禍によって当たり前だったことが本当は恵まれていたと実感した、しかしコロナ禍前がハッピーだと思って暮らしていただろうか?そんなことはない、当たり前の幸せを失って初めて気づいた人が多かったはずである。 幸せなんてささやかで一瞬のものかもしれない、私自身15年前大腸の病気で入院、1ヵ月絶食状態が続き、退院して食べたおかゆの味がいまだに忘れられない、梅干しが入ったおかゆ、普段であればなんでもない、おかゆが私にとっては最高の食事で思わず「幸せだ」とつぶやいたのを昨日のことのように覚えてる。幸せなんてささやかなもの

  • 人生の後半は多少の義理を欠いてもいい

    人生の前半は目標に向かって進むけど仕事をリタイヤした後半は自分で考えて進まなければならない、そのためにはやりたくないことはやらない、自分の気持ちに正直に生きることがいいと思っている、例えば会社のOB会、現役時代あまり親しくもなかった先輩たちに気を遣ってまで参加したくないという気持ちがあった。 現役時代であれば義理を欠くわけにはいかないと参加したくない会合でも出たものだが、定年後の後半の人生は少しでも迷いがあったら参加しないことにしてる、結局OB会には入らないで10年が経過した、多少義理を欠いたかもしれないが正解だったと思ってる。 人間関係は大切でプラスになるけれど煩わしい面もある、コロナ禍もあり人と会うことは激減したが色んなしがらみから解放されて自分のためになる時間を作ることができたことは間違いない。人生の後半は多少の義理を欠いてもいい

  • ある年金生活者の経済事情

    私と同年代72歳のAさん、一人暮らしで年金は月11万円、これでは生活できないと働いてる、介護のアルバイト、新聞配達、駅の駐車場管理、それぞれの仕事は2時間ほどで月3万~4万円ほど稼いで生計を立ててる。 現役時代は企業で健康診断をする臨床検査技師だった、定年後も継続雇用で4年働き65歳まで35年働いた、その割に受け取る年金が少ないのでは?とAさん同様、私も思った、ただAさん自身は「なるようにしかならない、年金暮らしはつらいけど笑って暮らしたい」という前向きさがAさんを支えてるような気がする。 実際、内閣府の高齢社会白書では家計にゆとりがなく多少心配、非常に心配と答えた人が34.8%、1ヵ月当たりの平均収入額が10万円~20万円未満が32.9%で最も多く、10万円未満という人も20.2%に上った。このようにシニアの...ある年金生活者の経済事情

  • 老後を機嫌よく暮らすには

    どんなふうに生きていけば、いつも楽しく心地よく過ごすことができるのだろうか?楽しかった、面白かった、嬉しかった、こんな思いで毎日過ごせたら、日々の幸福度はアップするだろう。 現在がつらくても過去の幸せな出来事を思い出す、一時的でもいい気分になることで脳内に変化が起き健康にいい影響を与えるような気がする。 不機嫌は気分だが、ご機嫌は意志だという先人の言葉がある、だから老後は老いていく自分受け入れ、少しでも楽しく生きられるよう手探りで探していくしかないと思っている。老後を機嫌よく暮らすには

  • 明日のことは誰にもわからない

    生き方が難しいのはいつの時代も同じ、人間はその中でどれだけ精神的な余裕を持てるかをいつも試されてるような気がする、又私達はいい条件がそろえば幸福になれるという錯覚がある。 ある面、一理あるのだが必ずしもそうではない、苦しみの質は人それぞれ違う、物質的には豊かで満たされていても幸せを感じられない多くの人がいることも確かである。 実際100%の幸せなどありえない、幸せは常に断片として現れるものだ、それこそ丸ごとの幸せ、なにからなにまで幸せといった状態は幻想かもしれない。 明日の保証を手にしている人など一人もいないし、今日は元気で安定していても明日のことは誰にもわからない、だから人の一生は最後までわからないと思って生きるしかない。明日のことは誰にもわからない

  • 定年後に思う会社のこと

    40年間勤めた会社を離れて来年の3月で11年、今思うと会社というところは人間を勉強する場所でもあった、十人十色の人間が集まる集団、たとえ人間的に通い合うものがない上司であっても生活の手段として従い行動を共にしなければならない。 会社の目標は営利の追求、儲けること、どんなに高いビジョンがあっても儲からなければならない、だからこそ予算達成という目標にむかって厳しさに耐え達成したときの喜びは格別のもがある。 それでも40年も勤めてれば悲哀や矛盾を感じることはいくどもあった、ただそれも今となっては断片的な記憶としてしか残ってない、時間がすべて解決してくれるものだ。 苦悩や矛盾を感じながらも勤めあげたのはひとつの目的を共通にする者同士の結束で、できあがった集団での連帯感と使命感そして経験から苦難を乗り切る処世術が身につい...定年後に思う会社のこと

  • 生きる意味を知りたくて

    新聞のコラムや雑誌の記事、そしてブログのなかの言葉に感銘をうけることがある、きっと自分の心の中でもやもやという感じがあって、言い当てられたような気分になるからだと思う。 自分は何のために生きているのか?自分が生きる意味は?この年になっても、いやこの年になったからこそ自分に問いかけてみる、自分は今、納得のいく生き方をしてるだろうか?心にいつも問いかけてみる。 人生に正解などない、それでも生きる意味を知りたくて言葉を探す、時々心を打つ言葉にめぐりあうと、それだけで生きる力をもらえるような気がする。生きる意味を知りたくて

  • 老後の「きょうだいリスク」親の介護問題は深刻

    同じ家に生まれたきょうだいでも進む道はそれぞれ、齢を重ねるにつれて生き方や価値観の違いが大きくなるなか親の老いとともに介護や相続という深刻な問題が生じてくる。 特にこじれやすい問題のひとつが介護にかかるお金だといわれてる、在宅介護であれば介護保険料、医療費、食費、光熱費、雑費などである、親の年金や預貯金で賄えない分をどうするか、もし在宅介護ができない状態で介護施設に入るとなると一気に苦しい状況になる。 当然話し合いで負担割合を解決するしかないが、それぞれの経済状態や結婚していれば配偶者の理解も必要だろう、いずれにしても深刻なトラブルに発展するケースがあるだけに日ごろからコミュニケーションをとることが大切だと思う。老後の「きょうだいリスク」親の介護問題は深刻

  • 居心地のいい場所悪い場所とは

    誰にとっても居心地のいい場所、悪い場所があるはずである、学校、職場、家庭、趣味のサークル、それらの居場所が居心地のいい場所か悪い場所かは人によって違う、ある人にとってはよくてもある人にとってはよくないということがあるものである。 それは当然人間関係が絡むことが多い、相性が悪いことだってある、人間なんて個人個人が違う、みんな同じタイプで気持ちが通じあって仲良くできると思ったら大まちがい。 例えば座が盛り上がってるのに、なぜか話題についていけない、いわゆる疎外感を感じた経験は誰にでもあるのではと思う、逆にその場にいると疲れない、しゃべらなくてもなぜか間がもてる、要は自分らしくいられる場所、それこそ居心地のいい場所だといえるし、そんな場所を大切にしたい。居心地のいい場所悪い場所とは

  • 安らかにあの世に行ける健康法があったなら

    人間誰でも老いていく、老いていくと同時に死ぬものだ、今は亡き作家の遠藤周作氏がエッセイのなかで「楽に死なせる研究」が行われないかと時々夢想するという。 医学では少なくとも現在本人が望む、望まないにかかわらず一日も長く生き伸ばすことを研究してる、認知症や寝たきりになりたくない、その前に死にたいといっても許されない、 だから「ご安心下さい、そうなられる前に安らかにあの世に行けるような健康法を教えましょう」という医者がいたらどうだろうと読者に遠藤氏は投げかけてる、闘病生活が長かっただけにわかるような気がする。 私の場合、両親とも晩年苦しんで亡くなったのを見てるだけに、そんな健康法にすがりたい気持ちもあるけれど、今はとにかく生きることだけ考えよう、いつか人生は終わるのだからというのが偽らざる心境である。安らかにあの世に行ける健康法があったなら

  • 私にとって宝ものといえるノート

    新聞の切り抜きやコピーを貼りつけたり、小耳にはさんだ内容を要約したり、本の一部を書き写したり、その日思いついたことを10年前から大学ノートに「何でもノート」とタイトルをつけて書いている。 当初は読書感想文の下書きでアマゾンのレビューに投稿するためにスタートしたものが途中から、思いついたことを何でも書くようにしたことから「何でもノート」というタイトルになった、10年間で15冊にもなった。 時々このノートを開くことがあるけど、なぜか気持ちが落ち着く、自分と向き合う貴重な時間である、当時の関心事、健康状態などが書かれており、もしかしたらブログを始めるきっかけになったのも、この「何でもノート」かもしれない、そう考えると私にとってこのノートは宝ものであるといえる。私にとって宝ものといえるノート

  • 豊かな人生とは

    素晴らしい仕事や業績を残すこと、社会的な名声、経済力を得て周囲の人から愛されること、会社から評価され、上司や部下からの信頼も厚く、誰からも尊敬の念を抱かれてること、愉快な仲間たちに囲まれ充実した仕事人生を送ること、よき妻、よき子供たちに恵まれて幸せな家庭を築くこと、人のために尽くすこと、知識や教養を身につけ自分を磨くこと、挙げていけばキリがない。  確かに理想的な生き方であり豊かな人生なのかもしれない、しかし古希を過ぎて振り返ると、こんな生き方は正直できなかった、思いどうりにいかないのが人生、もしこれがいい生き方、豊かな生き方というものがあるならばそれぞれの人の心にある思いかもしれない。  私が思う豊かな人生は毎日のちょっとしたことに喜びや感動が味わえるかどうかだと思う、そのことがその人の人生の豊かさにかかわっ...豊かな人生とは

  • 心が折れそうになった時

    つらいことや悲しいことがあり心が折れそうになった時、人は自分をどのようにして支えているのだろうか?そんなとき自分の世界を持っていれば折れそうになった心を切りかえて生きていくことができると思うことがある。 人それぞれ違うかもしれないが私が自分をとり戻す幸せな時間は音楽と本だった、好きなアーテイストの曲を聴くと胸がじんとくるささやかな幸福感、それが毎日生きていく力のひとつになるし、本を読んで本のなかのひとつの文章が心に残りそれが自分を支えてくれることがあるものだ。 考えてみると、それは昔も今も変わらない、心が折れそうになった時なぜか自分を支えてくれるもの、それはいくつになってもあったほうがいいと思っている。心が折れそうになった時

  • 思いどうりにいかないのが人生

    人生は想定外のことがおこる、特に老後は家族を含めなにが起きても不思議ではない、定年退職してからの10年、実家の父が認知症になり幻覚に悩まされ母に暴言、その後持病の肺機能が悪化、入院して気管切開、人口呼吸器を装着、半年後に86才で亡くなった。 一人ぐらしになった母のところに毎月2回訪問、白内障、緑内障が悪化、大学病院に毎月通院、緑内障は目薬で最低限視野を保ったが白内障は90才のときに手術をした、父が認知症だったので母には認知症ドリルや飲み薬で認知症の予防に努めたつもりだったが92才のとき父と同じレビー小体型認知症に罹患、幻覚、妄想が始まり、ケアマネジャーに相談し施設に入居、同時期妻が関節リュウマチに罹患、動けない状況になり入院、3年前の事だった、その後母に末期の大腸がんが見つかり入院、昨年の3月に94才で亡くなっ...思いどうりにいかないのが人生

  • 大切なのは話すことより聞くこと

    「天は我々に聞くためにふたつの耳を、話すためにひとつの口を与えてくれた、従って我々は話すよりも2倍聞くべきである」これは中国のことわざである、人間関係を築くうえで大切なのは話すことよりも聞くことと言われてる。 人がつらい時は優しい言葉をかけられるほどうれしいことはない、しかし相手に対して優しい言葉をかけれない時は「何もいわない」ことかもしれない、ただじっと相手のいうことに静かに耳を傾ける、ひたすら聞く、相手の気が済むまで悩みを聞く。 人は相手から受け入れられることで大きな力を得る、言葉でなくても表情でも何かのひとつの励ましになるはずである、相手にじっと寄り添うことで話すよりも相手の心に響くと信じたい。大切なのは話すことより聞くこと

  • 高齢者が働く本当の理由は

    どんな仕事にも報酬がともなう、いやそうじゃない、仕事は楽しいし健康にもいいし、生きがいだしお金目当てなんかじゃない、よく高齢者で仕事をしてる人のなかにこんな声がある、しかしもし無報酬だったら働くだろうか? 楽しいから、健康にいいから、人との交流があるから、人のためになるからとはいかないはずである、無償のボランティアならいざしらずあり得ないことである、だから人のためというのは聞こえはいいがありていにいえば、おおむねお金を手に入れることを目的としている。 例えば自分の仕事は国民のためと政治家はいうけれど歳費を削減するとなると間違いなく猛反対する、収入が減るのが嫌なだけである、その証拠に地方議会にある政務活動費の不正受給が次から次と発覚してることを見ても国民のためとは言えない。 現実問題として高齢者が公的年金で生活す...高齢者が働く本当の理由は

  • 思いが伝わるブログをめざして

    ネットが普及した今は誰でも情報発信ができる、だからテレビ、新聞、雑誌、ブログ、ツイッターもすべて情報源のひとつである、ある意味情報が氾濫してるともいえる時代である。 情報を得たり勉強することはインプット、そこから自分のブログを書いて発信するのがアウトプット、ブログを書くのは自分の考えをはっきりさせる作業、心と文章がぴったりあうと気持ちがいいものである。 ブログを書いてて、どうすればうまく読み手に伝わるかというと自分の書いたものを他人の視点になったつもりで読む、そのことで新たな発見があったりするものである、そして思いが伝わり共感してくれる人が一人でもいてくれたら励みになるし、ブログを続ける意味があると思っている。思いが伝わるブログをめざして

  • 定年後の夫婦のつきあい方

    定年というのはゼロからの出発で過去の実績すべてご破算かもしれない、主婦の仕事は毎日同じことの繰り返しで単調、しかし大変であることが定年後一緒の時間を過ごしていると理解できる。 夫は現役時代仕事や付き合いに没頭してるうちにいかに生きるべきかなど考えなくなる、逆に妻は夫の会社での活躍より給料を間違いなく入れてくれることの方が大切だと思ってしまう。 しかし定年後は現役時代とちがった新たな人生哲学がお互い必要かもしれない、そして老後の夫婦に必要なのは精神的な繋がりだとつくづく思う今日この頃である。定年後の夫婦のつきあい方

  • 老後の人生前向きに

    老いていくことは寂しいもの、時々得体のしれない不安感におそわれて息苦しくなることがある、しかし、そんなときこそ深刻になるのは止めて、何か楽しいことを考え気持ちを切りかえるのが一番である。 確かに病気になったり、いやな出来事に何度も遭遇すると自信を失い、気持ちが内へ内へと向かっていくものである、それでも現実は変わらなくても意識をちょっと前向きに変えることで気持ちが楽になるはず、幸せな思い出ほど人を元気にしてくれるはず、老後の人生前向きに生きたいものである。老後の人生前向きに

  • 今は自分の価値観と心の声を大切に生きたい

    定年退職してから10年半、気が付いたことは忙しいことにも暇なことにも人間慣れて順応するということ、年金生活になり収入は激減するけど自分のぺースで生活できるのがいい。 定年退職して生活サイクルが変わることで、他人と自分を比べないあまり物事に執着しない、なぜか自分の本質に戻ったような、懐かしい感覚、自分の価値観が微妙に変化したことを実感できる。 働き方改革で高齢者の雇用促進というムードがあるが、また人間関係でストレスを溜めるのも厭だし、自分自身生きがいを感じるとも思えない、今は自分の価値観と心の声を大切に生きたいと思っている。今は自分の価値観と心の声を大切に生きたい

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