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前回の二つの記事で話題にした地元「9条の会」での連続憲法学習会の模様や、長老Aさんのレジメを中心にその記録を冊子化したことは、過去記事に何度か紹介しました。前回記事との関連もありますので、そのコピーをお借りして、折に触れて連載記事として掲載させていただきます。第1回学習会 2020.2.9押しつけ憲法論と二人の女性はじめに 敗戦そして新憲法との出会い(省略)1.安倍晋三首相の暴論改憲を求める人々は、現行憲法...
『会津藩はなぜ「朝敵」か幕末維新史最大の謎』星亮一(KKベスセラーズ)にも、薩長史観に基づいているといえる日本の歴史教科書では取り上げられていない様々な事実が書かれています。そしてそれは、著者の単なる憶測や思い込みではなく、多くの歴史学者や歴史家の研究の積み重ねに基づいて書かれていることが明らかです。京都が、長州を中心とする尊王攘夷急進派のテロによって荒らされていた1862年(文久二年)、藩兵およそ八百人とともに、京都東山の山麓に本陣を置いたのは、幕府から「京都守護職」に任ぜられた松平容保を中心とする会津藩でした。でも容保は病弱で、禁門の変の直前には寝込んでおり、会津の医師団や幕府の侍医に看病されるような状態でした。そんな容保を心配した孝明天皇は、「朕が最も信頼するのは容保である」というような「御宸翰」を、一度...偽勅、朝敵、毒殺と尊王攘夷急進派