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東海道五十三次の2番目の宿場『川崎宿』の歴史散歩後半戦!今日は京急川崎駅から京急八丁畷駅までを歩きます。駅の出口から旧東海道までは100mくらいです。東海道川崎宿の石碑砂子(いさご)交差点前は川崎市の中心部です。旧東海道に出て西へ進んだとこ...
東海道五十三次の2番目の宿場「川崎宿」現代に残された痕跡を探りながら歴史散歩しましょう。本日のスタートは京急 六郷土手駅です。ここは東京都大田区の西端になります。駅の西側は多摩川の土手になります。広い土手を活用して野球やゴルフなどの練習に励...
おつかれさまです。 今日のおやつは、 老舗和菓子店「菓寮 東照」の自慢の どら焼き 大正2年創業の「菓寮 東照」は、東海道五十三次の川崎宿付近に本店を構える老舗菓子店です。 この店の自慢の商品でもあるどら焼きは、ふんわりとした皮が特徴。 中には北海道産小豆の粒餡がたっぷりと詰まっていてボリューム感があります。 上質な味わいの粒餡は甘さ控えめ。 東照のどら焼きは、 とにかく皮がおいしい! 職人が一枚一枚丁寧に焼き上げた皮は、手に取るとふわふわ! 皮が主役のどら焼き、という印象です。 逆に、あんこが主役のどら焼きはこちら↓ www.koshikakeol.com 最近は、ホイップクリームを挟んだも…
今回の東海道宿場巡りは、江戸から数えて2番目の宿場町・川崎宿です。 現在では、政令指定都市になっている川崎市ですが、江戸時代にも宿場として栄え、ピーク時には72軒の旅籠があり、神奈川県下9宿の内3番目の旅籠数だったそうです(小田原宿の95軒、戸塚宿の75軒に次ぐ規模)。...
おつかれさまです。 今日のおやつは、 大正2年創業 東海道五十三次の川崎宿付近に本店を構える 老舗和菓子店「菓寮 東照」の 『チョコレートサブレ』 老舗和菓子店のチョコレートサブレに興味津々! 表。 裏。 これ、 絶対おいしいやつじゃ〜ん。 いただきます! 生地がしっとり〜! だけど、コーヒーチェーン店によくあるしっとりクッキーとは違う。 しっとりしすぎず、ほどよくサックリ。 また、ガツンとした甘さではなく、和菓子ならではの上品な甘さなのです。 アメリカンなクッキーではなく、フレンチなサブレというのがポイント。 薄く伸ばした生地の中に濃厚なチョコレートが染み込んで、 おいしー!!! チョコレー…
東海道 街道を歩く その3 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 蒲田(梅屋敷)→鶴見
東海道 その3 蒲田(梅屋敷)→鶴見 東海道その3は、梅屋敷→鶴見を歩きます。距離は15,2Km、所要時間は4東海道 その3 蒲田(梅屋敷)→鶴見 東海道その3は、梅屋敷→鶴見を歩きます。距離は15,2Km、所要時間は4
今日は月末の富士山に向けて山練習をしようかと思いましたが、とても暑くて熱中症になったら大変ねということで水分補給がしやすい街中を行ってみることにしました。 少し前から気になっている旧街道をずっと行く
中野島稲荷神社(→神奈川県川崎市多摩区中之島1丁目)は、『神奈川県神社誌』によると安土桃山時代後期~江戸時代前期にあたる慶長年間(→1596年~1615年)に伏見稲荷大社(→京都府京都市伏見区深草藪之内町)より勧請したといいます。社伝では江戸時代中期に田中丘隅(たなかきゅうぐ)が新田開発を行った際に二ヶ領用水の堤防鎮護のために勧請したと伝わります。当時は河除稲荷(かわよけいなり)や河守稲荷(かわもりいなり)と呼ばれていた...
Navi1日本橋→<国道15号>→八ツ山橋交差点8.0km08:40「日本橋」1年ぶりに日本橋にやってきた。云わずと知れた五街道の起点である。現在も主要国道の基準点であり、橋の中央部には日本国道路元票が埋め込まれている。冬晴れの朝、日本橋を発つ。五街道最後となる東海道の旅、京都三条大橋をめざす。08:55「京橋」京橋の架橋は日本橋と同年。京橋川は埋め立てられ、その上に首都高速を見上げる。高速下には擬宝珠を残し、反対側(西側)には江戸歌舞伎発祥之碑が建っている。まだ静かな銀座を通過。その地名は、慶長十七年(1612年)に設置された銀貨幣鋳造役所に因んでいる。東新橋1丁目でJR線のガードを潜ると左手に日比谷神社。虫歯虫封じに霊験があるそうだ。09:25「大門」新橋から続くオフィスビル群の谷間を抜けると大門、少...東海道紀行1日本橋~品川宿~川崎宿
天気もいいし長めに走ろうと思い、どこを走ろうかと考えてたら、都内に車で行く用事があるという夫。品川駅手前の八ツ山橋で降ろしてもらいました。ここは箱根駅伝でもおなじみ、東海道の品川宿の始まりです。今年のやりたいことの一つに「東海道を走る」と書いたのでここからスタート。品川宿の案内所では詳しく道案内してくださいました。パンフレットによると、東海道は第一京浜国道となり、当時の面影を残すのは北品川から立会...
報恩山 功徳院 善養寺(→神奈川県川崎市高津区下作延5丁目)は、江戸時代前期に僧の多誉が開山した浄土宗寺院です。多誉は4代将軍徳川家綱の時代の1665(寛文5)年に死去しているため、創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により浄土宗の一乗山 究意院 教安寺(→神奈川県川崎市川崎区小川町)の末寺で、「五香散」という薬を製造して評判だったようです。本山の教安寺の住所が示すように、善養寺はもとも...