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【本】池澤夏樹『また会う日まで』|海軍軍人・天文学者・キリスト者、秋吉利雄の3つの顔
池澤夏樹の歴史小説『また会う日まで』をご紹介します。池澤の大叔父秋吉利雄は海軍軍人・天文学者・キリスト者の3つの顔を持って、大正期から太平洋戦争敗戦までの激動の時代を生きました。3つの顔の混ざり合い、せめぎ合いを綿密な資料調査を元に描く、読み応えたっぷりの作品です。
明日は三月十七日 1945年3月17日は神戸大空襲の日。 1995年1月17日は神戸淡路大地震の日。 半世紀を隔てて神戸を襲った2つの災害。 今も覚えているのは、神戸からの友人の電話。 神戸淡路大震災の一週間後のことでした。 「家の前で人が亡くなってた。 戦争みたいに...」 戦争なんて体験したことのない筈の友人の言葉。 「言うんじゃなかった。 大阪の人に言っても仕方ない。 わからないよね。」直後にそう続けました。 戦争と震災、全く異なるものの街が破壊された事には変わりはありません。 神戸かいわい 歴史を歩く作者:田辺 眞人神戸新聞総合出版センターAmazon
豊見城市と那覇市の境の小高い丘(標高74m)に,「旧海軍司令部壕跡」の入口がある。メジャーな観光地ではないとはいえ,レンタカーを返却する前に時間があれば寄ってもいい場所である。1944年後半,旧日本軍は敗色濃厚となってきたため,沖縄を軍事拠点にするべく,当時の小禄空港(現那覇空港)に近い丘に海軍司令部として,4か月ほどで防空壕を完成させた。入口が丘の上にあるので,まず階段を20mほど下って初めて壕にたどり...
♪モンテンルパの 夜は更けて つのる思いに やるせない 渡辺はま子の「あゝモンテンルパの夜は更けて」 突然、なに ⁉️ その古くさい歌。 気が変になったわけではありません。 ビクタン収容所からの連想ですよ。 同じフィリピンの収容所繋がりであります。 ま、多少無理強いな...
【読書考】「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」(森山優 著 新潮社)を読んで
本書は、日米戦争における日本の開戦過程を詳細に検証したものですが、このような緻密かつ大胆な検証は読んだことがないと、興奮する思いを持ちました。1.国家意思決定システムの欠陥現在では「侵略戦争として断罪」されている昭和の戦争について、なぜ当時
にほんブログ村 愛知県内の代替梵鐘のリンク集です。 第二次世界大戦末期、金属不足から寺院の梵鐘も供出されました。 梵鐘の重みがないと強風で鐘楼が倒壊する恐れがあります。 そこで、コンクリート製
タイトルは『ミッドウェイ』とされていますが、歴史用語としては『ミッドウェー(海戦)』の方が一般的かもしれません。ちなみに、オールスターキャストで同じ題材を描い…
【NHKスペシャル】パールハーバー ~日米の運命を決めた日~
今朝の起床は中途半間な4時半。映画も見れないので、1時間番組を探すが、良いのが無かった。 目に付いたのは、NHKオンデマンド。 その中から選んだのが、Nスペ現代史の「NHKスペシャル パールハーバー ~日米の運命を決めた …
白洲次郎 占領を背負った男 より 白洲次郎 占領を背負った男(上) (講談社文庫)Amazon(アマゾン)2〜4,200円 白洲次郎 占領を背負った男(下)…
終戦から76年。8月15日の正午には、サイレンが鳴る。英霊たちに黙祷。自分も戦争を知らない世代だが、戦争も歴史上の出来事になりつつある。昔は、8月15日あたりにはTVで戦争関連番組が多くやっていた。今日は?NHKスペシャルで太平洋戦争を扱った番組をやるくらいか
2ヶ月のボランティア活動を終えて、息子が小笠原諸島から帰ってきました。 小笠原諸島…🤔 家からだととても遠い島だ… そして東京都だ… 私が知っていることはその2つ😅 バイトでお金を貯めて小笠原諸島に行くと息子に言われた時も、 「ふ〜ん、そう。へぇ〜」と、島の事を知らない...
本作は、気が引けるほどに古い作品ですが、出演陣が楽しい顔触れでしたので、ここで取り上げることにしました。 物語は、第二次世界大戦中、米海軍のある中隊が南太平洋…
10 松岡洋右 (まつおかようすけ) (1880 ~ 1946)3uwl1b~国民的英雄として歓迎され日米開戦に号泣した外務大臣~ 「連盟よさらば」 1933年の新聞記事の見出しです。連盟とは国際連盟のことです。さらに記事は「連盟、報告書を採択。我が代表堂々退場す」 と報じました。報告書とは、リットン報告書のことであり、この代表というのが、松岡洋右を指しています。太平洋戦争前夜の数々の外交で活躍し、日本代...
11 東条英機 (1884 ~ 1948)3uwl1b~権威・権力を手にして敗戦で絞首刑にされた軍人~ 「カミソリ東条」 という言葉があります。抜群の記憶力をもつ優秀なエリート軍人でした。昭和天皇からも厚い信頼を獲得し、感謝の勅語も贈られています。内閣総理大臣も経験し、戦前の日本を代表する政治家でもありました。しかし、彼は太平洋戦争の敗戦後、極東国際軍事裁判に被告人として立たされてしまいました。A級戦犯と...
昨年の12月8日に上の記事を書いた。そして、もう過ぎてしまったが、6月5日はミッドウエー海戦80周年。改めて、日本が戦争を優勢に進めていた時期が短かったというのが分かる。6か月。この戦い以降、負け続けたわけではない。ガタルカナル島転進までは、一進一退の戦い
戦争がどこか遠くの他人事ではなくなったようにやっと感じるようになった今、戦争でおきた悲劇は知っていても、その戦争がなぜ起きてしまったのか、何を巡った争いだったのかを何も知らないことに気がつきました。 第二次世界大戦で原爆が落とされたのは、今からつい77年前の出来事。 海外旅行へ自由にいけて、食べるものにも困らない今の日常は、ほんのつい最近になって手に入った平和な日々なんだと気がつきます。 また日本に住む私たちが目を向けていないだけで、世界中では未だ戦争の絶えない地域もあり、この平和な日常は簡単に崩れ去ってしまうほどに脆いものなのかもしれません。 平和な日々のありがたさに気付いたからこそ、改めて
>2022.09.18本日紹介するのは、日本海軍の零式艦上戦闘機32型先日紹介した「太刀洗平和記念館」に展示されている機体で、こちらはレプリカでは無く、世界に1機しかない実物です主翼端の角ばった形状が32型の最大の特徴で、それを強調出来るショットを撮りたかったのですが、
ツアーは本当にボリューム満点。 戦車や砲台跡、飛行場、防空壕(中に入れる!)、記念碑、戦争のあったビーチほか、 天皇陛下がペリリューへ慰霊訪問に来られた際に使ったバスや休憩所まで案内してくれた。笑。 そして、美味しいパラオのバナナスイーツのおやつ付き! 現在進行形でウクライナとロシアの戦争が続いている状態とは言え、日常的にあまり深く考える事の無い戦争の歴史を改めて知るいい機会。 パラオへ行く機会...
ここは元々海軍航空隊の指令部だった建物の跡地だよ。 米軍からの空爆を多々受けてボロボロになったとの事だけど、建物の大枠が未だしっかりと残っているのがすごい。 そして、この時偶々見掛けた日本人らは、政府から派遣されて山の奥へ旧日本兵の遺骨を探しに行く集団だったよ。 パラオには未だ見つかっていない兵士達が沢山居るから、きちんと供養してあげる為にも、定期的に専門家とボランティアによる試掘が行われている...
この建物は当時の海軍の燃料倉庫が、そのまま使われているんだって。 10分程度あれば館内ざっと一周できる程度の小さな博物館だけど、内容はすごく濃厚。 軍旗、海図、写真、装備品、武器、私物?なんかの日米両軍の遺物が所狭しと飾られていて、当時の悲惨な歴史の存在を改めて実感することになる。 前の話はここ! 次の話はここ! [旅・パラオ台湾編]の最初はここから!...
>2022.09.12本日紹介するのは、日本海軍の局地戦闘機「震電」福岡の「太刀洗平和記念館」に展示してある実物大のレプリカですが、細部にまで良く出来ておりました その完成度にも驚かされましたが、一番ビックリしたのは機体の大きさ 果たして、実際に戦闘に参加していた
地形や気候、風向きによってなのかな?単純にパラオの船はスピード出しすぎなのか? 出発から暫くは、風は顔にダイレクトに当たるわ、波しぶきが飛んでくるわで散々…! てかさ、ポリネシアとかのホントに綺麗な海って、海の色が青(色相環で言えば13~15)からいきなり碧(色相環の19-21)になるの。 平たく言えば、バスクリンを混ぜたようなまさにシーグリーン。すごいよね! そして、目的地であるペリリューには、日本との...
パラオ諸島の南西部にあるペリリューへは、コロール島から船で1時間半でアクセスできるよ。 半日もあれば車で一周できる程度の大きさの島には600人程度の人が住んでいるそう。 そして、この島のいたるところには、太平洋戦争の跡が残されている。 今回参加したのは、そういったゆかりの場所を巡るツアーだよ。 前の話はここ! 次の話はここ! [旅・パラオ台湾編]の最初はここから! ユルいタッチでペリリューの戦...
なんかこう自分の頭の中に行きたい国ストックがあって、例えば本とかネットでその国の話題が出たり、知り合いがその国に行ったと聞くごとに、旅欲ポイントが溜まっていくの。 で、それがふとした拍子に溢れ出した時に「もう行くしかないやな!行くわ!行こ!」ってなる。 このパラオは、丁度ビーチリゾート島国にハマっていたタイミングで、大好きなシャーマンキングって漫画のシリーズで、パラオで散った日本海軍の話が出た事...
大東亜戦争(太平洋戦争)終戦から77年、改めて思うことと新たに思うこと
去る15日で大東亜戦争(太平洋戦争)から77年となったが、ウクライナでの戦争や中共政権による台湾や日本への脅迫、北朝鮮・金王朝の瀬戸際外交などの中で戦争の...
【映画『日本のいちばん長い日』(2015年版) 】日本人として知っておくべき歴史の真実。終戦に向けた日本国内で本当に起こっていたこと。
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アメリカは「1分け2敗」、日本は「4勝0敗」…元自衛隊陸将が解説する大東亜戦争の"意外な勝敗
【本郷和人の日本史ナナメ読み】比企氏の謎 頼朝が最も信頼した一族 - 産経ニュース 産経ニュース ほんごう・かずと 東大史料編纂(へんさん…
皆さんごきげんよう、8月になると戦争を思い浮かべます、日本には二発の原爆が人類史上初めて落とされ、数十万人の人が無残に虐殺されました。歴史は繰り返すと言いますが、正に今起こっている事象を歴史に照らし合わせて考える必要があるのです。国家による戦争、国民総動員
ふううう。昨日はいつものように朝8:00にNHKをスイッチオンして、「あ、今日は8月6日か...」と。というか、8月だという実感すら薄かった私。リアルタイムな戦争に気を取られ、自国の歴史を振り返る機会が減っていることに気づき反省した朝でござ
十二神社(→神奈川県川崎市麻生区万福寺)は、小田急線の新百合ヶ丘駅近くにある神社で、江戸時代中期の1711(正徳元)年11月1日に創建されたと伝わります。当時の万福寺村は17~18戸ほどでしたが、地元の有力者が資金を出し合い幕末期の1851(嘉永4)年9月12日にに社殿を再建したといいます。現在の万福寺は人口が増えて1丁目~6丁目までで9476人(→2023年)が住み、高級マンションがずらりと並ぶ景観となり、2005(平成17)年に鳥居と社殿...
遊就館(→東京都千代田区九段北)は、靖國神社の境内にある戦争博物館ともいえる施設です。「遊就」とは中国の古典『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇(えら)び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」が選ばれたものです。本来は高潔な人に交わり学ぶという意味ですが、近代日本(→大日本帝国)が経験した戦争によって命を失った戦没者(→英霊と呼ばれる)の遺徳に触れ、学びの場とするという願いが込められていると思います。展示...
靖國神社(→東京都千代田区九段北)は、1869(明治2)年6月29日に明治新政府によって建てられた「招魂社」に遡ります。近代国家建設の過程でおきた戊辰戦争(1868年1月~1869年5月)で戦死した官軍将兵の鎮魂とその事蹟を後世に伝えるために明治天皇の発願という体裁で建設されました。1877(明治10)年の西南戦争を経て招魂社は1879(明治12)年6月4日に「靖國神社」と改称されて、現在に至ります。なお、「靖國」とは「國を靖んずる(→国家...
広島、長崎と原爆が落とされ終戦を迎えた8月が近づいてくる。そう思うのは、終戦から20年経たずに生まれた私だからでしょうか? 上記の、【参政党】の切り抜き動画…
「天を回らし、戦いを好転させる」ー人間魚雷「回天」ー 今回は、山口県熊毛郡平生町にある「人間魚雷回天」の資料が展示してある「阿多田交流館」をお届けします。 太平洋戦争(1941〜1945)の終わり
【書評】兵士の目線から太平洋戦争を振り返る!「日本軍兵士」を読む
平成の終わりと令和の始まりのはざまを目撃し、間もなく戦後80年を迎える現在において、第二次世界大戦を考える一冊、吉田裕氏の『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中央公論新社)をご紹介します。第30回アジア・太平洋賞特別賞受賞、2019年
(今回 ちょっと重いです、すいません。) ある日、家でくつろぎながら 弟と楽しく会話をしていた時に、突然父親が間に入ってきて、我々に言いました。 「お父さ…
太平洋戦争中 米国で黒人社会と連携し暴動を画策した日本人がいた
今回は素晴らしい本を紹介します。 「黒人に最も愛され、 FBIに最も恐れられた日本人」 という本です。 日本とアメリカが戦った太平洋戦争・・。 この太平洋戦争中に、アメリカで黒人組織と連携し騒乱を起こし 米国内を混乱に陥れようと画策した日本人がいたのです!! 今回は日本史の教科書には出てこない、この話を紹介します。 (中根中という男) まず1人は日本人・中根中(なかね なか)です。 中根は、大分生まれのキリスト教徒で渡米後の1933年(昭和8年)デトロイトにあらわれ、黒人街で活動を始めます。 デトロイトは自動車産業で有名ですが、当時から栄えていて、この街には職を求めて多くの人々が移住します。1…
『大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義―』(三田村武夫 著)から抜粋
日本の昭和時代の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』(戦争と共産主義)からの、一文の抜粋ページ。...
太平洋戦争や原爆について、特に遊就館のとある展示区画は雰囲気が違う。霊感とかのオカルトではないですが、そういうのに敏感な人は多分入れないと思う。
こんにちは、スロプロのけいです。 最近YouTubeで広島の原爆投下の映像や、 原爆にまつわる色々な物語を見ていたのです
グアムのほとんどが未開の地です。自然の中に沢山の生物が生きています。戦後28年グアムのジャングルでサバイバル生活をしていた横井庄一さんが食べていたウナギを釣っ…
戦争の天才といわれ数々の武勲を残す陸軍参謀 石原莞爾皮肉な話ぶりはするが、真相を捉え、ユーモアもあるが扇動的な軍人石原は関東軍参謀として満州事変を計画した人ですが、自らが参謀本部の作戦部長の時に起きた日中戦争の拡大には反対し、さっさと作戦部長を辞めてしまう戦時中も人気がありましたが、今もなお人気のある軍人さんです。ただ満州事変時の兵力差として日本の関東軍が約1万人に対し張学良率いる東北軍は約19万人...
作家・柏原兵三が書いた小説「長い道」をもとに、藤子不二雄が実際に戦争中に疎開した富山県朝日町山崎を舞台に漫画化した作品です。 (戻ってきたこの長い道に・・) 物語は、1978年(昭和53年)夏に上野から電車、タクシーを乗り継ぎ富山に着き、「ぼくはとうとうもどってきたのだ。この長い道に!!」と言うシーンからはじまります。 1944年(昭和19年)夏、東京で副級長をしていた中学生のシンイチが、太平洋戦争が激化し空襲も激しくなることから富山の田舎に疎開します。 そして田舎を支配している級長でガキ大将で成績も優秀なタケシと出会います。そのほか閉鎖的な田舎の社会に戸惑いながら疎開生活を続けていきます。 …
戦争と平和~太平洋戦争末期の2つの「隠された地震」を掘ってみた、が・・・(上)
戦時中に情報統制されていたことが分かる内務省新聞検閲係の「勤務日誌」(国立公文書館で保管) 目次 隠されたのは「東南海地震」と「三河地震」 母の故郷は渥美半島の先端 学徒勤労動員で豊川海軍工廠の寄宿舎暮らし 家の母屋は倒壊 医王寺の本堂も壊れる 豊川海軍工廠が空襲で破壊され、多数の死者 渥美半島の被災の様子は「数字」だけ 政府の中央防災会議がまとめた震災報告書 「町史」にも写真はなくて被害は見えない ≪下≫ 地元紙・中日新聞はきちんと報道したか? 被害を報道していない ネックになった政府と軍による「検閲」 政府が情報統制していた証拠 中日新聞社の社史にみる見解 隠された地震から学びとるもの 隠…