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特急列車を撮影した後はぐーっと回り込むように橋の反対側に進み上り貨物を撮影していました。(860レ)お恥ずかしながらこのコマは傷みがひどく、私の修正の腕ではこの程度でした。1973年 8月これだけ至近距離なのに号機がはっきりせず、、 汗”一応、これかなと思われるD51239号機と仮決め(?)しました。情報は以下の通り1969-03-31/月 現在 下関運転所 入換専用機1972-03 この頃 下...
昨日、10月14日は鉄道の日。 旧鉄道記念日ですかね。 名前を変えた理由は鉄道記念日イコール国鉄のイメージが強いので私鉄も含めて鉄道全般をイメージしたいということらしく。こういう日は、鉄道施設だけでなく、スーパーやモールなどでもこの時とばかりに商魂たくましく色々やっているようです。経済を活気づけないといけない今の日本ではもうなんでもござれですね。そのイベントなのかはわかりませんが、私事ですが昨日ど...
いよいよ、山陰本線の撮影も三日目の最終日です。この日は益田から宇田郷駅へ移動しそこから惣郷川橋梁へ向かったようです。その惣郷川橋梁の前に一枚ののショットがありました。1973年 8月信号が見えますし、手前は線路を渡れるようになっていますので、駅の発車シーンではないかと思われます。最初は、この列車に乗ってきて、宇田郷駅で降りて出発を後追いで狙ったのだと思っていたのですが、、宇田郷駅近辺のGoogle Maps...
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その18 やっとまともな写真が、、
昨日10月10日は旧体育の日。 関東で一番晴れの確率が高くて昭和の東京オリンピックの開催日に選ばれたわけですが、確か前の日は雨模様だったのですよね。今年も、まさしくそのジンクスが続いているかのような陽気でした。さて、午後に入って下りの1891レでやっとまともな写真が撮れたようです。 笑煙はないけれど、青い海と岩礁を入れることができました。 また編成も入りました。1973年 8月牽引機はD51418号機。本...
まずは、いきなり恥ずかしいお詫びを、、実は11を数えられてないというのが判明しまして(汗”)、大分きてるなとは思いましたがここで気が付いたのはまだ何とかなるか脳細胞(笑)とプラス思考で納得し、、 その〇〇を修正しました。 申し訳ありませんでした。(。-_-。)さて、この折居駅近くでの次の撮影は上りの貨物です。メモでは876レ。折居駅13時04分通過となっています。1973年 8月今度はもう少し周布駅...
この写真で当時の事を良く思い出せました。これは完全に重連狙いでフイルム感度をUP。かなり粒状性は荒いですが、これで十分です。と言うか、トライXは高かった気がします。なので、ネオパンSSSで何とか・・(笑)昭和50年9月14日 夕張線 清水沢~鹿ノ谷で撮影。(NEOPAN_SSSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
早朝の山間は志幌加別川の影響か?ガスってます。しかし、狙い通りD51重連は綺麗な白煙ですよ。自転車の疲れも吹っ飛んだ事でしょう!(笑)昭和50年9月14日 夕張線 清水沢~鹿ノ谷で撮影。(NEOPAN_SSSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
白黒ネガ66本目スタート!早朝の夕張線は追分からD51重連が来ます。今日は自転車で清水沢~鹿ノ谷へ駆けつけました。少年の自転車は片道15kmほど漕ぐわけですな。重連を撮る為とは言え、今じゃ無理でしょうね(笑)昭和50年9月14日 夕張線 清水沢~鹿ノ谷で撮影。(NEOPAN_SSSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
今日は昨日より気温が上がったでしょうか?軽く動くと汗ばむほどでした。ま~お天気が良い事に越した事はありません。10月19日と言う事で自己主張の甚だしかった?あのカマの画像でもと思いましたが、デジタル化してないものが殆どなので今日も陸東のD51の画像から。昨日出した下りの折り返し上り列車は、強逆光の凄い場所で列車を待つ事に。今現在の機材のセットならもっと違う画が撮れたのかも?ですが、当時の機材ではこ...
毎日好天で快適な陽気にウキウキです。仕事も忙しいのですがお休みを貰ってリフレッシュ!明日はインフルエンザの接種の予定。この後コロナワクチンの接種を何時にするか?悩みますね。3日続けて陸東のD51です(汗)試運転3日目は1発勝負を捨てて追っかけをする事にしたのを覚えています。列車は鳴子で途中停車があったので、その手前と先で撮る算段でした。そこで選んだのがこちらの場所。一応緩いながらも上り勾配の区間で...
昨日に引き続き秋らしい空が広がり気温もそこそこ良い天気でした。快適に体を動かすのにはこれ以上ない陽気です。会社にいるのが勿体ない(笑)引き続き今日も古い画像で食いつなぎましょう。昨日のカットの翌日撮影の1枚、場所は中山平の手前ですね。小牛田方面から徐々に堺田へ向かい勾配が緩く続いていきますが、本格的な勾配は鳴子からの区間。定番の鳴子峡も捨てがたかったのですが、当時は頭の先からお尻迄キッチリ画面に入...
今日は予報通り雨の夜明けで、ずいぶんと長い時間降り続いていました。それでも午後には止んで晴れ間も見えるように。夕方から予定があったので当然ながら非鉄DAY、次は22日に出掛けられるか?どうか?ですね。ネタが無いので今日も古い画像で食いつなぎ。昨日のSLの流れを切らさず今日もD51の画像から。昨日は引かれる後ろ姿のお顔バージョンでしたが本日は正真正銘の後ろ姿!時は同じく1990年の秋、陸羽東線での運...
10月14日、今日は鉄道の日。これが制定されたのが1994年なんだとか?ワタシ的にはもちろん鉄道記念日なんですが、今になってしまえばどちらでも良いのかと。昨年の今日はどんな画像を出したのか?と振り返ってみればSLの画像でした。と言う事で本年の記念日もSLの画像でいってみようかと。今を遡る事33年前?の夏の一コマ。釜石線で試運転を終えたD51御一行様が盛岡へと帰区する途中、花巻空港駅で通過列車の退避...
あまりにも凄い煙だったので、思わずシャッターを切った。一枚目のカットは、この貨物が通過した後の画。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
昭和46年、全国一の良質炭を掘り続けた大嶺炭鉱が閉山して、輸送量が無くなっても、C58は南大嶺と大嶺の間の大嶺支線を往復していました。 C58が大嶺支線のたった1両の客車を引いて走ります。 大嶺支線は開通当初は厚狭駅から大嶺駅までの大嶺線という線区で、大嶺炭鉱で産出される良質の石炭を日露戦争で軍艦に使用するために、大日本帝国海軍が肝入で開通させた炭鉱鉄道でした。やがて長門市駅から厚狭駅までの南大嶺を通る路線が全通して後は、南大嶺から大嶺までが大嶺支線となったものです。日露戦争の日本海海戦では、黒煙が少ない大嶺炭鉱の石炭を焚いた日本の艦艇は、ロシア艦隊から見つかり難く、更に砲戦ともなれば、煙に邪…
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その16 撮影地へ移動
浜田駅を10時14分発の列車で次の撮影地折居駅へ向かったようです。列車番号などの記録は残っていないので不明です。ここでの最初の撮影列車は1986レのD51牽引の貨物列車でしたが、、1973年 7月苦笑、、 少々失敗したようです。 とりあえず、牽引機ですがD51418号機のようです。1968-03-31/日 現在 長門区1974-03-01/金 廃車(長門区)出典 デゴイチよく走るこの機関車も翌年の197...
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その12 1973年8月3日
この山陰本線のシリーズを始めるまで知らなかったのですが、今年は山陰本線全線開通90周年なんですね。ということは、私が行った1973年は40周年だったわけで、、 偶然とはいえ奇遇です!さて一夜明け1973年8月3日。少年は仁万駅8時35分発の急行「さんべ1号」に乗って浜田駅に向かったようです。これは途中の駅ではないかと想像するのですが駅で交換した貨物列車を撮影しています。残念ながら、どこの駅なのか...
今朝も冷え込みました。長野全県霜注意報が出てますからね。 でも宮田村は9.8℃で昨日より暖かく霜は降りていません このコーラ、懐かしいと思いませんか? …
山陽新幹線開業から、米子方面への旅客輸送強化で電化までされた伯備線ですが、中国山地を縫って走る芸備線や、陰陽連絡でも新幹線との接続の悪い木次線、更には出雲市から西の山陰本線までが廃線を取り沙汰されています。 石炭を焚べるために焚口扉を開けた瞬間、D51のキャブの中は炎が放つ赤い光に満たされます。陰陽連絡は中国山地の坂との戦いでした。 一口に石炭を焚べると言ってもD51型は石炭の積載量は10トン以上あります。一回に3キロずつ掬って投げ込んでも、回数は3000回を超えます。しかも投込みは3平方メートルの広い範囲を均等に、石炭の薄い所を狙って投げ込みましたから、まさに職人技です。揺れるキャブとテンダ…
このD51が夕張線では一番多く会った気がする。この角度で「長ぐつ」と「かまぼこ」が良く分かる。それを教えてくれた友達は何処で何をしてるだろう?弊ブログを見てくれてたら嬉しいけれど・・・(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 登別~冨浦で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その9 有名撮影地へ向かうも、、
1891レを仁万駅から五十猛駅寄りのオーバークロスで撮影した後は、少々歩いて有名撮影地へ向かったようです。地図で見ると2キロぐらいでしょうか? 列車から見ていれば今みたいにスマホがなくてもなんとかたどり着けたでしょう。1973年 8月ネットで調べてみますとおそらく「宅野の大築堤」と呼ばれているところだと思われます。この写真を最初に見たときSLは写ってないと思ったのですが、どうやら真ん中あたりの築堤...
田儀駅10時03分発の829レに乗って仁万駅到着が10時59分のようです。おそらく、仁万駅で下車して追い抜いたD51665牽引の1891レを仁万駅近くで撮影したと思われます。1973年 8月さてさて、ここはどこなのか?Google Mapsのストリートビューを使ってあちこち探したところ、、どうやらここではないかという場所を見つけました。出典 Google Maps1973年の写真では腕木式信号機がコンクリートの上にたっていますが、...
先の1891レでどうやらこの場所を撤収し次の撮影地へ向かったようです。メモでは田儀駅発10:03発の829レに乗って仁万駅へ向かったようです。829レがどんな編成の列車だったのか? 残念ながら記憶もなく、手元に時刻表も発見できなかったので謎のままではありますが、どうやら田儀駅かその途中の駅かはたまた下車した仁万駅にて停車中の先ほどの1891レを写真に収めていました。1973年 8月私、山陰本線にはこの後訪問...
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その6 振り返ってのショット
少年は目の前を通り過ぎた貨物列車を振り返って後追いをしています。1973年 8月この写真のポイントはSLというよりまるで模型のジオラマを見ているような風景と思います。線路わきの小さな畑、その前には農家さんでしょうか? 昭和感プンプンの瓦と蔵。 その向こうのお宅は白壁ですね。ここも現在はどうなっているのかGoogle Mapsで見てみました。なんと、手前のお宅は土壁の蔵は取り壊されていましたが、母屋のほうはこの...
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その5 これがメインショットか?
諸先輩方の助けを借りながら半世紀前の自分を追いかけています。 ありがとうございます。便利な時代になりましたね。 60過ぎてこんな楽しみが待っているとは思いませんでした。さて、この田儀ー小田駅間のポイントではこのショットがメインであったと思われます。下り1891レの貨物列車と思われます。1973年 8月牽引機はD51665号機です。 いい感じの構図ですが電線が~~!!! まあ、中学生の写真という...
海岸沿いの斜面に沿い、切通しで丘を、谷を築堤で越え、岬に続く山はトンネルで抜け、川は鉄橋で渡る、次々に移り行く車窓の景色が、心に染みていく汽車の旅。 山あいの勾配区間のS字カーブで身をくねらせるD51牽引の旅客列車。切通しで窓に迫った緑から、展望の開ける築堤へと列車は進みます。景色の連続する変化が、見る者の胸に、移動する距離感を刻む汽車の旅です。 駅にモクモクと迫る山からの緑も、きれいに処理された汽車旅の駅。停車した車窓から眺める駅名標が、ここまで来たのか、と到達感を乗客に伝えます。レールのジョイントをタタンタタンと刻む音と共に、着実に旅程は進み、目的地は近づくのでした。 窓の景色の中で、乗客…
この先にはトンネルがあったと思います。しかし、途中から煙サービスが始まったかな?この頃からそんな事が時々あった気がする。昭和50年8月31日 室蘭本線 登別~冨浦で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
その昔、朝鮮半島を経由して大陸の文化と文明をいち早く取り入れ日本の中で最先端地域であった出雲の国と山陰道。蒸気機関車の無煙化による消滅とその後の鉄道輸送の衰退は、それ以上の地域の衰えの前兆だったのでした。 雨のプラットフォームに滑り込むD51牽引の普通客車列車。線路近くまで山並みが迫り・僅かな敷地に集落が佇んでいます。 D51の引く長編成の普通列車が輸送量の多い幹線を感じさせます。 切通しを抜けるC57牽引の普通客車列車。灌漑用の山水の水路配管が切通しを跨いで、斜面を上手に利用する地域の知恵が感じられます。水平線に島根半島が浮かぶ山陰本線。 圧力計などの計器がずらりと並ぶD51のキャブ。全ての…
廃棄処分寸前、改めお宝段ボール箱で分かった事。今回の登別紀行は別の用件があったみたいですよ。それは後ほど紹介するとして、とりあえず連写!(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 登別~冨浦で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
登別駅に降り立った少年、とりあえず冨浦方面へ向かう。夕張線で良く会うD51119の長ぐつ(ギースル)が来た。天候はこの時期の太平洋側特有な濃霧状態のようだね。先が思いやられる少年であった(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 登別~冨浦で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
総延長673キロメートルに及ぶ山陰本線には、名門梅小路機関区を筆頭に、福知山機関区、米子機関区など数々の機関区が運行を担っていました。浜田機関区は長門機関区と共に、山陰本線の下関口の蒸気機関車を保守していたのです。 朝の日本海を左に見て突き進むD51とC57。蒸気機関車の快走に機関区での保守は欠かせませんでした。 レンガ造りの古風な機関庫の前でブロワーを吹かし圧力を上げるD51。機関庫脇に並ぶ各作業班の詰所と、背後の巨大な照明灯が、この機関区の重要性を物語ります。 石炭灰と煤で砂利が見えなくなった構内に設けられた歩行通路も機関区の活気を伝えています。 出発まで、しばし休息中のC57とD51。山…
日本海に沿って走る山陰本線。日本海と鉄道は地域の時代毎の変化に大きく関わっていたのでした。 かつては北前船が行き来した日本海を左に見て、京都方面行の貨物列車を引くD51。山陰本線の京都↔下関間の距離は、東北本線の上野↔青森に次ぐ長さで、700キロ近い長距離路線でした。 明治中期以降に日本全国の鉄道網が整備されるまで、日本海を使い、大阪から北海道を結んだ北前船は、日本最大の国内輸送ルートでした。北前船は、単に北海道の産物を関西にもたらしただけではなく、瀬戸内海から、山陰、北陸、東北の西海岸、北海道を航海する津津浦浦で地域の産物を交易する、日本海沿いの長距離商いの仕組みでした。もちろん瀬戸内の塩を…
早くから電化されていた中央線ですが、八王子には八高線の蒸気機関車の機関区がありました。 D51のクロスヘッド。シリンダーの押し引きの力を動輪のクランクに伝えるメインロッドとをつなぐ重要な部品がクロスヘッドです。クロスヘッドだけでも2つの油壺が付いています。クロスヘッドの右にはシリンダーへのスチームをコントロールするバルブを駆動する合併テコが縦に付き、これらの関節部分への注油も、蒸気機関車を走らせるには重要なメンテナンス作業でした。 石炭の積込み作業中のD51。八王子機関区には石炭をホッパーで落とす給炭槽や給炭用のクレーン設備は無く、コンベヤーもしくは人力で石炭を積込んでいました。石炭の粉を固め…
半世紀前の夏休みの思い出 山陰撮影行 その4 いきなりの後追い 笑
上りのC57牽引の客車列車の後は再び上りで今度は貨物列車です。牽引はD51。田儀駅発は9時16分です。1973年 8月おや、なんと後追いを仕掛けています。しかし、電線が思いっきり入っています。 苦笑まあまあ大きな目で見てください。なにせ、二軸貨物なんてもう走っている姿さえ拝めないのですから、、 当拙ブログにご訪問ありがとうございます。このボタンの先にはすばらしい写真が満載です。よろしければポチッと...
きっと静かな朝だったのでしょうね。ポツポツとファンも見掛けたけど、規制とかはこれからだったのだろう。窓の閉まってるから乗り鉄も居ないよ(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用)↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
D51牽引で良いから旧客の旅がしたいな!背もたれが直角で、座り心地は良くないけど。何だか風情がありますよね!この写真は(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
徹夜明けの朝飯は何を食べたのかしら?まぁ~しかし、何と申しましょうか?タフで体力も十二分にあったのでしょうね。まだ蚊やブヨなんかも居ただろうに・・・。今じゃそんな事は出来ないだろうなぁ~(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
この立ち位置は割と好んで撮った気がします。人の邪魔にもならず、煙も確実だからでしょうね。しかしD51もアレですが奥のナメクジも気になる(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
やっと夜が明けたでしょうか?D51も仕業を開始したみたいです。追分機関区の一日が始まりますよ。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
早朝の列車なのか?ファンが乗ってないのか?窓も閉じられ乗客は少ないようですね?昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
恒例の後撃ちですが、後ろは追分機関区でしょうか?徐々に赤ブタも入り込んで来た記憶が残りますよ。しかし、彼らに転車台は不要なんですよね?昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
トンネル飛び出しをがむしゃらに撮った画。同じ貨物の後追いカット。ブレブレで号機は読み取れないが、燃焼効率を高めた細長い長円形の煙突(ギースルエジェクター)であることが判る。1973年8月 OLYMPUS 35DC(二枚とも)にほんブログ村↑↑↓↓お気に召したらポチポチっとお願いします。...
いわゆる旧客(当時は普通に居た)が普通だった。移動もこれに乗ってSLを撮りに行く室蘭線です。徐々に赤ブタが牽引するようになるのだが・・・。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
爆煙状態だけど他にファンは居なかったのだろうね。少年はよく左側の犬走りを駆け回った記憶が残る。今じゃ、完全にアウトなんだろうけど(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
JR神戸駅近くの高架下そばの公園にSLの名車「D51 1072号」が静態保存されています。デゴイチの愛称で親しまれ、国鉄の前身鉄道省が設計・製造したテンダー式の蒸気機関車で、鉄道の黄金時代のロマンを感じさせます。 D51は主に貨物輸送用に使われたSL。動輪の大きさは旅客輸送用のC57等に比べると小さいですが、4軸もあり、トルクフル。1936年から1945年までに1115両も製造され、戦中戦後の輸送を支え...
これだけ煙が出ると釣られて撮ってしまう(笑)条件反射と思うが、モードラなら大変でしょう。フイルム代などの経費も嵩むし・・・。昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
何気ないけど、いわゆる爆煙ですよね?朝一番もあるけど露出不足だろうなぁ~。もっと露出とかカメラを勉強せねばネ(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
白黒ネガ65本目スタート!どれだけ眠れたのかは不明だが一夜が明けた。朝一番の客車はC57ではなくD51だった。しかし、この頃には日常茶飯事だった気もする。贅沢は言えない状況になりつつあったのだ(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用) ↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
苫小牧方面は撮りにくかったのでしょう。ぜんぶ岩見沢方面で撮ったみたいです。煙が無くても、そこそこ写る事もわかった。あとはC57は足が速いからトライXか・・。しかし、追分駅の軒先での野宿はキツイ(笑)昭和50年8月31日 室蘭本線 追分駅で撮影。(KONIPAN_SSを使用)白黒ネガ64本目終了。明日は朝の追分駅構内です。↓↓↓こちらのクリックがブログ更新の励みです!↑↑↑にほんブログ村ランキングに参加してます。 ...
山中のローカル線が生き残り、北海道のかつての大動脈が廃線の危機にあります。 深い谷をトラス橋で渡り山あいを更に奥へと進むC11。 新潟県小出まで延伸し、県境の分水嶺をトンネルで抜ける事で、豪雪地帯である地域の冬の足として存続の価値を見出した只見線。 秋口には日本有数の紅葉の名所として、全国どころか、世界から観光客を集め、廃線の危機を乗り越えられそうなのは嬉しく思います。 D51が飼料用のホッパー車を連ねて力走する室蘭本線。千歳線との合流点である沼ノ端駅も近い。 ローカル線ながら、存続の為の要件を集める只見線に対して、室蘭本線は岩見沢から沼ノ端までの通しの貨物列車は1日に1本だけになり、沼ノ端駅…