メインカテゴリーを選択しなおす
こんにちは!ご訪問いただきまして、ありがとうございます!ハリです!私の乳がんタイプは【16ミリの浸潤がん リンパ節転移なし】【ステージ1 がんの顔つき グレ…
高い医療費が必要になったときに役に立つ「高額療養費制度」とは?
もしも、突然の手術や入院などで、高額な医療費が必要になってしまったときでも医療費の支払いで生活が脅かされるようなことが無いように『高額療養費制度』が設けられています。高額療養費制度を利用したい場合は、自分で手続きしなければなりません。
皆さんごきげんよう、無理が祟り身体中が全身打撲のような過労状態で回復の為に整体や温泉通いの毎日です。休んで一週間経過しましたが、またまだ半分程度の回復でもう暫くは掛かると思います、若い頃とは違い健康や身体のコンデションには気をつけてはいますが、今回は気の
発疹が出ない帯状疱疹に自分がかかって治った記録。ネットで症例を検索しても参考になるものがあまりなかったので、その経緯を記事に残しておくことにしました。
丸山修寛先生の「ループ」のセミナー動画すっごくよくて、これからみんなで一緒にループやるってところで中断して後でじっくり見ようと思ってたら、視聴期限の二日間があっという間に過ぎて、もう見られなくなっちゃった~。残されたメモ「体は病気じゃない 自分がよいエネルギーあげる」。先生がおっしゃってた内容うまく説明はできないけど、これすっごいポイント。
【摂食障害】「克服した先を想像できない」人へ|イメージすることで回復を助ける【摂食障害完治】5つの状態YAHOO!ニュースに2022/3/13に掲載された記事…
おはようございます、コトブキです(´꒳`)このブログでは、食をこじらせている方が「気楽に」なれる記事を更新しております。悩んでてもドン底でもいいよ。大丈夫ですよ。気楽にしてください。初めましての方は、「はじめに」で私の自己紹介をしています。
こんにちは、働きたくない母です。本日も皆様お疲れ様です! 会食恐怖症。この病気をどれだけの人が知っているんでしょうか。会食恐怖症は社会不安障害(SAD)の症状の中のひとつです。意外と悩んでいる人が多いそうです。 ざっくり説明すると人からの評価が気になりすぎて、めまい、吐き気、冷や汗、赤面、震えなどの症状がでます。不安症状を回避しようとして日常生活が普通に送れなくなる病気です。私の場合、食事の場面が特に辛く人前で食事をしようとすると強烈な吐き気がして吐いたらどうしよう、と怖くてその場にいられませんでした。実際に吐いたことはありませんが、えづいてしまうのです。恐怖で失神してしまったこともあります。…
目次1 きっと今が一番2 紅葉の美しさに感激 生きていることを実感 きっと今が一番 なんでこうなっちゃうかな・・ って思ったこと、今まで生きてきた中 ...
トラウマ克服【第15話】〜傷を知る〜『心から血が流れている。』
私は『泥の中からでも花を咲かせる』と決めたので、今まで目を背けてきた『心の傷を知る』作業を始めた。 ・・・ もう、きれい事で取り繕うような日常には飽き飽きしたし、偽りの自分で生きたところで何の喜びも感じない。だから、まずは『ありのままの心にある傷』を見つめてみようと思ったのだ。 『傷を知る』ためには、目を背けたくなるような汚点もありのままに受け止めなければならない。 『心を見つめて、、さらにその奥に隠された傷を知る。』作業には根気がいる。 一人では、、煮詰まるし、、そもそも、目を背けたくなるような汚点と思っている『傷』なのだから。決して楽しい作業ではない。 それでも『傷』に向き合うのは、その傷…
愛着障害(アタッチメント障害)とは・・ 様々な要因で母親を代表とする養育者と子供の間に【愛着】が上手く芽生えない事により起こるとされ、情緒や対人関係に問題が生じる。 ・・・ 幼い頃の私は『癇癪持ち』『手に負えない子』の代名詞。 私がそういう子だったから、母は私を乳母さんに託し続けていたのだろうか。 【第3話参照】 私の『養育者』は両親も含めると、、通算10名くらいになる。 それは、一見『みんなに可愛がられていいね。』と美談で終わりそうな話だが、、 『愛着対象者』が、それだけコロコロと代わったということでもある。 それは、どういうことかというと、、、 『この人は、私を守ってくれる。』 『この人、…
私は12歳(小学校6年生)のときに“摂食障害”というものに陥った。 それまで食べること大好き!の私がこの頃を境に、『食べる』ということに苦しむことに。 摂食障害になったのは、特にこれといってきっかけがあったわけでなく、夏バテで少し食欲が落ちたのと同時に体重が減った。思春期に足を突っ込んだくらいの私はその事が妙にうれしく感じた。 特に太っていたわけでもないけど、やっぱり思春期の女子は痩せるということが嬉しい。体重は数字に現れるから、もうちょっと頑張ろうかなが積み重なって、日に日に食べる量が減っていった。 この頃は食べ物のカロリーを調べることが趣味になり、徹底的に調べた。 今でもほとんどの食べ物(…
私自身も母も、最初は摂食障害だと思っていなくて大学病院では胃のエコーなど、色々と検査をおこなった。 この頃私が摂取していたのは一日に500カロリーのみ。 自分の中のルールで朝は100カロリー以内、昼、夜それぞれ200カロリー以内としていた。 きっと500カロリーも摂ってなかっただろうなぁ。 朝は80カロリーの冷凍焼きおにぎりを食べ、昼は学校の給食で牛乳一本とおかず少し、夜は納豆素麺を50グラム。 母が作ってくれた料理にはほとんど手をつけいなかったと思う。いま思い返しても胸が痛くなる。 自分が、母親になって、よりあの頃の母の気持ちを考えるとつらい。 色々な検査を行ったのち、ついた病名が“摂食障害…
『拒食症』と診断された日、入院を勧められたけど、どうしても嫌だった私は自宅安静かつもう少しご飯を食べるという約束を先生として入院は間逃れた。 具体的には次病院に来た時に、体重が今よりも減っていたら即入院ということだった。 今からもう17年ほど前のことなのに、その日の帰り道のことをよく覚えている。“明日から学校に行かなくていいのか”“これから何をどれくらい食べたらいいんだろう” そんな安心感と不安感が交差していた気がする。 学校が嫌いだったわけではなく、ガリガリに痩せた身体での学校生活がもう限界だった。冬だったから骨まで寒くて痛かったし、友達と喋る気力も失っていた。 友達に「なんか最近〇〇ちゃん…