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人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげたらきりがないほどあるものだがそういうことは誰にでもあること、人生とはそういうものかもしれない。大切なのはたとえ失敗や悔しい思いがあったにしても自分なりに精一杯やてきた、だからよかったことも悪かったことも、これが自分の人生なのだと納得すること、自分の運命を受け入れることだと思っている。そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えてくるような気がする、私自身なんとか76歳まで生きて来た、これからも生きていく、この先何があるかわからないけれど、そんな気持ちで76歳からをを生きていきたい。76歳からの生きかたを考える
新年あけましておめでとうございます、昨年同様穏やかな天候の正月、新型コロナ5類に移行したもののマスク着用の生活は変わらない、私自身は今年も長いスパーンでものごとを考えるのをやめて短い期間で考えることを心掛けたい。 実際人生思いどうりにならない、先のことはわからない、だから時間を細かく刻んでその都度いい気分か悪い気分かを判断、人生なるようにしかならないと自覚して今起きてることに集中することこそ大切。 毎日のちょっとした喜びや感動が味わえるかどうかがその人の人生の豊かさにつながることは間違いない、だからもうすぐ76歳になる実感としては、その日その時喜びがあったらそれこそ幸せ、そんな生き方を今年も続けていきたい。2024年を迎えて
人生全体で見たら針はちょこっと不幸せな方に揺れてるね、それを何とか幸せな方に戻さないと思って生きてる、これはTVタレントの高田純次さん76歳が「幸せですか?それとも不幸せですか?」というインタビューで幸せに言及した言葉である。 さらに「他人を幸せにしたいけれどそうして自分が不幸になったらそれは困るね、知り合いに10万円貸したがお金が戻ってくるか心配、相手は喜んでいても、もし返ってこなかったら自分にとって不幸な出来事かもしれない」 そして「自分の幸せと他人の幸せは違う、オセロみたいに白黒はっきりしていればいいけど、わからないから、いつまでも幸せという言葉を使うのかもしれない、漠然とした大きな全体を見ないで部分部分を見て感じ取るといいんじゃないかな」と「いい加減」「テキトー男」のキャラクターとはひと味違う真摯...76歳高田純次さんの幸せとは
齢を重ねると、いつもプラスの感情でいるのは無理で生きてるのが空しいと感じたり厭世的になったりすることがある、それでも精神的苦痛が、あってもなんとか今まで生きてきた。 76歳になっても健康にさえ恵まれれば76歳なんて、まだまだ大丈夫だろうという思いがある、今まで私を支えているものは不変なもので音楽や本など昔から変わらない。 そして若い時より今の自分のほうが好きだ、今は自分の弱さを素直に認められる、無理することもない、対人関係の気苦労もなくなった、今はブログを通じて自分の人生観、価値観を伝えることができればよしと思っている。もうすぐ76歳これからの生き方