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③ゴッホ。サン=レミ療養院での出会い&疑問だった絵のタイトルの行方
サン・レミ療養院のゴッホシリーズも今回が最終回。今回はリラックスした感じで。 二階の展示を見終って階段を下りるとミュージアムショップがあり ゴッホの彫像…
サン・ポール・ド・モーゾール修道院跡の療養院だった建物へ入るとすぐ右側の部屋は確か食堂(兼居間)だったように思う。 通路を挟んで反対側にはもう一つの部屋が。部…
これはただの旅日記ではない。心の赴くままに綴っていくつもりなので時間も前後したり時には脱線したように見えることもあるだろう。なぜそうするのかそうなるのか自らの…
詩人・中原中也の初期代表作「朝の歌」の全編が記された直筆原稿が発見された。 この前年、中也は恋人だった長谷川泰子に、親友の小林秀雄のもとに去られているという。[読売新聞]...
吉田さんが聞いたという小林のことばには、付け足しがあって、「独創的な思想家などというものは」ということばが、補足としてあるそうである。 わたしは、その文章を読み、ああ、これは明らかに思想上の相違だ、どちらもこれは譲れないところだろうと、直感したことを覚えている。 というのも...
両者とも、評論家と言われていた人だが、小林秀雄は文芸評論家、吉田秀和は音楽評論家として名高い人物である。 どちらの人を取るか、と、言われれば、わたしの中ではもう決まってはいるのだが、少し、この二人のことについて、述べてみたい。 小林の「モオツァルト」はつとに有名だが、吉田秀...
わたしは中学生の頃、この書の言葉を、ほとんど金言扱いにして、読んでいたものである。兄貴たちの影響から、抜け出せていないときだった。 有名な、マッチ箱と人生とを絡めた警句などは、当時のわたしの胸に強く響いたものだったが、今、振り返って思うと、何と、すかした斜に構えた言葉だろう...
モーツァルトの音楽は、およそ、どのような形容詞も跳ね返してしまうというのが、その最大の特徴ではないかと、わたしは思っている。中国の古典中の古典、「論語」と同じように。 小林秀雄がアンリ・ゲオンから引用した、「疾走する悲しみ」は名高いが、わたしには、これは特に、ト短調40番シ...
「二人の実朝」 小林秀雄「実朝」(新潮文庫)・太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫) 平家ハ、アカルイ。ともおっしゃって、軍物語の「さる程に六波羅には、五条橋を毀ち寄せ、掻楯(かいだて)に掻いて待
これから読書日記をつけていくことにする。あくまでも自分のための覚え書きとしてまた日記とはいうものの“気ままな”と断っているように思いついたときに書き留めるとい…
正直楽しみにしていたので残念だ。書店で見かけて面白い題材だと思った。いや、面白いというより取り合わせの妙とでもいうのか、ただのヒロイン論というより、現代の新しいヒロイン像をうまくまとめてくれているのだろうと思ったのだ。でも、ハッキリ言って、こういう文章を読むのは苦痛だ。著者の文章が「読者を舐めている発言」であふれているからでは、もちろんない。確かに、あえて跳ねているような文体で、軽薄を装ってい…
戦後間もない1948年、評論家小林秀雄と物理学者湯川秀樹が結構長い対談をしたことがある。「人間の進歩について」といふタイトルがついてゐます。 「偶然」といふ問題をめぐつて湯川博士が物理学の観点からひとわたり説明したあとで、「文学者はどう考へますか」と小林に尋ねる。すると、物理が考へる「偶然」とははつきりと違ふだらうと前置きしたうえで、小林はこんな話をします。 例へば、屋根から...
俺が小林を敬愛したり好きだという所以は、「何でもない」ところにあると思っている。何もこの人には美徳はないかも知れないが、本当に小林がおっ母さんの事を思う時に、僕は感動するんだよ。 兄貴がお袋のオシッコまで世話するのを見てもね。東光はいまだにお袋の悪口を書いていますよ。けれども兄貴のやったことは、僕がこれからどう努力したって出来ない事です。 それは何も小林が偉いのでも東光が偉い...