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保安宮にお参りした後、また自転車に乗って移動します距離にして2.3km、15分くらい走ったと思います途中でバイクの波に遭遇したり洪易さん(カラフルな動物パブリックアートを手掛ける彫刻家)の動物アートを見かけたり林安泰古厝にやって来ましたそれでは中に入ってみましょう清の乾隆19年(1754年)、福建省安溪出身の林欽明は家人を率いて台湾に渡って来ましたその第4子の林志能は艋舺に栄泰行という店を開き商売を始め、一財産...
インドネシアで一財産を築いた呂克瓶さんが、50歳ごろに金門に戻って来て建てたお家だそうです二落大厝(母屋が二つある建物)ですにほんブログ村...
今回の旅の主目的は風獅爺を見に行くことですなので行く先々で風獅爺を撮影して回っているのですが、それについては後日改めてご紹介する場を設けますね~今回はそれ以外の道中で見かけたものについて書きたいと思います下湖像風獅爺①から②に向かう間にあった古い洋楼民家です田埔風獅爺の近くにあった門の跡下莊水尾塔(下荘地区の水尾塔)水尾塔は風獅爺と同じような避邪物(魔除け)で、風や水の害から地域を守る役割を持ってい...
湖前風獅爺の近所にあった2棟建てっぽい形の古い洋楼民家です陳酙六路大厝ベトナムで財を築いた陳酙さんが立てたお宅で、建築材料は全て泉州から運んできたものだとか陳景蘭洋楼の近所にあった古そうな洋楼民家にほんブログ村...
金門からシンガポールに渡り財を成した陳景蘭さんが4年の歳月をかけ、1921年に落成した邸宅が陳景蘭洋楼です。金門で最も大きな洋楼で、金門華僑が故郷に建てた「番仔楼」と呼ばれる邸宅の代表作といわれています西洋風の真っ白な外観がとても素敵ですね~✨バルコニーからの風景お隣に建っている覺民堂「金門縣姓氏源流在金湖特展」という企画展をやっていました覺民堂の入口にいたかわいこちゃん洋楼の前には海が広がっていました...
陳景蘭洋楼から少し走ったところに象徳宮があり、その御廟の敷地内に洋風の楼閣が建っています尚卿碉樓この建物がある成功里は昔は尚卿と呼ばれていました1921年に落成の陳景蘭洋樓は成功里の繁栄の証でしたが、その富を狙って大陸からの盗賊を招き寄せることにもなってしまいました。地域の安全のため、陳景蘭洋樓の建築時に余った建材を使って、高台に碉樓(高さのある楼閣)を建設しました。その際に成功里の旧称をとって尚卿碉...
養拙楼(蔡嘉種紀念館)シンガポール華僑の蔡嘉種さんの長男蔡景榮さんが1920年に金門に帰郷してから建てたものです伝統的な閩南建築に洋楼を合わせた建物ですずいぶんきれいな建物ですが、2017年に修復工事が行われ、蔡嘉種紀念館としてオープンしたということです洋楼部分の側壁に、「獨立作戦」「自力更生」「堅持到底」「死裏求生」の軍事標語が書かれていますにほんブログ村...
【瓊林村辦公室&瓊林民防館】瓊林村辦公室ここも坑道の見学をやっていたようですが、時間が合わずパス瓊林民防館【紹軒居】金門最大の壁面風獅爺の近所で見かけた洋楼【一門三節坊】1831年建造 国家三級古蹟3人の寡婦のことを讃えるために建てられたそうな【金門酒廠のオブジェ】にほんブログ村...
時間から取り残されたような明遺古街の中に不似合いな洋館が建っています1933年落成黄天佑さんがシンガポールから金門に戻ってきて建造した物ですパッラーディオ建築様式で建てられたと説明看板に書いてありました彼はここで診療所を開いていたようです以前は見学できたようですが、私たちが訪れた時は閉まっていましたにほんブログ村...
北門から少し走ったところに古い洋楼があるというので行ってみましたフィリピンで雑貨店を営み財を成した陳清海さんが1935年に金門に帰って来て立てたお宅です金門の中でもかなり古い時期に建てられた洋楼だそうです特に補修等は行われておらず、かなりボロボロになってましたにほんブログ村...
台湾の伝統的な民家を見るときに、ついつい目が行ってしまうのが山牆(切り妻壁)のところの装飾ですバイクで走っていた時にふと目に入ったのがこのお家鳳凰の下に薔薇の入った花瓶が立体的に作ってありましたカワユス(´∀`*)...
東京ガーデンテラス紀尾井町内には1930年旧李王家東京邸として建てられ「旧グランドプリンスホテル赤坂旧館」と呼ばれたクラシックな洋館が建っていて、現在は「赤坂プリンスクラシックハウス」という名称になりました。チューダー様式で建てられているそうで格式を感じる佇まいです。建物の周りにローズガーデンがあり、ちょうど秋バラが咲いていました。混んでいるかしらと思って覗いてみたら、すんなりお茶ができるそうなので、お邪魔しました。入り口にはシックなクリスマスディスプレイが大人です~照明、装飾花、ステンドグラス、天井の明り取り等、建築当時の雰囲気を感じます。照明や外壁など、当時の状態に復原したそうです。この日はお天気が良かったので、テラスでお茶することに。テラスガーデンから見上げる赤坂クラシックハウスアーチ型の窓、ステン...歴史ある洋館~赤坂プリンスクラシックハウス
かつて映画看板の街だった青梅。映画看板師がなくなり、レトロな映画看板が消えたものの、昭和レトロな店舗はまだ現存。レトロが残る青梅街歩きレポ
城門を満喫したので水頭集落へと向かいます水頭集落は「金水」とも呼ばれ、姓が「黄」の人が最も多い集落なのだそう確かに下調べをした時にやたら黄姓の建物がたくさんありました水頭はかなり裕福な集落であったため、美しい建物が多いのだとか「有水頭富、無水頭厝(水頭村の人のようにお金持ちになったとしても、水頭村ほどの立派な家を持つことは難しい)」という言葉もあるんだそうです水頭集落で一番最初に訪れたのは黄天露宅...
黄天露宅からすぐのところにある黄乃甫番仔厝番仔厝とは華僑が立てた洋風建築のことです私が調べた時には民宿として営業しているとあったのですが、入口も閉鎖されているし、けっこうな荒れようで使用されている雰囲気ではありませんでした実はここのお庭に1体風獅爺がいるはずだったのですが、見つけることはできませんでした撤去されちゃったのかなぁ?にほんブログ村...
水頭集落を回るにはバイクよりも徒歩の方が便利だと思いますそこでバイクを駐車するために金水國小へ行きました(ここにバイクの駐輪場があるのです)水頭の黄氏一族は教育を重視しており家廟内で勉学を教えていましたが、学生の数が増えてしまいました。そこでインドネシアの華僑に出資を募ったところ、黄獻量さんが金門に派遣されて学校の建設にあたり、1932年に完成しました羽を広げ飛翔する鷹純潔を象徴する天使「回」の字型の...
1934年建築黄廷宙インドネシアの石油で財を築いて建てました匪賊の侵入を防ぐため、敷地内に銃楼があるのが特徴的です現在は民宿になっていましたにほんブログ村...
1936年建設一落二﨔頭加左護龍(母屋が一つで、廂が二つある建物に左側庇を加えた建物)ここは金門から南洋に渡った華僑についての文物を展示しています外観は洋館ですが、入口は伝統建築でした水頭集落にある洋楼についての模型お風呂場です雨水を流すところは魚と象さん僑郷文化展示館8:30~17:00にほんブログ村...
黄順圖が1921年に建てた番仔厝(華僑の建てた洋風建築)です現在は民宿として営業しています日本製のマジョリカタイルが装飾に使われていますにほんブログ村...
1921年建設二落大厝(母屋が二つある建物)右護龍(右に廂がある)現在は民宿として使われています入口にミニ風獅爺がいましたにほんブログ村...
1925年建設インドネシアで財を成した黄文東さんが金門に戻って建てた二落大厝(母屋が二つある建物)装飾に日本のマジョリカタイルが使われています黄文東宅の前の家の壁に「精忠報國」の文字が書かれていましたにほんブログ村...
清朝末期にシンガポールで財を成した董石獅さんが甥の董金國・董金鐘・董金圖の3兄弟と共同出資し、董石獅さんの弟で3兄弟の父である董詩揚さんの監督で建てられた二落大厝二護龍(母屋が二つある建物)天使の装飾日本製のマジョリカタイルがたくさん使われていましたにほんブログ村...
1933年建設董一族が出資して作られた学校です赤レンガが美しい、保存状態の良い建物でした屋上の端っこに石獅子がいました~(^0^)にほんブログ村...
この建物は数少ない、華僑ではなく金門で財を築いた董光得さんの建てたものです草が深すぎて、正面に回り込むことができませんでした(´Д⊂ヽにほんブログ村...
古崗から珠山集落へとやって来ました。珠山は薛姓の一族が多い集落です1865年に薛学翰さんがフィリピンで一財産を築いて後、珠山から続々とフィリピンに赴く人が出たそうです今回ここで3軒の薛姓のお宅を訪ねました。一軒目は薛芳見洋楼です1931年建設の五脚基洋楼です当時の金門の沿海部は海賊の被害が大きく、財産を持つ華僑の家は常に狙われていました洋楼の多くは高台に建設され、防御機能を備えていましたここは日本統治時代...
薛姓建物2軒目はこちら、薛永邁洋楼です1929年建設一落二﨔頭加右護龍(母屋が一つで、廂が二つある建物に右側庇を加えた建物)薛永邁さんがシンガポールから帰国した後に建てました現在は民宿として活用されていますこの薛永邁洋楼の近くに石敢當が2つ設置されています一つ目は洋楼の裏手の壁下部に設置されたものシンプルに石敢當と刻まれていましたもう一つは洋楼の対面の建物の壁にあるもの化煞大將軍と刻まれています化煞=化殺...
三落大厝とは二落大厝の前或いは後にもう一落を増築するスタイルで、珠山集落で見られるものです珠山集落には2軒三落大厝があるのですが、池を挟んで低い位置に建っている方を下三落と呼んでいるそうです珠山集落の様子にほんブログ村...
薛姓のお宅、ラストは薛永南兄弟大楼です1928年建設薛永南兄弟がフィリピンで事業で成功を収めた後、帰国してから建てたものです現在は民宿として使用されていますにほんブログ村...
欧陽鐘遠洋楼からバイクで走ること約5分、薛清江宅に到着しました1935年建設二落大厝(母屋が2つある建物)この建物の裏側の壁に石敢當がありました石敢當と刻まれていますにほんブログ村...
昔果山風獅爺に向かう途中で見かけた古い洋楼正面に回り込んでみました現在もどなたかが住んでいらっしゃるようでしたにほんブログ村...
こちらも昔果山風獅爺に行く途中で発見した民家です時計と獅子ピンクとペパーミントグリーンのタイルがキュートにほんブログ村...
昔果山風獅爺から官裡風獅爺に向かう途中、小西門集落に一風変わった古蹟があります【小西門模範厠】1917年建設小西門集落出身の呉朝坪さんは30歳を過ぎた頃にインドネシアのスマトラ島で働き、財を成した後に故郷に戻り、3軒の二落大厝(母屋が2つある建物)を建設しました最初の家は1903年に完成したのですが、家の前にはいくつかの屎礐(穴を掘り木を渡しただけの旧式のトイレ)がありました。呉朝坪さんは衛生上の問題があると...
セブンイレブンから少し行ったところにきれいな洋楼があります1920年建造翁贊商さんは20歳のころにシンガポールで起業し、シンガポールとインドネシアの間で貿易を行いました。資金をためて金門に戻り、金門にいた弟の翁贊榮と協力して出亀洋楼(外廊下建築)を建てました。古寧頭戦役の時には国軍がここに指揮本部を置きました。1981年に補修工事が行われ、翁贊榮さんの子孫が住んでいるそうです。現在も使用されている建物なので...
風獅爺を探しながら走ること1時間20分(風獅爺に着いては後日改めて書きますね)斗門風獅爺の手前に陳景成洋楼がありました1946年落成 五脚基(外廊下建築)陳景成さんは若い頃にフィリピンのマニラに渡り、財を成しました。1943年に帰郷し、兄の陳清錶に代わって洋楼を設計建築しました。陳景成さんは故郷に家を建てましたが、生活の大部分はフィリピンで過ごし、洋楼はお兄さんが住んで管理したそうです。にほんブログ村...
陳景成洋楼から斗門風獅爺に向かう途中、道の向こうに素敵な洋楼が見えましたこれは近くで見てみたい!というわけで来てみました~(^0^) こういう時にバイクだと便利ですね~山牆には龍と鳳凰が描かれています黄色い扉がキュート雨水を排水するところは鯉になっていましたにほんブログ村...
バイクを走らせて陽翟老街までやって来ましたここは台湾映画「軍中楽園」が撮影された際に60年代の金門の街並みが再建されたのですが、撮影後もそのまま保存されていますこれらは実際のお店ではなく、ロケ用に改装されたものですにほんブログ村...
陽翟老街から少し移動したところに永昌堂曁浯陽小学校があります1935~36年建造 市定古蹟インドネシアで事業を起こし成功した華僑の陳厚仲さんが華僑仲間からの献金を集めて建てられました中国風と西洋風が合わさった独特な風格を持つ建物になっています永昌堂は1935年、曁浯陽小学校は1936年に完成しましたにほんブログ村...
陽翟風獅爺②に向かう途中に伝統建築がありました1900年以前に建造 二落大厝(母屋が二つある建物)陳篤欽さんが福建籍の大工に依頼して建てられたものらしいこの建物の最大の特徴は、大量に使用されたベトナム製の陶製装飾ですにほんブログ村...
陽翟の街からバイクで走ること約5km、東蕭という場所にやって来ました目的は風獅爺の撮影だったのですが、その背後になにやら洋楼っぽいものがあるではないですか!二軒並んで建っています見た感じ人が住んでいる雰囲気はありませんね~裏側から見たところにほんブログ村...
廃屋を後にして走ること15分碧山集落の入口にある洋楼へとやって来ましたかなり草ボーボーになっていますが、建物自体はきれいに残っているようです1928年落成金門でもかなり早期に建てられた洋楼建築だそうです建物の正面は出亀式(外廊下の中間部分が突出して、亀の頭に似ている)になっていますにほんブログ村...
陳徳幸洋楼の近くに睿友学校が建っていますここは陳徳幸さんと関わりのある建物なんですよ~1934年完成 擬バロック様式2階建てシンガポールで成功を収めた陳睿友さんの死後、その息子さんが同郷の陳徳幸さんに依頼して建てられたものです完成後は近隣の集落から子どもを集めて勉学を教える場にしていたそう山牆には国旗・国民党旗・インド警察・仙鶴などの装飾が施されていますにほんブログ村...
睿友学校の少し先に大きな洋楼が見えました1931年完成陳清吉さんは幼少の頃シンガポールに渡り、成人後に同郷の陳能顯さんと共同事業を始め財を成しました。1928年に故郷に戻り、この洋楼を建て始めました。材木や石材、職人などは泉州から取り寄せ、工期は3年に及んだそうです1949年以降、この洋楼は海軍陸戦隊「幹訓班」によって使用されていましたネットでは中に入れるという話も見たのですが、私たちが行った時には鍵がかかっ...
陳清吉洋楼のご近所に陳氏小宗宗祠がありますここは洋楼形式の宗祠(先祖を祀る御廟)なんです清朝末期に建設。1930年に改修され戦時中に使用されていました。その際に建物が破損してしまいましたが、1989年に元の姿に再建されました。直線的なデザインが取り入れられています近くの壁に戦中標語がありましたにほんブログ村...
電動バイクで走ること10分で山后民俗文化村に到着しました1876年に日本華僑の王一族の明玉・敬済・敬祥・敬斗さんなどが財を成し、資金を集めて故郷に華僑集落を建設しました。1900年に完成したこの建物群には、王祠の一族が居住しました福建省南部伝統の二落大厝(母屋が二つある建物)16棟、1棟の学堂、1棟の「王氏宗祠」があります海珠堂雨水を排水するところの装飾がキュートな(?)お魚さんでした大夫第王敬祥さんの住宅でした...
お昼を食べておなかいっぱい。午後から動く元気も出てきました電動バイクで3キロほど走り、青嶼集落へとやって来た2人ここは張太常故居という歴史建築の裏手にまわったところですなんでわざわざ建物の裏手に来たかというと、そこに石敢當があるからなのです!文字が風雨にさらされて摩耗して読めなくなっていますが、これが石敢當ですネットで調べたのですが、何と刻まれていたのかは分かりませんでしたにほんブログ村...
青嶼集落で見てみたい風獅爺が何体かあったのですが、その内のひとつがあった家が建て替えのため風獅爺がなくなってしまったようで、いくら探しても見つかりませんでした(´;ω;`)せっかく来たのになぁとがっかりしていたのですが、ふと奥の方を見るとなにやら洋楼っぽいものが見えるではありませんか近くに行ってみると確かに洋楼それも補修をしている最中なのか、保護のための屋根までついています補修後は公開されたりするんでし...
今度は官澳集落へとやって来ました官澳でもたくさんの風獅爺を撮影しましたが、それについてはまた後日ご紹介します官澳集落にも歴史建築があります李康塔洋楼 1930年完成シンガポール華僑の李康塔さんが故郷の父親のため、弟に依頼して故郷に家を建てました李康塔自身はこの家に住むことはなかったそうです1947~1958年の間、国軍の曾暫がここに住み、陸軍の指揮本部及び官舎として使用されました金門砲戦(八二三砲戦)の際に...