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旧桃園神社(桃園市桃園区=旧桃園県桃園市)―台湾一美しい神社跡
2014年末に桃園県が直轄市に昇格して誕生した桃園県桃園区は、もとの桃園市です。桃園市の政治・経済・交通の要所であり、日本統治時代当時は小さな街でした。戦後の大幅な人口増加(在台中国人の植民も影響の一つ)を経て、今では台北のベッドタウンとして至る所に住宅地が建設され、郊外鉄道(桃園メトロ)の建設も進行中です。もっとも、現時点における桃園メトロの建設は空港線にとどまっており、桃園市側のターミナルは桃園区では...
今回ご紹介する斗南駅は台湾西部、雲林県斗南鎮にあります。日本統治時代最末期にあたる、昭和20(1945)年に築造された木造駅舎が残っており、斗南を代表する史跡として知られています。▲斗南駅駅舎・同駅前の様子壁面は白、屋根瓦は黒で統一されており、そのシンプルさに「美」を見出すことができます。各地にある豪華絢爛な廟とは、また一味違う美しさを持っています。駅前広場は近年、景観に考慮して整備されました。電柱が全く...
台湾南東部の都市・台東市の中心部にやってきました。現在こそ台東駅は郊外にありますが、かつては利便性のよい市街地に存在していました。台東線と屏東線を繋ぐ南廻線の開通後、新設された卑南駅(後に台東新駅へ改称・現在の台東駅)から初代台東駅(以後、台東旧駅と表記)までの短い区間は盲腸線として残りました。この区間は2001年に廃止されましたが、現在では大半の区間が遊歩道となり、台東旧駅跡も「台東鉄道芸術村」として整...
ハラワン祠跡(花蓮県玉里鎮)―変形鳥居がたつ原住民集落の神社跡
台湾東部 花蓮県玉里鎮楽合地区には、原住民アミ族が居住するハラワン(楽合)集落があり、日本統治時代に建立された神社の跡が一部残されています。ハラワン集落は省道台9線沿い、言い換えると玉里市街地から数キロ離れた場所にあります。日本統治時代当時、ハラワン集落は大字落合に属していましたが、戦後、落合は中国語で同音の楽合に改称されました。▲ハラワン集落周辺の地図▲ハラワン集落入口に立つ「楽合勇士」の像ここから集落...
台鐵竹田駅の木造駅舎で寛ぎ「池上一郎文庫」に出逢う(屏東県竹田郷)
高雄から列車に揺られ、屏東県竹田郷にある竹田駅へとやってきました。この駅には日本統治時代に築造された木造駅舎が残っており、その隣には日本語の書籍が数多く収められている「池上一郎文庫」があります。昔から立ち寄りたいと思っていただけに、今回ようやく訪れることができました。▲竹田駅構内立体交差化・電化工事が行われており、この工事で屏東~潮州駅間が電化され、潮州に車両基地が新設される予定です。現在、木造駅舎...
台湾東部 花蓮県玉里鎮には日本統治時代の史跡が数多く残されています。その中でも一番有名なものが、旧「玉里社」ではないでしょうか。戦後、中国国民党によって施設が破壊された後も、鳥居や石灯篭などが草木に埋もれながらも残されてきました。近年の保存活動により史跡公園として整備され、現在では境内に入りやすくなりました。神社入口に立つのは一の鳥居。周囲には民家が建っており、鳥居柱が一部、民家にめり込んでいます。...
台湾西部の街・嘉義は日本統治時代より、阿里山への玄関口として栄えました。昔はヒノキ運搬で、現在は観光で注目を集めており、甲子園で準優勝した嘉義農林学校野球部を描いた映画『KANO』の公開により一層注目されています。そんな嘉義には日本統治時代、多くの日本人が居住していました。ゆえに日本家屋が多く建設され、現在でも至る所にその姿を見ることができます。これは個人的な感想ですが、嘉義は「台湾西部で一番日本色の...
2015年1月、台湾西部の都市・嘉義を訪れました。ここは甲子園で準優勝した嘉義農林学校を描いた映画『KANO』の舞台であり、映画公開から約1年を経た今でも『KANO』で盛り上がっているようでした。それでは市街地をめぐりながら、『KANO』ゆかりの地に足を運んでみましょう。嘉義駅から歩くこと10分、嘉義名物「噴水鶏肉飯」のある噴水ロータリーにやってきました。亭仔脚の柱には「日向屋原址重現」(『KANO』で日向屋を再現)と記さ...
台湾西部の都市・嘉義市をめぐります。『日本家屋の多い街・嘉義市を行く(夕方編)』では夕方の嘉義市街地をめぐりましたが、今回は朝の市街地を見ていきましょう。嘉義といえば何といっても、台湾西海岸では屈指の「日本色の強い」街ですから、沢山の日本家屋を挙げることができます。今でも多数の日本家屋が残存しており、その量は台北や高雄顔負けです。おそらく、東海岸の花蓮とはいい勝負かもしれません。「噴水鶏肉飯」のある...
今回お届けする新竹駅は台湾北西部、新竹市東区にあります。新竹は清統治時代から栄えており、ビーフンや肉円などの名物料理で知られています。近年では工業団地の造成が進んだことから、ハイテク都市としてもその名が知られるようになりました。現在の新竹駅舎は日本統治時代の1913(大正2)年に完成したもので、ドイツ留学経験を経て台湾総督府鉄道の建築士となった松ケ崎萬長による設計です。松ケ崎はここ新竹駅のほか、基隆駅(現...
旧苗栗神社(苗栗県苗栗市)―立派な石垣が印象的な西台湾の神社跡
今回お届けする旧苗栗神社は台湾北西部、苗栗県苗栗市にあります。現在では「中華民国」政権によって忠烈祠に改造されていますが、所々に日本統治時代の面影を見てとれます。それでは、境内の現況をご覧ください。神社は市街地南部、猫裏山にありました。一帯は猫裡山公園として整備されており、市民憩いの場になっています。すぐ横には台鉄縦貫線が通り、苗栗商業高校《中文:苗栗高級商業職業学校》が隣接しているので、同神社を...
台湾で一番大きな鉄道博物館といえば、何といっても今回お届けする「苗栗鉄道文物館」でしょう。台湾北西部、苗栗県苗栗市の苗栗駅横にあります。入口正門は一応あるのですが、施錠されているのでそこから入ることはできません。駅西口の片隅にある路地から、線路に沿って南側に進むと敷地内に入ることができます。常時開放されており、入場料は無料です。▲台湾総督府鉄道500形501号機(CT152)CT152は国鉄8620形と同型です。1919(大...
旧岡山神社=寿天宮(高雄市岡山区)―修復された赤鳥居がたつ南台湾の廟
今回お送りする「岡山神社」は台湾南部、高雄市岡山区にあります。岡山区一帯は元々、「阿公店」という地名で呼ばれていました。台湾の地名の多くが改称された1920(大正9)年、一帯が丘陵地帯(岡)であることから、現在の地名「岡山」(おかやま)へと改称されました。▲旧岡山神社入口を遠くから眺めて岡山神社の境内は現在、参道部分が岡山公園に、社殿部分が寿天宮に改装されています。日本統治時代から残る鳥居が目印です。▲旧岡山...
台湾屈指の観光路線として名高い阿里山森林鉄道(森林鐵路)の見どころは、何といったって山間部の車窓ではないでしょうか。とはいえ、私はまだ乗車したことはありません。多くの方からその美しい車窓の話を聞くたびに、いつか乗車したいと思うものです。阿里山森林鉄道の魅力はなにも、車窓だけではありません。沿線には同鉄道ゆかりの施設が数多くあります。今回ご紹介する嘉義車庫園区もその一つで、これは嘉義車庫の敷地を無料で...
旧通霄神社(苗栗県通霄鎮)―神苑の風格とどめる台湾西海岸の観光地
今回お送りする通霄神社は台湾西部、苗栗県通霄(つうしょう)鎮にあります。通霄は海沿いの小さな街で、台鉄海岸線(海線)が通っています。住民は台語を話す客家人―つまり「ホーローケ」が主体であるため、客家文化濃い内陸部とは若干風土が異なるようです。通霄の街は騒がしさがなく、台湾海峡の風が爽やかで印象良い街でした。こちらには日本統治時代に神社が置かれていたわけですけれども、なんと境内が神社の雰囲気をよく保って...
東台湾の要所・台東市郊外をぶらり散策(台東駅~遊歩道~旧駅跡)
現在の台東駅が台東市街地から遠く離れていることに関しては、以前にも述べた通りですが、今回はどのくらい離れているか実感すべく、(無謀にも)台東駅から旧駅まで歩いて移動しました。駅から市街地へはバス(鼎東客運)が出ているので、移動される際はぜひご利用ください。駅入口から向かって右側にバス乗り場があります。結論から先に述べておきますが、約1時間かかりました。駅前通りを抜けて東46郷道(興安路)に入り、さらに省道...
今回は台湾南西部、嘉義市東区にある旧嘉義神社の様子をお送りします。同神社は嘉義市街地の東部にあり、近くには嘉義市野球場や映画『KANO』の舞台となった嘉義農林学校跡(現在は嘉義商業高校)もあります。神社入口付近は日本統治時代、宮前町というという地名が付けられており、当時から市街地として栄えていました。一帯には今でも日本家屋が数多く残されているので、市街地を歩いて巡ってみると楽しいですよ。話を嘉義神社に戻...
今回お送りする台湾南部・台南市は、オランダ統治時代より栄え、鄭氏統治時代(以降「鄭氏時代」)以降も政治の中枢が置かれ続けました。以降、台南は台湾の中心地・港町として発展を遂げましたが、やがて地形の変化に伴い大型船の着岸が難しくなり、加えて清末・光諸年間に政治の中心地が台北(たいほくじょう)に移されたため、台湾の中心地は南部から北部へと変化しました。日本統治時代には台南州(1945年10月当時)の州庁所在地とな...
【施設紹介】阿里山森林鉄道 北門駅(嘉義市東区) ―木造レトロ駅舎がステキ
今回は嘉義市にある、阿里山森林鉄道嘉義線の北門駅の様子をお送りします。同駅は嘉義市街地の北部にあり、嘉義~竹崎駅間のいわゆる「平坦区間」にある数少ない駅の一つです。とはいえ、平坦区間に現存するのは嘉義・北門・竹崎の計3駅のみ(鹿麻産駅は廃駅)ですが・・・付近にはかつて、阿里山から運ばれてきたヒノキの加工工場があり、その作業員の宿舎が多数立ち並んでいました。宿舎は現存しており、近年整備が行われて「桧意...
旧林内神社(雲林県林内郷)―神社参道の形態を残す西台湾の寺廟
今回お送りする林内神社は台湾西部、雲林県林内郷にあります。台湾では今もなお、日本統治時代に建立された鳥居が残存していますが、こちらにも鳥居が残されています。現在、社殿跡には済公廟と孔子廟が建っています。花蓮県の玉里社や新北市の汐止神社のように、台湾で建立された鳥居というのはその多くが神明タイプであり、明神タイプの鳥居は前者に比べると少数にとどまりました(とはいえ、建立された例は少なくない)。ゆえに、...
岐路に立つ鉄道員宿舎「台鐵宿舎村」(彰化県彰化市)―荒地に眠る日本家屋
今回お送りする「台鐵宿舎村」は台湾西部、彰化県彰化市内にある鉄道員宿舎の通称です。彰化は日本統治時代より、台中・大甲両方向からの鉄道が合流する交通の要所として栄え、彰化駅横には大型の機関区が設置されました。この機関区は所謂「扇形庫」で、日本でも会津若松や豊後森等で見ることができます。彰化扇形庫は現役の車庫として使用されており、通常一般開放されていますが、同車庫に関する詳細な記述はまた別の機会に行わ...
【施設紹介】台鐵縦貫線/阿里山森林鉄道 嘉義駅(嘉義市西区)
今回は嘉義市西区にある嘉義駅をめぐります。所属路線は台鐵縦貫線(南段)。嘉義は日本統治時代より、阿里山で伐採されたヒノキの集積地として栄え、ヒノキ運搬のため森林鉄道が整備されました。市内には木材加工工場が設けられ、加工作業に従事する作業員のための宿舎も多数建設されました。これら宿舎は現在でも、阿里山森林鉄道北門駅の近くに残存しており、一部は歴史テーマパーク「桧意森活村」として活用されています。日本...
旧開山神社=延平郡王祠(台南市中西区)―日本・台湾ゆかりの鄭成功をまつる廟
今回お送りする延平郡王祠は台湾南西部、「台湾の京都」こと台南市にあります。こちらは清初に台湾を治めた鄭成功を祀るため、彼の死後に建立されました。日本統治時代には開山神社に改められ、廟建築を温存する形で神社へと生まれ変わりました。時の政府は日中ハーフの鄭成功をとり上げ祀ることにより、台湾と内地の繋がりをより強固なものにしようとしたのでしょう。同神社は台南州台南市開山町にあり、延平郡王・鄭成功を祭神と...
台北から夜行の莒光号(急行に相当)531次に揺られ、台湾第二の都市・高雄へとやってきました。ここから屏東線に乗り換え、池上一郎文庫のある竹田駅へ向かう予定です。早朝6時ということで、文庫の開館まで時間に余裕があります。そこで、高雄市内を少しだけ見て回ることにしました。▲台鐵高雄駅一帯では地下化工事が行われており、ホームから駅本屋へは、長い連絡橋を介しての連絡となっています。▲跨線橋から高雄駅構内を眺めて高...
台湾南東部最大の都市・花蓮にやってきました。この街は日本統治時代になってから本格的な整備が始まったので、非常に日本色が強く、至る所に日本家屋があります。今回は花蓮駅を起点に、市内の史跡・名所などを巡ってみました。花蓮駅から市街地中心部へは距離があるので、移動する際はバスかレンタサイクルのどちらかが良いでしょう。今回、筆者はレンタサイクルを利用して巡りました。花蓮客運バスターミナルのすぐ横にある「ジ...
台東県池上郷の中心部「大埔」をぶらり散策(教員宿舎~池上大旅社~駅)
台湾東部、台東県最北部にある池上郷を徒歩散策しました。今回は台鐵池上駅をスタートして、日本統治時代の教員宿舎がある福原小学校に立ち寄り、中心部(大埔地区)を散策しながら駅に戻っていきます。まだ朝早い時間帯ということで、東側からまぶしい朝日が照らしてきます。まずは駅を離れて踏切を越え、福原小学校のある駅西側に移動しました。なお、池上駅自体は東側に面しており、駅前通りを中心に市街地が広がっています。▲...
旧台南神社の狛犬・忠烈祠(台南市南区)―能久親王薨去地の遺物は今
今回は台湾南西部、台南市南区にある台南忠烈祠にやってきました。こちらは神社境内を転用したものではありませんが、旧台南神社から移設した狛犬が安置されていると知り、さっそく足を運んでみました。台南市忠烈祠は元々、旧台南神社の境内を利用して設置されていました。ところが1969年に現在地に移転され、旧台南神社敷地は体育館になってしまいました。この体育館も1991年に取り壊され、現在では公園兼地下駐車場になっていま...
雲林県虎尾鎮の中心部をぶらり(円環~合同庁舎~郡役所~官舎街)
今回は台湾西部、雲林県虎尾鎮の中心部をめぐります。虎尾は日本統治時代より製糖の街として栄え、今でも市街地中心部に大規模な製糖工場(台糖虎尾総合工場)があります。郊外に目を向けるとサトウキビ畑があたり一面に広がっており、収穫のシーズンになると貨車を連ねた運搬列車が貧弱そうな線路を行ったり来たりします。このサトウキビ運搬列車は台湾各地で運行されていましたが、サトウキビ運搬手段のトラック化により次々に廃止...
【施設紹介】台鐵縦貫線 台南駅(台南市東区)―鄭成功を見つめるレトロ駅舎
今回お送りする台南駅は「台湾の京都」こと、台南市の玄関口にあたる駅です。最重要駅(一等駅)の一つに位置付けられており、全種別の列車が停車します。現在の駅舎は日本統治時代の1936(昭和11)年に落成したもので、宇敷赳夫が設計を担った鉄筋コンクリート造りです。駅前には広々としたロータリーがあり、中央部には台南を拠点に活動した鄭成功の銅像が置かれています。駅周辺にはホテルやコンビニ、レンタサイクルステーション等...
今回は台湾西部、彰化県彰化市にある「彰化扇形庫」の様子をお送りします。写真を中心に掲載いたしますので、現地に足を運んだ気分で楽しみながらご覧ください。▲彰化駅扇形庫がある彰化市は台湾西部に広がる広大な平野の北端に位置しており、かつ一旦竹南で別れた線路が合流して一本の線路に戻る場所でもあります。このような地理的・交通的特性から、彰化は「南台湾の玄関口」であるといえます。彰化駅から歩くこと10分、目的地...
台南で今一番ホットな歴史スポットといえば、何といっても「林百貨店」でしょう。同百貨店は日本統治時代の1932(昭和7)年に落成し、台湾人によって「五層樓仔」という愛称名で呼ばれてきました。その愛称名が示す通り、建物は五階建てとなっており、当時の台南では屈指の高さ・建築水準を誇る建築物でした。内地でもそう多くはなかったエレベーターだってありました。第二次大戦中には米軍による機銃掃射を受けており、当時の傷跡...
日本統治時代、台北(たいほく)駅西側一帯には泉町という地区がありました。主に内地人(日本人)が居住していたようで、現在でも大量の日本家屋を見ることができます。国光バスターミナルから桃園空港行きバスに乗ると、車窓右手に日本家屋が見えます。中には、日統バスの台北バスステーションとして改装された民家もありますが、その他は樹木に埋もれ荒廃しているモノが多めです。▲日統客運の台北転運站遠景▲日統バス台北バスステー...
台南に残る日本料亭「鶯料理」―忘却と荒廃から再生した古蹟は今
南台湾屈指の大都市であり歴史都市でもある台南には、安平城址や孔子廟など、鄭氏政権・清統治時代の史跡が多数残されています。そのため台南に行けば、日本による台湾統治が始まる前に台湾がどのような場所だったか、鮮明とはいかなくても思い描くことができるのではないでしょうか。そんな台南には、日本統治時代に建造された建築物も多数現存します。今回お送りする小料理屋「鴬料理」もその一つです。和風建築が美しいこの建物...
台糖虎尾工場の関連遺産めぐり(雲林県虎尾鎮)―台湾の製糖史を垣間見る
台湾西部、雲林県虎尾鎮は日本統治時代より、製糖産業の街として発展してきました。今でも大きな工場が市街地に広がっており、台湾最後の「本来の用途で使用されるシュガートレイン」もサトウキビ収穫の季節になると走っています。台糖虎尾総合工場の横には、日本統治時代に建設された従業員向けの宿舎が残っているとのことなので、早速足を運んでみましょう。宿舎群は虎尾市街地南東部、虎尾渓の西岸一帯に広がっています。虎尾駅...
台北市北門エリアをぶらり散策(台北轉運站~総督府鉄道部~郵便局~承恩門)
台鐵台北駅の西側にある、北門周辺を見て回ります。一帯は非常に交通量が多く、しかも北門周辺は交差点の形状が複雑なので、通る際には注意が必要です。▲台北バスステーションB棟桃園空港行きや中距離バスなどはA棟から出ていますが、各地に向かう長距離バス(嘉義・高雄行きなど)はB棟から出ています。桃園メトロ空港線(機場捷運)台北駅の建設現場付近にやってきました。開業が遅れに遅れている同鉄道ですが、果たして今後どのよう...
台湾の中枢部「城内」をぶらり散策(総統府~二二八和平公園~台北駅)
台北メトロの電車を台大病院駅で降り、二二八和平公園(旧台北新公園、以下「新公園」)の横に出てきました。空は灰色に曇り、今にも雨が降り出しそうな様子でしたが、台北駅方面へと歩いていきます。▲台北メトロ台大病院駅ケタガラン大道から西側をのぞめば、旧台湾総督府の巨大な建物が見えます。北側には新公園、南側には中央気象局、背後の東側には台北賓館があり、周囲は若干物々しい雰囲気です。旧総督府にカメラを向けると、幸...
【台東県鹿野郷】鹿野駅前をめぐる (鹿野駅~官舎~福徳宮~キリスト教会)
今回訪れた鹿野(しかの)郷は台湾東部、台東県内陸部にあります。花東縦谷の南端部にあり、卑南渓の西岸部には肥沃な平地が広がっています。そのため、日本統治時代には内地人による移民村が数カ所設置され、現在でも地名や日本家屋などに当時の名残を見ることができます。郷の東西には関山郡蕃地にルーツを持つ延平郷が「飛び地状」に広がっています。現在の鹿野郷における中心部は鹿野駅周辺にあり、一帯には官公庁等もあります。...
日本家屋も残っている!鹿野移民村をぶらり散策(台東県鹿野郷)
今回お送りする鹿野移民村は台湾東部、台東県鹿野(しかの)郷にあった内地人移民村のことです。同村は旧花蓮港庁下に設置された官設移民村の吉野村・豊田村・林田村とは異なり、台東製糖株式会社による私設移民村として設置されました。大正4年から5年にかけて、新潟県から短期移民を募集し、さらに大正5年には100戸、大正7年には50戸の家屋を建設して永住移民を招致しました。しかし、移住民は獣害や風土病等に苦しむこととなり...
花蓮県瑞穂(みずほ)郷は台湾東部、花東縦谷の中央部にある小さな町であり、富源(マシロ)渓が秀姑巒渓と合流する地点を中心に広がっています。日本統治時代には花蓮港庁鳳林郡瑞穂庄が置かれており、自由移民村の「瑞穂村」が設置されていました。今回は「瑞穂村」についての概説と、当時の繁栄を今に伝えるベーハ小屋(煙草乾燥小屋)の姿をお送りします。瑞穂村が設置されたのは日本統治時代の中でも比較的後期にあたる昭和7(1932)...
今回お送りする抜子庄とは、台湾東部の花蓮県瑞穂郷北部にある地域を指す名称です。現在の行政区画でいうと、富源村・富興村・富民村に該当し、日本統治時代末期の行政区画でいうと、大字白川地区にあたります。ちょうど中央部を台鉄台東線・省道9号が通っており、富源(旧:白川)駅があります。富源駅前に案内看板があります。一つの看板に「日治」と「日拠」表記が混在しています。「日拠」とはありますけれども、年号自体は正し...
旧抜子社は台湾東部、花蓮県瑞穂郷の北側にある神社跡地です。台鉄富源駅から歩いて行くことができ、比較的交通の便の良い場所にあります。境内入口では水車が回っています。案内看板にも神社跡である旨が記載されていますが、名称は抜子祠ではなく「白川神社」となっています。▲境内入口から参道を眺めて水路をわたり、境内に入ります。旧抜子社を代表する遺構といえば、なんといっても入口付近に建つ石灯篭でしょう。完全な形で...
【施設紹介】台鐵縦貫線 山佳駅(新北市樹林区)―首都圏に残る木造駅舎
今回お送りする山佳駅は台湾北部、新北市樹林区にあります。台北市から比較的近い場所にあり、列車の本数も多めに設定されていますが、停車するのは各駅停車のみです。日本統治時代~戦後初期には山仔脚駅と称されていました。日本統治時代からの木造駅舎が残る駅として知られていましたが、2011年に新しい橋上駅舎が完成したことから、役目を終えた旧駅舎は史跡として保存されることになりました。▲山佳駅駅舎和をイメージしたの...
台湾東部、花蓮県花蓮市にある旧花蓮港神社を訪れました。同神社跡は戦後、中華民国政権の手によって美崙山忠烈祠に改められ現在に至ります。同神社は花蓮港庁平野区の米崙山腹にあって、台湾神社(→台湾神宮)と同じ祭神を祀っていました。1916(大正5年)4月に起工し、鎮座式は同年9月22日に行われ、1921(大正10)年3月2日には県社に指定されています。(台湾総督府編『台湾事情. 昭和18年版』台湾総督府官房情報課、1943年)ここにはち...
日本統治時代の台湾をよく知るうえで、花蓮市の存在は欠かせません。日本時代に建設された町割りの中に、今も多くの日本家屋が眠っています。その中には史跡登録され、資料館として活用されているものもあれば、今も現役の民家として使われている物件もあります。今回は旧花蓮港神社(花蓮県忠烈祠)を起点に、市内を散策しながら、台鐵花蓮駅まで歩いてみました。今回の散策を通して、台湾に根付く「日本」を知ることが一番の目標...
台北市を代表する下町、万華地区にはなんとも惹かれるものがあります。町の古めかしさ、独特な香り...。どれも一度体験すると、いい意味で忘れられないものばかりです。そんな万華の魅力にひたるべく、万華駅を起点に歩いてみました。▲台鐵万華駅今回のスタート地点・万華駅は地下にあります。出入口棟は西側・東側の2か所あり、それぞれ入場専用(西側)、出場専用(東側)となっているのが特徴です。▲万華駅待合室・改札口駅前から北...
西本願寺広場(台北市万華区)―バラックから蘇った寺院「西本願寺」址
かつて、台北メトロ西門駅の南側には西本願寺という日本寺院(日本統治時代まで)がありました。大きな屋根が特徴だった本堂は戦後、1975年に火災で焼失しました。その後、敷地上にバラックが建てられましたが、近年になって排除され、西本願寺があったことを記念すべく、歴史公園「西本願寺広場」に生まれ変わっています。参道址▲「参道」説明板▲旧西本願寺参道石敷きの一部は西本願寺時代のものです。欠損している部分は整備時に復...
今回は基隆市中心部にある、旧基隆神社(基隆市忠烈祠)をめぐります。かねてより入口に建つ牌坊が気になり、実際に見てみたいと思っていました。基隆神社はもとを「基隆金刀比羅神社」といい、1912(明治45)年3月に創建されました。1915(大正4)年11月に修築が行われ、あわせて天照大神・大国魂命・大己貴命・少彦名命・北白川宮能久殿下(以上、台湾神社→台湾神宮の祭神)も合祀の対象になり、基隆神社に改称されました。また、例祭...
雨降る港町・基隆市中心部をぶらり(旧神社~義重町~日新橋~基隆駅)
基隆(きいるん)市は台湾北東部にある港町であり、日本統治時代以前より、台湾防衛上重要な位置を占めてきました。日本統治時代には、台湾と当時の内地を結ぶ連絡船が発着する港町として、そして軍港としても発展を遂げてきました。今回は旧基隆神社から基隆駅までと短い距離ですが、市内を歩いてみることにします。旧基隆神社は信二路沿いに立地しており、この通りを西へ進むと基隆港に、東へ進むと基隆女子高(中文:基隆女中)に...
台湾ブームの高まりとともに、台北の下町を訪れる日本人観光客が増えてきました。パックツアーに組み込まれることは少ないですが、古い町並みとオシャレな店が多く、観光や買い物にもってこいの場所といえます。台北には大きく分けて、大稲埕(だいとうてい)・大竜峒・万華という3つの下町があります。今回は龍山寺を起点に、万華の街を散策してみました。目次1 万華という地名の由来2 龍山寺から新富市場に入る3 清代から残る...
円山水神社(台北市士林区)―神秘的光景に台湾の水道史を垣間見る
台北メトロ剣潭駅にやってきました。ここは九フンと並んで、台湾観光でお馴染みの観光地となっている「士林夜市」の最寄り駅です。夜市は駅から歩いてすぐの場所にあるため、個人旅行で訪れる方も多いのではないでしょうか?今回の目的地は士林夜市ではありません。剣潭駅のすぐ傍には、台北自来水道事業処陽明分処があり、その敷地内には日本統治時代の史跡「円山水神社」「円山貯水池」が残されています。陽明分処への入口は、剣潭路と...