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作家の森博嗣氏が「やりがいのある仕事という幻想」という著書のなかでこんなことを書いている、古来、人間の価値というと、その人がしている仕事で判断される事が多かった、それだけ職業というのは人の価値を決める重要な要素だった、だから人よりも立派な仕事につきたいと願ったりする、そうすると人間としてレベルアップしてみんなから尊敬されるだろうと勝手に思い込んでいる。しかし職業に貴賤はなく、どんな仕事でも人の役にたっている、無職であっても人の価値が下がるわけではない、同じように金持ちが貧乏人よりもえらいわけではない、どんなに仕事で成功しても人間として偉くなれるわけではない、確かにその通りであるが実際問題としてお金のある人や権力のある人が人を動かすことで偉いと思わせてることも事実である。職業で人間の価値が決まるのではないと...人間の価値は何で決まるのだろうか?
職業に貴賤はないが人間は明らかに貴賤は存在する、金持ちであろうがなかろうがいやしい人間はいやしく賢い人間は賢い」と言ったのは哲学者の今は亡き池田晶子氏である。 人間は立派な仕事に就きたいと願うもの、そういう仕事に就けば人間として尊敬されると思い込んでる人は多い、例えば医師という職業は確かに患者から直接感謝されることが多い、だから人間としても立派な人ばかりかというと必ずしもそうではない。 おなじように金持ちが貧乏人よりえらいというわけではない、どんな仕事で成功しても人間として、えらいというわけではない、生活の成功者と人生の成功者は違う。 それでは仕事で人間の価値を決めるのではなく何で人間の価値を決めるのかというと、それは人それぞれ見方が違うものである、私はその人の誠実さや弱さを抱えながらも懸命に人生に対し真...生活の成功者と人生の成功者は違う!?