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江戸時代にこんな道が!豊後街道は熊本と大分(鶴崎)を結ぶ全長約124km(31里)の主要街道です。参勤交代に多く使われ熊本から鶴崎までは4泊5日を要したそうです。熊本を出発した参勤交代の一行は亡くなった宮本武蔵が甲冑姿で見守る武蔵塚を通過して大津で一泊されます。翌日、街道の中でも難所とされる二重の峠を越え阿蘇へと入ります。 阿蘇へ下ったところにくまモンやキティちゃんが出迎えてくれる駐車場があります。歴史...
当時の隆盛を今に伝える『大岡家老門・多胡家老門』(島根県津和野)
JUGEMテーマ:歴史津和野藩で家老を務めた大岡家と多胡(たご)家の武家屋敷門 今回は、島根県津和野町の家老屋敷表門「大岡家老門・多胡家老門」をお届けします。現在もなお、佇まいは往年の隆盛を今に伝えていま
千歳通に残る小さな廟は、第2代牛久保城主・牧野成定の墓所です。牧野成定は、牛久保城主・牧野 保成の後をうけて牛久保城主となり、早くから徳川方に属していました。永禄8年(1565年)家康が吉田城を攻めた際、成定は酒井忠次とともに今川方の説得につとめ、無血開城させるという武功をたて、家康の信任を得ました。墓碑は貞享元年(1684年)に曾孫により建てられ、鞘堂は昭和50年、牧野公奉賛会の手によって建立されたものです...
『玉祖神社』ー三種の神器の一つ、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をつくった神様ー
JUGEMテーマ:神社仏閣二千年の歴史を持つ由緒ある神社「玉祖神社」 今回は、山口県防府市にある「玉祖(たまのおや)神社」をお届けします。玉祖神社は、周防国の一ノ宮で、創建年は不明ですが、景行天皇が熊襲(
俊寛僧都をご存知ですか?以前長崎市伊王島の「i+Land nagasaki」さんで自転車を借りて孫達とサイクリングしたことを「弱虫ペダル?」で紹介しました。海水浴場へ向かって走っていたらおやっ?直ぐに止まって読むことができるのが自転車の良い所。嗽沢清水(さわしみず)跡治承元年(1177)、横暴を極めていた閉止を討ち滅ぼそうと、京都鹿が谷で密談を図っていたことが発覚し、俊寛僧都・検非違使判官平康頼とともに島流しの刑になっ...
九州旅行5日目は、桜島に渡ります。人生初の桜島!桜島へ1日共通利用券CUTE今日は、この1日共通利用券・CUTEを利用します。鹿児島の市営バス、市電、フェリーが1日乗り放題で1,200円。『市営バス』には鹿児島シティビューと桜島アイランドビ
海軍基地跡恐竜公園の上り口ちかくの道路沿いに、第二次世界大戦末期に築かれた桜島海軍基地の遺構があります。桜島港から恐竜公園上り口をいったん通り過ぎた位置から撮影。左手の山の上に恐竜公園、写真奥に進むとフェリーターミナル前です。左手前に∩型の
ホント眺めるだけで…今回、鳥取県・島根県への旅をしました。移動の際に見かけたお城。見ることができただけラッキーだったのかな…まずはこちら 新幹線上りホームから撮影です。ホームの目の前にお城♪「福山城」天守北側外壁を鉄板張りにした珍しい城です。岡山後楽園から見えた「岡山城」どちらもすぐそこに… こちらは車窓から見えたお城。車窓からは「鳥取城跡」も遠くに見えてました。せっかく近くまで行ったのに見ることもで...
新風張橋で振り向けば風張城跡が見えるのです。#東北 #秋田県 #北秋田市 #阿仁吉田 #...
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人は下の道路を往来し、上の橋には水路が通っていた場所『臥月橋』
JUGEMテーマ:歴史「臥月橋」または「つきね橋」通称「めがね橋」 今回は、山口県周南市中須にある橋「臥月橋(がげつきょう)」をお届けします。前回ご紹介した「大溝改修記念之碑」の場所からほど近い所にありま
中須地区の伝説、恐るべき女性「大溝のばあさん」(大溝改修記念之碑)
JUGEMテーマ:歴史中須地区に用水路を引いたおばあちゃん 今回は、山口県周南市中須にある史跡「大溝改修記念之碑」をお届けします。「中須・大田原小学校百年史」にも記載されていますが、恐るべき女「大溝のばあ
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JUGEMテーマ:神社仏閣❝山陰の小京都❞ 津和野町に鎮座する「太皷谷稲成神社」 今回は、島根県鹿足郡津和野町にある「太皷谷稲成神社」をお届けします。観光地としても有名な津和野
煮穴子の駅弁からどこを想像されましたか?こちらが到着駅です。これで分かれば地元の方ですよね。今回の旅はツァーなのでここからは貸切バスでの移動です。「日本三名園」の一つ岡山市の「後楽園」です。他の二つは金沢市の「兼六園」と水戸市の「偕楽園」私はこちらで三名園制覇です。 一面の茶色くなった芝も良いですし池の水が美しいですね。富士山を模したような築山は「唯心山」 まだ紅葉が残ってました。「唯心山」山頂か...
『二所山田神社』 ー出雲大社と伊勢神宮から勧請し、合祀した神社ー
JUGEMテーマ:神社仏閣大内氏ゆかりの神社「二所山田神社」 今回は、山口県周南市鹿野地区にある「二所山田神社」をお届けします。 二所山田神社は、二所神社と山田神社を合祀した神社で
JUGEMテーマ:神社仏閣洞春寺の境内には、『のむら美術館』もあり、歴史に触れられる場所になっています 今回は、山口県山口市にある西国の天才策略家・毛利元就の菩提寺「洞春寺」をお届けします。 &
「その2」のつづきです。水口岡山城跡伝本丸から伝二ノ丸へ向かいます。 伝本丸と伝二ノ丸の間に大きな堀切があります。 ただ、ここを訪れたのは令和3年(202...
名だたる戦国武将がここに集結!名護屋城は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)東松浦郡玄海町)にあった城で豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城である。名護屋は海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、松浦党の旗頭・波多氏の一族である名古屋氏の居城、垣添城が存在。豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、前線基地として大掛かりな...
見頃を迎えました!細川刑部(ほそかわぎょうぶ)家は、細川家三代忠利(ただとし)公の弟、細川刑部少輔興孝(ほそかわぎょうぶしょうゆうおきたか)が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。この建物は、その後、子飼(こかい)、現在の熊本市東子飼町で下屋敷として使用していたものを平成2年から4ヶ年かけて移築したものです。同邸は建坪300坪あり、唐破風の大きな玄関は、重臣などの訪問や当主だけが使った...
復興進むお城も紅葉の季節に!復興進む熊本城。現在大天守と小天守にしゃちほこも設置され特別公開 第1弾が行われています。第1弾では、天守閣の内部には入れません。原則、復旧工事のない日曜・祝日のみの公開となっています。詳細と復興状況は「熊本城・特別公開」で。観光客の方が最初に目にする「馬具櫓」加藤清正公像のある場所からの撮影です。後方には一本石垣で支えられていた「飯田丸五階櫓」があったのですがすでに解...
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連の悲しい遺産江戸時代に宣教師やキリシタン達を収容するために使われた牢の跡が大村市に残っています。 ・元和3年(1617)7月から同8年(1622)9月まで、長崎奉行所で捕えられた神父や信者35名を閉じ込めた牢屋の跡である。・周囲も天井も竹の柱で囲まれた鳥かごのような部屋で、広さは奥行6.6m、間口4.6m、横に寝ることも身動きさえ自由にはできなかったといわれている...
國武喜次郎の興した久留米絣の倉庫ですよ!久留米の街中をジョギング。知らない土地を走ってみると面白い発見があります。今回も路地の先のビルの陰に歴史ありそうな建物を発見!久留米の特産品といえば「久留米絣」。井上伝という当時12歳の少女が江戸時代に創始したそうです。旧久留米藩の地域で製造されていて伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つです。それまで手織りされていた久留米絣を明治時代に機械化による大量生産...
初詣より先に熊本城!年末年始のお休みで帰省された皆さんの多くが この景色を見て「ただいま!」と言い「お帰りなさい」との声がお城から聞こえてくるような気がするのではないでしようか?復旧が進む熊本城天守閣の大天守外観が復旧しました。それを記念して天守閣前までの一部が公開されています。今年はまず熊本城に一口城主の孫達と元気をもらいに行ってきました。 馬具櫓の石垣は崩れたままですが長塀の工事は始まったよう...
夏は子供たちの水遊び場です私のジョギングのメインコースにはいろいろと名所があるのですが本日紹介は 細川藩家老有吉家別邸跡江津湖畔の中でも、特にこの付近には湧水が多く清水口と呼ばれていました。また江戸時代には、細川藩の家老であった有吉家の広大な下屋敷がありました。この場所も有吉家の下屋敷の一部でしたが、明治十年に熊本城や花畑屋敷などが焼失した後、有吉家分家の有吉市左衛門の住居となり、その後平成になっ...
加藤清正の国境の支城は?豊前街道が筑後国と接する重要拠点に築かれた城です。そのお城は宿場町の北側の台地に位置しています。城ノ原官営墓地には南西側から登ったのですかこちらは南東側になります。登城口になるのでしょうか?標高100mの小高い台地に本丸が築かれているのですが このような道を登って行きます。 本丸跡加藤清正の家臣加藤美作守正次が慶長5年(1600)に築いたそうです。清正自ら縄張りを行ったとい...
江戸へ向かう篤姫も休憩したらしい!豊前街道は熊本を起点として北上し植木、鹿央、山鹿、和水から南関を経て豊前・小倉に至る道のことをいいます。参勤交代道として栄えました。参勤交代に際しては肥後国内における最後の休憩地、宿泊地であり大名行列の休憩処が設けられるなど道沿いの町は賑わいをみせたといいます。寛永9年(1632年)には失脚した加藤氏に代わって細川忠利公もこの豊前街道を通り熊本城に入っています。こ...
イオン熊本中央店さんの敷地にありました!前々から気にはなっていたのですが…いったい何なのでしょう?それがこちら。何だと思います…?熊本製糸工場大煙突跡熊本製糸大煙突の記 此の地もと旧藩時代の演武場であった。始祖長野濬平翁は城北の人、横井小楠先生の門下で養蚕立国を志し先進地を視察して明治五年県に建策しこの地に養蚕試験場を建てた。その後幾変転、明治廿六年熊本製糸合資会社を創立して尓後の基礎を築く、二代目...
今だけ見れる光の💛秋から春にかけて晴れたときの30分間だけ見ることができるのがここ「二俣橋」です。 釈迦院川と津留皮の合流点一帯にかかる石橋で五つの橋が架かっているので二俣五橋と呼ばれています。左の石橋は第2橋(二俣福良渡)右は第1橋(二俣橋)です。二つの橋がほぼ直角に交わっており「双子橋」とも呼ばれています。11月~3月の午前11時30分~12時頃にかけてここに💛が出現するそうです。ということで ...
山道の先に現れた不思議なトンネルはどこへ向かう?昨日紹介ハートの現れる恋人の聖地「二俣橋」その近くに不思議なトンネルがありました。その名も「八角トンネル」案内板がありますね。右へ進むと二俣橋です。山道を歩いて行くと 不思議な世界へ繋がっているような…トンネルというより八角形の門が並んでいるようです。空は見えるし横からの光が幻想的です♪先ほどの山道とこのトンネル気がつかれた方がいらっしゃるかもしれませ...
これは城山の予感!久山年神社へ向かっているとこんもりとした小山が見えてきます。何となく城山のような…!?そう思ってしまいました。久山神社の境内から「諫早十二支公園(戌)」の案内柱。整備された道を登って行きます。諫早市には十二支の名前の付いた公園があるようです。曲輪のように見えませんか?山頂はすぐそこ。そこには祠と石仏がありました。ここは諫江八十八ヵ所第八十四番札所らしいです。石仏は「弘法大師像」の...
小西行長が築城した城です!小西行長は天正15年(1587年)の九州平定、天正16年(1588年)の肥後国人一揆の討伐に功をあげ、肥後国の南半国宇土、益城、八代の三郡20万石あまりを与えられた。 天正17年(1589年)、宇土古城の東の地(現在の熊本県宇土市古城町)に新たな宇土城を築城し、本拠とした。小丘陵の城山の頂上に本丸、西に二の丸・堀と石垣三の丸を配し、それぞれを堀と石垣で囲んだ近世城郭であった。鎌倉時代末期に宇...
小西行長はどうしてここに築城しなかった?先日紹介の小西行長築城の近世宇土城こちらは中世宇土城とか宇土古城と呼ばれています。築城したのは宇土氏で、菊池氏の一族と伝えられています。文亀元(1501)年には宇土為光は肥後国守護だった菊池能運から守護職を奪うほどの勢力だったようです。その宇土氏が滅亡した後は名和氏が八代より入っています。名和氏も川尻(熊本市)を領有するなど勢力を拡大しましたが豊臣秀吉の九州...
熊本地震の際に現れた断層は天然記念物に!2016年(平成28年)に発生した熊本地震。震度7の地震が2度発生し大きな被害を受けた熊本県益城町。4月14日の地震は日奈久断層帯の北端部の活動4月16日未明の地震は布田川断層帯の活動によるものです。その布田川断層が農地に現れたのがこちら- 益城町HP -当時ニュースでも映像が流れていましたね。この熊本地震を引き起こした「布田川(ふたがわ)断層帯」は天然記念...
JUGEMテーマ:紅葉自由律俳句・種田山頭火の句碑もあり、風情あふれる場所です 今回は、山口県周南市鹿野の「清流通り」をお届けします。 鹿野地区には「清流通り」と呼ばれる通りがあります。鹿野
熊本市新町のランドマークは歴史ある本屋さん!加藤清正が熊本城の築城とともに造った城下町。それが熊本駅と熊本城の間に位置する「新町・古町」です。当時の町割りが残り、古い建物も残っています。 先日紹介の「あんたがたどこさ」に登場した熊本市電「洗馬橋」の隣の電停が「新町」です。そこで下車すると目の前に大正13年に創建された「中崎次郎書店」創業者の長崎次郎が明治7年に開業した熊本最古の書店です。 長崎次郎書...
かっての賑わいが甦る大正時代の建物来年2月開催予定だった「熊本城マラソン2021」は新型コロナウイルス感染症の影響により参加ランナーをはじめ、熊本城マラソンに関わる方々の安全・安心の確保が困難であると判断され中止となりました。その熊本城マラソン終盤35kmを過ぎて疲労で辛くなる辺りに気になる建物があります。この地点は右手にゴールの熊本城が見えてきてここから以前紹介の「あんたがたどこさ」の「洗馬橋」電...
熊本城再建の参考にされた古写真は?2016年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。現在再建工事も少しずつではありますが進んでいます。2021年春には天守閣内部に入れるかもしれません。熊本城の天守は明治10(1877)年の西南戦争で焼失してしまいました。この天守閣は昭和35年(1960)に市民の寄付などにより再建されたものです。その際に参考にされた古写真はWikipediaからお借りした明治初期(1874年)の熊...
熊本城の秘密を知ってしまったら…私のブロクにも登場する「豊前街道」。その街道沿いに「山伏塚」バス停「やまぶしづか」と読むと大間違い!Yanboshizuka「やんぼしづか」と読みますよ。九州では(熊本では)山伏のことを「やんぼし」と言います。山伏が訛ったものですが宮崎県では妖怪の名前だったりします。 山伏塚はバス停の手前の小高い場所です。石段を上ったら誰かを祀っている? 記念碑にいわれが書かれてい...
暑い夏の夜は怪談?夏休みお盆に集結したいとこ達と夜見たTV「耳なし芳一」とても怖かった思い出があります。小泉八雲さんの「怪談」にも取り上げられている話ですね。ラフカディオ・ハーン日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗るのですが彼は熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身校)の英語教師として熊本市に住んでいたのですよ。当時の校長は嘉納治五郎さんですね。「上質なくらしを提案する郷土のデパート」熊本を代表する...
熊本地震の被災校舎が目の前に2016年(平成28年)4月に震度7が2回観測された熊本地震。大きな被害が出ました。その地震を経験して得られた教訓等を後世に伝えるため地震断層や被災建物を「震災遺構」として保存することになりました。旧東海大学阿蘇キャンパス1号館熊本地震で甚大な被害を受けた校舎は「熊本地震 震災ミュージアム」の中核拠点として整備され地震の教訓を後世に伝えるべく公開されました。地震の断層が校...
通潤橋により潤った田も収穫近し!通潤橋は水の便が悪く水不足に悩んでいた白糸台地に住む民衆を救うため、江戸時代、時の惣庄屋「布田保之助(ふたやすのすけ)」が、1854年に”肥後の石工”たちの持つ技術を用いて建設した石橋。日本最大級の石造りアーチ水路橋で、国の重要文化財に指定(昭和35年)されています。長さは75.6m、高さは20.2m。橋の上部にサイフォンの原理を応用した3本の石の通水管が敷設され、今でも周辺の田畑を...
JR三角線「網田駅」現存する熊本県最古の駅舎「網田駅舎」は登録有形文化財(建造物)の歴史ある建物です。開設から百年を超える木造駅舎は畏敬をの念を込めて「百年駅舎」と呼ばれています。熊本県内では最も古く九州でも福岡県の油須原駅に次いで二番目に古い木造駅舎です。JR九州三角線は宇土駅から三角駅に至る全長28.2km鉄道路線です。明治32(1899)年12月に開業しました。現在の駅数は9駅ですが開業当時...
熊本県内最古の酒蔵が重要文化財に指定されている日本最大のアーチ式水道橋「通潤橋」先日熊本県山都町には秋の気配で紹介しました。そして中世の阿蘇大宮司の館「浜の館」があった山都町浜町。「山なのに浜?」以前から不思議でした。「はま」は阿蘇地方では広々とした水田の意味だとする説とここは湧水が多く、低湿地の盆地であるため降雨の多い時は水田が湖のようになり浜と称したとの説があるそうです。 そしてここは昔から政...