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団塊シニアのひとりごと https://blog.goo.ne.jp/ta31875

1948年生まれの団塊世代です、定年後の生き方について日々思うことを伝えたいと思っています。

趣味は音楽、読書です。老後の生き方、夫婦のあり方、年金、介護などについてブログを通して自分なりの視点で伝えたいと思っています。

団塊シニア
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太白区
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盛岡市
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2016/11/05

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  • 久しぶりの投稿です!

    今月中旬から体調を崩し2週間ぶりの投稿になりました、5月は四季のなかで一番好きな季節だっただけに、病院通いで不本意な日々を送る毎日に健康であることの大切さを改めて痛感してます。 気力、集中力が減退し毎日のルーテインだったブログを離れてましたが体調の回復とともにブログを再開します、更新してないにもかかわらず、毎日千人以上の方が訪問、さらにブログランキングのバナーを押して応援してくれたかたには感謝します。久しぶりの投稿です!

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  • 本当の優しさを考える

    人は心に問題を抱えて苦しいとき、悩んだりしてるとき、他人に対して優しい気持ちにはなれないもの、逆に心が満たされていると優しくなれるもの、それはきっと気持ちに余裕があるからかもしれない。 優しさは人を癒すし優しさは相手に安心感を与えることは確かである、ちょっとした優しい励ましや情愛の言葉で勇気づけられ心が救われることだってある、しかし人はそれぞれ違う、優しさの捉え方が違う場合がある、だから同じ行為がすべての人にとって優しいというわけではない、それでも優しさは生きていくうえで大切なことである。 私が思う本当の優しさとは自分が辛く苦しいときであっても人に対し思いやりの心を持ち真摯に向き合うことだと思っている、難しいけれどそんな気持ちを忘れないで生きていきたい。本当の優しさを考える

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  • 顔立ちと顔つきは違うもの

    顔立ちと顔つきは違う、顔だちは生まれつきのもの、顔つきは後天的なもので自分で作っていくとも言われている、齢を重ねて経験の重みや他人を受容する気持ちなど自分に対する確信が顔に現れてくるのかもしれない、精神的に充実して張りのある日々を送っている人は生き生きとして魅力的なものである。  齢を重ねて髪が薄くなり、しわやしみが目につく、明らかに若い時より見た目は劣化していく 、それでも姿勢だけでもしっかり保ち、精神の自由さと老年の豊かさを求めるかぎり、ちがった味が出せるような気がする、それが顔つきに現れるものと私は信じたい。顔立ちと顔つきは違うもの

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  • 悩みがあるのが生きてる証し

    悩みというものがこの人生から消えてなくなってくれたら、どんなにいいだろう、そう思っている人が大半であるはず、仕事、病気、結婚や恋愛、子育て、家族、自分自身の生き方、挙げればキリがない。 人間は傲慢な生き物で何事もなく過ごしていれば何にも気づくこともなく、何からも学ばず、成長もないまま日々をやり過ごすだろう、しかし悩みが降りかかってくれば、そうはいかない、多くの人は様々な悩みに直面した時はじめて、そこから何かを学ぼうとする、悩みにどう向き合いどうかかわっていくか、本人の姿勢いかんにかかっている。 だから私はどんな痛い目にあっても、あの時の苦しさ、つらさに比較すればどうということはないと思うようにしている、そしてどんな悲しみやつらさもプラスに転化しようとする意欲がある限り必ずなんらかの形でその人の糧になるはず...悩みがあるのが生きてる証し

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  • 余命宣告ブログは終わってなかった

    みんなで作りあげてきたこの大切なブログをタマが生きてる間に1位にしてあげたいという夫やママの願いはかなわなかったという余命宣告ブログは終了してた思ったら、いつのまにか再開してブログ村のシニア部門にランクインしてるのに気づいたのは数日前だった。 今回は1位を目指してはいないものの内容は3ヵ月たっても同じで余命わずかという言葉が頻繁にでてくる、しかし上位にランクインしないのは、さすがに読者もお騒がせブログというか創作ブログには食傷気味でアクセスが伸びてない。 小学生の子供がいるタマちゃん、闘病ブログに参加しないでシニアブログに参戦、狙いはアクセス?自己満足?広告収入?謎である。余命宣告ブログは終わってなかった

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  • 65歳主婦の投稿記事「今日何人と話しましたか?」

    65歳主婦の投稿記事に注目した、現在70歳の夫と二人暮らし、女性はスポーツジムに行くと仲間やインストラクターと話すが外出しなければ話し相手は夫だけ、夫が仕事で不在だと日中、誰とも話さない、だから自分で積極的に話す機会を作りたいという内容だった。 最近病院では医師が患者に「今日何人と話しましたか?」と問いかけるという、それは老人性のうつ病や認知症を懸念してかと思うが、やはり歳を重ねるにつれ話す相手が少なるのは仕方がないかもしれない。 高齢の夫婦の日常は投稿者のようにそんなものかもしれない、私自身普段会話するのは妻だけがほとんどである、この女性のように積極的に話す機会を求めるのも一つだし、現状を受け入れ一人になったときに孤独に耐える覚悟も必要だと思っている。65歳主婦の投稿記事「今日何人と話しましたか?」

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  • 病気と闘った73歳男性「苦しみが教えてくれたこと」

    脳梗塞で右半身不随、さらに病気のデパートように次から次へモグラたたきゲームのように回復不可能な病気が現れる、73才男性「苦しみが教えてくれたこと」という記事の一節である。  入院するたびに病気は重くなる、苦しみはすでに日常のものとなっているから黙ってつきあうしかない、落ち込むこともあるがくよくよしても何の役にもたたない、ただ病気という抵抗をもっているからその抵抗に打ち勝ったときの幸福感は格別のものがある、病という抵抗のお蔭で何かを達成したときの喜び、歩けたとき、食べれたときはたとえようのないものであるという。 そうやってささいなことに泣き笑いしていると昔健康で無意識に暮らしていた頃と比べて今のほうがもっと生きてるという実感を持っていることに気づくと前向きな言葉で結んでる、それから3年後76才で永眠したがま...病気と闘った73歳男性「苦しみが教えてくれたこと」

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  • 私にとってブログを書くことは頭の体操

    「ブログを書くと頭がよくなる」これは日本一のニートと呼ばれてる京大卒45歳のブロガーphaさんが著書のなかで書かれてる言葉である、ブログ歴15年、ブログを書くことで人生は大きく変わったという。 京大を卒業してサラリーマンになったが28歳で退職、その後無職になったが暇つぶしに書いてた趣味のブログが出版社の目にとまり著書「しないことリスト」が多くの読者から支持され文章を書く仕事をするようになった。 著書のなかで彼は人間は忘れてしまう、文字にしてしまうと読み返し前に考えたときの見方や知識をよみがえらせることができる、また他人が読むかもしれないと思うから何度も推敲してわかりやすく書くことを心掛ける、当然頭を使うから頭がよくなるのでは?というのがphaさんの持論だが、私自身ブログを書くことはある意味頭の体操だと思っ...私にとってブログを書くことは頭の体操

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  • 一家団欒は人生のほんのひと時

    一家団欒という言葉から浮かんでくるのは家族そろって食事をとる、家族そろって同じテレビ番組を見る、家族そろってお茶やおやつを楽しむ、家族水いらずの会話を楽しむなどのような気がする。 私が子供のころは炬燵を囲んでみかんを食べながら、一日あったことを両親、弟と話したり、テレビがないころはラジオを聴いたりしたものだ、なにしろ自分の部屋もなかったから茶の間にいる時間が多かった、今思えば貧しく不自由な時代だったかもしれないがそれが当たり前だった。 首都圏在住および中学生の子供をもつ主婦600名を対象に「一家団欒に関する意識と実態」の調査結果によると一家団欒が週7回も行われてる家庭が27%もいるというのは意外だった、現在は昔と違い自分の部屋もあり、テレビもそれぞれの部屋にあり、スマホも各自持ってる、一家団欒の機会が少な...一家団欒は人生のほんのひと時

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  • 人間はひとりひとり違う

    人は生きてくうえで心の中に葛藤、不安、とまどい、自己嫌悪を抱えている、日常は楽しいことばかりでなく誰もが難題を抱えながら今日を明日へつないで生きている。 人間はひとりひとり違う、それぞれ別の人生を歩んでる、似てるようで育ちも環境も違う、同じことをしても楽しいという人もいればつまらないという人もいる、いわゆる価値観は似てるようで違う、だから人に誤解されても褒められてもけなされても、私はあまり一喜一憂しないようにしてる、そもそも人に正確に理解されることなど、なかなかないと思っている。 人に対して期待しすぎない、他人をあてにしない、他人を変えようとしない、人から受けた恩は忘れない、そして自分がされていやなことは人にしない、人間関係で私が気をつけてることである。人間はひとりひとり違う

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  • 何が起こるかわからないのが人生だ

    人生は長い旅、しかし明日のことは誰もわからない、明日がくるかもわからない、昨日まで元気だった人が自然災害で亡くなったり、突然病気で亡くなることがある、長い旅のなかで何が起こるかわからないのが人生だ。 今日は精一杯生きただろうか?時々自分の心に問いかけることがある、齢を重ねて病気になると、つい弱気になり明日死ぬかもしれないと悲観的になる時と、まだしばらくは大丈夫だろうと楽観的になったりと気持ちが揺れ動くことがある。 それでも人は必ず死ぬ、そして消えてなくなる、そう考えると人は生まれたときから死に向かって生きてるといえる、だからこそ生きてる限り思い残すことがないよう精一杯生きたいと思っている。何が起こるかわからないのが人生だ

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  • 年金生活70歳ひとりぐらし男性の生き方

    雑誌プレジデント「月13万円でも豊かさ20倍で暮らす知恵」のなかの年金生活70歳ひとりぐらし男性の記事に注目した、妻が難病を発症、50代後半で介護離職、無収入になったので同居していた両親の年金と妻の障害年金が軸の生活だった。 退職金を含めた夫婦の蓄えは妻の介護でほとんどなくなっていった、そして妻が亡くなり、その後両親も介護状態になり数年後に相次いで他界、両親の残した遺産は約3000万円、兄弟二人で相続、後始末もろもろにお金をかけると手元に残ったのは1000万円、現在月年金収入13万円でやりくりしてる。 月13万円の収入で楽ではないけれど日常のなかに少しでも楽しみを見つけ暮らしてることが記事から感じとることができる内容であった、ただ持ち家はマンションでなく一軒家でローンは完済しており車がない、そして税、社会...年金生活70歳ひとりぐらし男性の生き方

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  • いい人と思われるよりも

    悪く思われるよりよく思われたい、誰もがそう思うのは明らかである、人は往々にして必要以上によく思われたいという傾向がある、いい人に思われたいというのは他人からいい人だと評価して欲しい、しかしいい人でいようとすると余計な気を遣う。 人間関係が絡むと自分の気持ちが見えにくい、人間関係を優先しようとするため自分の気持ちに目をつぶってしまう、要はいい人と思われたい気持ちが強いのだ。 本当は他人の目を気にして、いい人になんかならなくていいのではないか、他人の期待に応えるより自分の期待に応えたい、いい人と思われるより自分が納得できるいい人でありたいと私が思うようになったのは会社を定年退職して数年経ってからである。いい人と思われるよりも

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  • ひとり上手な生き方とは

    今はネットで多くの人がつながってるので孤独の定義も変わってきている、リアルな人間関係がなくても生きられる時代だし、友人がいないから幸福になれないわけではない。 気の合う友人はひとりでもいい、数は関係ない、ふだんはひとり、そうすると会いたい人と会う喜びがますもの、そう考えると、ひとりで過ごす時間と誰かと一緒に行動する時間をバランスよく使い分けることこそ大切。 人生を動かすのは自分自身、ひとりの時間を明るく楽しいものにするのはたまに人と会うぐらいがちょうどいい、それがひとり上手な生き方かもしれない。ひとり上手な生き方とは

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  • ブログのリアクションボタンを閉じてみて

    どんな人が自分のブログを読んでくれてるのだろうか?毎日読んでくれる人、通りすがりの人、最後まで読んでくれなくても訪問してくれることはありがたいものである。 そんなブログのリアクションボタン(いいねボタン)を閉じたことで変化があった、今まで毎日訪問してくれた人のなかでアクセスが途絶えてしまった人がでてきたことである、残念だがそれはリアルな世界の繋がりと違い、希薄なのは仕方がないことかもしれないと思っている。 ブログの繋がりはある意味気楽さである、気にいればアクセスするし、イヤになれば離れる、リアクションボタンにこだわるブロガーもいれば反面そうでないブロガーもいるだろう、人それぞれである、それでも私にとってリアクションボタンを閉じたことでブログ村の70代とランキングポイントが増えたことは想定外だった、リアクシ...ブログのリアクションボタンを閉じてみて

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  • 人間は自分の変化には鈍感なものだ

    毎日顔を合わせている家族や職場の同僚などは痩せても太ってもあまり気づかないものだが、3年ぶりとかに会って見ると、口には出さないが齢をとったな、太ったな、髪が薄くなったなと感じることがあるものだ。 それでは人間は自分の変化にはどうだろうか?案外気づかないもので怪我をしたり腹痛とかで強烈な痛みを感じたときは敏感だが、ゆっくり進行してる病気には気づきにくい、特に年老いてくると老化だと思ってものが、気づいたときには手遅れということだってある。 病気だけではない、人間関係の変化にも気づきにくいもので、気づいたときは友人と自然消滅ということもあったりする、それだけ人間は他人の変化には敏感でも自分の変化には鈍感なものだ。人間は自分の変化には鈍感なものだ

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  • 認知症の父の心の中は

    12年前に亡くなった父がレビー小体型認知症になったのは亡くなる1年前、86歳の時だった、大学病院で診察を受け、介護保険の申請、訪問調査の結果、要介護認定1だった、しかし幻覚妄想は日に日に激しくなり、持病の肺の病気で入院するまでは母にとって地獄の日々だった。 昔は認知症が発症する前に亡くなったものだが今は長生きになり亡くなる前に認知症になることが多いのが現実である、そして認知症になったら何もわからなくなるから本人は特別苦しくないのではと私自身思ってたが実は本人が一番自分の異変に気づいて傷ついたり将来に不安を感じてるということが父の死後わかった。 父が亡くなったあと遺品を整理してるなかで日記に殴り書きしてるメモを見つけた「何で認知症になんかなったんだ、苦しい、つらい」父は文章を書いて言語化することで自分の思い...認知症の父の心の中は

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  • 生きてる限り健康でありたい

    齢を重ねると筋肉も反射神経も衰える、ありとあらゆるものが衰えていく、生きてる限り健康でありたい、誰もがそう思う、だから体にいいと思うものは意識してやるようにしてる。 実際スポーツジムにも2年ほど通った、辞めたあとも自宅で自己流の筋トレを習慣づけてる、苦しくない程度にマイペースでやるのが自分にはあってる感じがする。 楽しく気持ちよくやれるものは自分でみつけるしかない、そして少しでも効果を実感できれば楽しいもの、日々の暮らしを愛し、それを楽しむ、そのためにも健康でありたい、老後の生き方で健康は本当に重要なテーマだと思ってる。生きてる限り健康でありたい

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