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13年前のあの日、私は仙台市内の会社にいた、退職を月末に控えビルのなかで残務整理をしていた時、今まで感じたことのない大きな揺れ、長く感じた揺れ、その時同じ県内の沿岸部に津波が押し寄せ、よもや未曾有の大惨事になろうとは予想もしなかった。死への恐怖を感じ、声を出す時間もなく波にのみこまれた人々、死はだれにも平等にやってくる、しかし十分生きたと満足して旅立った人はいなかったはず、本人も残された人も無念だったはずである。そんな東日本大震災の出来事を作家の小池真理子氏はエッセイの中で映像から受けた衝撃、そして悲惨な状況を的確に捉えて次のように書いている「巨大な波にのまれていく町、玩具のように流されていく家や車、闇を焦がす炎、避難所で震えている人々の映像が繰り返し映しだされた。これは一体何なのかと目を疑った、自分が生...大震災の記憶を忘れることはできない
金曜の日経夕刊一面コラムの「あすへの話題」です。小池真理子氏の亡くなった夫とは誰だったか?調べて、藤田宜永(ふじたよしなが)氏だったと思い出しました。 藤田宜永氏が大の病院嫌いで、ほとんどの検査を受けてこなかったと言います。その結果、見つかった肺腺癌はすでに末期状態で、手...
やっぱり、紙の本が好き💓 書店の中をゆっくりと歩き、色々な本を手に取る贅沢な時間。 先週末、久しぶりに地元の大
自分のキャラに合わない本を借りてしまいました(^_^;)朝日新聞での連載エッセイ挿絵もすごく素敵だった「月夜の森の梟」を読んでいて気になったので読んでみたのです野鳥好きの私としては1作目のタイトルが「ミソサザイ」だったこともあり(もちろん野鳥を題材にした小説だと思って借りたわけではありません)小説の中では火葬場にミソサザイの囀りが聞こえてきて「なんだってこんなに賑やかに囀ってるんだか」というセリフでとんだとばっちりを受けていましたが(^o^;)7作からなる短編集でした殆どが死と隣り合わせのしっとりとした話でしたが7作目である表題作は希望のある終わり方でよかったです検索をしてみたらよさがわかるのは50代60代~みたいなことを書かれている方がいらして私もそのような印象を受けました年を重ねて読み返したらまた違っ...日暮れのあと/小池真理子🐈⬛読書記
若い頃は老いるにしたがって人は色んなことが楽になるに違いないと思ってた、のどかな春の日の午後、公園のベンチにすわり、ぼんやりと遠くを眺めている老人は皆、人生を超越し、達観しているのだろうと信じていた、これは作家小池真理子氏が最近のエッセイで語った言葉である。 そして感情が和らぎ、物静かなあきらめが心身を解放し、人生は総じて優しい夕暮れの光のようなヴェールに包まれているのだろうと、だがそれは、とんでもない誤解であった、老年期と思春期の一体どこに違いがあるのだろうか?という言葉が興味深い、なぜなら私自身もそう思ってるからだ。 老年期の落ち着きはほとんどの場合、みせかけのものにすぎず、たいていの人は心の中で思春期だったころと変わらぬどうにもしかたない感受性と日々闘って生きていると結んでるが同世代として共感できる老年期と思春期の一体どこに違いがあるのだろうか?
作品紹介・あらすじ過ぎてみれば、全部、どうってことなかった――日々老いを感じつつ山裾の町で暮らす絵本作家の雪代。ある日やってきた植木屋の青年に興味を惹かれ話をしてみると、彼が結婚を望む恋人は、還暦を過ぎた現役の風俗嬢だという――。生と死、そして性を描き、人生を謳いあげる短編集。名手がつむぐ至高の7作。読書備忘録ゾッとするホラー作品もあったりで、どれも好きな作品だった。なかでも「微笑み」再会できてよかった。マスク越しで残念でしたが。それと、表題の「日暮れのあと」が特によかった。自分の作品”森のくまさん”を話を聞かせてくれた植木職人の恋人に・・・その恋人と雪乃のセリフがそっくりだと。過ぎてみれば、全部、どうってことなかった。古いことはそうなっているけれど、新しいことはまだその域に達していない。いつかはきっとそ...本・小池真理子「日暮れのあと」
2022年12月に読んだ面白い小説は5冊でした。〇タラント 角田光代著者の作品ははずれなしでどれも好きですが、これはスケールが大きく、渾身の作品ではないでしょうかね。主人公のみのりはケーキ屋さんで働くパート主婦。戦争で片足を失った祖父、不登校の甥の物語とみのりが