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>楽しそうに生きている人に接すること。>自分が持つ意味や価値に収まってくれない人、>何が楽しいのか分からないくらいの人、>はみ出している人、越えている人。馬鹿みたいに見えたとしても、もしかすると、自分が思っているほど、他人は馬鹿ではないのかもしれない。自分が理解できないだけで。>わけが分からない人と出会っても、>自分が持つ意味や価値に収めてしまうのなら、>自分と出会っているのと変わらないから、>分...
例えば、世界の一切が無意味であるとして、侮蔑し、冷笑し、破滅を望んでいる者がいるとして、それだって、実は、ことごとく、意味などない。意味を認めないのも、等しく無意味であり、侮蔑も、冷笑も、破滅を望んでいることも、価値がないことにおいては、等価である。無意味を感じながら、意味を満たさない努力も、行いに対して公正な結果が返ってくると信じていい。他人と関わることを拒絶して、無意味のままで温存させる努力に...
公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。―― ウィキ/公正世界仮説 他人に収まって、はみ出して、留(とど)まって、越えて、 嵌(はま)って、外れて、揃って、逸れて、 関心を持って、持たれて、知識を補...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 20/25
>生きるのなら、生きる意味を求めてしまう。>この欲求には、逆らい難(がた)い。>生きるのなら、意味があるものとして、>生きる意味を感じながら生きたい。>この衝動には、抗(あらが)い難い。でも、生きる意味なんて、予め、用意されていない。もとより、意味、それ自体が、人と人との間で、世界の上に投影される心的構築物である。自分で自分に意味を与えることなど、うまく行かないと、見切りをつけたほうがいい。そんな...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 19/25
>アルベール・カミュは、人が馬鹿げているところは、>世界に外在的、客観的な意味や価値を、>求めてしまうことである、とした。>人を除く世界には意味はなく、>世界の側からは、意味なんて、まるで無関心である。>まったく、人の自意識過剰としか思えない。意味、なんてものは、人と人との間だけの問題であり、そもそも、人と関わらなければ、問題でさえもない。人と人とが関わること、とか、愛し愛されて生きること、なんて...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 18/25
ジークムント・フロイトなら、性的衝動、リビドーを満たせるか、こじらせるか。その衝動も、逃れ難く、何がより根源的か、なんてのは、比べたって仕方がない。何につけても、僕たちは人だから、人としての幸不幸があり、それを、言葉へと表現する。人だから、人らしく、言葉へと。 Travis Ruiz Happiness (is a warm gun) bang, bang, shoot, shoot ―― Happiness Is A Warm Gun/The ...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 17/xx
神々がシーシュポスに課した刑罰は、 休みなく岩をころがして、 ある山の頂まで運び上げるというものであったが、 ひとたび山頂にまで達すると、 岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。 無益で希望のない労働ほど 怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、 たしかにいくらかはもっともなことであった。 ―― シーシュポスの神話/アルベール・...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 16/xx
人が生きる意味は何か。この問いの前提は、人には生きる意味があって、それを人で括ることができる、つまり、みんなで同じ意味を生きている、ということになるけれど、だったら、僕みたいなポンコツが考えなくても、すでに、立派な答が出ていると思うし、では、僕が答を探す、ってことは、自分で考える、ということではなく、どこかにある答を探すことになって、検索すれば、すぐに見つかると思うし、それにしても、危ぶまれるのは...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 15/xx
>自分が持つ意味や価値に収めてしまうのなら、>自分と出会っているのと変わらないから、>分かったふりをしないこと。他人に対して言えることは、自分にも当てはまる。>多様な自分がいて、多様な考え方が自分に生まれて、>一つの意味にまとまらないと、身を持って知ること。そのためには、収まってしまわないこと。過去の自分が持つ意味や価値に収め続けてしまうのなら、過去の自分と出会っているのと変わらないから、自分でさ...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 14/xx
イマヌエル・カントは、この世界は、僕たちの認識の形式、 つまり、時間や空間や因果律によって再構成されたもので、僕たちが世界だと思っている世界は、 僕たちが生み出している表象であると考えた。 僕たちは、世界そのものを直截に知ることはできない。 知ることのできないそれを、カントは、物自体(ものじたい、Ding an sich、thing-in-itself)と呼んだ。アルトゥール・ショーペンハウアーは、僕たちが認識できるのは表象の...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 13/xx
デイヴィッド・ヒュームは、この世界の事物の間の関係、つまり、因果関係は、出来事に依存するのではなく、客観的世界の上に投影される心的構築物であると考えた。事実とは、観念の構築物に過ぎない。アルベール・カミュは、人が馬鹿げているところは、世界に外在的、客観的な意味や価値を、求めてしまうことである、とした。人を除く世界には意味はなく、世界の側からは、意味なんて、まるで無関心である。まったく、人の自意識過...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 12/xx
来し方、歩み、道程、足跡、軌跡、経歴、履歴、歴史、過去は、常に、現在における構築である。自分の来し方が、ただの事実でしかないのなら、例えば、日記に、一度きり記録されたなら、それ以上、その事実について考察されることはない。しかし、日が移ろい、自分の立ち位置や、視点や、考え方が変わるにつれて、増えるにつれて、何度も読み換えられ、幾度も書き換えられることになる。自分の行く末が決まっていないように、来し方...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 11/xx
>だから、意味は自分で見つけろ、って言う。見つける、ってのは、自分で考える、ってことで、どこかに答があって、それを見つけてくるのとは違う。どこかに答が用意されていて、それを憶える、ってことではなくて、答は、自前で用意しなきゃならない。独創的な答を考える、ってわけではなくて、どのみち、そもそも、答なんかないんだから、あり来たりな答でも、まったく構わない。ともあれ、自分で探す、ってことは、どこかにある...
「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 10/xx
>だから、意味は自分で見つけろ、って言う。って言われても、生きる意味が見つからない、なんて、歎(なげ)くことになるけれど。ないものは、探せるわけがないもの。 Travis Ruizまずは、自分の中のどこを探しても、答はない、ってことを知ること。見つからない、ってことを知ること。次に、探しに出歩くこと、多くの人に出会うこと。楽しそうに生きている人に接すること。自分が持つ意味や価値に収まってくれな...
「公正世界仮説」について ―― Have a Good Year 8/x
公正世界仮説、公正世界誤謬、って名辞されるくらいだから、嘘っぱち。ぶっちゃけ、世界は不公正である、ってことが前提、そもそもから認めている。> 当然の報いを受ける、> 因果応報、> 善因善果、悪因悪果、自因自果。> 自業自得、> 自分が蒔いた種は自分で刈り取る、> すべての出来事には意味がある。それらは、仮説、それらは、誤謬であり、人も、社会も、ありとあらゆる出来...
また、公正世界仮説を信じている人は、生活満足度と幸福度が高まり、抑うつ的な感情が減少している。―― ウィキ/公正世界仮説 提唱者のメルビン・J・ラーナーは、 公正世界仮説(just-world hypothesis)について、 「世界は突然の不運に見舞われることのない 公正で安全な場所であり、 人はその人にふさわしいものを 手にしているとする信念」と定義した。 According to the hy...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 6/x
近年行われた研究では、被害者非難を通じた公正世界仮説の信念を維持することは、短期的な小額報酬を無視して長期的な高額報酬を選好することと関連し、長期的な目標の維持を可能にしている。―― ウィキ/公正世界仮説 今すぐに7万円が贈与される契約と、 90日後に12万円が贈与される契約、どちらを選ぶか。 世界に公正さを期待できないのなら、 不合理な未来が待ち受けている可能性が高くなる。 ...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 5/x
一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 4.a/x
>なぜ、全能の神が造った世界が、 >こんなに不完全な、出来損ないなのかは知らないが、 >僕たちは、世界を補完しなきゃならない。 Someday at Christmas, There'll be no war When we have learned, What Christmas is for ―― Someday At Christmas/Stevie Wonder, Andra Day ―― Ronald Miller 作詞、Bryan Wells 作曲、1967、Motown Well tonight thanks God it's them ...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 4/x
一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 3/x
公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。―― ウィキ/公正世界仮説 努力をしたからといって、 報われるとは限らないけれど、 努力をしなければ、報われることはない...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 2/x
「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。言い換えると、公正世界仮説を信じる者は、起こった出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であると考え、またこれから起こることもそうであることを期待する傾向がある。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などが存在するという考えを暗に...
「公正世界仮説」について ―― Happy Christmas 1/x
公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。また、この世界は公正世界である、という信念を公正世界信念(belief in a just world)という。公正世界仮説は社会心理学者によって広く研究されてきており、メルビン・J・ラーナーが19...