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「公正世界仮説」について ―― 「公正世界仮説」から離れて 20/25
>生きるのなら、生きる意味を求めてしまう。>この欲求には、逆らい難(がた)い。>生きるのなら、意味があるものとして、>生きる意味を感じながら生きたい。>この衝動には、抗(あらが)い難い。でも、生きる意味なんて、予め、用意されていない。もとより、意味、それ自体が、人と人との間で、世界の上に投影される心的構築物である。自分で自分に意味を与えることなど、うまく行かないと、見切りをつけたほうがいい。そんな...
例えば、世界の一切が無意味であるとして、侮蔑し、冷笑し、破滅を望んでいる者がいるとして、それだって、実は、ことごとく、意味などない。意味を認めないのも、等しく無意味であり、侮蔑も、冷笑も、破滅を望んでいることも、価値がないことにおいては、等価である。無意味を感じながら、意味を満たさない努力も、行いに対して公正な結果が返ってくると信じていい。他人と関わることを拒絶して、無意味のままで温存させる努力に...