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☆広宣流布の決意の祈り.以下に、勤行要典の祈念と回向のページの写真を添付します。祈りが叶わないという人がいます。私も昔はそうでした。その鳴かず飛ばずの人生...
今回は身延町にある『有明寺』の紹介をします。有名寺の縁起は、応仁元年(1467)に第9世日有上人が隠居所として現在の地に法華堂を創建されたのが始まりで、文永14年(1482)9月29日に日有上人が御遷化した後は、その法華堂は日有上人の御廟所となりますが、沿道の民家が参詣者の宿支度にも苦労するほど日有上人を偲ぶ参詣者があとを絶たない状況だったといいます。そんな中で、延宝8年(1680)9月29日に第17世日精上人により日有上人の御影像が造立され、元禄年中(1688~1704)に、当時の住職だった有明坊日徳師が本格的な寺院の建立を発願し、第26世日寛上人の援助を受けて大杉山有明寺が建立されました。…
一昨日の火曜日(25日)に4月度の御登山をしてきたのですが、その時に昨年11月に参詣した下之坊に立ち寄りました。というのも、昨年参詣した折に御住職よりGWの頃は藤の花が見事だと聞いた居たので丁度、藤の花の季節だということで立ち寄らせていただきました。 ■過去記事はこちら▶日蓮正宗寺院参詣記④【富士山・下之坊(富士宮)】 - 創価ダメだしブログ 生憎の曇り空で富士山は見えなかったですが、晴天ならば富士山と藤の花の絶景をみることができるそうです。でも雨は降っていなかったので駐車場から境内をゆっくり歩いて地元でも有名な【下之坊の藤】を堪能することができました。なんでも、今年は開花が早くて既に満開は過…
今日は、先日の御登山の折に参詣した『下之坊』の紹介です。富士山下之坊は大石寺同様に【大日蓮華山】の山号を持ち古来より日蓮正宗末寺の筆頭の格式をもつ寺院です。日興上人は身延を離山し一度河合の由比家に向かった後に南条家の館に入られますが、その時の南条家館跡がこの下之坊になります。正応二年・日興上人の創建です。その後大石寺が落成され大石寺が『上の御坊』と通称れたために本寺院も『下之坊(下の御坊)』と称するようになりました。『下之坊』の歴史は当坊第4代日行上人以降、 第19世日舜上人が中興されるまでの約300年間は御歴代住職の名前が分かっていません。昭和21年の火災によって古文書等の一切が焼失してしま…