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自分の顔は毎日鏡で見ているのである程度のしわとか、たるみなんかは脳内で補正されていて たまに感じる疲労とかで「老い」を意識するんだけど 私も年を取っているが周…
人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげたらきりがないほどあるものだが、そういうことは誰にでもあることで人生とはそういうものかもしれない。大切なのはたとえ失敗や悔しい思いがあったとしても自分なりに精一杯やってきた、だからよかったことも悪かったことも、これが自分の人生なのだと納得すること、自分の運命を受け入れることだと思っている。そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えてくるような気がする、そしてここまで生きて来た、これからも生きていこう、この先何があるかわからないけれど、そんな気持ちで生きていきたい、老いの途中76歳の実感である。老いの途中で思うこと
人生はできるなら自由に生きたいものだ、人に流されず自分の人生を楽しみたい、やりたくないことをやらない、多少わがままと思われてもいい、人生の後半は、とにかく自分の気持ちに正直に生きたいものだ。人生は考え方ひとつで大きく変わるもの、人生なるようになると腹をすえて、ありのままの現実を受け入れて生きる、人生を楽しくするのもつまらなくするのも自分の責任である。そのためには自分の時間を持つこと、そして好奇心と向上心を持ち続けること、そのことこそ老いの途中で大切なことだと思っている。老いの途中で大切なことは
どんなふうに生きていけば楽しく心地よく過ごせるか、これはひとりひとり手探りで探すしかない、誰もが自分の老いについては素人なのだから。老後なんて変化のない日常かもしれない、それでも習慣化した日常のなかに新しい発見があるものだ、毎日が同じようで微妙に違う、体重の増減や病気の進行具合、食べ物の好みなど1年前とは明らかに違ってきたことに気がつくことがある。今までの人生をふりかえり自分が何に関心を持ち、何に感動してきたかを思いだす、楽しかった、嬉しかった、面白かった、笑った、感謝した、そんなシーンを思い出すと、なぜか閉ざされた心の窓が開くような感じになる一時である。老いの途中でふりかえる
年齢を重ねても楽しく生きる〜♬アラカンよっしーです。神社めぐりと季節の花をスマホで撮り歩くことが唯一の趣味です⭐︎孫の笑顔が原動力♡パート先では作業中ガムは食…
人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげたらきりがないほどあるものだが、そういうことは誰にでもあることで人生とはそういうものかもしれない。大切なのはたとえ失敗や悔しい思いがあったとしても自分なりに精一杯やってきた、だからよかったことも悪かったことも、これが自分の人生なのだと納得すること、自分の運命を受け入れることだと思っている。そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えてくるような気がする、そしてここまで生きて来た、これからも生きていこう、この先何があるかわからないけれど、そんな気持ちで老いを生きていきたいというのが76歳の実感である。老いの途中76歳の実感
昨日の夕方、カレンダーに記入している総合病院眼科の定期診察の予約日が今日9/29(金)なので、予約票など忘れないように準備していた時何気なく予約票を見ると9月22日(金)となっているではないか。もう済んでいる。えっ? 間違ってカレンダーに記
いつものように診察後!私:先日の膵臓検査は異常なしでした。 先生にお手紙を書いておくと聞いてますが、もう来てますか。Dr:まだ見てません。ちょっと待ってください。 手紙を取にいかれ、来てましたと言って開封。Dr:異常なしですね。 また
昨日は網膜前膜の定期診察日!視野検査の結果は欠けている所はなかったが、眼底検査では右目がそろそろ緑内障の疑いが出て来たので予防の為目薬点眼を始めた方が良いがどうしますかとの事。javascript:pcview_on();副作用について質問
1週間ほど前から、脈拍が100〜115回/分。血圧が160/90と高い。また不整脈が出る。一日に数回これが現れる。ひどくない時間でも脈拍は95前後、血圧も高い。普段は脈拍は80前後、血圧は130/80程度。掛かり付け医に行ったら、病院で診て
どこでもありそうなシニアの日常を物語のつもりでブログ書いてます。お小遣いのたしにとアフィリエイトもやってます。よかったらおつきあいください。ランキングに参加してます。応援いただけるとうれしいです(^-^)/にほんブログ村イメージ写真若い頃から職場の飲み会がとても苦手でした。アルコールは、弱くないから酔いがまわってくるとそれなりに楽しみもしましたが職場仲間どうし、いろんな人がいてもちろん本音は言えないし理...
人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげたらきりがないほどあるものだが、そういうことは誰にでもあることで人生とはそういうものかもしれない。 大切なのはたとえ失敗や悔しい思いがあったとしても自分なりに精一杯やってきた、だからよかったことも悪かったことも、これが自分の人生なのだと納得すること、自分の運命を受け入れることだと思っている。 そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えてくるような気がする、そしてここまで生きて来た、これからも生きていこう、この先何があるかわからないけれど、そんな気持ちで生きていきたい、老いの途中75歳の実感である。老いの途中75歳の実感
私は20歳になるまで、村上春樹を食わず嫌いしていました。『ノルウェイの森』をチャラいベストセラーと誤解していたからです。ある日、年下の家族が高校の図書室で借りて面白かったと、宮部みゆきとセットで勧めてくれたことをきっかけに、読むようになりました。最初の宮部みゆき作品は『魔術はささやく』です。Boost Your Time(挨拶) ノルウェイの森 (講談社文庫) www.amazon.co.jp 1,232円 (2021年05月16日 06:24時点 詳しくはこちら) Amazon.c
センス・オブ・ワンダーは、人生の黄昏時の重荷か、それとも灯りか。
いつか介護になろうと、センス・オブ・ワンダーは荷物にならないと、信じて書きます。 おかげさまで、「ハナレイ・ベイ」は、鑑賞出来ています(挨拶) SFの文体・表現・題材に魅力を感じない、うちの鈴木薫さん(仮名)に、センス・オブ・ワンダーと出会うための接点として、9冊選び、Kindleオススメセットとして、送りつけました。『幼年期の終わり』『夏への扉』『竜の卵』など、選びたい本は多いのですが、SF精神・SF的視点を体験することを念頭に、個人的な好みで選びました。 『ディアスポラ』が入っていることから明らかですが、難易度の高い作品も入れました。『ディアスポラ』を鑑賞出来るなら、どのSF
こんにちは〜、ちょまです。 3月ごろ髪を切ろうか伸ばそうかと悩んでいる記事を書きました。 choma-diary.hatenablog.com ゴムでくくったまま過ごして2ヶ月。先日美容院に行ってきましたよ〜。 ウルフヘアが結構伸びて、まだ段(古い^^)があるもののミディアムボブくらいにはできそうな長さに。さてさてどうしたものか・・と相変わらずグダグダ迷っておりました。 私はわりと髪型を変える方で、パーマを含めベリーショートからロングまで色々やって(やらかして)きました^^。その結果短めが好きだな〜と。「じゃあ切れば?」と思うのですが決心がつきません。職場でふと気づいたことにひっかかって。 パ…
人生はできるなら自由に生きたいものだ、人に流されず自分の人生を楽しみたい、やりたくないことをやらない、人生の後半は、とにかく自分の気持ちに正直に生きたいものだ。 人生は考え方ひとつで大きく変わるもの、人生なるようになると腹をすえて、ありのままの現実を受け入れて生きる、人生を楽しくするのもつまらなくするのも自分の責任である。 そのためには自分の時間を持つこと、そして好奇心と向上心を持ち続けること、そのことこそ老いの途中で大切なことだと思っている。老いの途中で大切なこと
老いてくると、どうしても出来ないことがふえてくるものである、だから残りの人生をどう生きていくかというのは高齢者に重要なことである、たとえ順風満帆な人生を歩んできた人でも死ぬまで充実した人生を送れるとは限らない。 明日の保証を手にしている人など一人もいない、今は元気で安定していても明日のことは誰にもわからない、心の危機は誰にも訪れるものだ、そんなときは自分なりの解決法を持つしかない、生きる苦痛の根本的な解決はできなくても、それなりに何とか折り合いをつけて生きるしかない。 生きてる限り、すべての悩みから解放されることはない、ある意味悩むことは生きてる証しともいえる、実際こうありたい自分、こうあって欲しい人間関係があるから悩むので、悩みを通して人との距離に気づき自分を再発見するものだ、生きてる限り悩みのない人生...生きにくい日々であっても
人生はレールの上を走っているわけではない、だから自分の思いどうりに進まないのが普通で、特に身体が不調だと、たちまち気力が失せてしまう。 生活にメリハリをつけるには日々のタイムテーブルをしっかり組む、そして習慣化する、さらに今日一日プラスかマイナスかを考えるようにしてる。 生きていれば誰もが何かしら問題を抱えている、できないことも増えてくるだけに満足度の要求レベルを下げ、不幸や不運があったとしても受け入れる心構えが必要な気がする、それだけ上手に齢をとることは難しいといえる。上手に齢をとることは難しい
生き方が難しいのはいつの時代も同じで人間はその中でどれだけ精神的な余裕を持てるかをいつも試されてるような気がする、又私達はいい条件がそろえば幸福になれるという錯覚があるものだ。 ある面、一理あるのだが必ずしもそうではない、苦しみの質は人それぞれ違う、物質的には豊かで満たされていても幸せを感じられない多くの人がいることも確かである。 実際100%の幸せなどありえない、幸せは常に断片として現れるものだ、それこそ丸ごとの幸せ、なにからなにまで幸せといった状態は幻想かもしれない。 明日の保証を手にしている人など一人もいないし、今日は元気で安定していても明日のことは誰にもわからない、だから人の一生は最後までわからないと思って生きるしかない。苦しみの質は人それぞれ違う
人生の楽しさは人それぞれ、人によって違う、会社に尽くし、家族に尽くし、自分を滅して老いの途中を迎えたとしても充実感を感じ生きてることが楽しいという人もいる。 また世の中には孤独がいやなものだと思ってる人は多い、特に子供や若者は孤独を必要以上に恐れている、高齢者のなかにも群れていないと落ち着かないという人もいる、確かに一人で生きてはいけない、これも事実、それでも孤独を抱いて生きることが、そんなひどい状況だと私は思わない。 起伏のない生活であったとしても、いつも自分の家で夜眠れる、あたりまえの一日が終わる、そんな平凡な一日、他人には陳腐な人生に見えるかもしれないが、人生の楽しさなんてそんなささやかなことのような気がする。人生の楽しさなんてささやかなこと
高齢になっても世の中に大きな影響力を持つ人もいれば、市井で静かに生きる人もいる、私などはどちらかというと後者である、そのかわり退職してからはなんでもできる自由を得ていることは間違いない。 一日一つでも愉快と思えることがあればそれでよしと思う、なければ次の日に期待しよう、人間老いてきて必要なことは今日もやることがあるということ、そういう意味では誰もが自分の考えで自分なりの老後を生きているような気がする。 人間それぞれ違う、同じ景色を見て何も感じない人もいればそこに宝を発見する人もいる、生きていくうえで宝さがしは大切、今まで気づかなかったものに感動するかもしれない、そのわくわく感こそ宝そのもの、人生の宝さがし、あきらめずに求めて生きていこうと思っている。人生の宝さがしを求めて
人は誰でも年齢を重ねるごとに身体は確実に衰えていく、どうしてもあちこちの具合が悪くなってくる、しかもひとつが治らないうちに別のところが悪くなるといった感じで心身の衰えはいやでも進行してくる。 老いて病が来る場合、もう完治することよりも痛みを伴わないまま死まで続けば、それは自分にとってありがたいと思うことがあると言った闘病者の声に共感することがある。 実際経験のモノサシが役に立たない、それが老いるということ、他人の老後は参考にならない、誰もが自分の老いに対してはアマチュア、だからほとんどの人は迷いながらも自分の考えで自分なりの老後を生きてるはずである。 楽しく生きるためには健康でありたい、誰もがそう願っている、私自身老いていく自分を見つめながら、一日一つでも愉快だと思えることがあればそれでよしとそんな思いで...老いていく自分を見つめながら
何が幸福で何が不幸か、それを測るものさしというものが、あるのかどうか、あいまいで漠然としている、だから何を基準にするかというと他人である、他人と比較して自分の幸、不幸を決めやすいものだ。 本当は他人との比較ではなく幸せかどうかは、本人がそう思える気持ちの問題のような気がする、今をある程度、満足で幸せだと謙虚な気持ちで思える人はいくつになってもそう思えるはずである。 老後は特別でなく人生はつながっている、地味で単調で、なにより忍耐が必要なのが人生の後半といわれる老後かもしれない、それでも平凡な一瞬一瞬に幸せを感じることができれば恵まれた人生だと私は思っている。幸せな老後の人生とは?
人は老いるという存在の現象をなかなか素直に認めることができない、それは先に若さという経験を先にしているから、どうしても否定的に感じてしまう、だから齢をとると自分の年齢は自分にふさわしくない、実年齢よりもっと若いと思いたがるもの、私自身もそうだ、それは老いることは敗北、若さだけが価値があるという風潮がどこかにあるからだろう。 「現在〇〇歳、でも気持ちはちっとも変わってない」日常でもTVでもこういう光景は見かける、そういう人の真意は「お元気ですね、年齢より若いですよ」という言葉を待ってるのがなんとなくわかる、でも人間は時間とともに老いていくことは確かである、肉体も知力も衰える。 生きるというのは齢をとること以外のなにものでもない、それでも魂が最も活動するのはこの老後のような気がする、だから無理にアンチエイジン...生きることは老いること
80代一人暮らしの女性、国民年金と遺族年金で8万円、支出は家賃1万円(都営団地)、生活費7万円、医療介護費用3万円、月3万円の赤字、貯金は40万円。 自営で夫婦で工務店を営んでいた、老後の収入は夫婦で年金13万円、ぜいたくはできないが、なんとかやりくりして生活できてたがその暮らしが一変したのは3年前の夫の死、夫の年金収入がなくなり経済的に苦しくなった。 さらに女性はリウマチで足が不自由で要介護2で日常生活も不自由な状態、ヘルパーが来て家事全般をやってもらってる、部屋の窓から外を眺めるのが唯一の楽しみだという、貯金は近いうちに底をつく、生活保護を受けたら収入は13万円前後になるし医療費は無料、解決の道はそれしかないと思う。年金生活80代シニア女性の絶望感
何もしたくない、何も考えたくないと厭世的になることは長い人生のなかではよくあることで、この齢になってもそんな気分になることがあるものである。 若い時はお年寄について、人間的に熟成され達観して風格があり、悩みなどないのではないかと思ったものだ、でも今その齢になって見ると、そんなことはない、老いとともに悩みは深くなっていくというのが実感である。 心や体がガス欠を起こしたときは人生を振り返り楽しかった出来事を思い出す、だからといって生きる苦痛の根本的な解決はできないけれど、過去の思い出には現在をどう生きればよいかのヒントがあるもので、自分と真摯に向き合ういい機会だと思っている。老いとともに悩みは深くなっていく!?
人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげたらきりがないほどあるものだが、そういうことは誰にでもあることで人生とはそういうものかもしれない。 大切なのはたとえ失敗や悔しい思いがあったとしても自分なりに精一杯やってきた、だからよかったことも悪かったことも、これが自分の人生なのだと納得すること、自分の運命を受け入れることだと思っている。 そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えてくるような気がする、そしてここまで生きて来た、これからも生きていこう、この先何があるかわからないけれど、そんな気持ちで老いを生きていきたい。老いの途中74歳の実感
どんなふうに生きていけば楽しく心地よく過ごせるか、これはひとりひとり手探りで探すしかない、誰もが自分の老いについては素人なのだから。 老後なんて変化のない日常かもしれない、それでも習慣化した日常のなかに新しい発見があるものだ、毎日が同じようで微妙に違う、体重の増減や病気の進行具合、食べ物の好みなど1年前とは明らかに違ってきたことに気がつくことがある。 今までの人生をふりかえり自分が何に関心を持ち、何に感動してきたかを思いだすことがある、楽しかった、嬉しかった、面白かった、笑った、感謝した、そんなシーンを思い出すと、なぜか閉ざされた心の窓が開くような感じになる一時である。老いの途中でふりかえる