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カントの時間論は、彼の主著『純粋理性批判(Critik der reinen Vernunft)』において詳しく論じられており、「時間とは何か?」という問いに対して**人間の認識構造そのものに根ざした視点**から答えようとする試みです。 --- ## ■ カントの時間論:基本的立場 ### ● 時間は「経験されるもの」ではなく、「経験を可能にする形式」 カントは、時間を **「ア・プリオリな直観形式(Anschauungsform)」** として位…
私は、約2年前に早期退職した後に大学の聴講生になり、哲学の授業を受講している。 今日はそのうちA大学の哲学の専門科目の後期試験を受けてきた。 単位認定を受ける必要があるわけではないので、試験を受けるかどうかは任意。しかし、どのような試験問題が出題されるのか興味があるし、自分の勉強のまとめにもなるので、聴講した授業の試験は受験するようにし、レポートも提出するようにしている。今回の試験は、西洋哲学のドイツ観念論に関する授業の試験だった。 今回は、まず試験が行われた教室の座席の配置が予期していない形だったので動揺させられた。たまたま受験生の数の関係で私だけが1人離れた列の最前列に座らされることになっ…
ブログのアクセス数、を日々見るともなしに見ている。 時折り異常な動きを示すことがあり、それが何故なのかを考えるのも面白い。 今朝は4年半前に書いた記事が異常に見られている。 題名から見て
--- --- ここしばらく、コロナの余波でこもり状態が多くなり、それに連鎖して、以前よりもテレビを見る機会が増えた。 そんななか、以下の2本が興味深かった。 1)逆転人生「美智子、86才 ゴール
患者の権利擁護とは?看護師が知っておきたいアドボカシーの役割と実践
こんにちは。このブログの管理者 ゆるーりすと のぴまゆです。 このブログはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を利用しています。 それではゆるーりとご覧ください。 こんな方におすすめ 患
家から10分くらい歩いたところに、池のある公園があり、時折、池の周りをぐるりと散歩する。 今日の夕暮れどきは、歩く人も、遠くに一人くらい。穏やかな満ち足り…
『純粋理性批判』には、概念的・抽象的な事柄がたくさん出てきます。 「直観」とはどのような作用か? 「空間」とは何なのか? 「時間」とは何なのか? それらは丁寧に詳細に説明されてはいるのですが、文章を読み進むだけでは、今ひとつ理解が及びませ
光文社文庫版『純粋理性批判』全7巻のうち、2巻までを読了しました。 読み始めたのが2021年8月24日なので、丸3年ほどかかったことになります。 毎週1~2節という読解のペースは変わっていません。 スローペースではあるものの、途切れてしま
私は、約1年半前に会社を早期退職してから大学に聴講生として通うようになり、哲学と出会った。 2年目の今年は、三つの大学の哲学の授業に並行して通うようになった。とりわけA大学では、聴講していた授業の先生にお願いして、演習も見学させてもらえる機会を得た。そういうわけで、前期は週3ないし4日は大学に出かけていた。 日々の復習と予習が意外と大変で、これに毎日続けている英語を加えると、ブログを書く気落ちの余裕がなく、しばらくお休みしていた。 今後はもっとラフにブログを書いていきたいと思っている。 哲学をするのになぜ哲学史を学ぶのか 大学の課題レポートとして出されたもので、この2週間ぐらい取り組んでいる問…
大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いて
大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いて
serial experiments lain(アニメ版) 感想
前回ゲーム版の感想を書きましたので、引き続き今週のお題「名作」に参加しつつ今回はアニメ版の感想を書いていきたいと思います。今回も長文です。
昨年3月に早期退職してから大学に聴講生として通っている。 そのうちの授業の1つで課題になっていたレポートを本日提出した。 具体的には、文学部哲学科の哲学史の授業で、自由と悪に関するテーマで書くというもの。最低2500字以上以外は特に縛りはない。 書いているうちに、次々と書きたいことが増えてきた。最終的には1万3000字近くまで膨らんでしまった。 悪に関して言うと、哲学は、全知全能の神が創造したこの世界で、なぜ悪が生まれるのかを色々なやり方で説明している。神をいかに免責した結論に導くか(弁神論という。)古くから議論がなされ,悪は善の欠如だと言ってみたり、悪を伴うこの現実世界を神は選択したもので悪…
私はXである。古来、ダイモンとかデーモン、ルシフェル、メフィストフェレス、霊感、悪霊、無意識、存在の呼び声、等々と呼ばれてきたんだけど、面倒臭いからXと呼んでくれ。3万70歳というのはウソである。年齢などはない。人間という仮面をかぶっているから、仮面なら人類と同じ年齢だ。...
待望の中山元による三批判完訳により、カントを本気で読んでみる気になった。 まず引っかかるのが「総合判断」である。意味分からん。 主語に述語が含まれるのが分析判断で、含まれないのが総合判断だと言うんだけど、「AはBである」という命題は、普通は述語Bに主語Aが含まれるので...
カントの言い方で気になるのがやはり分析判断だ。主語に述語が含まれる、というのが分析判断で、それが命題論理でいう包含関係(述語に主語が含まれる)とは逆であること、つまり命題論理とは次元の違う話だということは前回指摘したとおりだけど、分析判断という言葉で具体的に何を言おうとし...
前々回指摘したようにカントにとって認識の最小単位は「判断」であって対象ではない。所与の対象はそれが感覚対象であろうと観念表象であろうと、認識ではないんだな。それらは悟性能力によって結合されて「判断」になったときのみ認識となる。 だからカントの物自体とは、悟性能力によって...
カントの感性論を内容としてみる限り、それは空間・時間について論じたものであるように思われる。にしては短い。短すぎる。 実は論じていない。カントはあくまで「解明」erörterungと言っているに過ぎない。 これが知性論になると「演繹」deduktionとなる。カントは...
前回、感性と知性(悟性)との本質的違いは接触の有無だと述べたんだけど、対象との接触は強度が増すと苦痛をもたらす。視覚だけでなく聴覚もそうだ。私は高齢だからメタルのライブ終了後一時間程度は耳が痛くなる。さらに強度が大きくなれば、それは音楽などではなく拷問であり知性を喪失する...
これから知性論(悟性論)に入る前に、一つ仮説を立ててみたい。 カント哲学が異様な様相を示しているのは「実践理性批判」なんだけど、そこでは一切の感情を排した理性判断に基いた道徳哲学が展開されている。よく知られている例では、たとえ愛する者が不利になったとしても加害者に対して...
私はこれまでカントの言う「純粋」とは、対象物がないことであるとしてきたんだけど、感性論と知性論では「純粋」の意味が異なっている。 感性論における純粋直観とは時間・空間のことなんだけど、その場合の「純粋」とは対象物が何もないという意味なんだな。思考実験によってすべての対象...
時間と空間が客観的な物自体ではなく、人間固有の感性形式に過ぎないと言われても、今一つ納得できない。どう見ても時間と空間は客観的だと思うかもしれない。 その客観性は、一個人ではなく人類全体に共通する感性形式だから客観的なのだとカントは主張するんだけど、それは主観が多数にな...
ドゥルーズによると、イギリス経験論(ロック、ヒューム)と大陸合理論(デカルト、ライプニッツ)は見かけほど対立しているわけではなく、どちらも人間理性とその外部(自然、神)との調和を独断的前提としている点で共通しており、カントにとっては双方とも打倒すべき相手であったという。 ...
今年の3月末で早期退職した後に哲学探究にハマり、大学で聴講生として授業を受けるようになった。 今日は、10月から新たに通い始めたB大学哲学科の専門科目の授業の2回目。 前回は1回目ということもあり、イントロダクションだったが、今日から本格的に授業が始まった。 4月から通っている一般教養のA大学の授業とは、雰囲気が全く違う。人数が少ないこともあり、授業開始前から張り詰めた空気感があり、真剣に教授の話に耳を傾けている。 内容は前期の授業の復習を兼ねたもので、カントの認識論とその位置づけ、問題の所在といったもの。A大学での授業でも出てきた内容が含まれていたので、何とか話についていく。 カントの認識論…
今日は昨日に引き続き哲学の授業を受講した。 今回は4月から通っているA大学の3回目の授業で、イギリスの哲学者ロック(1632〜1704)らのイギリス経験論を学んだ。 経験論は、簡単に言うと、知識は経験から得られるとする立場で、デカルトの主張するような理性的な推論を重視する合理論と対比される。そしてロックは、人間に生まれながらに備わっている能力である生得観念を否定し、経験によって外から知識や観念が得られる前は、人間の心は、何も書かれていない白紙の状態(「タブラ・ラサ」という言葉が有名)であると主張する。 このロックの思想を中心に、これを批判したバークリー(1685〜1753)の思想や経験論を更に…
淡々と読解は続いています。 読もうと思い立ち、この記事を書いたのは2021年6月1日。実際に『純粋理性批判』を読み始めたのは同年8月24日でした。 近ごろは、週に1~2節ほど読み進んでいます。読むペースは落ちましたが、それでも中断におちい
古来、平和とは、人類の願いとされてきました。多くの思想家や理論家も、平和の実現のために思考をめぐらし、知恵を絞ってきたのですが、戦争が一向になくならないのが嘆かわしい現状です。しかしながら、これらの書物には、現実が抱えている問題点を深く認識し、改善してゆくためのヒントが隠されていることも確かなことです。例えば、エマニュエル・カントは、『永遠平和のために』という書物の中で、国際社会において確立すべき行動規範や条件等について具体的な提言を試みております。同書において興味深いのは、‘永遠平和のための第一確定条項’です。第一確定条項とは、「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない」というものです。共和制が平和に貢献する理由として、カントは、以下のように述べています。「―すなわち、戦争をすべきかどうかを...電撃訪問は‘国民封じ’のため?-民主主義の危機
純粋理性批判 理性の理性に拠る批判 理性を理性によって批判することの、正しさと難しさ ○ カントの大きさ 国連が作られたのは、カントの発案に拠るものだが、今の国連の現状を見て嘆くのは、誰よりも、カント自身であることだろう ○ 国同士が連合するというアイデ...
茨城県結城市結城にあるイタリアンのお店「La Kamt ラ カント」です。最寄駅はJR水戸線の結城駅になります。 「La Kamt ラ カント」の近くには「IL GATTINO イル ガッティーノ」「北京飯店」があります。 morigen1.hatenablog.com morigen1.hatenablog.com 「La Kamt ラ カント」へはランチタイムに行きました。 La Kamt ラ カント 外観 La Kamt ラ カント 店内入口 La Kamt ラ カント 敷地内入口看板 La Kamt ラ カント 店内 「La Kamt ラ カント」には駐車場が用意されております。駐車場…
評価:65点/作者:イマヌエル・カント/ジャンル:政治哲学/出版:1795年 『永遠平和のために』は、フランス革命と同時期の1795年、ドイツのプロイセン…
今回の西洋近代形而上学まとめはカントについてです。デカルトの頃では神的理性の後ろ盾があったので、人間の認識の確実性が保証されていました。カントは神的理性の媒介を拒否しながら、その認識の確実性を保証するために、『純粋理性批判』で理性の自己批判を行います。カントもデカルトと同じように人間理性の限界を見て取っています。カントによると、物それ自体である「物自体」は人間には認識できず、人間が認識しているのは...
第八章『カントと近代哲学の展開』のメモまとめです。イギリス経験論も西洋形而上学の流れと大いに関係しているので、そういった大きな西洋形而上学の中でのカントについてです。なので取り上げられているのは主に『純粋理性批判』で、ヘーゲルに続くように書かれている感じです。十七世紀の古典的理性の哲学は、人間理性の後ろ盾として神的理性が想定されていました。その後神的理性なしの形而上学へと進む流れができてくるのです...
間違えて、ブログを削除してしまったので、再投稿しています、、、 実家に帰ったら、お勤めも辞めたわけだから、時間は結構空くのかと思いきや、毎日何やかにややること…
僕は、あまり「忙しいから出来ない」というのを口実にしたくはないのですが、ここ最近、やりたいことが増えています。Kindle unlimitedの3ヶ月99円の…
私は、「汝の意志の格率を常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」という名言を述べた人物を問う問題をテストに出した。答えは語群から選ぶしくみにしており、私は、語群にカントの名前を入れたつもりだった。しかし、私は誤って、カントではなくハイデガーの名前を語群に入れてしまっていた。おまけに、私はタイプミスまでしており、「ハイデガー」の名前さえ正しく打てていなかった。私は、歳をとったことで自分の能力が衰えたことを痛感した。 < 完 > ↓ ここ1年ほどの間に公開した夢をまとめました ↓ おもしろ夢日記Ⅲ: アラフォー男の15年の記録
「止まれ」の標識。自動車に乗っているとき、この標識を見たら、最初に頭によぎるのは、停止線の直前で車を一旦停止させなければいけない、ということ。「~ねばなら…
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 14/xx
イマヌエル・カントは、この世界は、僕たちの認識の形式、 つまり、時間や空間や因果律によって再構成されたもので、僕たちが世界だと思っている世界は、 僕たちが生み出している表象であると考えた。 僕たちは、世界そのものを直截に知ることはできない。 知ることのできないそれを、カントは、物自体(ものじたい、Ding an sich、thing-in-itself)と呼んだ。アルトゥール・ショーペンハウアーは、僕たちが認識できるのは表象の...