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昭和46年、全国一の良質炭を掘り続けた大嶺炭鉱が閉山して、輸送量が無くなっても、C58は南大嶺と大嶺の間の大嶺支線を往復していました。 C58が大嶺支線のたった1両の客車を引いて走ります。 大嶺支線は開通当初は厚狭駅から大嶺駅までの大嶺線という線区で、大嶺炭鉱で産出される良質の石炭を日露戦争で軍艦に使用するために、大日本帝国海軍が肝入で開通させた炭鉱鉄道でした。やがて長門市駅から厚狭駅までの南大嶺を通る路線が全通して後は、南大嶺から大嶺までが大嶺支線となったものです。日露戦争の日本海海戦では、黒煙が少ない大嶺炭鉱の石炭を焚いた日本の艦艇は、ロシア艦隊から見つかり難く、更に砲戦ともなれば、煙に邪…
山陰駅巡り22夏-島根山口編(31) 美祢線 南大嶺駅 ~大嶺支線を潰した変則構造の駅~
大嶺駅跡から大嶺支線の廃線跡を辿って南大嶺駅までやってきました。南大嶺駅は山口県美祢市大嶺町西分にある美祢線の無人駅。前回記事で訪問した大嶺支線の分岐する駅でした。駅前にあった看板を覗いてみます。駅の開業は1905(明治38)年9月13日。山陽鉄道の厚狭~大嶺間の開通に伴って伊佐駅として設置されました。看板の記載内容によると、この路線は「もともと軍事上から大嶺駅からの無煙炭輸送を主目的に建設された」ものでした...
山陰駅巡り22夏-島根山口編(30) 美祢線大嶺支線 大嶺駅跡 ~かつての大嶺炭鉱の積み出し駅~
美祢駅前からブルーライン交通バスの豊田町西市行きに乗車しました。目指すは美祢線大嶺支線の終着駅だった大嶺駅跡です。大嶺支線は美祢駅の一つ手前にある南大嶺駅から分岐して、大嶺駅までのひと駅区間だけの支線で、1997(平成9)年4月に廃止されました。線路跡のほとんどの区間は道路に転用されています。さて、バスは街中を抜けると国道435号に入り、途中で病院に立ち寄ったりしながら西に進みます。しばらく進み交差点を右折...