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馬山観測所から次の場所へ向かう途中で素敵な洋楼民家を見かけ、思わず撮影しちゃいましたレンガの騎樓が美しいですね~現在も人が住んでいるためか、きれいに保存されています山牆に天使の装飾がありますにほんブログ村...
官澳集落から風獅爺を求めて塘頭・西園・田墩・沙美・后水頭と各集落を回りました(風獅爺については後日改めてご紹介します)そしてやって来た后浦頭集落にあるのが黄宣顕六路大厝です1792年完成黄宣顯は1758年生まれ。父親の允俊公は翰外郎という官職を務めました允俊公には7人の子供がおり、黄宣顯は7番目の子でした黄宣顯は海外事業に乗り出し、その子孫はインドネシアやシンガポールでの商いで財を成しました黄氏の家屋は5つ...
后浦頭を出て沙美の街中に入って来ました沙美老街は金門で最も古い街のひとつで、昔は八卦街と呼ばれていたそうです金沙劇院昔の映画館です。現在は廃屋となっているようです老街で見かけた古い洋楼民家老街の端っこの方にあった、廃屋っぽい? まだ人が住んでいるのかも?張璋満五腳基洋楼張璋満とその甥の張延棉はマレーシアに渡り商売をしていました張延棉は当時新婚三か月で、故郷に残してきた妻を心配する彼のために1912年に...
沙美地区にも大きな洋楼が建っています1936年完成マレーシア華僑の張文帝が故郷に戻って建てました1936~1945年までは日本軍が、1948~1958年までは国軍が駐屯し、1958~1989年までは憲兵隊が駐屯していました。そのため憲兵隊洋楼と呼ばれたそうです二階建ての出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)洋楼で、後方に一階建ての部屋が付け加えられていますにほんブログ村...
沙青路沿いで見かけた洋楼民家后浦頭風獅爺のそばに建っていた銃楼のオブジェ洋山集落で見かけた洋楼民家①洋山集落で見かけた洋楼民家②にほんブログ村...
洋山→呂厝と風獅爺を追いかけ、后宅集落までやって来ましたここにも有名な歴史建築がありました1932年完成二階建て出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)式外廊下建築インドネシア華僑の王安江と長男の王金城が3万元の大金をかけて建造しました王金城はインドネシアで賭博場を経営しており金門に戻ることはありませんでしたが、弟の王金鎖のために家を建てたそうですかなり大きなお宅です日本製のマジョリカタイルが...
王金城洋楼の向かいに、白い洋楼民家が建っていましたこちらの建物も出亀式ですね~ご近所に番仔厝(一階建ての伝統合院建築の玄関に、西洋スタイルの山頭を加える建て方)もありましたにほんブログ村...
王金城洋楼を出たあたりで雨が降り始めました合羽を着こんで電動バイクを走らせます。雨の中を走るのは初めてで、緊張しちゃいました(^_^;)何肅闕・何肅坡洋楼1947年完成 五脚基(外廊下建築)洋楼何肅闕と何肅坡の二人は華僑ではなく、地元の浦邊地区で油商を営んで財を成しました何永洋楼1926年完成 五脚基(外廊下建築)洋楼何永(何敬永)はフィリピンで財を成した後に故郷に帰り、この建物を建てました碧月軒1920年完成...
小金門でも建築見ていきますよ~(^^)v1936年建設烈嶼郷青岐村出身の何寶さんは若くしてシンガポールに渡り商売で財を成しました1933年に故郷の戻り建てたこの家は、王羲之の蘭亭集序(蘭亭序)から建物の扁額の文字をとったことから「蘭亭別墅」と呼ばれているそうです牆には銃撃の跡が残っていますにほんブログ村...
碉堡(防砦・トーチカ)と碉楼は字面が似ていますが、碉楼は2階以上の建物、碉堡は地上1階に地下部分が作られていることが多いそうです青岐集落の洪氏家廟の近くで見かけたとあるお宅は碉堡で囲まれていましたにほんブログ村...
1937年完成1961年の砲弾の攻撃により、前方と攑頭(両廂房)が破壊されてしまい、鉄筋コンクリート造に建て替えられています林信屏は烈嶼郷上林の出身で、シンガポールで財を成しました1936年に甥の林伯湖に代替わりした後、五千銀を送金し故郷に戻り、この洋楼を建てました日本製のマジョリカタイルが使用されていますにほんブログ村...
一落二﨔頭右突帰疊楼(母屋が一つで、廂が二つある建物の右側に一列の2階建ての部屋を増築しています)1900年代に方家の家人がシンガポールで財産を築いた後、金門に戻って建設したものです疊楼は緑の花形の窓枠と女児牆(屋根の部分の飾り壁)がありますにほんブログ村...
1921年完成林天來さんは若い頃にブルネイに渡り、商売で富を得ました1921年にこの洋楼を建設する際には、中国の設計士に設計と施工を依頼し、材料の大多数は中国で購入したそうです1932年に林天來の奥さんの呂綢さんが養女の李金滿を連れて帰郷し、ここに移り住みましたにほんブログ村...
小金門で行った最後の歴史建築は金記洋楼(羅氏兄弟洋楼)です1946年建設羅望・羅金頂・羅金尋の3兄弟が建てた、小金門で最も保存状態の良い五脚基洋楼(外廊下建築)だそうです現在は民宿として使用されていますにほんブログ村...
小金門の観光をを終え、フェリーで金門島に戻ってきました時刻は13:40、まだまだ時間はたっぷり残っていますちょうど良いので、前日に雨が降って来て撮りそびれた風獅爺や建物のリベンジをしに行くことにしました碧月軒の説明はこちらに少しだけ書いていますにほんブログ村...
古寧頭をぐるっと一回りしたので、次の目的地の安岐へとバイクを飛ばしますと、ここでハプニングが!私の電動バイクの電池がいきなり切れてしまったんですΣ(゚д゚lll) もうなんの前触れもなく、突然プスンと停まってしまいました前の日の夕方に電池を交換したばかりだったのになぁ;場所は安岐の巨大な風獅爺の前と非常にわかりやすい場所だったので、早速LINEで状況と場所を冠城租車に連絡したところ、社員さんが車でやって来てく...
碧月軒の対面に建っていた洋楼民家前方に伝統建築、後方に五脚基(外廊下建築)洋楼の組み合わせ四角い造りの民家左右に方形の部屋が作られています右隣りに五脚基(外廊下建築)洋楼が繋がっているっぽいです何肅闕・何肅坡洋樓1947年建築何肅闕・何肅坡は海外に出るのではなく、浦邊地区で石油の商売で財を成しました洋楼の建っている場所には石油精製を行う場があったそうです蔡永耀洋楼1945年建築蔡永耀が建てた三凹寿型の番仔...
冠城租車で電池の交換をしたら、金城市街を回ります陳詩吟洋楼1935年建設陳詩吟はシンガポール・インドネシアで財を成しましたこれを建てるのに30,000銀元を費やしたそうです私たちが行った時は修繕工事でもするのか、大きく囲われてしまっていました許允策洋楼1938年建設三凹寿型(中央の外廊下部分が引っ込んでいて、その両脇部分が出っ張っている形)の洋楼建築です可可亞手作廚房現在ここは可可亞手作廚房というピザ屋さんが使...
鄧長壽洋楼1921年建設シンガポール華僑の鄧長壽が二階建ての出亀洋楼(外廊下の中間部分が突出している)を建設しました奎閣(魁星樓)1836年建設/1985年修復工事済み正六角形の二階建て建築です中国五文昌の一柱である魁星を祀っています許金鐘洋楼1933年建設許金鐘は後浦南門の同安ふ頭で協徳船頭行を営み、廈門・漳州・集美・石尾を往来し閩南地方の品物を金門で販売して富を築きましたこちらの建物も修繕待ちなのか、囲いで覆わ...
1915年建設五脚基(外廊下建築)洋楼建設にあたり泉州から職人を呼び寄せ、4年をかけて建築しました赤レンガが美しい建物ですね~パッと見は洋風っぽいですが、入口は伝統的な造りになっていましたにほんブログ村...
さて、今日で金門最終日となりました旅行計画を立てている時は結構長いな~、時間余っちゃうかなぁ~なんて思っていたのですが、とんでもない!早朝から日暮れまで走りまくって、時間が足りないくらいでした(¯∇¯٥)午後に空港に行くまで、残りの時間をめいっぱい楽しみましょう!ホテルの朝食もこれで最後です初日に頼んだのと同じ、包子と豆乳のセットと広東粥を頼んでシェアしました安定の広東粥が美味しかったですお次はホテルの...
北山古洋楼は北山地区でもっとも有名な建物だと思います1928年竣工古寧頭出身の李金魚・李炎芽・李天足の3兄弟によって建てられました彼らはフィリピンとマレーシアでココナッツ貿易で財を成し、故郷に戻って北山に二落大厝(母屋が二つある建物)左護龍(左側庇を加えた建物)疊楼(2階建て)の洋楼を建てましたここは高台にあり視界も良く戦略的に価値があったため、古寧頭戦役の際には共産党軍が占領して指揮所としていました共産...
石敢當のすぐ近くに白い洋楼があります1920年竣工李森椪は1912年にフィリピンで商売を起し財を成しましたフィリピンでの事業があまりに忙しかったため、常に金門とフィリピンを行き来していましたが、後に金門に洋楼を建設しました彼の妻の李許瑞・息子の李福林が工事を監督し、洋楼の建材はすべて中国大陸から持ち込み、当時の金額で1000銀を費やしたといいます国共内戦の期間の1955年に、李氏は住まいを台湾本島に移し、後に洋楼...
北山から南山集落へと移動してきました南山にも歴史建築がありましたよ~1931年竣工出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)洋楼李開和はシンガポールで商売を営んだ後に故郷に戻り、この洋楼を建設しました設計図はシンガポールで作成し、300銀を費やしました金門の職人の陳江が建設にあたり、建材は中国大陸から船で運んできました古寧頭戦役・八二三戦役の際にじゃ砲弾の攻撃を受け、壁や屋根の部分が大きく破損し...
カルピスと養蜂とカフェの家 江戸東京たてもの園 デ・ラランデ邸
江戸東京たてもの園に移築されたデ・ラランデ邸見学と、邸内のカフェ・武蔵野茶房でお茶を楽しみました。デ・ラランデ邸はドイツ人建築家・デ・ラランデが住み、戦後は、カルピスの創業者三島氏が所有していました。壁紙や暖炉、照明など、インテリアもすばらしいです。
神戸の歴史は古代まで遡れる古い港町幕末の1868年の開港後に外国人が住み始めたため、多くの近代建築が残っています。港に近い旧居留地のエリア、歴史的建築とそ...
イケフェス大阪2023 キックオフプログラム(大阪市中央公会堂2023/10/10)
氷河期オタクの遊佐です。 たぶん建築好きには、全国的にけっこう知られたイベントなんですが、大阪で毎年10月ごろに開催される「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(イケフェス大阪)」というのがありま
大阪クラシックの主要な会場が大阪市中央公会堂で、その他の会場もだいたい淀屋橋から北浜界隈の場所が多いので、いつもこの時期に周辺のレトロビルの前を通ります。レトロ建築好きにはたまらない場所です。最初の写真は、「高麗橋ビルディング」(1912年建築)辰野金吾、片岡安の設計。旧大阪教育生命保険ビル。去年の大阪クラシックは、まだコロナ禍ということで、無料公演が全て事前申し込み&抽選になり、友人とたくさん応募したけどそれぞれ2公演ずつしか当選しませんでした。ハズレて行けなくなった時間帯がぽっかり空いてしまって、その間にレトロビル巡りをしたり、カフェに入ったり、それはそれで楽しい時間を過ごしました。去年はブログをお休みしていたので、今回は去年撮った写真も一緒にご紹介させてください。こちらは、今はグランサンクタス淀屋橋...北浜界隈のレトロビル
レトロだけど新しいOMA HUIS at Cikajang 74
6月?にオーブンしたんでしょうか「前ここになにがあったけなぁ~」Oma Huis at Cikajang74おばあちゃんの家という意味ですが、建物もレトロで古…
【足立区散歩その1】千住中居町・千住3丁目エリア!虎斑稲荷神社、<北千住昭和会>、解体直前!大橋眼科に見入る!
2022年10月31日、北千住駅前通りを歩いています。(千住中居町29)大久保商店(千住中居町29-2)の横にあった10円レトロゲームが無くなっていました。さらに進んだところで、小さな神社を発見。マップによると、「虎斑とらふ稲荷神社」(千住中居町29-1)というらしい。立派な鳥居もあります。詳細は不明。どんどん進みます。この辺りは、<北千住昭和会>という商店街のようです。通りを挟んだ向こう側のお店。大工道具 清水商...
【旧下谷小学校 校舎見学会その10】再び校庭、校舎の外周、銅板建築に見入る!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。最後に、再び校庭へ。校舎の外周を歩いてみることに。こちらは校舎ではありませんが・・・なにやら危険度判定の紙が貼られていました。あら?東京スカイツリーが見えるんですね。(屋上から見たかった!)見事なツタの葉。あら。上野駅からすぐの場所にもこんな建物があるんですね。別角度より。すぐ側に屋上から見えていた銅板張りのお宅が見えたので、寄ってみることに。窓のサッシは...
【旧下谷小学校 校舎見学会その9】屋上の学級園、明かり窓と塔屋の庇、唱歌室へ見入る!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。引き続き、4階の屋上を見ていきます。塔屋の庇は、図画室(現在の家庭科室)の明かり窓のカーブが重なるようなデザインになっているとのこと。こちらの庇もカーブしてます。「明かり窓」を見てないので、へえ~とはまだ言えませんけど、こだわりのある造りなんですね。学級園のエリア自然発生した雑草が植わっているものと思われます。緑色のカーブしたやつは、位置的に「明かり窓」で...
【旧下谷小学校 校舎見学会その8】3階・家庭科室、ターダのガスオーブン、4階・屋上と屋上からの眺めに見入る!銅板建築を発見!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。引き続き、3階エリアを見学していきます。「家庭科室」へ。竣工当初は、図画室だったんですね。ツタのグリーンな感じと換気扇と窓枠のコントラストが芸術的な感じになってます。給湯器。型式GQ-242W-FFAは 「ノーリツ 家庭用 壁掛型(屋内用) 24号 従来品 給湯専用器」とのこと。96年製。閉校後、1996~1998年の間、嘉悦女子中学校・高等学校が仮校舎として利用していましたので、その時期...
【旧下谷小学校 校舎見学会その7】3階エリア!一般教室、落書き発見!救助袋、資料室に見入る!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。引き続き、3階エリアを見学していきます。「一般教室」へ。床に穴がΣ(・□・;)隣の部屋へ。引き戸の立て付けが一枚、逆さまになっていて気になりましたが、触らずにスルーこちらは照明が消されていた謎の部屋。部屋が薄暗いので逆に窓が引き立ちます。なんか良いです。次の部屋へ。「一般教室」落書き?を発見「2004年12月21日(火) Yamazaki Masashi」「S61.〇.〇(日付)」と書い...
【旧下谷小学校 校舎見学会その5】2階エリア!一般教室、集会室、雰囲気のある廊下に見入る!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。二階へ到着。すぐ脇の「一般教室」へ。これは後ろの黒板。教室内も廊下同様、床や腰壁は板材。この校舎は窓が印象的ですね。校庭側の窓は採光が多くとれるように低くし、廊下の窓は目線を遮るように高くしてあるとのこと。「台東区の広報ですが、黒板に書いているところを撮らせてもらっていいですか?」というシーンに遭遇。そうなんです。教室の黒板は、メッセージ用に開放してありま...
【旧下谷小学校 校舎見学会その3】階段の笠木、床タイル、校庭から校舎に見入る!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。途切れた廊下の先にはちょっとしたスペースが。階段に使われている笠木(階段の手すり・塀の頂部分に取り付けられる仕上げ材)が木製なのは珍しいとの説明がありました。某新聞社の記者が案内の方(70代前後、おそらく下谷小の卒業生?)とここでお話しされていました。子供たちは、この階段の手すりでよく滑っていたんだそうです。え!ちょっと高さがあって怖くないですか?でも子ども...
【旧下谷小学校 校舎見学会その2】会議室、給食室前のスペース、保健室、レトロな階段、廊下に見入る!
2023年7月21日、前回の記事からの続きです。次の部屋へ。校舎配置図から推測するに、「会議室」かな?共済ボード木枠です。「給食室」前のスペース。校舎の壁を覆っているツタが、天然のステンドグラス風の窓にしてくれてます。階段の横にあった小さな扉。階段も見所の一つ。ケヤキ材の踏み板なんだって。奥へ進みます。廊下の雰囲気がとっても良いんです。ここは、「保健室」だと思われます。校庭へ出られる扉次の部屋へ。次の部...
【京都】『ルーブル美術館展』「京都市京セラ美術館」に行ってきました。 女子旅 レトロ建築
こんにちは、あとりです❤️ 『ルーブル美術館展』 「京都市京セラ美術館」に行ってきました。(23年7月4日) 「京都市京セラ美術館」は地下鉄・東山駅から徒歩約8分です。 「京都市京セラ美術館」は、昭和8年(1933年)に創建され、2020年にリニューアルされました。 「ルーブル美術館展」LOUVRE 愛を描く 23年6月27日~9月24日 ルーブル美術館所蔵の73点の、愛をテーマにした西洋名画が展示されています。 最後の部屋のみ写真撮影が出来ました⤵️ あくまで個人の感想なのですが・・・。 展覧会に行くと、絵の中に惹き込まれて、絵の前から動けなくなるような絵(作品)が数点あるものだけど、今回1…
大阪市中央区には明治から昭和初期に建てられたモダン建築が多く残っており、以前このブログでも何度か紹介したことがあります。今回はさらに未掲載の建物を掲載します。綿業会館は昭和初期に建てられた石造りのモダン建築です。贅の限りを尽くした建物で、リットン調査団、ルーズベルト大統領夫人、ヘレンケラーなどが来館しています。国の重要文化財に指定されています。生駒ビルヂングは昭和初期に建てられた生駒時計店の本社ビ...
「伊東温泉ハトヤホテル」がもはや昭和レトロ危機遺産だった!【静岡県】
「♪伊東に行くなら ハトヤ♪」というメロディーを聞けば、ある年代以上の関東民は(実は関西民も)ほぼ100%「4126 4126」という数字が脳内で無限ループするのではないでしょうか?そんな昭和を代表する大温泉リゾートであったハトヤホテルが、
NHK総合で「御堂筋線モダン建築でたどる大阪100年」という番組を見た。ナビゲーターは歌舞伎役者の片岡愛之助さん。興味深い内容で面白かった。御堂筋ができてからの100年を辿る、前編と後編の2回放送の番組だ。 前編で紹介していたのは、御堂筋沿いにある「船場ビルディング」や「大阪ガスビルディング」などのモダン建築、地下鉄御堂筋線そして地下街。特に梅田周辺の地下街は、迷路のようで面白い。いつも迷いそうで不安になる理由がわかった気がする。地図で見てさえも複雑なんだもんね(笑)初めてウメ地下に行った時は全くわからなかった。しかも地下なのに水の流れる川があったり、「泉の広場」には大きいレトロな噴水まであっ…
<撮影日:2023/3/29>中庭の桜を楽しんだ後は 建物の中に入ってみましょう!中庭を囲むように建つルネサンス様式の旧本館は 2階に上がるとぐるっと一周回ることができ色んな角度から中庭を眺めることができます。アーチ型の窓が並ぶ回廊も素敵です♪以前訪れた時には 窓が全部開いていました。正面玄関上のアーチ装飾。細部まで意匠が凝っていて素晴らしい♪まるで絵画のように中庭を鑑賞することができます。階段を見下ろしたと...
木島櫻谷(このしまおうこく)邸へ行ってきた。京都市の北区等寺院町にある日本家屋だ。木島櫻谷は京都の商家に生まれ、明治から大正昭和にかけて活躍し注目された日本画家だ。 パンフレットによると 『財団法人櫻谷文庫は、木島櫻谷の遺作、習作や写生帖、櫻谷の収集した絵画、書、漢籍、典籍、儒学などの書籍など1万点以上を収蔵、それらの整理研究ならびに美術、芸術、文化振興のために昭和15年に設立された』そうだ。私が今回訪れた『大正初期に建築された和館、洋館、画室の3棟』は『国登録有形文化財、京都市指定有形文化財に指定されている』とのこと。(平成25年に櫻谷文庫は公益財団法人に移行 ) 北野白梅町まで嵐電に乗って…
前にテレビ東京でやってた『名建築で昼食を』という番組をAmazonプライムで観た。とてもよかった!東京編なので地名もよくわからないし、あまりなじみのない建物が多かったけどすごく興味深かった。 最初、出演者が田口トモロヲと池田エライザってどうなんだろうって感じで観始めた。ちょっと冴えないおじさんとモデル並みの美人、しかもハーフ!でも観ていくうちに何となく腑に落ちた。この組み合わせってことは、“恋愛要素は抜きなんだよ”ってことなんだぁとか…。他にもいろいろ。なかなか上手い組み合わせだと思った。それにしても「乙女建築」って(笑) この作品は番外編を含めて11回の続きもの。一応ストーリーがきちんとある…
思い出は香りと共にある。 在りし日の遠い記憶が呼び覚まされる。うれしかったこと、時には思い出したくもないこともあった。脳裏には当時の風景、音、心象風景などありとあらゆるものが蘇ってくるのだ。
RX100 M3 Vario-Sonnar T* 24-70mm F1.4-2.8 / 東京都 台東区 / 池之端 / 旧岩崎邸庭園 / 2022.4.9 上野の不忍池から東京大学方面に登っていく坂道の途中にある『 旧岩崎邸庭園 』 明治に建てられた三菱 第三代社長の邸宅だ。 駒込の旧古河庭園や、代官山の旧朝倉家とか・・東京にある古いお屋敷をブラブラついでに巡っている沼おじさん。 RX100 M3 Vario-Sonnar T* 24-70mm F1.4-2.8 / 東京都 台東区 / 池之端 / 旧岩崎邸庭園 / 2022.4.9 この日は不忍池の近くの『 十三や 』と言う櫛屋さん用事があっ…
蔵王から山形駅に帰ってきまして雪がない道路が嬉しくて 山形駅近くに城跡公園があってその中に山形市郷土館国指定重要文化財旧済生館本館 とっても興味深い建物で …