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一色義定は、弓木城にて、織田軍に抗戦し、細川藤孝は、苦戦を強いられた。 そのため、織田信長の意向もあり、細川藤孝は、明智光秀の助言を受け、政略結婚により、和…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)10月、本能寺の変から4ヶ月、…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は前話に続き「瀬名奪回作戦」だねって相変わらず1週遅れだな…ってことで第6話の感想ぉ!いよいよ瀬戸際の…
1487年(長享元年)、一色義尚の次男、義秀は、丹後国守護となる。 1493年(明応二年)、丹後において、伊賀次郎左衛門が叛乱を起こし、上洛中の父の義尚も、…
みなさんこんにちは。 引越初心者です。 最近の出雲系の話題についてまとめました。 出雲大社は『いずもたいしゃ』と一般的に呼ばれるが、『いずものおおやしろ』と呼ぶ。 1880年(明治13)に神道事務局に
一色義直は、丹後国守護及び、伊勢半国守護となり、更に、三河国渥美郡・若狭国小浜を所領に得たが、若狭国、三河国の守護に任じられず、一色氏は、以降、両国の守護職…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)6月13日、羽柴秀吉(はしばひ…
1408年(応永十五年)、三河国守護の一色満範に対し、三河国守護代の小笠原明鎮の弟、小笠原長正が、三河国幡豆郡にて、一色軍と交戦し、12月26日、一族郎党と…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。羽柴秀吉(はしばひでよし)との和睦後、備中を後にした毛…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」を見てますかぁ〜皆んな見てるよ、えいたろうは相変わらず1週遅れだなってことで第5話の感想ぉ〜!!妻、瀬名と子らを今だ今川…
九州探題府の侍所、小俣氏義は、観応の擾乱では、足利尊氏に背き、直義に就くため、探題内部で、工作を行った。 尊氏の実子で、直義の養子の足利直冬は、直義の味方を…
足利氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 義国の次男、源義康は、上野国の足利荘を相伝すると、足利義康を称した。 源姓足利氏の誕生である。 義…
板倉宗家は、板倉勝重を初代とし、重宗、重郷、重常と嫡子相続が、継承されていたが、重常には、息子がいなかったため、初代の板倉勝重の三男、重大の息子、重冬を養子…
「今川家のその後の意外」 日本史にそれほど詳しくない人にとっての今川家はおおよそこんなイメージではないだろうか??? 突如、戦国時代に登場し、「織田信長との桶…
いつも当ブログ、歴史連載物語『猛将親父』をご覧になって頂き誠にありがとうございます。こちら⬇️は目次目次今回は『猛将親父』の登場人物第4弾です。コアラ🐨が紹…
みなさんこんにちは 引越初心者です。 いまワタシたちが使っている暦は、 西暦です。西の暦と書きます。 すなわちイエスがこの世に生を受けた年を、 世界の元年とする方法です。 有史とは文字で描かれた歴
2月13日は苗字制定記念日ということでちょっと書いてみます。 明治維新後、新政府は四民平等の社会を実現するため、平民に苗字を公称することを許可しました。1870(明治3)年9月19日に公布された太政官布告第608号「平民苗字許可令」です。現在、9月19日が「苗字の日」とされているのは、この日に由来します。 しかし、苗字の届出は、円滑には進みませんでした。その理由については定かではありませんが、一説には「税金を多く取られるようになるのではないかという警戒感があったため」とされています。 届出を促進したい明治政府は、1875(明治8)年2月13日、あらためて苗字の使用を義務づける「苗字必称義務令」…
いつも当ブログ、歴史連載物語『猛将親父』をご覧になって頂き、誠にありがとうございます♪こちら⬇️が『猛将親父』の目次だよ『歴史連載物語『猛将親父』目次』歴史連…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜相変わらず1週遅れてる〜ってことで第4話の感想ぉ!今川から離反した元康。織田信長と同盟を結ぶため、清洲城に…
1609年(慶長十四年)の猪熊事件では、板倉勝重は、京都所司代として、後陽成天皇と徳川家康の意見調整を図って処分を決め、朝廷統制を強化した。 大坂の陣の発端…
大河ドラマ『どうする家康』の家康役が松本潤さんって知った時、「こんな家康は…ないなぁ、ミスキャストじゃね?」って思いました。家康さんはタヌキ親父って言われるく…
2月11日は、「建国記念の日」である。拙ブログでは毎年、この日に関連する記事を書いているが、かつては「紀元節」などとも呼ばれていた。その制定の経緯は以下の通りである。太陰暦を廃して、太陽暦を用ひ、五年十二月三日を以て、六年一月一日とす、一昼夜を二十四時に改む、神武帝即位の年を紀元とし、二月十一日を以て、紀元節とす、十一月三日は、今上天皇御降誕の日なるにより、天長節と称し、紀元節と合せて、祝日とし、普く海内に令して祝賀せしめ、従来の五節句を廃して、更に祭日を定めらる、井上頼國校『皇國新史―中等教育』浪華書院・1897年、174頁以上の通りである。なお、ここから転じて、江戸時代までは五節句が祝日扱いだったが、それが廃止され、天皇中心・国家中心の祝日・祭日を定めるに至ったのである。ところで、昨年度は【「建国記念...2月11日「建国記念の日」(令和5年度版)
前項までに述べた様に、足利一族の名門、渋川氏は、室町幕府の草創期、肥前、備前、備中、安芸、豊前、摂津等の守護職に任ぜられ、九州探題職を世襲した。 渋川氏の一…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)6月4日、毛利(もうり)方の備…
渋川義鏡の失脚後、息子、または、養子と言われる、義尭が、関東の渋川氏を継承した。 渋川義尭は、武蔵国蕨郷の蕨城を拠点とする、関東の一勢力に転落した。 義尭は…
持国天(じこくてん) 快慶作 (54)和歌山県 高野山 金剛峯寺 霊宝館 四天王立像より(鎌倉時代)四天王は、仏教の聖地・須弥山上に住んでいる帝釈天の輩下として、この山の四方の中腹にある門を 守護している神とされています。 甲冑に身を固めて岩座や邪鬼を踏んて 四方を恐ろしい姿で護っています。 「持国天」は東方を、「増長天」は南方を、「広目天」は西を、「多聞天」は北をそれぞれ護っているとされています。 ...
【読書】王者の妻(上)永井路子さんの著作は、中学生くらいからよく読んでいました。『歴史を騒がせた女達』シリーズにハマったのを覚えてます。ほぼ読破したと思い…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。和睦交渉に行っていた安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が羽…
評価:60点/作者:平野明夫/ジャンル:歴史/出版:2010年 『三河 松平一族~徳川将軍家のルーツ』は、江戸幕府を開き、二百落十年の太平の世を日本にもた…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜まだまだ1週遅れて、やっと第3話見たね…ってことで第3話の感想ぉ〜岡崎城に入った元康(後の徳川家康)すぐ三…
渋川義季は、1423年(応永三十年)、少弐満貞に博多を攻められ、敗北し、肥前国山浦城に逃れた。 その敗北を契機に九州探題の勢力は、衰退を始めた。 1425年…
渋川義季の正室、北条朝房の娘は、娘の幸子及び、息子の直頼を産んだ。 直頼の生年は、1335年(建武二年)、即ち、誕生直後に、父の義季は、戦死し、幼児のまま、…
『レジェンド&バタフライ』感想 史実を期待せずラブストーリーを楽しむ
織田信長の伝記を期待していくと大きな肩透かしを食らうと思う。2時間半越えの壮大な恋愛物語なので史実を考えず、考証も気に留めず、ラブストーリーとして楽しむのがイイ見方。監督: 大友啓史 キャスト: 木村拓哉,綾瀬はるか,宮沢氷魚,市川染五郎,斎藤工,北大路欣也…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「なんだ…これは…」援軍に来た元春は備中高松城(びっち…
<気候変動>『蒙古襲来と戦国時代』 ~モンゴル軍の撃退は戦国時代が始まる一因となった~
CG : Mongol Invasion and the Warring States Periodまず、CGの解説から始めたい。日本史上に『元寇』という事件があった。「モンゴル帝国」の来襲である。鎌倉時代の1274年と1281年の2度に亘り「モンゴル帝国」の大軍船団が博多へ上陸作戦を行った。 鎌倉幕府
岩手 蕎麦語り:dear 源義経(みなもとのよしつね)公 〜毛越寺に伝わる「そば供養」〜
岩手県のコアな催事文化に かつて源頼朝公に追われて奥州平泉に逃げつき、そしてそこで生涯を終えた源義経(みなもとのよしつね)公をおそばで忍ぶ 「そば供養」 という文化があります
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜えいたろう…やっと見たな、やれやれ…ってことで第2話の感想ぉ〜桶狭間の戦いで勝利した織田信長が向かった先は…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。羽柴秀吉(はしばひでよし)勢の動きは早かった。姫路を発…
度重なる戦乱に見舞われた近畿地方には、今も多くの山城が眠っています。今回はその一つ、大阪府河内長野市にある「烏帽子形城」にやってきました。元弘の頃、楠木正成が上赤坂城の支城として築いたのがその起源です。当初は南朝方の要塞となり、16世紀まで山城としての役目を担いました。現在、城址は多くの遺構を残したまま、歴史公園として整備されています。▲黄色線が今回のルート今回は北麓の「さいなみ広場」から城址に入り...
大河ドラマ「どうする家康」、公式のホームページを見ると徳川家康の家臣団に井伊直政がいます。※画像はお借りしました直政の登場は、まだ先だねこの直政の説明で「女城…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。元春は安芸、吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に来て…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)1月末… 安土の町は兵が集まり…
ブログタイトル変更しました。これまでの「一隅を照らす 次世代の幸せのために」を 「歴史」を「生きるヒント」 にするためのブログに変更しま…
ブログタイトル変更しました。これまでの「一隅を照らす 次世代の幸せのために」を 「歴史」を「生きるヒント」 にするためのブログに変更しま…
既に初回の放送が終わっている大河ドラマ「どうする家康」。初回放送から1週間経ってるよ実は…まだ………見てないんです。録画はしているのですが、なぜか見る気が起き…
大河ドラマ「どうする家康」始まりましたね。 ドラマの内容や出演者については、ブログ村にも色々な投稿があるでしょうから、 そちらはお任せして、私のスキルを活かして、 ドラマに出て来る家紋について考察したいと思います。 ドラマの中では動きが早かったり一瞬だったりして、 家紋など...
増長天(ぞうちょうてん) 快慶作 (54) 高野山 金剛峯寺 (こんごうぶじ)霊宝館の四天王 快慶作 鎌倉時代仏教の守り神である「四天王」で南」の方角を守る。 増長という言葉には「大きく成長する」、作物を豊かに実らせ五穀豊穣をもたらすとされています。...
ブログタイトル変更しました。これまでの「一隅を照らす 次世代の幸せのために」を 「歴史」を「生きるヒント」 にするためのブログに変更しま…
砂糖工場の街として知られる雲林県虎尾鎮。今回は市街地に眠る日本統治時代の遺産群から、2つの物件に絞ってお送りします。戦前から大規模な砂糖工場が置かれた関係で、虎尾には多くの日本人が駐在していました。虎尾自体は小さな町ですが、大都市に引けを取らない立派な建築物が建てられ、その多くが現存しています。市街地の北西部にある、台湾自来水公司の浄水場にやってきました。やはり戦前から使用されているもので、敷地内...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「馬鹿者!!」わし、経言(つねのぶ)は父である元春に怒…