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~「おい、同和問題はないだろうな」・・・「ねえよ」~ 今は亡き実父と息子である僕の会話です。20代の後半でした。婚約したことを両親に告げた数日後、父親がこっそりと小声で発した言葉です。つまり、こういうことです。 「おまえの結婚相手は被差別部落の女ではないだろうな。であれば反対するぞ」・・・「ちがう。それにしても面倒なことにならなくて良かった」この会話は、いったい何なのでしょう。 結論を先に言えば、...
日本の被差別階級/弱者男性論 ―― (`・ω・´)キリッ 2/x
ごく一部の極端な差別者のみならず、マジョリティであることそのものの日常的(everyday)な差別性が問題視されるようになってきた。「真の弱者は男性」「女性をあてがえ」…ネットで盛り上がる「弱者男性」論は差別的か?―― 杉田俊介、2021/04/27、文春オンライン 1922年3月3日、 差別のない社会を求めた全国水平社が創立され、 「水平社宣言」が読み上げられた。 「長い間虐(いじ)められて來た兄弟...
社会批判、について、思いつくまま ―― 暗黙の前提、水平社宣言 23/xx
形式論理学を日常的な推論に適用する非形式論理学 (informal logic) においては、隠れた前提や、それに由来する誤謬推論を明らかにすることで、議論の強さ弱さが評価される。そのような暗黙の前提を明らかにすることも、批判的思考の思考技能のひとつである。省略された前提を明確にすることで、自分が無意識に信じている偏見や独断を自覚することが可能となる。―― ウィキ/批判的思考 1922年3月3日、 差別のない社...
『会津藩はなぜ「朝敵」か幕末維新史最大の謎』星亮一(KKベスセラーズ)にも、薩長史観に基づいているといえる日本の歴史教科書では取り上げられていない様々な事実が書かれています。そしてそれは、著者の単なる憶測や思い込みではなく、多くの歴史学者や歴史家の研究の積み重ねに基づいて書かれていることが明らかです。京都が、長州を中心とする尊王攘夷急進派のテロによって荒らされていた1862年(文久二年)、藩兵およそ八百人とともに、京都東山の山麓に本陣を置いたのは、幕府から「京都守護職」に任ぜられた松平容保を中心とする会津藩でした。でも容保は病弱で、禁門の変の直前には寝込んでおり、会津の医師団や幕府の侍医に看病されるような状態でした。そんな容保を心配した孝明天皇は、「朕が最も信頼するのは容保である」というような「御宸翰」を、一度...偽勅、朝敵、毒殺と尊王攘夷急進派