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リフレーミング:出来事のフレームを変えて人生に役立てる方法を解説
NLP(神経言語プログラミング)のリフレーミングは、出来事や物事のフレーム(枠組み)を変えて、その意味づけを変える言葉の働きかけのことです。このリフレーミングを活用できると、コンプレックスやネガティブな状況の意味づけを変えることが出来て、能力やパフォーマンスを最大に発揮することが出来ます。
仕事や人間関係で、いつも悩みを抱えて人生がつらい。そのように思っていませんか?今回は、そんなあなたに人生を変える思考法「クリティカルシンキング」をご紹介します。この方法を使えば、他の人とは違った視点で物事を考えることができるようになります。少しでも興味の出た方はお読みください。
社会批判、について、思いつくまま ―― 無理を承知の論理、三方一両損 50/50
左官の金太郎は、三両の金が入った財布を拾い、一緒にあった書付を見て持ち主に返そうとする。財布の持ち主はすぐに大工の吉五郎だとわかるが、江戸っ子である吉五郎はもはや諦めていたものだから金は受け取らないと言い張る。しかし、金太郎もまた江戸っ子であり、是が非でも吉五郎に返すと言って聞かない。互いに大金を押し付け合うという奇妙な争いは、ついに奉行所に持ち込まれ、名高い大岡越前(大岡忠相)が裁くこととなった...
社会批判、について、思いつくまま ―― 無理を承知の類推、娼妓解放令 49/50
娼妓解放令(しょうぎかいほうれい)――明治政府による芸妓・娼妓・奉公人の人身売買の禁止、年季奉公の制限と前借金の無効宣言の通称。1872年(明治5)10月2日と9日に太政官達(だじょうかんたっし)第295号と司法省達第22号として布告された。―― コトバンク/娼妓解放令一、同上ノ娼妓芸妓ハ 人身ノ権利ヲ失フ者ニテ牛馬ニ異ナラス 人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ 故ニ従来同上ノ娼妓芸妓ヘ借ス所ノ金銀 並ニ売...
社会批判、について、思いつくまま ―― 論題の不共有 48/50
>僕たちは、いつも、いつでも間違える。14、23、27、暗黙の前提、15、スプリッティング、17、誤った二分法、18、全称の誤用、19、合成の誤謬、分割の誤謬、20、媒概念不周延の誤謬、21、後件否定の誤謬、22、前件否定の誤謬、24、大概念不当周延の虚偽、25、小概念不当周延の虚偽、26、誹謗中傷、28、トートロジー、29、循環論法、30、論点先取、31、無知に訴える論証、32、個人的懐疑に基いた論証、33、早まった一般化、34、ステ...
社会批判、について、思いつくまま ―― 藁人形論法 47/50
ストローマン(英:straw man)は、議論において、相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す。ストローマン手法、藁人形論法、案山子論法(かかし論法)ともいう。相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者...
社会批判、について、思いつくまま ―― 多重質問の誤謬 46/50
多重質問の誤謬(たじゅうしつもんのごびゅう、英:loaded question, complex question fallacy)は誤謬の一つである。「多問の虚偽」や「複問の虚偽」とも。多重質問(たじゅうしつもん、英:complex question, trick question, multiple question,羅: plurium interrogationum)は、議論に関わる人々が受け入れていない、あるいは証明されていない前提に基づく質問。多重尋問(たじゅうじんもん)とも。それに起因する誤謬を多重...
社会批判、について、思いつくまま ―― 人身攻撃、お前だって論法 45/50
お前だって論法(おまえだってろんぽう)は、相手の主張する議論を貶めるために、相手がその主張に沿った振る舞いをしていないと断言するような論法である。英語では、「お前も」を意味するラテン語の語句Tu quoque(英語における発音:[tjuːˈkwoʊkwi, tuːˈkwoʊkweɪ])、あるいは「appeal to hypocrisy」と称される論理学上の誤謬である。日本語では、偽善の抗弁、そっちこそどうなんだ主義などと表現されることもある。Whatabouti...
社会批判、について、思いつくまま ―― 人身攻撃、状況対人論証 44/50
状況対人論証とは、ある主張をした人物が、そのような主張をせざるを得ないような状況にあることを指摘するものである。基本的にその人物に関する偏見を植え付ける攻撃である。演繹的論理においてこれが誤謬とされるのは、相手の立場を指摘してその主張を論理的にも信頼できないように思わせたとしても、主張自体の論理性には何ら関係ないためである。これは、発生論の誤謬(出典を理由に主張が正しくないとする論証)とも重複する...
社会批判、について、思いつくまま ―― 人身攻撃、対人論証 43/50
人身攻撃(ラテン語:ad hominem、argumentum ad hominem)は、ある論証や事実の主張に対して、その主張自体に具体的に反論するのではなく、主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。人格攻撃論法ともいわれる。論理性や合理性を持って判断するクリティカル・シンキングにおける論理的な誤りである誤謬のひとつ。対人論証は、一般に論敵を侮蔑するものだが、同時に表面上は相...
社会批判、について、思いつくまま ―― 発生論の誤謬 42/50
発生論の誤謬(英語:Genetic fallacy)とは、現在の意味や状況を無視してその出典や出自だけを根拠として結論を導くこと。論点のすり替えの一種。現在の状況の変化を見過ごして、過去の状況における肯定的または否定的評価をそのまま保持するものである。したがって、この誤謬は主張の価値を評価できない。よい論証の第一の評価基準は、前提から主張の真偽性に対して結論を導き出せるかである。たとえ問題の起点部分に限れば真実...
社会批判、について、思いつくまま ―― 燻製ニシンの虚偽 41/50
燻製ニシンの虚偽(くんせいニシンのきょぎ)、またはレッド・ヘリング(英語:red herring)は、重要な事柄から受け手(聴き手、読み手、観客)の注意を逸らそうとする修辞上、文学上の技法を指す慣用表現。―― ウィキ/燻製ニシンの虚偽 あ! なんやねん? いうえお! お前 熱あるんとちゃうんか? いや ないで 熱がなかったら死んどるやんけー! 大阪城建てたん 誰か知ってる...
社会批判、について、思いつくまま ―― 衆人に訴える論証 40/50
衆人に訴える論証(しゅうじんにうったえるろんしょう、羅:argumentum ad populum)とは、論理学における誤謬の一種であり、多くの人々が信じている、支持している、属している等の理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。多数論証、多数派論証とも。―― ウィキ/衆人に訴える論証 衆人に訴える論証であることを指摘するだけでは、 その命題が真であることの、裏書の瑕疵を指摘しただけで、 真では...
社会批判、について、思いつくまま ―― 伝統に訴える論証、新しさに訴える論証 39/50
伝統に訴える論証(でんとうにうったえるろんしょう、英:Appeal to tradition)とは、論理的誤謬の一種であり、主題が過去または現在の伝統(しきたり、流儀、慣習、習慣)に照らして正しいと見なす論証。―― ウィキ/伝統に訴える論証新しさに訴える論証(あたらしさにうったえるろんしょう、Appeal to novelty)とは、論理的誤謬の一種であり、主題が現在または未来の流行もしくはファッションに適合しているので正しいと見做す...
社会批判、について、思いつくまま ―― 権威に訴える論証 38/50
権威に訴える論証(けんいにうったえるろんしょう、英:argument from authority, appeal to authority)とは、命題が真であることを立証するために、権威によって裏付ける帰納的推論の一つである。統計を利用した統計的三段論法(英語版)の形をとることが多い。権威がその主題に関しては専門ではなかったり、専門家の間でもその主題に関して意見が一致していない場合があり、権威に訴える論証は往々にして誤謬となる。―― ウィキ...
社会批判、について、思いつくまま ―― 充填された語 37/50
充填された語(loaded language):論題に関して感情的な先入観を持たせようとして文の中に挿入した語句のことを指し、具体的には、議論の内容が客観的に十分に紹介・議論される前から、話者が自分の評価を盛り込むことで、最初から話に色をつけ、受け手に先入観を持たせようという議論で、ミスリーディングを導く。解決策としては、決めつけてきたことの理由や、前提と決めつけた結論とのつながりを問う、また客観的・非感情的・...
社会批判、について、思いつくまま ―― 滑り坂論法 36/50
滑り坂論法(slippery slope):ひとつの問題点を取り上げ、あたかもそれだけがどんどん事態を悪化させる絶対的な原因であるかのように強調する誤謬。―― ウィキ/批判的思考 男と手をつないだりしたら ――。 手をつないでいいのなら、キスだっていいことになり、 キスがいいのなら、あちこち触ってもいいことになり、 触っていいのなら、あちこち舐めてもいいことになる。 コスプレもいいし、屋...
社会批判、について、思いつくまま ―― 確証バイアス 35/50
確証バイアス(かくしょうバイアス、英:confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。―― ウィキ/確証バイアス ある思い込み、バイアス、偏見があると、 それを支持する情報だけを集めて、 支持しない情報を看過する傾向。 世の中は醜くて、...
社会批判、について、思いつくまま ―― ステレオタイプ 34/50
ステレオタイプ(英: Stereotype、仏: Stéréotype)とは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念、レッテル、偏見、差別などの類型化された観念を指す用語である。アメリカのジャーナリストであるウォルター・リップマンによって命名された。また、社会心理学ではステレオタイプとは、特定のカテゴリーの人々に関する過度に一般化された信念のことである。その種類は様々で、例えば、そのグループの性格、好み、...
社会批判、について、思いつくまま ―― 早まった一般化 33/50
早まった一般化(はやまったいっぱんか、Hasty generalization)とは、形式的な誤謬または詭弁の一つ。以下のような論証形式の推論をいう。類推の危険とも。 A はX である。 B もX である。 C もX である。 D もX である。 したがって、いかなる場合もXである。この形式は論理的に妥当でない。少ない例から一般的な結論を導こうとしており、これが早まった一般化となる。つまり、X を満たすものが存在するという一...
社会批判、について、思いつくまま ―― 個人的懐疑に基づいた論証 32/50
個人的懐疑に基づいた論証(argument from personal incredulity)は、ある前提を「個人的に」疑問に感じたことを理由としてその前提が偽であると表明すること、あるいは逆にある前提を好ましいと感じたことを理由として真であると表明することをいう。―― ウィキ/無知に訴える論証 しかし、諸君、自分の病気を自慢するものがどこにあろう? しかも、それを種に威張るなんて、 もってのほかの話である。 ...
社会批判、について、思いつくまま ―― 無知に訴える論証 31/xx
無知に訴える論証(むちにうったえるろんしょう、羅:argumentum ad ignorantiam)または無知に基づいた論証(英:argument from ignorance)とは、前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に真であることを主張する、あるいは前提が真と証明されていないことを根拠に偽であることを主張する誤謬である。他にも英語では、argument by lack of imagination、appeal to ignorance、negative evidence(消極的証拠)などともい...
社会批判、について、思いつくまま ―― 論点先取 30/xx
論点先取(ろんてんせんしゅ、英:Begging the question、羅:Petitio Principii)とは、証明すべき命題が暗黙または明示的に前提の1つとして使われるという誤謬の一種。論点先取の虚偽(ろんてんせんしゅのきょぎ)とも言われる。論点先取は、循環論法の誤謬と関連している。―― ウィキ/論点先取 例えば、ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」、 Je pense, donc je suis. では、 「我あり」を証明しよ...
社会批判、について、思いつくまま ―― 循環論法 29/xx
循環論法(じゅんかんろんぽう、circular reasoning, circular logic, vicious circle)とは、ある命題の証明において、その命題を仮定した議論を用いること。証明すべき結論を前提として用いる論法。ある用語の定義を与える表現の中にその用語自体が本質的に登場していること。―― ウィキ/循環論法 アラーが正しいことは、コーランに書いてある。 神が正しいことは、聖書に書いてある。 カール・マルクスが...
社会批判、について、思いつくまま ―― トートロジー 28/xx
トートロジー(英語:tautology, ギリシャ語:ταυτολογία,語源はギリシャ語で「同じ」を意味するταυτοから)とは、ある事柄を述べるのに、同義語または類語または同語を反復させる修辞技法のこと。同義語反復、類語反復、同語反復等と訳される。関連した概念に冗語があり、しばしば同じ意味で使われることもある。また、撞着語法はトートロジーの反対の技法である。―― ウィキ/トートロジー 勤勉な者は怠けない。 正...
社会批判、について、思いつくまま ―― 暗黙の前提、強制不妊手術 27/xx
裁判長「人としての価値失わず」旧優生保護法訴訟で異例の所感東京高裁の平田豊裁判長は旧優生保護法訴訟の判決理由の説明後、原告の北三郎さん(78)=仮名=に「手術により、子をもうけることのできない身体にされたが、決して人としての価値が低くなったものでも、幸福になる権利を失ったわけでもありません」と語り掛けた。こうした所感が法廷で述べられるのは異例だ。平田裁判長は「差別のない社会をつくっていくのは、国はも...
社会批判、について、思いつくまま ―― 誹謗中傷 26/xx
東日本を襲った大規模地震について、隣国のメディアは、面白半分の見出しで報じた。日刊紙、중앙일보、中央日報と、서울신문、ソウル新聞は、2011年3月12日の1面に、「일본침몰」、日本沈没の4文字を掲げた。 中央日報は、朝鮮日報、東亜日報とともに、韓国の三大紙と称される。読売、朝日、毎日、そんな新聞だから、例えば、東スポのようなものではない。 英紙、インディペンデント・オン・サンデー、13日...
社会批判、について、思いつくまま ―― 大概念不当周延の虚偽 24/xx
大概念不当周延虚偽、だいがいねんふとうしゅうえん‐の‐きょぎ ――形式論理学の定言三段論法で、大前提で周延していない大概念を結論で周延させるために起こる虚偽。たとえば「あらゆる犬は動物である。どのブタも犬ではない。故にブタは動物ではない」で、大前提の「動物」は動物集合の部分しか示さないのに、結論の「動物」は動物集合全体をさすため虚偽となる。―― コトバンク/大概念不当周延虚偽 あらゆる男は人である。...
社会批判、について、思いつくまま ―― 小概念不当周延の虚偽 25/xx
小概念不当周延虚偽、しょうがいねんふとうしゅうえん‐の‐きょぎ ――(fallacy of illicit minor の訳語)定言的三段論法で、結論中の小概念が、小前提中のそれより広く周延することから起こる虚偽。たとえば「(大前提)すべての鳥は翼がある。(小前提)ある動物は鳥である。ゆえに、すべての動物は翼がある」では、小前提の小概念は「ある動物」であるのに、結論では「すべての動物」となり、より広く周延するため、虚偽となる。...
社会批判、について、思いつくまま ―― 暗黙の前提、水平社宣言 23/xx
形式論理学を日常的な推論に適用する非形式論理学 (informal logic) においては、隠れた前提や、それに由来する誤謬推論を明らかにすることで、議論の強さ弱さが評価される。そのような暗黙の前提を明らかにすることも、批判的思考の思考技能のひとつである。省略された前提を明確にすることで、自分が無意識に信じている偏見や独断を自覚することが可能となる。―― ウィキ/批判的思考 1922年3月3日、 差別のない社...
社会批判、について、思いつくまま ―― 前件否定の誤謬 22/xx
前件否定(ぜんけんひてい、英:Denying the antecedent)は、誤謬の一種であり、次のような推論の論証形式に関する誤謬である。 もしP ならば、Q である。 P ではない。 従って、Q ではない。この形式の主張は妥当ではない。この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある。「前件否定」という名称は、「前件」すなわち論証の前提部分(もし-ならば)を否定する形式であることに由来してい...
社会批判、について、思いつくまま ―― 後件肯定の誤謬 21/xx
後件肯定(こうけんこうてい、英:Affirming the consequent)とは、形式的誤謬の一種。以下のような論証形式の推論をいう。 もしP ならば、Q である。 Q である。 したがってP である。この形式は論理的に妥当でない。言い換えれば、この形式では前提が真であっても結論を導く推論の構造が正しくない。「後件肯定」の「後件」とは、大前提(条件文)の後半部分(上の場合、「Q である」)を指す。小前提は後件を肯定して...
社会批判、について、思いつくまま ―― 媒概念不周延の誤謬 20/xx
媒概念不周延の誤謬 ――三段論法において媒概念が周延的でない。「全てのZ はB である。Y はB である。従って、Y はZ である」の場合、媒概念B が周延的でない。「すべての魚は脊椎動物である。人間は脊椎動物である。よって、人間は魚である」。―― ウィキ/誤謬 すべての魚は脊椎動物である。―― 大前提 人間は脊椎動物である。―― 小前提 よって、人間は魚である。―― 結論 媒概念とは、ここでは、「脊...
社会批判、について、思いつくまま ―― 合成の誤謬、分割の誤謬 19/xx
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英:fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。―― ウィキ/合成の誤謬合成の誤謬(fallacy of composition)「ある部分がX だから、全体もX 」という議論。分割の誤謬(fallacy of division)「全体がX だから、ある部分もX 」という議論。―― ウィキ/批判的思考 ...
社会批判、について、思いつくまま ―― 全称の誤用 18/xx
全称の誤用(false universal): 例外を無視した一般化で「例外の撲滅」ともいわれる。「誰もA を支持しない」の「誰も」は例外を無視している。―― ウィキ/批判的思考 自分がそう思うだけなのに、 すべての、とか、みんな、とか、誰も、とかの、 全称を盛りつける、飾り立てる。 過度な単純化による二択しか考慮しない、 両極端しか考えないという誤謬につられて、 ついつい盛ってし...
社会批判、について、思いつくまま ―― 誤った二分法 17/xx
誤った二分法(あやまったにぶんほう、英:false dichotomy)あるいは誤ったジレンマ(英:false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。―― ウィキ/誤った二分法 >社会が間違いなら、自分は正しい、 >社会が愚かなら、自分は賢い、 >社会が醜いなら、自分は美しい、 楽天的でなければ、悲観的である、 好きで...
権力への逆張り、反権力、反体制、そんなのは、なんとなく、社会批判っぽいけれど。気分は似ているけれど、同じではない。反対すれば批判になる、ってことでもない。社会と自分を相反する二者として、強者と闘う弱者の物語に仕立て直して、弱者の主張は、なんとなく、正義っぽいけれど、弱者だから正義になる、ってことでもない。似ていても、違うことがいくつもあって、僕たちは、いつも、いつでも間違える。 ―― E...
社会批判、について、思いつくまま ―― スプリッティング 15/xx
心理学において分裂(ぶんれつ、英:Splitting)とは、人間の思考において、自己と他者の肯定的特質と否定的特質の両方をあわせ、現実的に、全体として捉えることの失敗である。スプリッティング、全か無か思考(all-or-nothing thinking)とも呼ばれる。―― ウィキ/分裂(心理学) 二極思考では、批判はできない。 批判をしているつもりでも、 少しも批判になっていない。 ものごとを理想化して褒め...
社会批判、について、思いつくまま ―― 暗黙の前提 14/xx
形式論理学を日常的な推論に適用する非形式論理学 (informal logic) においては、隠れた前提や、それに由来する誤謬推論を明らかにすることで、議論の強さ弱さが評価される。そのような暗黙の前提を明らかにすることも、批判的思考の思考技能のひとつである。省略された前提を明確にすることで、自分が無意識に信じている偏見や独断を自覚することが可能となる。―― ウィキ/批判的思考「強制不妊手術への賠償判決、国は上告を断念...
>悪口は、当然、価値中立的ではない。>建設的でもないし、生産的でもない。>攻撃して、こき下ろして終わりだ。リゾーム型は、間主観性を形成するための、コミュニケーションの型になる。思考も対面フォーマットにして、双方向性を担保する。ネットでは、きっと、最も効果的な悪口が生成される。 ―― Gıybet、2020/Sedat Girgin対して、批判は、価値中立的で、建設的に、生産的に、より良い方策を模索する。囲ん...
そんな意味ではないけれど、イメージとしては、リゾームはネットっぽく、ツリーはリアルっぽい。ライナーで水平方向に、仮止めされたような知識と、しっかりと垂直方向に、深く根を下ろす知識。もちろん、フェーズに応じて、どちらも必要で、どちらが良い、ってものではないけれど。仕事でも趣味でも何でもいいから、一つでも二つでも、何かツリーを持とう、とは思う。ツリー型の思考体系がどんなものかは、何かしら体系的な知識の...
リゾームとは、rhizome(希:ρίζωμα、ラテン文字転写:rhízōma)の音写語であり、「地下茎」の一種。「根茎(こんけい)」と訳す人もいる。日本では主として、ドゥルーズおよびガタリの共著『千のプラトー』の中の(ママ)登場する比喩的用語あるいは哲学用語として知られている。両者は、伝統的に西洋の形而上学はある絶対的な一つのものから展開していくツリーのモデルをとってきたと解釈し、それに対抗して、中心も始まりも終わり...
感受性、なんてものは、自分の感受性が他人より優れていると、思い込むような能力ではなくて、そんなことなら、むしろ、感受性を欠く者のほうが得意なのだろう。だから、感受性は、感受性を欠く者が、見過ごしてしまう他人の感受性を、拾い上げる能力、ってことにしてみる。 ―― Sedat Girginコミュ力、なんてものは、自分が言いたいことを、臆面もなく言うような能力ではなくて、そんなことなら、むしろ、コミュ力...
区別がつきにくいけれど、批判と悪口は違う。違うけれども、ネットでの批判は、たいていは、誰かの、何かの悪口っぽい。悪口は、当然、価値中立的ではない。建設的でもないし、生産的でもない。攻撃して、こき下ろして終わりだ。しかし、悪口を並べているだけのくせに、きれいな言葉に変換して、批判らしい見かけを作ることもできる。逆に、明らかな事実誤認や、極端な価値判断の違いを批判したときにでも、悪口を言うな、と返され...
批判の先には、目的がある。実現可能な目標を定めて批判をする。良くなった社会にいる自分を想い描く。だから、単に、気に入らないものごとの、悪口のフレーズを考えるのとは違う。どんなに批判を繰り返しても、少しも状況を変えられなかったなら、その思考プロセス、それ自体が、まったくもって主体性を欠いている。社会が間違っていても、先立って、自分が想い描く良くなった社会に、相応(ふさわ)しい自分になってみる。 ...
実際は、多くのものごとについて、僕たちは、善悪を選べない。公序良俗、つまり、みんなが考える社会の秩序や、みんなが考える道徳観念、それらに適合しない法律行為は無効とされる。個人が考える善悪など、問題としない。それらの規定は、強行規定であり、個人の契約による変更を許さない。刑法その他、すべての強行規定は、公序良俗が具体化された規定といえる。個人に選択の余地はない。個人が考える善悪など、問題にならない。...
最善を尽くしたのか。その前に、社会のコンテクストにおける、善、について、考えたことはあるのか。おおよその定義はできているのか。善を定義するのなら、それは、共同体の利益になる行為、善に対しての悪なら、共同体の不利益になる行為をいう。だから、共同体に属さない者に善悪はない。そこが、無人島で、独りきりなら、或いは、部屋から一歩も出ない引きこもりなら、独善的な善悪を押し通してもいい。しかし、例えば、そこが...
>社会批判に多くのリソースを割く者ほど、>その者を取り巻く社会状況は悪い、と思われる。社会と自分の、どちらが間違っているのか、相手と自分の、どちらが悪いのか、そんなことを決めようとするのは無駄である。その答の正しさは、確かめることができない。そんなことに時間や労力を注ぎ込むくらいなら、自分が置かれた悪い状況を与件として、そこから脱するためにリソースを費やすほうが、自らを、建設的で、生産的な未来に向...
親交、友愛、仲間、友人が社会なら、そんなものを備えていない相手が悪い、と言うこともできるだろう。でも、いつも、いつまでも、相手が悪い、と言い続けるのも違うだろう。雑に、敷衍して言えば、親交、友愛、仲間、友人の半分は自分だ。誰かと自分を対立させて、どちらが悪い、なんて構えでは、親交、友愛、仲間、友人が成り立つとは思えない。そんなの、批判する時点で終わっている。 ―― Sedat Girgin ...
社会が間違いなら、自分は正しい、社会が愚かなら、自分は賢い、社会が醜いなら、自分は美しい、社会と自分は、そんなに単純な、公園のシーソーみたいなものではないけれど、社会を下げれば、自分が上がる、自由になれる、そんな気はしてくる、そんな気にはなれる。お手軽なレクリエーションならそれでいい。仕事なり、勉強なり、それぞれの課題に戻って、それぞれの続きに励もう。では、いつまで経っても終わらないのは、仕事も、...
「社会」を意味する英語の「society」は、ラテン語で「親交、友愛」を表す societas や、「仲間、友人」を表す socius に由来する。だから、日本での「society」の訳語には、「社会」のほかに、「人間交際」も候補に挙がった。極端に振って、仕事もしない、勉強もしない、子育てもしない、家事もしない、他人と関わらない、外に出ない、何もしない、そんな人がいるとしたなら、その者を取り巻く社会状況は悪い、と思われる。そもそ...
社会批判に多くのリソースを割く者ほど、その者を取り巻く社会状況は悪い、と思われる。では、最もリソースを集中させることになるのは、社会性がない者がする社会批判、ってことになる。直ちに矛盾しそうだが、おそらくは、社会性がないゆえに矛盾に気づけない。社会批判の前に、自らが社会性を備えれば、批判の対象がなくなるかもしれないから、社会性がない自分を批判してみるほうが早いかも。うまく行けば、自ずから、矛盾も解...