メインカテゴリーを選択しなおす
革のトランクを準備し、持っていくものを考える・・・ そんなひとときが一番楽しい、そういう時期を迎えています。(笑) いよいよ今週末に迫ってきた「思い出の地・隠岐の島紀行」。 それに向けての準備が始ま
今回は身延町にある『有明寺』の紹介をします。有名寺の縁起は、応仁元年(1467)に第9世日有上人が隠居所として現在の地に法華堂を創建されたのが始まりで、文永14年(1482)9月29日に日有上人が御遷化した後は、その法華堂は日有上人の御廟所となりますが、沿道の民家が参詣者の宿支度にも苦労するほど日有上人を偲ぶ参詣者があとを絶たない状況だったといいます。そんな中で、延宝8年(1680)9月29日に第17世日精上人により日有上人の御影像が造立され、元禄年中(1688~1704)に、当時の住職だった有明坊日徳師が本格的な寺院の建立を発願し、第26世日寛上人の援助を受けて大杉山有明寺が建立されました。…
☆一周忌に納骨を終了.写真解説「帰郷して借りたレンタカーのホイール部分の写真」夜行バスでの3泊5日の帰郷から帰ってきました。意義深く、円滑で福運に満ちて、...
富士市にある『霊蹟本山岩本山(がんぽんざん)実相寺』に行ってきました。『霊蹟本山』というのは日蓮大聖人が滞在した寺院に与えられている称号で山号が『岩本山』です。平安時代の久安元年(1145)に鳥羽天皇が法皇時代に、比叡山横川(よかわ)の天台宗僧侶・智印法印に建立させた元々は天台宗の寺院です。その後正嘉2年(1276)、智海法印が改宗して日蓮宗となり、智海法印は日源と改名しました。永禄11年(1568)に武田氏に侵攻され大伽藍を焼失し多くの僧侶が殺害されましたがその後再建されました。この実相寺に大聖人は入山され一切経を閲読されて『立正安国論』を著されました。また大聖人と日興上人が出会われたのもこ…
今年も短い秋になりそうで、週末に有給休暇を加えて、妻と3泊4日の旅に出ることにしました。この歳になっても、まだ行ったことのない場所がたくさんあります。今年の目的地は、その中から広島を選択。とくに宮島、厳島神社は念願の地だ。さらに、尾道と岩国
工具や道具類は要らないと長男坊主が言っていました。 まあ、とりあえず行って言われるがまま手伝って、メシを食わせてやって、疲れを労ってやろうと思います。 相当な長旅だったようですから。 その苦労話も聞い
今まで北九州で暮らしていた長男坊主たち。 彼らがこの12月に岡山県の津山に引っ越しをしました。 引っ越して間がない彼らを応援するために、この週末、引っ越し応援紀行を段取りしています。 過密スケジュール
去年、取材に行っていた五島の本、『にっぽん再発見 五島』ができあがり、求龍堂より本日発行されました。五島の風物、人、すべて素敵で「あぁまた行きたい」という思いの詰まった一冊。文だけでなく、見開きグラビア・教会・祭以外の写真も半分ぐらい私が撮っています。特に
先月、仕事で静岡県函南町に行きました。函南町は日目・日道両上人の出生の地であり、日亨上人の『雪山荘』があった場所です。仕事で行って場所からすぐ近くに『玉澤妙法華寺』が有ったので立ち寄って見学してきました。『玉澤妙法華寺』は五老僧の日昭開基の寺院で現在は日蓮宗の本山格となっています。元々は鎌倉の浜土(現在の材木座)に弘安7年(1284)に日昭が風間信昭に寄進された法華堂が起源です。その後、日昭門流は、天文7年に戦乱を逃れるために越後村田の妙法寺に避難し、文禄3年に伊豆・妙国寺に再度避難しました。15代・日産の時代の元和7年(1621)に大木沢(現在地)移転し再建され、『大木沢』という地名から鎌倉…
今日一日の行事を終えて、ホテルにチェックインできました。 細かなトラブルはありましたが、それも旅のいい思い出になります。 私が30年前に過ごした家も残っていて、おふくろが感慨深げに眺めていました。 お
毎週毎週、実家の両親は育てた野菜を長男坊主夫婦、次男坊、そして末娘のところに送ってくれています。 私たちが至らない部分を、代わりに両親がやってくれています。 そんな日頃の感謝の思いも込めて、また30年
28時間連続業務もようやく最終コーナーを回って直線コースに入ろうとしています。 ラスト6時間、あともう少しです。 今週末、「岡山の実家の両親を出雲にいる末娘のところに連れて行く」・・・そんなプランが