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煙のシルエットが撮れる事が分かった。とは言っても現像する後日に分かるのだが・・。いずれにせよ、困難なチャレンジは続く(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
そもそも撮れてるのかさえ不明な状況と思う。とりあえず試行錯誤しながらデータ採取した。今のデジカメなら即座に確認出来るのだけど・・(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
立ち位置と水銀灯の関係をマスターせねば・・。って、真っ暗な追分駅構内を駆け回ったであろう。しかし、現像して見てみないと何も分からないし(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
ニコンFを三脚にセットしレリーズを押した。レンズはニッコール50mmf1.4を使用。データは1/30秒、F2.8を基本に撮っていた。「どうか一枚ぐらい撮れてます様に!」(笑)最終的に夜はトライXに落ち着いたと思う。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
どう写ってるかなんて想像すら出来なかったと思う。なので、とりあえず連写してデータを取ったのかな。しかしまぁ~、16歳の少年が深夜に・・・。(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
「水銀灯にギラリと光る二条の煙」。イメージはそんな感じだった気がする。そう意味では、これがベストかな?(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
北海道開拓使に始まる北海道の開発は苦難の連続でしたが、そんな時代を蒸気機関車は走り抜き、消えて行ったのでした。 疾駆するC57。C51の改良型として決定版となったC57型は、太平洋戦争後にも新製された程の旅客用の傑作機関車でした。写真のC57はドーム後に重油タンクを装備して、更にパワーアップされています。キャブはドアが追加された寒冷地仕様改造で、北海道型と呼ばれていました。戦後政府の財政難から、C57の戦後型、4次型は20両で生産中止され、C57型4次型の仕掛り部品を活用して生産されたのがC61型でした。C61型の33両という中途半端な製造数は、C57の仕掛り部品の在庫量から来ています。 突き…
夜な夜な繰り広げられていたD51重連だ!何とも勿体ないと思う今日この頃・・・。今のカメラで撮ると、どの様に写るのだろうか?昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
岩見沢から沼ノ端を経て室蘭港までは、北海道産の石炭の大動脈で、室蘭港は道内産石炭の6割を積み出す重要港でした。 疾走するD51。平坦な線路が続く区間では長大な貨物列車をD51が単機で牽引していました。 明治維新以降、開発された石狩炭田から産出される石炭は、函館本線で小樽へ、室蘭本線で室蘭へと運ばれました。 製鉄用に使用するコークスの原料として適していたので、室蘭製鉄所でも昭和30年代までは使用されていました。 車掌車の後ろに木材チップ積みのトラがつながれています。室蘭は製鉄所と共に製紙工場街でもありました。室蘭本線で蒸気機関車が最後の活躍をしていた頃は、道内の炭鉱は多くが閉山し、エネルギーは石…
長ぐつ(ギースル)重連が夜の追分駅で吠える。昼の撮影もアレですが、夜のSLは全然違うわ。これを見た時、少年の中で何かが弾けたと思う。あとは、これを写し止める機材とテクニックだ。残りはもう僅かだが、少年のチャレンジは続く(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
明るい時に撮ると何の変哲もない一枚だ。しかし、夜と言うだけで哀愁が漂う一枚に!そんな事で夜間撮影にのめり込む少年であった(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
長ぐつ(ギースル)の重連ですね!(笑)これが猛然と発車する時、煙が水銀灯でギラリ!そんなイメージだったのかな?と推察してます。果たしてどうなるのだろうか?昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
露出を変えた少年のデータ採取は続く・・・。とは言え、メモなど取って無かっただろう。ヤマ勘に頼りながら経験を積む少年だった(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
鉄道の歴史に翻弄された吉松。蒸気機関車時代の光景です。 入換作業中、ホームに停車したC55。吉都線は長くC55が活躍した路線でした。 C55に引かれる無火回送のD51。メインロッドが外されています。大型の敦賀式の集煙装置、砂撒管元栓を守るように取り付けられたサンドボックスの庇、汽笛の後ろに重油タンクが乗せられ、更にランボード上の補助重油タンクが取付けられ、矢岳越えの重装備D51と呼ばれていました。 ループ線で高度を稼ぐD51。肥薩線は海沿いを走る現在の鹿児島本線が昭和2年に開通する前は、熊本と鹿児島を結ぶ唯一の路線でした。重要路線であったので、スイッチバックや、日本初のループ線など、峠越えの鉄…
D51の前補機は241だ!撮影当時に見えていたかは不明ですが・・・。今のPC技術(ソフトもだが)が凄く何とか見える。この頃追分駅で夜間にD51重連がバンバン走った。それを何とか捉えられないかと少年は考えたのだろう。夜間撮影の試行錯誤は続く・・・。※因みに室蘭本線としているが夕張線なもしれない。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励...
ご覧いただきありがとうございます。またまた約1年ぶりの更新となってしまいました。コロナに禍になってから全然撮影には出ていませんでしたが久しぶりに出かけてきました。2023/08/31いっぱいでリニューアルのために一時閉園する青梅鉄道公園です。十数年前に一度だけ行ったことがあります。リニューアル後にも行ってみようかと思ってます。「Amazon」での買い物の際には記事中のバナーから入ってお買い物をお願いします。正面入...
何の変哲もないD51をバルブで撮る。そこには現像しなければ分らない画が写っていた。そんな楽しみ方、昔はあったのでしょうね?(笑)多分そんな感じだとは思うけど、記憶喪失状態だ。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
何でもないタンクの貨車が闇夜に浮かぶ。昼には何でもないシーンも夜間では全く違うね。当時の少年が現像したネガを見た時の、ワクワク感が伝わって来るようだね!(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
50年前の夏_Part4(D51915+D51、D51331)
たくさん撮れる(質より量!)ということで、千歳線と室蘭本線との合流地点で撮影したようだ。う~ん、日の丸構図・・・。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
今のデジカメなら簡単に撮れるシーンだろうか?しかし、カメラや露出の知識も乏しい少年でも、意気込みだけはあったのだろうと思う今日この頃。じゃなければ、駅構内で徹夜で朝まで粘らないよ(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
水銀灯に浮かぶ爆煙!これを見た少年の中で何かが弾けた気がする。露出データ、ネオパンSSS、トライXなどフイルム感度を探りながら夜間の撮影も始める。SL終焉までは残り四ヶ月を切っているが・・・。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
さてさて、夜の追分駅へ来ました。ここで明朝まで粘り登別へ向かいます。とりあえず、駐機中のD51484をパチリ!プレートが水銀灯に照らされ闇の中に浮かぶ。露出なんて分らんし徐々に練習したのだろう(笑)。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
D51241と言えば、日本最後の蒸気機関車。夜の夕張線でファン達に見送られましたよね。この頃はそんな事も知らず、他のD51と一緒(笑)昭和50年8月31日 夕張線 清水沢駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
何だか栗山~栗丘が中途半端な消化不良でしたね。次は追分駅での夜間撮影と登別再訪になります。とりあえず、清水沢駅でD51241を撮影後、追分駅構内にて夜間撮影し翌日は登別へ向います。先ずは清水沢駅に居たD51241をパチリ!昭和50年8月31日 夕張線 清水沢駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
今は貨物も通らず、バスのような一両編成が通る線路だ。本線とは言え、一日十往復ぐらいは通るのだろうか?何とも寂しい限りだが、道内の鉄路の現実でもある。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
線路端からの写真だから、栗丘らしくないなぁ~。しかし、夏草茫々で線路端から離れられないのも事実。少年は「鉄道写真は難しい」と呟いたかな?(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
車両の事は全く分かりませんが・・・。緩急車の位置が普通じゃない気もする。普通はD51の炭水車の次じゃないのかな?昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
日本鉄道史上、最大の生産数となった傑作蒸気機関車・D51。日本全国に物資を届けるべく、新鶴見操車場や高島貨物線で活躍しました。 重連で西に向うD51。先頭のD51はドーム後に重油タンクを装備しています。長野あたりから来た機関車かもしれません。 横から眺めるとシリンダーの前方がキュッと詰まった感じがしますが、D51の開発にあたって、長さの短縮は、それ以前の貨物用強力機・D50からの大きな改善のテーマでした。 蒸気機関車は目的地に到着すると、ターンテーブルで前後の方向転換をしますが、D51登場の頃、大幹線以外のターンテーブルは18メートルが標準でD50型クラスの機関車に対して短い設備だったのです。…
日本3大操車場と言われた新鶴見操車場では1970年までD51が使われました。大都会の片隅で貨物輸送に活躍したD51の姿を御覧ください。 横浜港方面からの貨物を受取り、新鶴見操車場へと向かうD51。 操車場とは、貨車1両を荷主が借り切った車扱いと呼ばれた貨車を、輸送の拠点で行先別に仕分けする広大な車両基地を意味します。 新鶴見操車場は関東最大の貨車の仕分け基地で、勤務する鉄道員の数は1000人を超え、新鶴見駅長の地位は、東京駅駅長と同格以上と言われる程の重要な施設でした。 東海道線の電車とすれ違うD51。東海道本線の貨物専用線の設置は早く、D51の通る線路は横浜港へのポートトレインが廃止されてか…
俯瞰撮影から下へ降りて移動中に突然現れたか?D51565もアレですが、電柱が凄いわ!かなり慌てたのかしらね?(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
苫小牧駅から沼ノ端駅へ移動。頻繁にやって来る汽車を同じような構図ばかりで撮り続けた。同じ貨物を後追いでパチリ。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
汽車仲間から画像データを借りたので、蒸気鉄道時代最終期の情景を御紹介いたします。 逆向き単機回送のD51。3トン重油タンクがリアビューの迫力を増しています。坂を下っていますが、上り勾配の補機仕業につくためドンドン石炭を焚べているのか、ブロワーが効いて黒煙も出ています。上り勾配で加減弁を開けていると、シリンダーからの排気でモリッモリッっと煙が立ち上がりますから区別できます。模型ではターンテーブルの設置が難題なので、逆向きに限らず単機回送は、模型でドンドン使うべき運用でしょう。 絶気運転で坂を下るC61。下り勾配6パーミルの表示が見えます。続く車両はマニ60でしょうか? トラック輸送が盛んになる前…
南岸低気圧による豪雪で乱れたダイヤを回復すべく奮闘する蒸気機関車と鉄道員、雪くらいじゃ列車は止めないと言う気合と誇りが満ちていました。 猛然とラッセル軌道モーターカーを押し上げるD51。奥羽本線を電化で追われる幾ばくもない命を燃焼させて峠に挑みます。当時、北海道連絡の大動脈であった東北本線や奥羽本線に配置されたD51には、車両限界いっぱいの大型の重油タンクが装備され、D51としては最大の出力を発揮していました。蒸気機関車は力行を続けるとボイラーの圧力が下がり馬力が落ちます、同時に連続するドラフトによって石炭が急速に燃焼するために火床に焚べた石炭も減り、空転した際に火床に穴が開いてボイラーの燃焼…
東北本線の野辺地を起点に下北半島を縦走した大湊線では、1日に1往復の貨物列車の運用にC11が使われていました。 陸奥湾を左に見ながら下北半島を北上するC11。従う貨物列車の中には冷蔵車も見えます。大間のマグロを運んだのでしょうか?平坦線の夏場ですから、煙もうっすらとたなびき、C11は軽快にレールを踏んで行きます。 野辺地機関支区で最大の施設であったラウンドハウスとターンテーブルは敷地の最も奥に配置されていました。東北本線が電化されD51の補機増結が無くなり、大湊線にもキハが投入され蒸気機関車が旅客輸送を外れてからは所属する機関車も減り、日々の営業では使用していないように見受けられます。ラウンド…
会津若松機関区は只見線の立役者C11を完璧に整備する頼もしい施設でした。 ターンテーブルに乗るC11を見守る構内作業員。会津若松にはD51も乗る大型の下路式ターンテーブルが設置されていました。ただしターンテーブルと周囲のレールとの段差は、通常のレールジョイントの平滑さとは比較にならないほどでしたので、静々と慎重に乗り入れるのでした。只見線のC11は線区が長く、勾配もあったので炭庫を屋根高さまで嵩上げした重々しいリアビューをしています。このターンテーブルは電動式で、中央に櫓が立ち、そのてっぺんに回転式の受電装置が見えます。近くにはトランスを乗せた頑丈な電柱が建って、ターンテーブルを駆動するモータ…
昨日(8月13日)は、家族の顰蹙を買いながら上越線の「SLぐんまみなかみ」を撮影して来ました。8月11日は、D51 498号機の後ろにEF64 1053号機が直に着く重連形式で運転されたとのことだったので、それを期待したのですが昨日は普通のPPでした。家を出てから戻るまで45分の近場時短撮影だったので、とりあえず記録しただけですが赤プレのD51を撮影できました。せめてもの拘りが、動輪に線間に張られたロープ(何と言うのでしょう。)...
一昨日(8月13日)運転された「SLぐんまみなかみ」はD51 498号機+12系+EF64 1053号機のPPでしたので、リア側もとりあえず記録しておきました。パンタが鉄塔にかかっているのが、とりあえず感を増幅しています。(苦笑)後方に見える建物は群馬県庁です。できれば上越線のもっと先へ行きたかったのですが、時間に余裕がなくこれだけ撮影して帰宅しました。国鉄 JR東日本 D51 D51498 上越線 SLぐんま EF64 EF641053 撮り鉄...
50年前の夏_Part2(室蘭本線D51/C11/DD13)
千歳駅から苫小牧駅に移動。汽車がゴロゴロいるし、次から次にやって来る、別世界に来た感じだった。左からD51104、D51331、D51423。日高本線用のC11がDD13と共に入れ替え作業中?1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
何となく徐々に思い出したが、栗丘の丘はこんな感じ。今は単線と思いますが、どちらの線路が残ったのか?いずれにしろ、十年後には両方無くなるのだろう・・。↑あくまで個人的見解で他意はございませんので。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用)ここで白黒ネガ63本目終了です。引続き64本目も栗丘の丘が続く。↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加し...
苫小牧でよいとまけを買ってウトナイ湖へgogo🚛『8月の北海道の旅2023①〜予定変更で突然の出発』8月3日午後3時過ぎ突然出発します🚛当初の予定は道北と利尻…
当時は貨物のD51や客車のC57がバンバン来た。なので、線路も立派な複線だったのである。今は存続の危機にある室蘭本線岩見沢~苫小牧間。何でそんな事になってしまったのだろう・・・。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
凄いカットが現れたぞ!(笑)ナメクジだからここまで追ったのだろう。当時の少年の嗜好が良くわかる一コマだね。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
ふむふむ・・・。斜め上から俯瞰的にナメクジが良く見える!ナメクジとは良く言ったものだなぁ~(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
手前にはカメラマンも写ってますね。少年は人が入る事を殆んど気にしない様です。まさか将来PCで消せる事を知ってたのか?そんなハズはある訳ないじゃないですか!(笑)って言うか、ネガを画面で見れる不思議な時代。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
さて次はD5160のナメクジ登場ですよ。勿論、当時はナメクジが来ることを知りません。来て見て初めて分かる状況だった気がします(笑)それはそれでお楽しみな事で良かったのでしょう。昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
今の室蘭線は貨物も走って無いよね?コンテナのJNRが懐かしい!カラー化すれば緑色だろうか?(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
後ろに見える白い車はカローラでしょうか?今なら簡単に消せますが記録と言う事で(笑)しかし、末期の夕張線の紅葉山駅は酷かったな。関西と言うか、大阪弁に恐怖を覚えた記憶ある。TVでしか聞いた事ない少年は怖気づきました。今は違うと思いますけどね(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
さてさて、次は当時の有名撮影地の栗丘へ降臨(笑)少年は小高い丘の斜面に取り付いてD51を待った。煙はあるが、ファンもポツポツと写ってますね?そんな事も気にしてなかったのかも知れないな。後に良い記録になる事を知っていたのでは?(笑)昭和50年8月21日 室蘭本線 栗丘~栗山で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
まさに現在、煙の記憶でUPしてる白黒ネガの頃だ。この本が残ってるのは奇跡的だなと思った次第です。広田先生の写真を参考に撮っていた事も良く分かる。勿論、全く全然同じようには撮れてないけどね(笑) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
ナメクジとなればサイドも撮りますよね?しかし、横から見るとD51はデカいです。傍で見ると迫力満点だったのでしょうね。昭和50年8月20日 室蘭本線 志文~栗沢で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...