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前回は函館文学館を紹介しましたが、今日は神戸文学館です。神戸文学館は、谷崎潤一郎や横溝正史など明治以降に活躍した神戸ゆかりの作家42人の作品や資料が展示されています。建物はもともと1904(明治37)年に関西学院大学のチャペルとして建てられたもので、大学移転後もそのまま残され、現在は神戸文学館として活用されています。チャペルの尖塔は戦災で失われましたが、平成5年にヴォーリズ建築事務所によって建築当時の姿に...
京王井の頭線駒場東大前駅からほど近い、駒場公園内にある「日本近代文学館」。 明治以降の日本文学の資料を、収集・保存・展示する資料館です。 所蔵品は、9万3千点余りの原稿や草稿、日記、遺品、48万冊を超える書籍、2万8千タイトル60万冊を超える雑誌という膨大な量を誇り、芥川龍之介文庫や太宰治文庫、志賀直哉コレクションや有島武郎・生馬コレクションなどなどの、文庫・コレクションも160を超える豊かさです。 資料のほとんどが、作家や遺族、出版社からの寄贈によるものなのだそうです。 一般向けの公開講座や、文学館職員・大学院生対象の文学館演習などの教育活動も盛んで、展示室は通年開設。季節によって展示内容が…
7月31日は蓄音機の日! 蓄音機ってフォルムがかわいいですよね。 博物館なんかで見かけるとついついまじまじと見てしまいます。 ということで蓄音機から出る音を実際に鑑賞した思い出の日記でも。 1877年(明治10年)にトーマス・エジソンが蓄音機の特許を取得した日ということで、7月31日は「蓄音機の日」とされています。 ※下記サイトより抜粋 www.shimadzu.co.jp その場所は茨城県の最西端、古河市にあるッ! 茨城県と言っても古河駅は東北本線で、埼玉県や栃木県との県境領土紛争&武力衝突地帯のため茨城みは薄いかもしれない。 歴史のある街には博物館やちらほらと古民家・蔵が点在しており、その…
地下鉄東京メトロ東西線早稲田2番出口を出て東側、夏目坂とは反対方向へずんずん進んでいくと、「漱石山房通り」という標識があります。 masapn2.hatenablog.jp この標識沿いに進んでいくと、左手に見えるは「漱石山房記念館」。 「漱石山房」とは、夏目漱石が明治40年9月、本郷西片町から転居し、大正5年12月に亡くなるまでの9年間を過ごし、終の棲家となった家のことです。 漱石は、ここに転居した年の3月、東京帝国大学英文科講師などの教職をいっさい辞し、朝日新聞社に入社。職業作家として文筆に専心する決意を固めました。 「三四郎」(明治41.9.1~12.29)「それから」(明治42,6,2…
東京・三鷹の山本有三記念館へ行って来ました☆ 実は、私、山本有三の作品は一冊も読んでいないのです。。 が、この記念館のことを知って以来、 その美しい建築様式に憧れ、 私の「一度、訪れてみたい!リスト」に名を連ねていました。 予定していた日は、まさかの台風! 関東は、それほどの影響がないようですので、 大雨にも負けず、決行することに。 三鷹駅から玉川上水沿いを歩くこと10分強、 三鷹市山本有三記念館に到着しました。 メルヘンチックにも見える白い門の前には 大きな石が。 山本有三の作品にちなんで「路傍の石」と名付けられています。 道端で見つけた石を家まで運ぶなんて、 よっぽどの石好き? いえ、名作…
東京都北区、山手線の田端駅北口を出てすぐのところに、「田端文士村記念館」があります。 かつて田端に住んでいた芸術家や文学者たちの、作品や原稿、書簡などを展示し、その業績や、田端での暮らしぶりを紹介する区立の施設です。 田端は明治中頃までは閑静な農村でしたが、明治33年に画家で歌人の小杉放菴(明治14.12.29~昭和39.4.16)が移り住んだのを皮切りに、数々の芸術家・文学者が住むようになりました。 放菴のあとには、明治36年に陶芸家の板谷波山(明治5.3.3~昭和38.10.10)が、40年に彫刻家の吉田三郎(明治22.5.25~昭和37.3.16)が、42年に鋳金家で歌人の香取秀真(明治…
初めて知る史実の数々!シーボルト記念館が素晴らしい! FDA新潟―神戸便就航!神戸経由で長崎へ! もう何回来たかわからなくなるほど大好きな長崎。そんな長崎でまだ行ったことのない場所がありました。シーボルト記念館です。そこで知る驚きの史実の数々。本当に行ってよかったと心から思える場所、必見です。
気がつけばあっという間の2時間半!子規博が面白い! 短歌にも写生の考えを貫き、英語も使っちゃう! 写生という概 正岡子規という人間が本当に興味深くて、ついつい夢中で見てしまいました。どんどんその魅力に引き込む展示が素晴らしい博物館です。気がついたら2時間半。子規博、いいです!
子規博 「子規のことをもっともっと知ってください」 記念館の人のパッションが聞こえてくる! 偶然たどり着いた子 子規の生涯は35年という短いものなのに、記憶に残しておきたい素晴らしい人の出会いや数々のエピソードが山ほどあることに驚きます。そしていつも周りに誰かがいる。その魅力にどんどん引き込まれます。
正岡子規の名前の由来が切なすぎる!ホトトギス! 子規の子ども時代!幼名は升(のぼる)! 子規のエピソードが豊富 子規の人生には面白いエピソードがあり過ぎます。それにしても子規の名前の由来が鳴くと口が赤いホトトギスで、それを自分と重ね合わせたものだったとは。90もあるペンネームにも驚きとユーモアに感心するばかり。
「人間・正岡子規」の生涯、その魅力に引き込まれる素晴らしい展示!
「人間・正岡子規」の生涯を追い、その魅力に引き込まれる素晴らしい展示! ここにあったとは!湯築城に導かれて子規 行くつもりはなかったのに湯築城が導いて来れたおかげで、子規記念博物館の素晴らしい展示と出会うことができました。人間・正岡子規の一生を追いながら、その魅力に引き込まれます。
徳田秋聲記念館で出会った素敵な女性たち!和紙人形シアターが面白い!
徳田秋聲記念館で出会った素敵な女性たち!和紙人形シアターが面白い! 金箔工芸館からぶらりひがし茶屋街界隈へ 雨 偶然通りかかった徳田秋聲記念館が面白くて魅了されてしまいました。そのきっかけは和紙人形シアターのとても魅力的な5人の女性たち。作品を読んだことのない私のような者もを魅了してしまう文学記念館ってすごい!
「東北人は内気だとも云われるが、仲間うちでは実に多弁であり、東北人は自分を笑えるユーモアがある」と云ったのは同じ東北(山形県川西町)出身で、直木賞作家の井上ひさしさんである。母親のマスさんが知人の浪曲師に全財産を騙し取られ、一家は離散してしまった。その後母親と兄、弟の4人で1949年(昭和24年)に一関に移り、約半年間、一関で過ごしたとのこと。当時の想い出を井上ひさしさんは次のように述懐している。 続...