メインカテゴリーを選択しなおす
1月26 日(金)21時~27日(土)20時~トルコのイーネオヤ展インスタライブやります!
先日のオスマンル刺繍ではたくさんのご視聴ありがとうございました。 引き続きまして今週1月26日(金)と27日(土)にもインスタライブを行います。 今回は「トルコのイーネオヤ」展でワークショップを担当してくだ
イーネオヤロード2023(53)~ムラディエ地区の2つの博物館
ウルジャミイのある広場から西へ向かった高台の上にムラディエ地区がある。 ムラディエ・キュリエを中心とした一角である。 キュリエとはひとつ前のブログでも説明したが、公的な複合施設を意味し、モスクを中心
イーネオヤロード2023(42)~コットンの男性オヤとテルスロン
別の村への移動の途中、食事休憩を兼ねて村の外れの渓流のそばにある魚料理のお店に寄りました。 そこで私たちを案内してくれた手仕事を研究しているハッサンさんが持ってきていた、秘蔵の古いイーネオヤを見せても
イーネオヤロード2023(36)~エフェオヤ(ゼイベッキオヤ)の楽園
イズミールでは民族舞踊の研究家で舞踊家のアブドゥラヒム先生のアイドゥンのイーネオヤコレクションを見せてもらうためにお家を訪ねることになっていた。 このオヤ旅で一番たくさんの貴重な古いイーネオヤを見られ
イーネオヤロード2023(31)~オデミシュの古いイーネオヤが満喫できるオヤの館
訪問先はオデミシュ市立のケント博物館。 かつての市民の生活を彷彿させる生活用品や手工芸品が展示されている。 何度来ても、同じものを見ても、全く見飽きないほど、素晴らしい手仕事品が並んでいる。 特に
イーネオヤロード2023~引き継がれるオデミシュのイーネオヤ
パザールの人混みを抜けて、伺ったお家にはお家の主の女性アルズさんとその叔母にあたるケヴセルさんが待っていた。 二人ともオデミシュに生まれ育ったイーネオヤの作り手である。 まず、アルズさんのチェイズの
イーネオヤロード2023~ゼイベッキ博物館でイーネオヤについて考える
イーネオヤに携わっていると一度は「エフェオヤ」という言葉を耳にしたことがあると思う。 エフェオヤとはなんぞや・・・と言う話は過去にも何度もしているので省くけれど、簡単に言うとエフェのために作られたオヤ
出版記念イベント「OYA展-コレクション展示と再現ワークショップ」
今年7月に上梓された「OYA」の出版記念イベントが開催されます。 「OYA展-コレクション展示と再現ワークショップ」 日時:10月7日(土)~9日(月・祝) 会場:西荻窪 HAPAHAPA様 本に掲載されている
娘の嫁入りのためにお母さんのエミネさんが用意したイーネオヤたち。 いずれも素晴らしく、古くからあるアイドゥンのモチーフもあれば、近年人気のある新しいモチーフなどもあり、それはそれはいくら見ても見飽きな
アイドゥンから隣県のイズミールへ向かう山道を移動しました。 今でこそ県境がありアイドゥン県とイズミール県になっていますが、かつてはこの山一帯が戦場でありゼイベッキやエフェがいたわけです。 そのゼイベ
お昼には女性たちが地元の家庭料理を作ってくれました。 民族衣装を着た女性が屋外で調理しているのを見ると、まるでタイムトリップしたような感覚になります。 私たちが気を遣わないよう、ゆっくりくつろ
エフェと言うと男性のイメージがあると思いますが、歴史上、実は女性のエフェも存在しました。 何年か前のブログにも書いた記憶があるのですが、アイドゥンのアイシェ・エフェです。 男性たちが戦に出向くなか、
3つあるエフェ団体の1つの会長さん。 民族衣装がとても素敵です。 日本人にもいそうな顔立ちですね。 トルコは東西文明の接点とも言われますが、まさにヨーロッパを思わせる人もいれば、やっぱりアジア
オヤ旅の続きです。 コチャルルの山間部で、私たちのために用意してくれた宴は、盛りだくさん過ぎて、情報も多くて頭の中でいまだ整理できていません。 いったい何からお話していこうか戸惑いますが、思い出
途中の町で同行する遊牧民・エフェ協会のメンバーたちと合流しました。 この一帯にはエフェが存在し、彼ら彼女たちの多くがその子孫なんだそうです。 実際には兵士としてのエフェやゼイベッキはいませんが、彼らの
コチャルルに行く前にインジルリオバに寄りました。 インジルリオバは昨年にも行きましたが、エフェオヤの聖地のひとつでもあります。 実際にエフェが暮し、エフェオヤが現在も(用途や形を変え)作られている土地
イーネオヤ・ロード2023~オヤ地獄とヌードルに箸が突き刺さっている件
年をとってからの旅で一番考えなくていけないのが食事のことです。 外食では家庭料理屋さんが見つかればいいのですが、それ以外だとケバブ類がメインでどうしても肉が多くなります。 若い時はトルコ料理美味しい~
アイドゥンのゼイベッキなどのフォークロアダンスチームのオフィスを訪問しました。 ダンスとオヤとどういう関係? と思うとなかれ。 ゼイベッキダンスや女性のダンスでは民族衣装を着用します。 今でこそある
この日は夕方以降に、もう1軒、イーネオヤの作り手である女性フィリズさんのお家へ行くことになっていた。。 村からアイドゥン市内へ戻る。 偶然だが宿泊していたホテルのすぐ向かいの高層アパートに住んでいる
イーネオヤ・ロード2023~アイドゥンのキクになぜエンジ色が多いかという話
私たちがベランダでイーネオヤを始めると、親戚やご近所のイーネオヤ仲間が集まってきました。 お家ある嫁入り持参品のイーネオヤをそれぞれに持ち寄ってくれたのです。 自分で製作したもの、お母さん、お姑
村長に案内された村唯一の食堂、トルコ語ではロカンタで遅めの昼食をいただく。 スルイエメイと呼ばれる煮込み料理やピラフなどもあったが、私はピデを頼んだ。 ピデはトルコ風ピザと訳されるが、生地の上にひき肉
エフェたちと共に数台のクルマを連ねてさらに山間部へ進む。 ここはキョシュクから15kmほど上がった人口約1300人の村である。 1300人のうち65歳以上が約200人を占めるが、その一方村には小学校もあり、25歳未満の
次に訪れたのはキョシュクにあるエフェ組合。 オフィスのあるビルの前にクルマを停めると、サプライズでエフェと、オスマン帝国時代の花嫁衣装ウチュエテッキを来た女性2人が出迎えてくれた。 エフェ組合は
イーネオヤ・ロード2023~星のゼイベッキオヤ(エフェオヤ)
ハティジェさんが続いて教えてくれた星のモチーフの男性用のイーネオヤは、本来はアイドゥンの南部にある、ムーラとの県境に近いカルプスルや現在のムーラ県で作られていたゼイベッキオヤである。 ゼイベッキ
イーネオヤ・ロード2023~2年前に針を置いた75歳の女性にキュペリを習う
アイドゥンには男性用のオヤ(ゼイベッキオヤ、エフェオヤ)を始め、リアルにお花そのものを再現したようなモチーフが多くある。 それは一地域で全てが作られたわけではなく、それぞれの村や地域ごとに作られてきた
アイドゥンで泊まったのは、昨年のオヤ旅と同じホテル。 それぞれ一人部屋なのだけれど、もしかしたら日本の1DKより広いかも・・・。 しかも綺麗である。 部屋のドアを開けるとキッチンがあって、12畳はあるだ
骨董屋さんについつい長居して、訪問するはずだったカラジャスの民族博物館は飛ばして直接アイドゥンのホテルに向かうことになった。 アンタルヤからの山間部の道からはデニズリの大通りを通らずに、アフロディシ
腹ごなしで入った骨董屋さんには、興味をそそられる古道具がたくさんありました。 旅が始まったばかりなので、大きなものは買えないけれど、私は手で紡がれた、極細のウール糸を少量ですが手に入れました。
6月中旬から私にとっての最後のイーネオヤ取材旅が始まりました。 最後という意味は、これ以上お金と時間をかけて調査をしても、私が求め続けてきた年代のイーネオヤの痕跡が見つからないと判断したからです。
またオヤ旅の途中ですが、完成したトルコ各地の古いイーネオヤを集めた図録本「OYA」が宿泊先のホテルに届きました。 少しでも早く見たくて一部を送ってもらったものです。 ちょうど犠牲祭に差し掛かる日程でスム
取材旅の途中です。 内容と情報量が濃すぎて、あまりにもの疲労にホテルに着いてもそのままベットに倒れ込む日々を送っています。 頭がついていけないレベルですが、おかげさまで各地で信じられないほどのことを
エフェオヤと言う分類があります。 現在では円形だったり、扇型であったりの馬毛、またはテグスが使われた大きな平面のオヤを指して言われることが多いかと思います。 今回のオヤマニアの会のアンティ―ク本でも
6月にイーネオヤ調査のための最後の旅を計画しています。 「最後の旅」の意味は色々あります。 現在、旅のための下調べをしているところですが、今回は主にアイドゥン県とイズミル県のエフェオヤの地域、そして