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仙台にある慈眼寺に伺ったとき、たくさんのトンボが、境内に飛んでいました。人懐っこく近寄ってきて「よくいらっしゃいました」と挨拶しているようでした。 慈眼寺のご住職、塩沼亮潤大阿闍梨さんが、次のような種田山頭火の詩を教えてくださいました。 <
今日も、仕事帰りにウォーキングした 今日は9㌔だけ。 ずっと立ち仕事だから、前はウォーキングとか出来るまで体力もなかったし、足痛かったけど! 今は、ウォーキングで10㌔位は全然✨足が成長してる✨ もー痺
自分の死を意識することが多くなっている。瀕死の状態というのではない。あと何十年生きられるのか、という長期だが切実で身近な問題だ。 いまを精一杯生きろ、という考え方はもちろんある。死に際で何も後悔することはないと言って死にたい、という考え方もある。私
忘れちゃう時だってあるさ 今日は2月1日。1日といえば『あつた朔日市』です。 いつもなら旦那さんが『あつた朔日餅』を買っ
お元気ですか、Oさん。 たまに、自分も知らないうちに、頭に浮かんでくる人がいる。特別な仲だったわけでもないのに、今頃どう過ごしているのだろうかと思ってしまう。 特に札幌に来てからは、度々に、ふと思い出すのだ。 Oさんは、うちの道東、K市時代
人生は長い旅、しかし明日のことは誰もわからない、明日がくるかもわからない、昨日まで元気だった人が自然災害で亡くなったり、突然病気で亡くなることがある、長い旅のなかで何が起こるかわからないのが人生だ。 今日は精一杯生きただろうか?時々自分の心に問いかけることがある、齢を重ねて病気になると、つい弱気になり明日死ぬかもしれないと悲観的になる時と、まだしばらくは大丈夫だろうと楽観的になったりと気持ちが揺れ動くことがある。 それでも人は必ず死ぬ、そして消えてなくなる、そう考えると人は生まれたときから死に向かって生きてるといえる、だからこそ生きてる限り思い残すことがないよう精一杯生きたいと思っている。何が起こるかわからないのが人生だ
諦めることで前進する、私の精神・発達障害は自分の一部に過ぎない
障害は本人にとって大きな事かもしれませんが、全てではないです。その人を現す一部に過ぎないです。精神・発達障害の私はそう考えるようになってからラクに生きられるようになりました。
周りは無理をするなと言うけど、精神・発達障害者の私が精一杯したいこと
ディレクターになったことで猛烈に忙しく日々を過ごしています。主治医にディレクターになったことを告げると白目を剥いて かー!また仕事増やしとるやないかい! すみません💦 怒られるのは当然で行動拡大気味の私はどう行動をおさえてい
冒頭に、これだけは書いておきたい。私は、本当に読者に恵まれている。昨日のエントリーに頂いたコメントで、嬉しいなどという簡単な感情ではなく、生きなければと思った。死ぬかもしれない気持ちは変わらないけれど、死ぬまでは精一杯生きようと思った。私は、コメントを頂いた方、読者のためにも生きる。 昨日のエントリーは同内容をTwitterでもツィートしていたのだが、そうすると似たようなツィートが表示される。それらのツィートに付いているリプライは、清々するとか散々なものである。そういうものが寄せられないだけでも感謝するし、もっと真剣に書かなければと思う。 午後0時半になり、やっと起き出した。今日は通院だ。しか…