メインカテゴリーを選択しなおす
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 24.徳川家康・十弐
前述の通り、徳川家康は、夏目吉信等の家臣が、身代わりになったため、命を救われ、浜松城に逃げ帰った。 徳川家康は、浜松城に入ると、全ての城門を開いて、篝火を焚…
今回は『猛将親父』のこぼれ話です。その①『猛将親父』の目次はこちら⬇️目次関ヶ原の戦い後、吉川広家(きっかわひろいえ)の尽力で家名を保つことができた毛利輝元(…
その本を読んで改めて思ったのは、学校で習った歴史は一面的なものだった、ということでした。 今から25年前の1998年に刊行された「逝きし世の面影」というタイトルのその本に書かれていたのは、かつて日本に存在していて「死んでしまった文明」のことでした。 その「文明」は、明治期の近代化によって滅んでしまったのだと。 ここで、“えっ?!滅んだのではなくて、進歩したのでしょう??”と、学校で習ったことが全てだと思っている人達は言いたくなったかもしれませんね。 けれど偏見なく、その本を読んでみれば、言ってることの意味が、わかるのではないかと思います。 それを十分に証明してくれる記録の数々を、近代化する前の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 24.徳川家康・十弐
前述の通り、徳川家康は、夏目吉信等の家臣が、身代わりになったため、命を救われ、浜松城に逃げ帰った。 徳川家康は、浜松城に入ると、全ての城門を開いて、篝火を焚…
【年表】平安時代の陰陽師たちの活動記録(醍醐天皇期~村上天皇期)
出典:日付の記載がない項目は同日条に記載されています。 目次 醍醐天皇時代延長二年(924)12月29日 陰陽寮が追儺に使用する道具を渡す延長四年(926)8月5日 陰陽寮が神祇官とともに霖雨の祟りに
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜築山信康事件って、未だ謎なんだよねってことで第24話の感想ぉ〜!!いよいよ瀬名が動き出しました。瀬名のいる…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 23.徳川家康・十壱
徳川家康は、中根正照の二股城の降伏、開城を知らず、二股城に援軍に向かっていた。 そのため、徳川家康は、武田軍と戦闘になると、敗北して、浜松城へ逃走した。 二…
『猛将親父』の目次はこちらだよ⬇️目次吉川広家(きっかわひろいえ)です。関ヶ原の戦いの後、毛利輝元(もうりてるもと)は領地没収の上、改易。毛利家の領地の内、周…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・九
先行していた、本多忠勝及び内藤信成の率いる、偵察隊は、武田軍の先発隊と遭遇する。 偵察隊は、即座に退却したが、武田軍は、素早い動きで、徳川軍を追撃し始め、太…
サイト更新しました。近代:あとみよそわか3 サイト振り返り3秋山真之のこと(日露戦争以後の話、宗教に傾倒した晩年、大本教)、海軍兵学校15期の人々murakumo1868.web.fc2.com サイト振り返りの続きです。今回の目次はこんな感じ。【13】秋山真之のこと【14】秋山真之のこと 続【15】秋山真之のこと 続々【16】海兵15期の人々 再び【17】海兵15期の人々 再々今回は見ての通り大体秋山の話です。この辺りは全然サイトの振...
『猛将親父』の目次はこちらだよ⬇️目次吉川広家(きっかわひろいえ)です。関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は徳川家康(とくがわいえやす)率いる東軍の勝利とな…
「シーボルト事件について 続」の続きです。続きと言うか、ちょっと違う話になるのだけれど。前回紹介した4つの新史料発見の記事の中で驚いたのは3番目の記事。 梶輝行教授、シーボルト事件の真相に迫る新たな歴史的事実を確認し公表(横浜薬科大学2021/11/18)名前のある梶氏はサイトの「シーボルト事件の通説について」で引用した資料を書かれた先生です。この話をずっと追っておられる先生のようで、所属元の横浜薬科大がその研...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜だんだんと悲劇に近づいてきてる気がする…ってことで第23話の感想ぉ〜!長篠・設楽原の戦いに勝ったはいいが、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・九
徳川家康、今川氏真、北条氏康による、武田信玄からの駿河国の奪還は、成就せずに、掛川城の開城と同時に、戦国大名としての今川氏は、滅亡した。 1570年(元亀…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・八
1567年(永禄十年)5月、徳川家康は、清洲同盟の盟約に従い、自身の長男の竹千代と織田信長の娘の徳姫を結婚させた。 竹千代と徳姫は、共に九歳の形式の夫婦であ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・七
当時の松平家康の直臣団は、小領主が主体であり、三河の国衆及び、松平衆と異なり、単独にて、「備」、即ち、部隊等を編成可能な者は、少なかった。 そのため、旗本先…
続?いつから?と言う話ですが笑2017年、ブログでは2016年ですが、その話の続きです(以下リンクカード)。シーボルト事件の通説についてシーボルト事件の通説の見直し。ハウトマン号遭難により積み荷が臨検され、禁輸品が発見された事が事件の発端とされるが、実際にはそうした事実はないmurakumo1868.web.fc2.com検索でヒットするのか、閲覧数がそこまでなかった記事が読まれているようで、ちょっと首を傾げている。あと海外から...
わかりやすくて面白い歴史小説はやっぱり「神話」神話ギリシャだけじゃない!!神話一覧その名も北欧神話!
神VS巨人VS人間という壮大なストーリー!あのゲーム・あの漫画のモデルとなった世界【北欧神話】の物語。
サイト更新しました。近代:あとみよそわか2サイト振り返りの続きです。今回の目次はこんな感じ。【7】加藤高明と原敬、伊東巳代治【8】海軍の人々、あれこれ【9】日露戦争の頃の艦長たち【10】提督の話【11】海軍のリストラ【12】大王と努力する天才本当に申し訳程度の政治家の名前。笑ほぼほぼ海軍の話になります。人物の話と、停限年齢(定年の事です)や大佐から将官への進級は難しいという話、広瀬ら海兵15期あたりは大正期の...
『猛将親父』の目次はこちらだよ⬇️目次吉川広家(きっかわひろいえ)です。文禄2年(1593年)、毛利(もうり)家当主・毛利輝元(もうりてるもと)は、まだ実子に…
街のあちこちで、紫陽花を見かけて紫陽花の名所へ行きたいと思ってた。 けど、テレビで見るような名所は数珠のような人出が思い浮かび、、この暑さでは無理と思ってたら…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜なんか今回は残酷だったね…ってことで第22話の感想ぉー!今回はなんといっても鉄砲3段撃ちでしたね。強気の武…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 18.徳川家康・六
三河一向一揆に味方した、松平氏家臣の中には、主君の松平家康への忠誠心と信仰心の板挟みに合い、苦しんでいる者がいた。 松平家臣の中には、一度は、一揆に加わった…
わびさび神社。 来る人はまずいないだろうなw 「駒形神社」 三芳のコバックの先。 出羽三山講らしいけど、 人が来てる様子はゼロ。 野ざらし状態に近い。 近隣氏子の方々の手入れも、 ほぼ入ってないだろうな~。 わびしい、さびしい。 超マニアック神社w でもこのカンジ、 嫌いじゃない。 むしろ他の豪華絢爛な、 商売っ気丸出し神社よりも? よっぽど落ち着く。 にほんブログ村 22年間で4万人の実例、著書も多数。館山・南房総エリアで【特殊整体】が受けられる!持続圧矯正のプロによる革新的な技術「骨と筋」代表の日常ブログです。骨と筋公式サイト
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 17.徳川家康・五
三河国宝飯郡上ノ郷城主の鵜殿長照は、三河国内にて、今川氏真に臣従を続けていた。 同年、松平元康は、軍勢を率いて、上ノ郷城を攻撃した。 鵜殿長照は、戦死して、…
『猛将親父』の目次はこちらだよ⬇️目次吉川広家(きっかわひろいえ)です。我が父・吉川元春(きっかわもとはる)は天正14年(1586年)11月15日に出陣中の豊…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 16.徳川家康・四
今川義元の死後、嫡子の今川真が、今川家の家督を継承した。 今川氏真は、織田信長の三河国への侵攻を防ぐため、松平元康が、岡崎城に入ったことを追認したと考えられ…
寛和の変(花山天皇の退位・出家)~出家の途中で安倍晴明の家の前を通りかかる
寛和かんなの変とは、寛和二年(986)6月23日に起こった花山天皇の退位・出家事件である。『古事談』では、寵愛していた弘徽殿の女御の死を悲しんでいたところへ藤原道兼が出家を勧めてきたとされている。しか
富士山の本借りてきて → NHK「明日をまもるナビ」 富士山噴火の衝撃! 最新ハザードMAP&対策マニュアル公開
今週のお題「読みたい本」 富士山の本を借りてきてほしいと頼まれました。 内容紹介(出版社より)昨年、NHK『明日をまもるナビ』で富士山大噴火の特集が2回にわたって放映され、ハザードマップも大きく塗り替わりました。今まで想定されていなかった地域まで溶岩は流れだし、火山灰は首都圏を襲い、首都機能はマヒし、人々の暮らしは立ち行かなくなります。その実態を3DCGシミュレーションを駆使しながら明らかにし、もしもの富士山噴火に備えて「どう身を守るのか」その対策も提案します。 What)これは何のための本か? 富士山噴火に備えた、防災の本。 Why)この本を読む理由は何か? 「富士山の本借りてきて」と頼まれ…
さっきあった事(?)をちょっと聞いて欲しい。 五尺六寸=169.68cm≒170cmいやー!これは島田さん鵜呑みにしてちゃんと確認の計算しなかった私が悪い!!ずっと175cmだと思いこんでいた!!えー私サイトかブログかどちらかで(どちらもで?)広瀬の身長175cmって書いている筈なんだけど、訂正して回らないといけない。探すの大変なんだけど!!笑夏彦さん大ファンのパッパの本棚の本をちょっと拝借して読んでいて目を剥いてしま...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回、感動したね〜ってことで第21話の感想ぉ〜!今回はこの男につきますね。それは…鳥居強右衛門(とりいすね…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 15.徳川家康・参
1559年(永禄二年)、駿府の松平元康は、七か条の定書を岡崎の家臣団との間で交わした。 松平氏の家臣団は、岡崎城に城代を派遣し、駿府の松平元康を介し、間接支…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・弐
竹千代は、父の松平広忠の死の際、駿府にいたと思われる。 本来、竹千代の継承すべき、岡崎城は、今川義元の派遣した、城代によって、支配された。 竹千代が、父の松…
いつも当ブログ、歴史連載物語をご覧になって頂き誠にありがとうございます。いつもありがとうございます。2021年6月1日より始まりました『猛将親父』、2023年…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・壱
徳川家康は、1542年(天文十一年)、松平広忠の嫡男として、岡崎城において、生まれた。 母は、水野忠政の娘、於大の方、家康の幼名は、竹千代である。 無論、家…
年表 延長元年(923)4月 朝廷が菅原道真に右大臣正二位を贈る 延長八年(930)6月 清涼殿落雷事件 清涼殿の柱に落雷があり、大納言藤原清貫らが犠牲になった。この落雷は、菅原道真の怨霊による祟
サイトの広瀬武夫年表の手入れをしているのですが、明治33(1900)年の以下の一文を見てこの浜口代議士って誰かしらと。代議士ならすぐに分かるだろうに、調べた事無かったなと思ってさ。代議士で浜口と言えばすぐに浜口雄幸が思い浮かぶのですが、二八会なので流石に違うなと。雄幸だったらと思うのは私の希望すぎる。笑二八会は何度か触れた事があるのだけれど、こちら(下の方)、またはこちら(下の方)をどうぞ。蕎麦でも打っ...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「やっと会えたな、吉川元春」豊前小倉城(ぶぜんこくらじ…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜1日感想が送れちゃったね…ってことで第20話の感想ぉ〜!!今回、活躍したのが、家康の正室、瀬名。武田信玄亡…
サイト更新です。近代:あとみよそわか1 サイト振り返り1海軍軍縮と財部彪、参謀本部を廃止したい高橋是清と統帥権、ミリ飯と文豪、広瀬武夫と海兵15期の人々murakumo1868.web.fc2.com 果たしてこれは更新と言って良いのかとも思うけれども。題名からして想像がつきそうですが、先日来書いていたサイト振り返りです。結構な記事数になってきているので、うちのサイトにどんな話があるのかを知る切欠になればいいなと思って...
戦国忍者列伝 風魔小太郎・雑賀孫市・加藤段蔵 (コミック版 日本の歴史 76) [ 加来 耕三 ]
内容紹介(出版社より)相模国の足柄を拠点に後北条氏に仕え、武田軍と戦った乱波の頭領・風魔小太郎。紀伊国の紀ノ川下流域を拠点に、鉄砲武装集団・雑賀衆を率いて織田信長と戦った雑賀孫市。跳躍の達人だったことから「鳶加藤」と呼ばれ、多くの武将からその実力を危険視された加藤段蔵。戦国争乱の陰で活躍し、伝説となった三人の忍者の姿を鮮烈に描く! What)これは何のための本か? メジャー忍者のうち、2段階目くらいの忍者を題材とした本。 Why)この本を読む理由は何か? これ、日本の歴史シリーズなんですって。 How)この本が伝える解決法は何か? やたらとイケメン。なんでこんなにパッチリ二重なんじゃ。 総評 …
【絵本】『絵で見る日本の歴史』細かい人物絵が、歴史を物語る作品<8歳~10歳児おすすめ絵本>
細かい絵が、歴史を物語る作品10万年以上前の昔、氷河期の頃に、日本は、まだ島国ではなく、アジア大陸の一部でした。その時代の人は、どのような暮らしをしていたのでしょう。石器時代の頃から現在までの日本を描いた歴史を学べる絵本です。人物や道具が細
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 12.続・松平広忠
松平広忠の後見人、叔父の松平信孝は、次第に増長して、自身の弟である、松平康孝の所領を横領する等、松平広忠及び、家臣達と対立した。 1543年(天文十二年)、…
目次 陰陽道の祭祀祭祀の記録(五十音順)疫神祭鬼気祭招魂祭泰山府君祭本命祭陰陽道の祭祀 祭祀の記録(五十音順) 疫神祭 和暦 日付 担当 出典 長徳四年 7月5日 (陰陽寮) 権記 鬼気祭 和暦 日付
徳川家康の父である、松平広忠は、1526年(大永六年)、三河国の岡崎城主、松平清康の息子に生まれた。 当時、松平清康は、十六歳であった。 松平清康には、庶子…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。元春の周りには白い雪景色が広がっていた。目の前には子供…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・参
松平清康は、宇利城攻め以降、桜井松平家の当主で、叔父の松平信定と不仲になったと言われている。 その理由は、宇利城攻略戦において、大手門を攻める、福釜松平家の…
昨日の続き。以下写真は『財部彪日記 海軍大臣時代』の解題「一九二〇年代、財部彪の海軍大臣時代の動向」(太田久元)より。この1ページに2ヶ所……3ヶ所? お、と思うところがありまして。その1。右側の赤丸。「海軍の本」で「加藤友三郎は井出を後任の海相にしたかったと思う」と書いたのですが、やっぱりそうだったか。結局それは実現せず井出海相は誕生しなかったのですが、解題中その理由のひとつとして上げられているのがそ...
死人に口なし昨日の続き。以下写真は『財部彪日記 海軍大臣時代』の解題「一九二〇年代、財部彪の海軍大臣時代の動向」(太田久元)より。この1ページに2ヶ所……3ヶ所? お、と思うところがありまして。その1。右側の赤丸。「海軍の本」で「加藤友三郎は井出を後任の海相にしたかったと思う」と書いたのですが、やっぱりそうだったか。結局それは実現せず井出海相は誕生しなかったのですが、解題中その理由のひとつとして上げられ...
広瀬武夫さんお誕生日おめでとうございました!(過去形)土曜日、大分の広瀬神社で例大祭が行われていましたが、残念ながら今年も欠席になりました。コロナ禍になってからは参加謝絶だった大祭に今年は久しぶりにお誘い頂いていたのですが、法事が重なってしまった。祖父母の33回忌を抜けるのは流石にちょっと。37回忌はしないかもしれないし。この銅像が広瀬神社の鳥居の前にある事から、相当前の写真だという事が分かります。笑...