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皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜宮中は出世のことしか考えない輩ばかりだねってことで第5話の感想ぉ〜!今回は第1話でまひろの母が殺されたことをや…
鞍馬寺は、『源氏物語』の第五帖「若紫」で、光源氏が若紫(後の妻・紫の上)と出会った北山の“なにがし寺”とされています。若紫(わかむらさき)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第5帖。巻名は、一般的には「この巻で幼い日の紫の上を描いていることからこの巻を若紫と呼ぶ」とされるが、「若紫」という言葉そのものは含んでいないものの、光源氏の歌「手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草」によるとさ...
紅葉がデザインされたラッピング電車に乗って、紅葉で賑わう洛北の地鞍馬へ。鞍馬駅待合室内には、京都三大奇祭のひとつ「鞍馬の火祭」で使用されている中松明(ちゅうたいまつ)が展示されています。長さ3.5m、重さ60キロとはかなり長くて重いのですね( ゚Д゚)鞍馬といえば、天狗2019年10月18日、叡山電鉄鞍馬駅前に2代目となる大天狗の像が叡山電鉄の開通90周年を機に登場しました。顔の大きさは縦1.8メートル、横1.6メートル。鼻...
紫式部は、源氏物語を書き続けることにより、一条天皇と彰子を結び付け、後の天皇を生ませるという道長からのミッションを達成したわけで、物語的にも、パピーエンドの大団円かと思いきやそうではありませんでした。 道長も今だ摂政になれていなかった段階であったので、摂政になるため、源...
桜宮神社の鳥居の横に平安宮采女町跡(うねめまちあと)の案内板があります。 平安宮采女町跡 天皇の居所である内裏の西北にあった采女町は、主に天皇の食膳の給仕を職掌とした女官が伺候する所で、西隣には天皇の食膳を調理をする内膳司がった。采女の制度は、古墳時代後期頃、地方豪族が朝廷への服属の証として自らの子女を出仕させたことに始まり、7世紀の律令制の確立によって采女の身分や法的な整備がなされた。 平安時代に...
平安京の内裏跡(18)平安宮内裏蘭林坊跡・聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡
平安京大内裏の蘭林坊(らんりんぼう)があったところ(上京区土屋町通出水上る東側)は、豊臣秀吉の聚楽第があった時代には、豊臣秀勝の邸宅があったと推定されています。蘭林坊とは、平安京内裏の北西部、朔平門と式乾門との間にある建物です。宮中の御物、御書などを納める所で、内に御書所・絵所が置かれていました。聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡伝承地このあたり一帯は、古代において、平安京大内裏(平安宮)のうち、天皇の住まいだ...
ようやく二人きりで話すことができたまひろと三郎。三郎に伝えられたのは兄の道兼がまひろの母を殺害した衝撃の事実という『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第5…
今回はまひろ(吉高由里子さん)や道長(柄本佑さん)が属す世界、平安貴族について考えてみたい。とりあえずは、その前に前回、少し触れた位袍の色について。以下の画…
ついに始まった2024大河『光る君へ』。おもしろくなるかどうかはまだ分からないが、昨年とは大いに違って、丁寧かつ真摯に制作されている印象を受けた。 人気の戦…
出水通の「体験工房 雄彩」の前に、平安宮内裏淑景舎(桐壺)跡の案内板があります。淑景舎(しげいしゃ・しげいさ)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。庭に桐が植えてあることから桐壺(きりつぼ)の別名がある。内裏の北東に位置し、南北二棟がある。(北は淑景北舎) 宣耀殿の東、昭陽舎の北。天皇の住まう清涼殿から最も遠い位置にあり、また、清涼殿に向かう際もほかの殿舎の前を通る渡り廊下を通らねばならないなど...
藤原道長は、藤原氏の全盛期の「平安貴族」 であるかのように認識されがちですが 違うという方もいます。 菅原道真公を左遷し餓死のような状態に 追いやった藤原時平は39才で死んだけど、 弟の藤原忠平は左遷に反対していて、 その忠平の系統だけが出世するようになったそうで。 検索してみると『十訓抄』にそのような記述があるそうで。 道長は忠平の曾孫だとか。 Wikipeddiaによると忠平の長男の実頼は時平の娘の婿に入っていた。 次男の師輔は道真公を御祀りする北野天満宮を 支援していて、「道真の怨霊によって 実頼の系統の絶滅を願ったのではないか」 という方もいらっしゃるとか。 この師輔が九条家の開祖とさ…
雅楽は、5世紀から9世紀にかけ、大陸からもたらされた楽器演奏と舞に日本古来の歌や舞が融合して、平安時代に完成したといいます。管楽器、打楽器、弦楽器で編成され、貴族たちの優雅な遊びとして、合奏する様子が源氏物語にも描かれています。(「光る君へ」紀行より)京都においては、市比賣神社の宮司故飛騨邦冨(ひだくにとみ)氏が雅楽を教え始め、文化的遺産として雅楽を研究し、継承を始めました。「いちひめ雅楽会」は、雅...
前回、いよいよ三郎=藤原道長であることを認識したまひろ。道長とまひろが対面するシーンで、まひろの独り語りにつらい告白がありました。まひろが母の敵である道兼を憎…
読書記録:■紫式部日記 (舞夢)-カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16816700427595848925はい、大河ドラマに触発されました(笑)紫式部が三十代半ば頃に書いたとされる、一年半ほどの日記というか覚え書きと..
NHKの大河ドラマは「真田丸」は観た事があるのですが、ここ何年と観ていませんでした 今年は紫式部の生涯を描いた「光る君へ」と聞いて興味津々観る事にしました オープニングの画像が何ともいえず官能的で素敵
まだ見てますww<過去大河ドラマを2話以上見たことがないまひろと三郎がいろいろと引っ張りすぎず、早々とお互いの身分と事情を対面で話し合えたのに安心しました。次回予告で三郎さんが、兼家を利用し始める感じ..
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜相変わらずドロドロ感、満載だね〜ってことで第4話の感想ぉ!ようやく会えたまひろと三郎(実は道長)。道長さんは散…
【光る君へ】#4 二重のショックに負けず五節舞をやり切ったまひろ。次回が待てない
まひろはまだ子どもだよね NHK大河ドラマ「光る君へ」第4回「五節の舞姫」が1/28に放送された。さっそくあらすじを公式サイトから引用する。 (4)五節の舞姫 初回放送日: 2024年1月28日 互いに身分を偽ってきたまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)だったが、まひろはついに素性を明かす。道長も真実を語ろうとするが…その頃、円融天皇(坂東巳之助)の譲位を知った詮子(吉田羊)は挨拶のために謁見するが、思いもよらぬ嫌疑をかけられる。ある日、まひろは倫子(黒木華)からの依頼で、即位した花山天皇(本郷奏多)の前で五節の舞を披露する舞姫に選ばれる。そこでまひろは驚愕(がく)の真実を知ることに…((4)…
清涼殿跡の向かい側に、平安宮内裏弘徽殿跡の碑があります。弘徽殿(こきでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つであり、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われます。清涼殿北側に位置する七間四面の建物で後宮で最も格の高い殿舎であった。皇后・中宮・女御などが居住した。天徳4年(960年)の火災で焼失し、河内国司によって再建された。しかし正暦5年(994年)と長保元年(999年)にも焼失している[1]。再建後、弘徽...
『光る君へ』第4話。第2話から変わらず、永観二年(984)です。 物語の前半、左大臣・源雅信の屋敷である土御門殿に盗賊が押し入りました。散楽の公演を行っている…
前回に引き続きです。 再掲になりますが、源氏物語誕生の背景を考える上で必要な登場人物です。 ( )内は、「光る君へ」の配役です。 藤原兄弟は、 道隆(井浦 新)、詮子(吉田 羊)、道長(柄本 佑)、他 一条天皇(塩野瑛久)は、円融天皇(坂東巳之助)と、詮子(吉田 ...
承香殿跡から30mほど西に行くと、平安宮内裏清涼殿跡の案内板があります。平安京の内裏のうち,天皇の日常の居所。南東に紫宸殿,南に校書 (きょうしょ) 殿,東に仁寿殿 (じじゅうでん) がある。東面して建てられ,天皇の日中の御座所である昼御座 (ひのおまし) や寝所の夜御殿 (よるのおとど) ,朝餉 (あさがれい) の間などがある。天皇は清涼殿で,四方拝,小朝拝,叙位,除目 (じもく) などの公事を行なった。(コトバンクより)...
上京区田中町の新出水通沿いに平安宮内裏承香殿跡があります。承香殿(じょうきょうでん/しょうきょうでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。七殿の中では弘徽殿についで格式の高い殿舎とされ、女御などが居住し、また醍醐天皇の時代に古今集が編纂された。内裏の南辺に位置し、仁寿殿の北、清涼殿の北東。中央を馬道が通り、身舎を東西に二分していた。承香殿を賜っていたのが知られるのは、以下の后妃である。村上...
まひろと三郎、お互いに謎の相手が誰かを知ることとなる『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第4回「五節の舞姫」についてお互いに相手が誰であるかを知るまひろと…
<CG>女優「吉高由里子」 ~NHK大河ドラマ「光る君へ」で紫式部を演じています~
CG : Yuriko Yoshitaka 女優「吉高由里子」さん、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で源氏物語の作者の紫式部を演じています。ドラマ「ガリレオ」では2代目の女刑事内海薫を演じてます。CGフィギアを作成しポートレートしました。
平安宮内裏承明門跡をさらに東に進むと、山中油店の敷地内に平安宮一本御書所跡の碑と平安宮内裏跡の案内板があります。一本御書所とは、 平安時代、世上に流布している書籍を、別に一本を書写して所蔵しておく役所のことで、禁中侍従所の南にありました。※以前撮影した時より、駒札がかなり劣化して読みにくくなっていますので、過去の画像を掲載します。平安宮一本御書所跡平安時代、この附近は天皇の住まいである内裏の東側に当...
大河ドラマ「光る君へ」で注目!源氏物語が小学生にもおすすめな理由
2024年1月からスタートした、NHK大河ドラマ「光る君へ」は、平安時代に源氏物語を書いた、紫式部が主人公の物語です。国語や古典の授業でも、登場しますよね。そう聞くと、親しみにくいかもしれません。でも実は、小学生にもおすすめの物語なんですよ。
1月30日一月も 今日と明日で終わりですあっという間?長かった?お正月は子供達や totoの弟夫婦、 いとこたちの おもてなしその後実家へと思いながらも用事があったり お天気が 雪マークだったりと機会を逃しようやく昨日 hahaのお正月実家へ新年のご挨拶に行ってきました兄と義姉さんが迎えてくれますやっぱり 兄妹 いいですねホッとします実家へ行くならもちろん こちらにも 行ってきました ガラガラ...
大河ドラマ「光る君へ」が始まりましたね。 去年の秋頃から、このドラマにあわせて紫式部に関連する本が発売されていて、 出版社も本屋さんも気合入ってるな~、ドラマ楽しみ~と思っていました。 ドラマ見るならある程度知っておきたいなと思い、予習のた
萵苣さんちのブロク記事を拝見して、うちのアンモナイトさんを出してみたり。産地とか鑑定書とかまったく資料も記憶も残ってないんですけど、そこそこ著名な百貨店で購入したものなので、まあ偽物ってことはないと思..
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜今回は登場人物の紹介的な回だったね…って第3話の感想ぉ!まひろが描いた三郎(実は藤原道長)がこれって…誰やねん…
智恵光院下立売を北に行った東側のデイサービスセンターの敷地内に「平安宮内酒殿跡」の案内板があります。平安宮は平安時代に政治や儀式などが行われた所で、東西378丈(約1128m)、南北460丈(約1373m)の広大な地域に宮殿や役所が建ち並び、中央部には大極殿(現千本丸太町付近)が、北東部には天皇の居住した内裏がありました。現在地点は内裏の東側にあたります。1996年5月、この場所で平安宮跡初の井戸...
【光る君へ】#3 「謎の男」は「まんぷく」塩軍団の彼!「どう家」に続いて大河出演おめでとう~
まひろと父・為時との緊張関係は続く 2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」第3回「謎の男」が1/21に放送された。毎回、と言ってもまだ3回だけど、テーマ音楽を聞くたびに素晴らしくてため息が出る。 かのショパンの名手・反田恭平さんが弾くピアノの、ヒラヒラと舞ってホロホロと崩れ落ちていくような表現が軽やかに凄すぎるし、朝川朋之さんのハープの波状攻撃にも息を飲む。そして、後半の感情を揺さぶる力強さ。何回も聴きたい。 音楽担当の冬野ユミさんって朝ドラ「スカーレット」の人か・・・「スカーレット」も面白かった。深いチェロ(たぶん)の音が思い出される。大河ドラマのテーマ曲でハズレって本当に無い。選ばれた作曲…
平安京の内裏跡(11)平安宮内裏東限と建春門跡~聚楽第南外濠跡
新出水通の松林寺の山門の前に平安宮内裏東限と建春門跡の案内板と聚楽第南外濠跡の碑があります。松林寺開基清印が重病の母の回復を祈願すると薬師如来が現われ、婦人病や安産に効験あらたかな秘薬の処方を伝授されたという話に由来する。戦前、寺で薬が売られた。寺は聚楽第の外堀跡と推定される。(京都観光Naviより)松林寺境内の西域は、『源氏物語』の舞台ともなった内裏の東限に当たり、内裏にある四つの門のうち東側の外郭築...
NHK大河ドラマで「光る君へ」が始まりました。 それに合わせてか、「英雄たちの選択スペシャル 紫式部 千年の孤独 ~源氏物語の真実~」が放送され、私のいままでの源氏物語のイメージが180度変わりました。 源氏物語は、訳本でも読んだことはなく、読んだのは、小泉吉宏氏の「...
綾綺殿跡から北に浄福寺通を進んで新出水通に向かい、右折すると、平安宮内裏昭陽舎跡があります。昭陽舎(しょうようしゃ)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。女御などが居住した。また、円融天皇が東宮時代に居住したとの記録が残り(『日本紀略』)、その後東宮敦良親王(のちの後朱雀天皇)の頃東宮御所として定着した。庭に梨が植えられていたところから、梨壺(なしつぼ)ともいう。内裏の北東に位置し、南北二棟...
特撮で有名な円谷プロの元スタッフのブログです。面白くてためになる「小説」や「お話」「詩」をお届けします。【通常ブログ画面】 からお入り下さい。
宜陽殿跡からさらに北上すると、平安宮内裏綾綺殿跡の碑があります。綾綺殿は、南北9間、東西2間からなり、内宴や妓女の舞などが行われました。平安宮内裏(だいり)の殿舎の名。仁寿(じじゅう)殿の東、温明(うんめい)殿の西にある。檜皮葺(ひわだぶ)きで、南北九間、東西二間の母屋(もや)の四面に庇(ひさし)がある西向きの建物。天皇・院の一時的な居所となることがあった。正月の内宴(ないえん)のときには仁寿殿との間の西庭に舞台...
紫式部はイワシが好きだった-「イワシのミニ知識」栄養ことわざなど
銚子市外川は昔からイワシの漁場です。今回はイワシの特徴や食べ方について調べてみました。紫式部はイワシが好きだった。イワシが江戸時代の社会を変えた。など興味深かい話もありました。イワシのミニ知識と一緒にご紹介します。
承明門跡から浄福寺通を少し上ると、右手に平安宮内裏宜陽殿跡の碑があります。宜陽殿(ぎようでん)は、納殿(おさめどの)とも言われ、累代の重宝を納めたところです。 宜陽殿(ぎようでん)とは、平安京の内裏における殿舎のひとつ。内裏の南東にあり、紫宸殿の東南、綾綺殿の南、日華門を挟んで春興殿の北に位置する。南庭西側の校書殿とは東西に相対する。母屋は天皇累代の御物・宝物を保管しておく納殿として用いられた。西庇に...
何だかんだ3週連続で大河ドラマの記事を書いています。笑 第3話でまた『シェヘラザード』的BGMが使われました。 18秒から始まる木管の和音なんて、そのままで…
上京区田中町下立売通浄福寺西に平安宮内裏紫宸殿跡の案内板があります。 内裏の正殿で公的な行事の場、中央の御帳台に天皇が出御して国家の重要な儀式が執り行われた。 御帳台の背面、北庇との間仕切りには賢聖障子(中国古代の名臣32名の肖像画)があった。 母屋は東西9間、南北3間で四方に庇があって周囲を簀子(すのこ)がめぐり、正面中央部の階段の左右には桜と橘が植えてあった。北の仁寿殿を北殿・後殿と呼ぶのに対して、...
平安宮内裏承明門跡から下立売通をさら西へ進むと、銭湯の向かい側に平安宮内裏内郭回廊跡の石碑があります。平安宮 内裏内郭回廊跡桓武天皇延暦13年(794)に遷都された平安京の中心をなす宮殿の一画は現在の千本丸太町一帯の地に置かれていた。そのうち天皇の住居であった内裏は、大極殿のあった千本丸太町東北方のこの地域に東西57丈(約173m)、南北72丈(約218m)の広さで造られていた。この内裏は厳重な築地回廊で囲まれて...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜前回は最後がショッキングだったね今回はまひろ(後の紫式部)が成人の儀式から始まりました。大人のまひろ、演じてる…
【光る君へ】#1&2 滑り出し上々、京の町を走る(!)紫式部(まひろ)と道長のドラマを見守っていきたい
元日から発熱、コロナでした 2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」が今月からスタートしている。以前、題材が発表された時に、喜びに満ちあふれたブログを書いていたのだけれど、元日からの発熱でまさかのコロナ。何とかパソコン前に座れるようになってみれば、2回目も既に終わって3回目も放送目前だ。完全に乗り遅れた。 ところで、以前書いたブログでは、私は完全に勘違いをしていた。「光る君へ」では、「源氏物語」そのものがもっとがっつり描かれるのかと思って、光源氏には誰が良いとか、紫の上は誰だとか、妄想を膨らませて「源氏物語」内で勝手にキャスティングしたりしていた。 toyamona.hatenablog.co…
京都市上京区下立売通浄福寺に、平安宮内裏承明門跡の石碑があります。承明門は、平安宮内裏の内郭の南の正門に当たります。平安宮内裏の内郭の南の正門。《三代実録》《貞観儀式》などでは閤門(こうもん)としている。5間3戸の門とされ,平安宮のなかでももっとも重要な門の一つで近衛府が守ることになっていた。門籍がおかれ,門籍に登録されたものだけが門内に入ることを得た。また門には石階があり,門の内側には溝が東西に流...
今年の大河ドラマは「光る君へ」。源氏物語の作者の紫式部が主人公です。その紫式部が生涯で一度だけ都を離れて過ごしたのが福井県の武生。今年は越前・大河ドラマ館も開館されます。せっかく武生まで行ったら一緒に観光したい越前の観光地をこの記事では紹介しています。紫式部公園など紫式部が過ごした当時を偲びながらぜひ楽しんでください。
千本丸太町交差点の南西には、平安宮跡の案内板があり、朝堂院、豊楽院の説明が書かれています。ここから千本通を東に向かい、浄福寺通に入ると、二条城北小学校前に、 平安宮内裏南限と建礼門跡の碑があります。 内裏外郭に設けられた正門で、規模は正面五間あって、内裏外郭門としては最大である。衛門府が警護し、門を入ると内裏内郭の正門である承明門があり、これを入ると南庭を隔てて紫宸殿に至る。 門前で白馬節会を行った...