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ユスキュダルの老舗オスマン料理レストランでデザート「ノアの箱舟」
ユスキュダルにある老舗レストラン「カナート・ロカンタス(Kanaat Lokantası)」で「ノアの箱舟」というデザートを食べてきました。
イェニ・ジャーミィ:完成するまでに70年弱かかった「新しいモスク」
イスタンブール・エミノニュに建つ「イェニ・ジャーミィ(Yeni Camii)」。トルコ語で「新しいモスク」という名前を持ちますが、建築が開始されたのは1598年、約430年前です。 イェニ・ジャーミィ ムラト3世の妻、サフィエ・スルタンの命によって始まった建設工事は難航しました。サフィエ・スルタンが亡くなったために工事が中断したり、火災の被害を受けたりと遅々として進まず、完成したのは着工から半世紀以上経った1665年でした。建築には3人の建築家が関わったそうです。 イェニ・ジャーミィ 長い時間をかけて建てられた甲斐のある、細かい装飾が本当に美しいモスクです。モスク内部には「ブルー・モスク」で知…
「ブルー・モスク」の愛称で知られる”世界一美しいモスク”を見学
「ブルー・モスク」の愛称で親しまれている「スルタンアフメット・ジャーミィ(Sultanahmet Camii)」。「世界一美しいモスク」とも呼ばれています。 スルタンアフメット・ジャーミィ これまで数々のモスクを見学してきましたが、このモスクが最も観光客で混み合っていました。というのも観光客は礼拝の時間には入ることができないので、見学できる時間帯が限られているからです。 1月某日のスケジュールが以下の写真です。礼拝時間は一年を通じて変化するので、時期によって見学できる時間帯が変わります。 スルタンアフメット・ジャーミィの公開スケジュール(2025年1月) 私も20分ほど中庭で待って中に入りまし…
「テオドシウスの城壁」とメフメト2世が入城した「カリシウスの門」
ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを文字通り「鉄壁」の防御で1000年以上守り続けた「テオドシウスの城壁」。その一部は、現在もイスタンブールの旧市街を囲うように残っています。 テオドシウスの城壁 テオドシウスの城壁は5世紀初頭にビザンツ帝国のテオドシウス2世によって建設されました。外壁(厚さ約2m)、内壁(厚さ4.5~6m)、堀からなる3重構造の堅牢な作りで、見張りの塔も一定間隔で設置されていたそうです。 テオドシウスの城壁 難攻不落の城壁が破られたのは1453年5月29日。メフメト2世率いるオスマン帝国軍の侵入を許してしまい、コンスタンティノープルは陥落しました。 ただ正確に言うと、こ…
「アヤソフィア」と同時代に建てられ、同じ名前を持つ「小さなアヤソフィア(Küçük Ayasofya Camii / Little Hagia Sophia)」。イスタンブールに現存する最古のビザンツ建築です。
ブルー・モスクより青い!「ソコルル・メフメト・パシャ・モスク」
イスタンブールにある「ソコルル・メフメト・パシャ・モスク」は内壁の大部分が青いタイルで装飾されていて、ブルーモスクよりも青いモスクです。
ふんだんに使われたタイルが美しい「リュステム・パシャ・ジャーミィ」
エミノニュの問屋街の中にある「リュステム・パシャ・ジャーミィ(Rüstem Paşa Camii)」。タイルの名産地であるイズニクで作られたタイルがふんだんに使われていると聞いて見学してきました。 モスクは2階にあるので、小さな入り口を入って階段を上がります。1階は店舗になっています。 階段 リュステム・パシャ・ジャーミィの中庭 正面入り口は青いイズニック・タイルでゴージャスに装飾されていました。左右対称ではなく、パッチワークのようなアシンメトリーなデザインが興味深かったです。 リュステム・パシャ・ジャーミィの正面入り口 観光客用の入り口は別にあります。 観光客用の入り口は奥に モスクの名前と…
15世紀から19世紀中頃までオスマン帝国の支配者・スルタンが住んでいたトプカプ宮殿。約70万平方メートルの広大な敷地には「ハレム」と呼ばれる女性たちが住んでいたエリアがあります。 東京から遊びに来た友人が「絶対に見たい場所!」と言ってくれたので一緒に見学してきました。 トプカプ宮殿のハレム トプカプ宮殿のハレムは約400もの部屋があり、その一部が公開されています。1,000人の女性が暮らしていたこともあるそうです。 ハレムの皇帝の間 ハレムに住む女性たちは「奴隷」としてイスタンブールに連れてこられました。奴隷市場で買われたり、戦争の捕虜として連れてこられたりと、さまざまな経緯があったようです。…
バヤズィト2世のモスク「バヤズィト・ジャーミィ」は最古のセラティン・モスク
「バヤズィト・ジャーミィ」は、グランドバザールのあるベヤズット地区にあるモスクです。イスタンブール大学の隣に位置しています。 バヤズィト・ジャーミィ 建設を命じたのは、コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世の息子であるバヤズィト2世。オスマン帝国第8代目のスルタンです。建築家は残念ながら不明だそう。 バヤズィト・ジャーミィ 1501年から5年間かけて建設されたこのモスクは、イスタンブールでスルタンが私財を投じて建てたモスク(セラティン・モスク)で最も古いものとされています。というのも、市内には1469年に建てられたファティ・モスクがありますが、地震で建物がほぼ全て倒壊、その後修復された…
ゼイレック ジャーミィ:元は教会、そしてイスタンブール最初の教育機関
ゼイレック・モスクは元々は教会。そしてその後イスタンブールで最初の教育機関マドラサとして使われました。現在はモスクになっています。
イスタンブール・タクシムのギリシア正教会「聖トリアダ教会」が歩んだ歴史
イスタンブールのタクシム広場近くには市内最大のギリシア正教会があります。建築は1880年。トルコの歩んだ歴史を感じる教会です。
スレイマン大帝が眠る「スレイマニエ・モスク」はオスマン帝国時代 ミマール・シナンの”傑作”
トルコ・イスタンブールでは、オスマン帝国時代の傑作「スレイマニエ・モスク」が必見です!
ステンドグラスが美しい「ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(Mihrimah Sultan Camii)」
Mihrimah Sultan Camii イスタンブール・ファティ地区にある「ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(Mihrimah Sultan Camii)」は私が初めて訪れた女性の名前を冠したモスクです。 名前の由来になっているのはスュレイマン大帝とヒュッレム・スルタン妃の娘で、ペルシャ語で「太陽と月」を意味する名前を持つミフリマー・スルタン。 ミフリマーフ・スルタン(Mihrimah Sultan ) 彼女はとても賢く、スュレイマン大帝にも国政のアドバイスをしていたんだとか。大帝も彼女を戦場に連れて行くほど可愛がったそうです。歴史家の1人は、彼女のことを「オスマン帝国の歴史の中で最も強力…
『The Purple of the Barkan Kings』(H.H.Munro、Doubleday &,Inc.)
『バルカン諸王権』(マンロウ)本作は『The Complete Works of SAKI』の「The Toys of Peace」に収録されている1篇で...
~賞状伝達。生徒をステージ下に降壇させてから礼~ 僕が平成初期に勤めていたⅮ中学校では、全校朝会のときに珍しい風景が見られました。 新潟県の多くの小中高では、賞状伝達のときには礼をしながらステージ上で校長から賞状等を受け取ります。そしてその場で回れ右をして、全校生徒にも礼をして降壇します。 ところが、回れ右をさせない校長が山田さん(仮名)でした。左向け左です。生徒たちはそのまま左から降壇して下のフ...
下記は、「イスラエル、イラク、アメリカ─戦争とプロパガンダ3─」E.W.サイード:中野真紀子訳(みすず書房)のあとがきの一部です。訳者の中野真紀子氏が、パレスチナ人とユダヤ人の戦いの大事な点をしっかり踏まえて、現在に至る経緯をわかりやすく解説しているような内容なので、抜萃しました。注目したいのは、下記のような点です。〇イスラエルは先住民を抑圧する排他的な宗教国家である〇抑圧された記憶が、裏返されて他者の抑圧につながるというなら恐ろしい話だ。自らが抑圧者となって他者を同じ目に合わせなければ、過去の埋め合わせができないというのなら、迫害は永遠に繰り返す連鎖ということになってしまう。〇オスマン帝国のもと、様々な人種や文化や宗教が複雑に絡み合うパレスチナでは、人々が多様性を維持しながらおおむね平穏に共存していた。...先住民を抑圧する排他的な宗教国家
※ 映像に不具合が出る場合がありますので4種UPしました…というのはウソで、全部同じですが是非何度も聴いていただきたい、と?💦 ⇧和訳付きのビデオ…
Ibraim Odža ~ Bog da go bie! 神が罰してくださいますように! ~(北マケドニア)
今回は北マケドニアの民俗舞踊「Ibraim Odža(イブライム・オジャ)」の踊りと音楽を紹介します。 まずは次の動画から。イリヤ・ニコロフスキー=ルイ国立音楽バレエ教育センターの生徒たちによる舞踊演目の Ibraim Odža。2018年の映像です。 Ибраим оџа/Ibraim odza Petar Pechkov (2018) 舞台は北マケドニア中央部の都市ヴェレス。山の斜面に住宅が立ち並ぶ1940~1950年代(おそらく第二次大戦後)のヴェレス市の写真を背景に、街なかで執り行われる結婚式の様子を表現しています。 結婚式の参列者は20世紀中頃の装い。男性はスーツに丸つばの帽子、女性…
Na 'Tane To 21 ~ 誤解と確執のレベティコの大ヒット曲 ~(ギリシャ)
今回紹介する曲はギリシャの「Na 'Tane To 21(ナ・タネ・ト・イコシエナ)」です。ギリシャの音楽ジャンルのレベティコの1970年代リバイバル期のヒット曲です。 Γιώργος Νταλάρας - Να 'Τανε Το 21George Dalaras YouTube Channel Giórgos Ntaláras, Na 'Tane To 21, MINOS-EMI 1970, Greece ギリシャのポピュラー音楽にレベティコ(Rebetiko / Rempetiko)と呼ばれる音楽ジャンルがあります。ギリシャのブルースと呼ばれることもある都市部の大衆歌謡で、アナトリア半島(…
AJC(AustinJapanCommunity)に参加すると、さまざまなイベントで、さまざまな人と会うことがあり、それは日本人だったり、日本好きなアメリカ人(や外国人)だったり、とにかくユニークな方が多いので、日本に住んでいたら、出会わなかったであろう人々、しなかったであろう体験をすることが、多くなりましたそんな中、ミートアップで出会ったトルコ人から誘われて、トルコのイスラミックアートの展示に行ってみました私が想像するトルコのイメージは、親日国で、イスラム教で、美しいトルコブルーのモスク、お土産はバザールで買うタイルの鍋敷き、目玉のお守り・・・ベタすぎるけど、そんな感じか教会での、小さな展示でした。おぉ、このマーブル模様って、トルコだったのかEbru(エブル)。(水にインクを落として模様を作り、紙に写し...チュリップはトルコ!オランダじゃない。
時間がなくてブログでご紹介できませんでしたが、昨年10月26日~11月20日に26日間のオヤ修行旅に出掛けていました。 行き先はブルサ、カスタモヌ、アンカラ、コンヤ、ベルガマ、ティレ。 特にカスタモヌには10日間
Manastır'ın Ortasında ~ マナストゥルの真ん中に ~(トルコ・ギリシャ・北マケドニア)
今月トルコは共和国建国100周年を迎えます。100年前の1923年10月29日、ムスタファ・ケマル(Mustafa Kemal)指導の下、近代国家を目指した共和制トルコがスタートしました。 今回はそのムスタファ・ケマルにちなんで、〈Manastır'ın Ortasında〉(マナストゥルン・オルタスンダ(マナストゥルの真ん中に))という民謡を取り上げます。〈Manastır Türküsü〉(マナストゥル・テュルキュスュ(マナストゥルのバラード))とも呼ばれます。この民謡は、童謡として、またムスタファ・ケマル・アタテュルク(Atatürk = 建国の父)が愛した歌として、トルコ国民に共有され…
Mugur, mugurel ~19世紀の反逆の歌~(ルーマニア)
今回はルーマニア・ムンテニア地方の音楽、Mugur, mugurel(ムグル・ムグレル)を取り上げます。 1曲目は、ルーマニア放送協会傘下のポピュラー音楽放送管弦楽団(Orchestra de muzică populară Radio、指揮:Paraschiv Oprea)による演奏から。 Mugur, Mugurel (original) Choir conducted by Paraschiv Oprea, Greetings From Romania Vol 2, 1994 Intercont Music, Romania. これぞルーマニアン・フォークという感じの、1拍目が2拍目より…
「君はパレスチナをしっているか」(ほるぷ出版)の著者、奈良本英佑氏は、同書のなかで、”第一次大戦は、中東から見た場合、「瀕死の病人」オスマン帝国の遺産ぶんどり合戦にほかならなかった。形のうえでは、オスマン帝国はドイツ側につくのだが、この大戦の実態は、イギリス、フランス、ドイツを中心とするヨーロッパの強大国、いわゆる「帝国主義列強」によるオスマン帝国の分割戦争だったといってよい。”と書いていましたが、その後、イギリスやフランスは、ぶんどった領土を「委任統治」という名目で支配するのです。その「委任統治」について、奈良本氏は”イギリスは戦争に勝ってパレスチナを手に入れた。もう少し正確にいうと、「委任統治」というかたちでパレスチナを支配することになった。委任統治の建前は、この大戦後につくられた国際連盟にかわって統...欧米の恣意的パレスチナ政策とオスマン帝国の遺産ぶんどり合戦
ソマはエーゲ海地方マニサ県の都市である。 新市街が郊外に広がり、今では人口10万人を越える中堅都市となっている。 元の中心地は、ひとつ前のブログで紹介した文化の家付近だったため、この辺りには古いお屋敷や
イーネオヤロード2023(35)~15世紀に造られた歴史的ハンで夕食を
ティレを離れる最後の夕食に、ゼイベッキ博物館からも近い古い商店街の中にあるレストランへ行った。 このレストランは「クトゥハン」と呼ばれる古い歴史的建造物の中にあり、雰囲気も良い。 「ハン」とはト
100 vs 30❓ 決戦のイスタンブール on 29th Oct 2023
100 30 10月28日(土)11:30 晴れ 今日は、 大暴落的トルコリラ薄給切捨アラフィフサラリーウーマン・キラズ、 決…
友人とバクラヴァ・カフェでお茶することにしました。少し遠回りして公園の中を通ります。街の中心部にある12ヘクタールの公園です。公園を抜けてから、まずドラッ...
第4章 石油が武器となり、近東が戦場となる 破産したイギリスが戦争へ 1914年から18年にかけての世界大戦の秘密としてよく知られているのは、1914年8月前夜、イギリスがドイツ帝国に対して宣戦布告したとき、イギリスの財務省と大英帝国の財政は事実上破綻していたということである。戦争の主要当事国の実際の財政関係を調べると、秘密裏に行われた債権と、戦後、全世界の原材料と物的富、特にオスマン帝国の重要な石油埋蔵地と考えられていた地域の富を再削り取るための綿密な計画とが相まって、異常な背景が浮かび上がってくる。第一次世界大戦の引き金は、1914年6月28日、ボスニアの首都サラエボでセルビア人の暗殺者に…
ビザンツ帝国と東ヨーロッパ 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-
東ローマ帝国は地中海貿易により繁栄し、貨幣経済が発達、絹織物産業も発展した。皇帝が政治と宗教両面における最高権
オスマン帝国以前のトルコにあった国の変遷を見てみよう【各国史・地域史】
今回はアナトリア(小アジアとも)という地域の歴史に焦点を当てていこうと思います。 アナトリア半島は海に面した地域には平野
東京ジャーミーのチャリティーバザー NO1 出来ればご声援お願いいたします m(__ __)m 国境なき医師団 Tokyo Camii charity bazaar Sat 22, Sun 23 Aprilトルコのカフラマン アラシュの大地震へのチャリティーバザーがありました。初夏の気候で 太陽が元気な日でした。私達がうかがった時は 以前ほどの人の熱気がなくて、わりにお馴染みさんばかりのような会場でした。私は ...
<コーヒー文化> 苦手de解決❓ 泡泡アワワ❗️☆ 喜びの一杯トルココーヒー
トルコ人にとって欠かせない毎日のコーヒー、トルココーヒー。 特に 朝食後の一杯のコーヒーは、何とも言えない喜びですね。 あなたにとっての”A cup …
7月の工業生産指数、取引所イスタンブルの株価急落、オスマン帝国最後の皇帝の評価に関する論争、14社による8月の世論調査結果の平均値、野党6党の共同大統領候補に関する議論
今日(13日)も、統計記事を含め、意味があると思われる記事がいくつか出ていました。今日はその中から、7月の工業生産指数、株式市場の暴落に関する記事を紹介します。エルドーアン大統領による“共和国史上最大の社
7月の工業生産指数、取引所イスタンブルの株価急落、オスマン帝国最後の皇帝の評価に関する論争、14社による8月の世論調査結果の平均値、野党6党の共同大統領候補に関する議論
今日(13日)も、統計記事を含め、意味があると思われる記事がいくつか出ていました。今日はその中から、7月の工業生産指数、株式市場の暴落に関する記事を紹介します。エルドーアン大統領による“共和国史上最大の社会住宅計画”についての発言に関する記事も出ていましたが
『オスマン帝国外伝』オスマントルコのスレイマン大帝・ヒュッレム(ヒュレム)妃を霊視
オスマン・トルコ帝国の皇后・ヒュッレム妃(ロクサレナさん)は、”奴隷皇后”_________と題されるように、タタール人に捕えられ、奴隷としてオスマン・トルコに売られ、皇帝に献上されたウクライナ女性。私も数年前に、はじめて、”奴隷皇后”というキャッチコピーに衝撃を受け、興味を持って、このシリーズを見始めたのがきっかけだったのですが、(それまでは、そのような来歴の皇后がいた、というのを全く知りませんでし...
6月の経常収支、先週の外貨準備高、エルドーアン大統領の2つの過信と日本語記事(読売新聞)、新カピュチレーションとトルコ経済が直面している困難な状況
今日(11日)は新しい話題はほとんどありませんでした。しかし、今日は6月の経常収支、先週の外貨準備高、CDSが過去3か月間で最低の数字となったという記事などが出ていました。強いて新しい話題と言えば、エルドーアン大統領が「農協における精肉の販売価格を、牛肉などは30
6月の経常収支、先週の外貨準備高、エルドーアン大統領の2つの過信と日本語記事(読売新聞)、新カピュチレーションとトルコ経済が直面している困難な状況
今日(11日)は新しい話題はほとんどありませんでした。しかし、今日は6月の経常収支、先週の外貨準備高、CDSが過去3か月間で最低の数字となったという記事などが出ていました。強いて新しい話題と言えば、エルドー
イスタンブールの旧市街にあるトプカプ宮殿は、トルコのツアーではほぼ訪問先として入っている有名な観光スポット。オスマン帝国時代、ドルマバフチェ宮殿に移るまでの約400年もの間、君主が居住した宮殿です。ドラマ「オスマン帝国外伝」の舞台となった場所なので、ドラマを見た方ならここはかなり楽しめるスポットであります。
トルコ史上最高といわれるオスマン帝国の宮廷建築家「ミマール・スィナン」が手掛けた数々のモスクは、圧倒的な存在感があって、どれを見ても素敵だなと思います。モスクの他にも霊廟やハマム、橋や水路など様々なものを造ったスィナンは、セリム1世、スレイマン1世、セリム2世、ムラト3世に仕えたとあり、当時にしては相当の長生きです。
エルドーアン大統領のサルマン皇太子への対応ぶり、エルドーアン大統領に関するアメリカ雑誌における分析とその反論、公務員給与・年金の40%前後の増額改定の可能性
今日(23日)も、経済面でも、社会面でも、いくつか重要と思われる記事が出ていました。 今日も、「(AAでは)記事にならない情報」としては、昨日と同様に「サルマン・サウジアラビア皇太子のトルコ訪問に関連する話題」と「ムーラ県で続いている山火事の問題」の2つと言っ
エルドーアン大統領のサルマン皇太子への対応ぶり、エルドーアン大統領に関するアメリカ雑誌における分析とその反論、公務員給与・年金の40%前後の増額改定の可能性
今日(23日)も、経済面でも、社会面でも、いくつか重要と思われる記事が出ていました。 今日も、「(AAでは)記事にならない情報」としては、昨日と同様に「サルマン・サウジアラビア皇太子のトルコ訪問に関連する話
新春金兎占:トルコ歴史ドラマ『オスマン帝国外伝』より、ヒュッレム(ヒュレム)妃を霊視
本年も どうぞよろしくお願いいたします 今回は、お正月にふさわしく豪華な霊信からはじめますねトルコの歴史ドラマ『オスマン帝国外伝』より、ヒュッレム(ヒュレ…
オスマン帝国(トルコ共和国)の歴史、軍艦エルトゥールル号の奇跡
TOM 125年前に起きたトルコの軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故を、多くの日本人は忘れています。 &nbs
世界で「犬猿の仲」である国と言えば、、、 (今HOTな) ロシア - ウクライナ、セルビア - クロアチア、アゼルバイジャン - アルメニア、インドとパキ…